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エルフの深き森とドワーフの槌の音  作者: 神凪 浩
第三部 破られた盟約と目覚める古霊
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第一話 血に染まる盟約

 遺跡の歌が鎮まり、季節は再び巡った。

 「夜明けの道」の建設は、かつてないほどの熱気と信頼関係の中で進んでいた。

 古代の遺跡で明らかになった共通の悲劇の歴史は、ゴリンとライラの間にあった最後の壁を取り払い、二人はもはや単なる監督官と監視役ではなく、互いの背中を預け合う、かけがえのない「相棒」となっていた。


 その変化は、現場全体に伝播していた。

 ドワーフたちは、エルフの助言に真摯に耳を傾け、森の木々を家族のように敬うようになった。

 エルフたちもまた、ドワーフの仕事ぶりに感嘆し、彼らのために森の恵みである薬草や木の実を差し入れるようになった。

 かつては鉄と石の匂いしかしなかった野営地には、今やエルフが奏でる竪琴の穏やかな音色が響き、焚き火を囲んでドワーフの無骨な歌とエルフの繊細な詩が交じり合う光景も、珍しいものではなくなっていた。


 街道の完成が目前に迫った、ある満月の夜。

 これまでの苦労をねぎらい、両種族の新たな友情を祝うための、ささやかな式典が、森の開けた広場で開かれることになった。

 広場には大きな焚き火が焚かれ、その周りを、ドワーフもエルフも、肩を組んで陽気に踊っている。

 テーブルには、ドワーフが持ち込んだ芳醇なエールと、エルフが用意した光り輝く果実酒が並び、人々は種族の垣根なく、杯を酌み交わしていた。

「おい、ライラ!お前たちが持ってきたその光る酒も見事だが、うちの若い衆が作ったこの焼き猪もなかなかの出来だろう!」

「ええ、ゴリン。あなたたちの料理は、少し塩辛すぎるけれど、心がこもっていて美味しいわ。あなたも、この花の蜜酒を飲んでみなさい。石ころ頭が、少しは柔らかくなるかもしれないわよ」

 ゴリンとライラも、憎まれ口を叩き合いながらも、その表情は穏やかだった。


 式典が最も盛り上がりを見せた、その時だった。

 広場の中心で、エルフ側の和平推進派の指導者であり、ライラが師と仰ぐ長老、エルドリンが、ドワーフの総監督官であるバリンと、固い握手を交わした。

 エルドリンは、杯を高く掲げ、集まった者たちに語りかけた。

「我らは今日、過去の不信を乗り越え、森と山が手を取り合うという、新たな盟約を結んだ!」

 そして、彼はバリンの手を固く握り、続けた。

「この盟約が、永遠のものでありますように」

 エルドリン長老が、その場にいる全員に聞こえるように、高らかに宣言した。

 その言葉に、割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こる。


 だが、その歓声は、次の瞬間、悲鳴に変わった。

 エルドリン長老の背中に、どこからともなく飛来した一本の戦斧が、深々と突き刺さったのだ。

 時が、止まった。

 長老は、信じられないというように、自らの胸から突き出た斧の切っ先を見つめ、そして、ゆっくりと、バリンの腕の中へと崩れ落ちた。

 その斧には、見紛うことなき、ドワーフの紋章が刻まれていた。

「…なぜ…」

 長老の最後の言葉は、誰に向けられたものだったのか。

 静寂を破ったのは、エルフたちの絶叫だった。

「長老!」

「ドワーフの裏切り者め!」

 つい先ほどまで和やかに酌み交わされていた杯は地面に叩きつけられ、友好の象徴だった焚き火は、憎悪の炎となって燃え盛る。

 エルフたちは弓を構え、ドワーフたちも槌を握りしめた。

「待て!俺たちじゃない!」

 ゴリンが叫ぶが、その声は憎悪の渦にかき消される。

 ライラは、血の海に倒れる師の亡骸を前に、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

 彼女の脳裏に、あの日の誓いが蘇る。

「あの子の命を奪った落とし前は、きっちりつけてもらわなければ」

 だが、今度は、その怒りの矛先を、どこに向ければいいのか分からなかった。


 混乱の中、ゴリンは一つの事実に気づき、戦慄した。

 現場に残された凶器の戦斧。それは、予備として彼のテントに保管されていた、彼自身の斧だったのだ。

「…罠だ」


 翌日、エルフの集落は、深い悲しみと、ドワーフへの燃えるような憎しみに包まれていていた。

 森の最長老であり、穏健派であったエルドリンとは対立していた強硬派の指導者、シルヴァヌスが、集まったエルフたちを前に宣言した。

「もはや、言葉は不要!ドワーフどもは、我らの信頼を、最も卑劣な形で裏切った!今すぐ工事を中止させ、奴らをこの聖なる森から一匹残らず追い出すのだ!」

 その言葉に、エルフたちは雄叫びを上げて応えた。


 ライラは、ゴリンの無実を信じたいと思っていた。

 だが、状況はあまりに絶望的だった。

 彼女の仲間たちは、口々にゴリンへの復讐を叫び、彼女自身も、師を失った悲しみで、冷静な判断力を失いかけていた。

 そこへ、宰相特使リィナが駆けつけた。

 彼女は、エルドリン長老の亡骸の前に静かに膝をつくと、その場に残る大地の声に、耳を澄ませた。

「…駄目です」

 リィナは、青ざめた顔で呟いた。

「大地が、流された血に怒っています。このままでは、森そのものが、目覚めてしまう…!」

 リィナの予言は、的中した。

 長老の流した無念の血が、森の奥深くで眠っていた、古の存在を呼び覚ましてしまったのだ。

 ザワ…ザワワ…と、森全体が、不気味に揺れ始めた。

 木々の葉が、一斉に血のような赤色に染まり、大地からは、これまで感じたことのない、純粋な怒りの波動が立ち上る。

 ゴウン、ゴウン、と、地響きと共に、森の最も深い場所から、巨大な何かが、ゆっくりと立ち上がった。

 それは、何百年もの間、森の怒りと悲しみをその身に宿し、眠りについていた古霊(こだま)だった。

 その巨体は、森の木々そのものでできており、その顔があるべき場所には、ただ、燃えるような怒りを湛えた、巨大な光の渦だけが渦巻いていた。


 目覚めた古霊(こだま)は、善悪の区別なく、森を乱す全てのものを、その怒りのままに破壊し始めた。

 街道建設のために積まれた石材は、巨大な木の根でできた足によって粉々に砕かれ、ドワーフの野営地は、大木でできた腕によって無残になぎ払われた。

「森の怒りだ…!」

 エルフたちは、その光景に畏怖の念を抱き、ひれ伏した。


 ライラは、暴走する古霊(こだま)を前に、一つの決断を下した。

(私が、鎮めなければ…)

 そして、ゴリンもまた、自らの無実を証明するため、真犯人を追うことを決意する。

 二人の道は、再び、分かたれてしまったかのように見えた。

 だが、その瞳の奥には、同じ目的が宿っていた。

 この悲劇の連鎖を、終わらせる。


 混乱の極みにある森で、二人の新たな戦いが始まろうとしていた。

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