[001] 虐殺の商人と奴隷の少女
血に染まった行商人たちが、至る所に倒れている。馬車には無数の矢が突き立ち、積み荷の小麦が燃え続けている。
「ルック! 積み荷の中から女が出てきたぜ。しかも相当な美人だ」
後ろ手に縛られた女性を引き連れてきたグレンは、その背を蹴り飛ばし、ルックの前に突き出した。
「お前もこの商隊の一員か?」
ルックの問いに女性は無言で首を振る。野盗に生きたまま捕らえられるということは、その後には凌辱と死が待ち受けているということだ。
「一員でないと言うならお前は何故ここにいる?」
女性は、自分が奴隷として買われ、これから誰とも分からぬ貴族に売り飛ばされるのだと話す。
「こいつらならやりかねないぜ」
グレンがすでに息の無い行商人の背中に剣を叩きつける。ほぼ同時に野盗の一人がルックに近づき金になりそうな物は全て回収したと報告する。
「全員引き上げるぞ。グレン、その女も連れてこい!」
その号令に合わせて野盗は林の木々の中へと姿を消した。
数時間前……。
鬱蒼とした林道を何台もの馬車を連ねた商隊が行く。荷台には収穫されたばかりの小麦やトウモロコシが山と積まれている。また、穀物とは別に一人の少女が載せられていた。
少女の名をミラと言い、この近くの村で生まれ育ったが、父親が借金を返済することが出来ず、その代償に奴隷として身売りさせられた。
この商隊の雇い主は、バルバリア商会。ホルフィーナ王国を牛耳る悪徳商会だ。ミラの父親は、昨年の小麦の不作をしのぐために、別の商会から金を借り入れたが、債券は、知らぬ間にバルバリア商会へと譲渡されていた。
債券が譲渡されてからしばらくして、ミラの父親が運営する農地で火災が発生し、まともな収穫が得られず借金の返済ができなかった。
ミラの父親は、法務官に放火の被害を訴えたが、自然災害として黙殺された。法務官はすでにバルバリア商会の手中にあり、その利益となる裁定を下したのだ。
ミラは、絹のように輝く金色の髪と、サファイアのような美しい瞳を持ち、農家の村娘とは思えぬ白い肌で、修道衣をまとえば美しき神官と見まごうほどであり、ドレスを着れば侯爵家の令嬢と信じ込む者も少なくないだろう。
バルバリア商会がミラに目を付けた理由は分からない。この美貌なら奴隷として高く売れると考えたのか、貴族から依頼され奴隷として買い付けたか……。いずれにせよ、ミラはこの旅の先で見ず知らずの男に買われる運命にあった。
林の奥がほのかに明るくなり、それが火だと気づいたときには、その火は勢いよく馬車に向かって飛び、火矢が積み荷に吸い込まれると乾いた小麦が勢いよく燃え盛る。
頭巾とマスクで顔を隠した野盗は、まず商隊の護衛と思われる剣士に襲い掛かり、反撃の体制が整う間もなく護衛を虐殺する。その間に逃げようとする商人は、すでに商隊を囲んだ野盗によって討ち取られる。
幸い、ミラの乗る荷台には火矢は命中せず、火に包まれることはなかった。ミラは積み荷に身を隠し、その可能性が低いことを覚悟しつつ野盗をやり過ごすために積み荷の中に身を潜める。
小麦の中に潜ったミラは、濃く甘い匂いに包まれ、思わずむせ返す。その咳払いに気付いた赤い髪の大男が、荷台に手を突っ込みミラを引きずり下ろした。
ミラの眼前には、バルバリア商会の商人や商隊の護衛の亡骸が転がり、もはや野盗に身を預ける選択肢しかないことを思い知る。
赤い髪の大男に腕を縛られ、引き連れられた先には、その隣に並ぶと、どうしても小柄に見えてしまう黒髪の青年が立っていた。だがよく見ると、村の青年と変わらぬ背丈ながら、明らかに引き締まった肉体と、冷徹な目を持ち、そのあたりの青年とは別の生き物だとすぐに悟る。
ルックと呼ばれたこの男は、引き上げの号令をかけると、ミラに近づき、ミラの体臭を嗅ぐ。
ミラの背筋に冷たいものが走り抜け、この後に待ち受ける凌辱を想像し、出来ることならこの場で今すぐ命を絶ちたいと願った。
「お前が隠れていた積み荷を教えろ」
隠しても意味のない質問だからミラは自分が隠れていた積み荷を指差した。
「グレン、あれをしっかり燃やしておけよ」
「あいよ。この国に麻薬はいらないからな」
麻薬……。今、麻薬と言っただろうか。ミラは自分がむせ返ったあの匂いが、麻薬のものなのかと半信半疑となりながら、グレンと呼ばれた男が念入りに火をかけるのを見つめていた。
油をしっかりと掛けられた荷台は勢いよく燃え、その場を離れても、赤い光はしばらく視界から離れなかった。
野盗の人数は二十人ほどだろうか。しばらく歩いた後、隠してあった馬に乗り換え、たどり着いたのは小さな小屋だった。野盗達は、その小屋に隠してあった衣服に着替え、そ
「あんた、奴隷として売られたなら家には帰れないだろ。行くところがないなら俺達の店で働かないか」
赤髪の大男、グレンがミラを誘う。しかし、ミラはいきなり店で働くと言われても、その意味が理解できなかった。
「グレン、説明を端折り過ぎだ。俺はルック。こいつはグレンだ。王都を中心に商売を営むトールセン商会の人間だ。野盗に見えただろうが、バルバリア商会の麻薬取引を妨害するのが今回の目的だ。まさかそこに奴隷がいるとは思っていなかったがな」
トールセン商会と言えば、何年か前までこの国一番の商会だったはず。バルバリア商会の非道なやり方で、廃業に追い込まれたはずだが、再び商会を興したのだろうか。
いずれにせよ、帰る家もなく、生計を立てる術も無いミラは、この野盗まがいの商人に自らの未来を委ねることしか出来なかった。