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[012] つかの間の安息

 王都のラフィナ商会本店の一室で、ささやかながらレミの歓迎会が催されていた。


普段は冷静沈着な使用人や護衛たちも、ルックが女性を連れて帰ったことに、驚きを隠せなかった。グレンなどは、紹介の席でルックから「姉であり、妻でもある」と聞かされ、頭を抱えたほどだ。ただ、キルクークの村から付き従ってきた古参の使用人たちは、穏やかに微笑んでいた。


レミの明るくおおらかな性格は、ルックの静かな冷徹さとは正反対だった。


普段は張り詰めた空気が漂う本店も、この夜ばかりは笑い声に包まれ、どこか家庭的なぬくもりに溢れていた。


「皆さん、本当に温かい方たちばかりですね」


 会が終わり、寝室でそうつぶやくレミに、ルックは「いい奴らばかりだ」と答え、そっと抱き寄せた。

灯を落とした部屋に、春のような柔らかな香が満ちる。長い逃亡と闘争の果てに得た、わずかな安息だった。



 バルバリア商会は予想以上に長くハインセル傭兵団を雇い続けていた。交易路の警備は強化され、ルックたちが野盗として動くこともできず、また、警備に力を入れていたバルバリア商会も、ラフィナ商会の商隊を襲撃する機会を失っていた。


一時的な停滞がもたらした静かな時間だった。



 商会の業務は滞りなく動いている。そんな様子を見て、ルックは思い立つように言った。


「少し旅に出よう。レミ、王都ばかりでは息が詰まるだろ」


グレンは護衛を何人か同行させるよう強く勧めたが、ルックは首を横に振った。


「二人きりで旅させてくれよ。その代わり変装はするからさ」


グレンは苦笑しつつも了承し、帽子と地味な外套(マント)を用意した。



 王都の北方、山脈の麓には古くから温泉が湧き出し、今では一帯が温泉街として栄えている。鉱石の香を含んだ蒸気が谷間から立ちのぼり、石畳の路地には宿と湯屋が軒を連ねていた。


夕暮れどき、二人を乗せた馬車が峠を越えると、山の斜面に点々と灯る灯籠の明かりが、星空のように瞬いていた。


「すごい……まるで夜空が地上に降りたみたい」


 レミの感嘆に、ルックは小さくうなずいた。風が冷たく、温泉街を包む湯煙が淡い白の(とばり)となって馬車を包み込む。


 老舗(しにせ)の湯宿を訪れる。王族や貴族も立ち寄る由緒ある宿だ。二人が通された部屋は、磨き抜かれた木の床と障子越しに見える庭園が印象的で、離れの露天風呂には白い湯気がたなびいていた。


「こんな場所、初めて……」


 浴衣姿のレミが湯縁に腰を下ろす。光の魔道具が、湯面を照らし、レミの頬を朱に染める。金色の髪は、湯気に濡れ、肩に張り付き、その髪に指先を滑らせるたびに滴がこぼれた。


「……ずっとこうしていられたらいいのに」


 ぽつりと呟く声。ルックは何も言わずに隣に座り、空を見上げる。白い湯煙の上、雲の切れ間から見える星がひときわ鮮やかに瞬いていた。


ルックの表情に浮かぶ一瞬の安らぎを見て、レミは胸の奥が締めつけられる。


この人は、どれだけ戦いと犠牲の上に立っているのだろう。


抱きしめたくなるほど近くにいるのに、どこか遠い――そんな距離を感じた。


「ルック……。あなたの戦いは、いつまで続くの?」


レミの問いに、ルックは少しだけ目を細めて答えた。


「さっさと終わらせたいな。そうすれば毎日、こうしてゆっくりと二人で過ごせる」


その言葉には、不思議な静けさと決してそうはならないことを悟らせる、不思議な重さがあった。


湯面に映る二人の影が、ゆらりと溶け合った。



 翌朝、山の空気は澄み渡り、ひんやりとした風が二人の間を吹き抜ける。白い息を吐きながら宿を出ると、遠くの山々に朝日が差し、輝いた。


冷えた体を温めるため、朝風呂に浸かり、朝食を済ませ宿を後にする。


ルックが馬の手綱を引く、その手綱にレミも指を添えた。


「また、来ようね」


「そうだな。――また二人で来たいな」


二人の馬車は、朝靄の温泉街の道を抜け、南へと向かう。



 王都へと馬車を進め、街道を行く。街道では旅人や行商人とすれ違い、所々に設けられた関所を通過する。関所では身分証の提示を求められたが、ヤームシュタット公爵家が用意した貴族用の身分証を見せると馬車の中を確認されることもなく関所を通過できた。


しかし、ある関所を通過したとき、関所の役人が身分証を確認し、じっとルックを見つめた後、敬礼し、関所の通過を許してくれた。その仕草に違和感を感じたが、呼び止められることもなく、特別、異変もなかったから特に気にはしなかった。



 バルバリア商会の本店に、一通の手紙が届けられた。ルック・トールセンと思われる人物が、女性と二人で行動していたという内容だった。バルバリア商会の商会長、メーデン・バルバリアは、女性の素性を調査するよう命じる。その女が、ルック・トールセンの弱みに成り得る可能性があるなら、すぐにでも利用するつもりだ。


それから、しばらくして、どうやら女性はルック・トールセンの妻だという情報がもたらされた。


メーデン・バルバリアの命を受け、レミを誘拐すべく、バルバリア商会の手の者が一斉に散った。

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