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第一話 盗まれた誇りと奪われた命

 結局、最初の測量杭は、ゴリンの設計図から正確に三センチずれた場所に打ち込まれた。

 ゴリンは、集まった部下たちの前でメンツを潰され、その後三日間、誰とも口を利かずに自らのテントに籠って設計図の修正計算に没頭した。

 ドワーフの仲間たちは、そんな上司の姿に同情し、森の理不尽さを押し付けてくるエルフへの不満を募らせていた。

 一方、ライラもまた、森の仲間たちから孤立していた。

 「なぜ、たった三センチで妥協したのだ」「ドワーフの理屈に屈したのか」と、過激な思想を持つ若者たちから突き上げられたのだ。

 彼女は、盟約と森の安寧の間で板挟みになり、深い孤独を感じていた。


 こうして、街道建設は、両種族の間に見えない溝を刻みながら、静かに始まった。

 ドワーフたちは、ゴリンの修正された設計図に基づき、驚異的な正確さで地面をならし、基礎となる石材を運び込み始めた。

 その仕事ぶりは、ライラの目から見ても完璧だった。

 無駄な動き一つなく、まるで一つの巨大な機械のように、彼らは黙々と作業を進めていく。


 その完璧な仕事場に、最初の不協和音が響いたのは、工事開始から一週間が過ぎた、ある朝のことだった。

「ゴリン様!大変です!工具が…工具がありません!」

 早朝の野営地に、一人のドワーフの悲鳴が響き渡った。

 ゴリンが慌てて資材置き場に駆けつけると、そこには信じがたい光景が広がっていた。

 昨夜、厳重に施錠したはずの工具箱が、蓋を開け放たれたまま、空になっていたのだ。

 中に入っていたのは、ゴリンがこの日のために自ら鍛え上げた、一揃いの精密測量器具。

 彼の魂そのものと言ってもいい、特別な道具だった。

「馬鹿な…!鍵を壊された形跡はないぞ!」

 ゴリンは、工具箱に付けられたドワーフ製の複雑な錠前を調べた。

 傷一つない。まるで、錠前が自ら侵入者を受け入れたかのようだ。

「昨夜の見張りは何をしていた!」

「申し訳ありません!昨夜は霧が深く、物音一つ聞こえませんでした…。それに、野営地の周囲に我らが仕掛けた警報用の鈴も、一つも鳴っておりません…」

 音もなく、痕跡もなく、鍵のかかった箱から中身だけを盗み出す。

 そんな芸当ができるのは、大陸広しといえど、一つの種族しかいない。

「…エルフめ」

 ゴリンの口から、低い、怒りに満ちた声が漏れた。

 集まったドワーフたちも、皆、同じ結論に達していた。

 これは、あの森の番人による、陰湿な嫌がらせに違いない、と。

 ゴリンは、怒りに任せて森の入り口へと向かった。

 ライラは、いつものように古代樹の枝の上で、静かに森の気配を感じ取っていた。

「おい、エルフ!俺の道具をどこへやった!」

 ゴリンの怒声に、ライラはゆっくりと目を開けた。

「あなたの道具? 知らないわ。私は、昨夜から一歩もここを動いていない」

「嘘をつくな!お前たち以外に、こんな真似ができる者がいるか!」

「私たちは、盗みなどという卑劣な真似はしない」

 ライラの静かな否定が、ゴリンの怒りにさらに油を注いだ。

「では、どう説明する!あれは、ただの道具ではない!俺の誇りそのものだ!」

「だから、森が隠したのでしょう」

 ライラは、こともなげに言った。

「あなたの道具から、あまりに冷たく、傲慢な『意志』を感じたから。森は、これ以上自分を傷つけないでと、あなたに伝えたかったのよ」

「…もういい」

 ゴリンは、会話を打ち切った。

 非論理的な戯言に付き合っている時間はない。

 彼は踵を返し、部下たちに命じた。

「予備の工具を出せ!作業を再開する!だが、今夜からは警備を倍にしろ!二度と、森のネズミに好き勝手はさせん!」


 その日の作業は、険悪な雰囲気の中で進められた。

 ドワーフたちは、エルフへの敵意を隠そうともせず、必要以上に大きな音を立てて石を運び、木々を睨みつけた。

 ライラは、そんな彼らの姿を、深い悲しみを湛えた瞳で見つめることしかできなかった。


 そして、その三日後。今度は、エルフの側に事件が起きた。

 街道が建設されるルートの近くに、一本の若木があった。

 それは、ライラが何年もかけて育ててきた、聖なる銀葉樹の苗木だった。

 いつか、この森を守る大樹になるはずの、彼女にとって妹のような存在。

 その日の朝、ライラはいつものように若木の様子を見に行った。

 そして、言葉を失った。

 あれほど瑞々しく輝いていた銀色の葉が、全て茶色く変色し、力なく垂れ下がっていたのだ。

 まるで、一晩で数十年分の寿命を吸い取られたかのように。

「…そんな…」

 ライラの指が、枯れた葉に触れる。

 はらり、と葉は力なく砕け散った。

 根元の土は乾き、そこからは、彼女が感じたことのない、不自然で、冷たい「無」の気配が漂っていた。

 まるで、生命そのものが、拒絶されているかのようだった。

 ライラの脳裏に、ドワーフたちの、森への敵意に満ちた眼差しが浮かんだ。

 これは、彼らの報復に違いない。

 彼女は、生まれて初めて感じるほどの、激しい怒りに身を任せ、ドワーフの野営地へと向かった。

「ゴリン・スティールシェイパー!」

 ライラの、怒りに震える声が響き渡る。

 作業をしていたドワーフたちが、一斉に彼女を振り返った。

「何の真似!? あなたたちが、あの子に何をしたの!」

「何のことだ。俺たちは、お前たちの聖域とやらに近づかないよう、細心の注意を払っているはずだが」

 ゴリンは、いぶかしげに眉をひそめた。

「とぼけないで!私の銀葉樹が…あなたたちの仕業でしょう!自分たちの道具が盗まれた腹いせに、あの子の命を奪った!」

「待て。俺たちは、お前たちの木などには指一本触れていない。証拠でもあるのか」

「証拠なら、この森が知っているわ!あの子が、あなたたちの放つ憎しみに耐えられず、枯れてしまったことを!」

 売り言葉に買い言葉。

 二人の口論は、すぐに両種族を巻き込んだ、一触即発の事態へと発展した。

「森の番人が聞いて呆れるぜ!自分たちの管理不行き届きを、俺たちのせいにする気か!」

「黙りなさい、石ころ頭!あなたたちに、生命の尊さが分かってたまるものですか!」

 ドワーフの一人が、思わず槌を握りしめる。

 それを見たライラが、背中の弓に手をかけた。

 もはや、誰にも止められない。

 大陸の未来を繋ぐはずだった「夜明けの道」は、今、血で舗装されようとしていた。


「やめなさい!」


 その時、両者の間に、凛とした、しかしどこか温かい声が響いた。

 声の主は、いつの間にかそこに立っていた、一人の人間の女性だった。

 亜麻色の髪、そして、全てを見透かすかのような、優しい緑色の瞳。

 彼女の佇まいには、争いを鎮静させる、不思議な力があった。

「私は、エレジア王国宰相特使、リィナ・シルバーアッシュ。両者の間に起きた不幸な事件について、調査のために参りました」

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