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あの日僕を救ってくれたのは、永谷園でした

 老境に差し掛かった一人の男性が、インタビューを受けている。短く刈り込んだ白髪に黒縁の眼鏡の、品のいい老紳士、といった風情のその男性は、軽く足を組み、柔和な笑みを浮かべてインタビュア―を見ている。


 あなたの人生の至高の食事。


 とある雑誌のそんな企画に、今やノーベル化学賞も確実と言われるこの国最高峰の知性は、静かに微笑みながらこう答えた。


「……お茶漬け、でしょうか」


 意外な答えだったのだろう。インタビュアーが「お茶漬け、ですか?」と妙に甲高い声で問い返した。男性はうなずき、遠い過去に思いを馳せるように目を細めた。


「あの日僕を救ってくれたのは、永谷園でした」




 葬儀が終わり、喪服を着たまま、青年は独り、座っていた。憔悴しきった様子の彼は何をするでもなく、虚ろな表情でただ呆然としている。空腹も感じない。眠ることもできない。ただ、息をしているだけ。どうして息をしているのかさえ、彼には分からなかった。


「ひどい顔してる」


 後ろから掛けられた声に、緩慢な動作で顔を上げる。そこにいたのは彼の叔母だった。芯が強く、凛とした佇まいの彼女は、青年に代わって葬儀を取り仕切ってくれていた。叔母は強い口調で言う。


「昨日から何も食べていないでしょう? 何でもいいから食べなさい。ほら、お茶漬けでもいいから」


 叔母は台所にあったお茶漬けの素を青年に押し付ける。てきぱきと湯を沸かし、ご飯をよそう。青年はぼんやりとしながら、それを見ていた。


「ほら、食べて」


 青年に箸を押し付け、念押しのようにそう言って、叔母は部屋を出ていった。人の気配が消え、青年はじっとご飯がよそわれた茶碗を見る。どうして、食べるのだろう。どうして、生きるのだろう。そんな疑問が頭をグルグルと回る。

 手に持っていた箸を落とす。箸はカラカラと音を立てて転がる。食べろ、と言われたことを思い出し、箸を拾う。食欲などないが、叔母が戻ってきたときに食べていなければ、叔母は悲しむだろう。義務感に近い形で、青年はお茶漬けの素に手を伸ばす。袋を開け、ご飯にかける。ポットから湯を注ぐと、柔らかな湯気が立ちのぼった。


 ぽたり


 机に雫が落ちる。青年は不思議そうにその雫跡を見つめた。これは、なんだ? どうして、水が――


「ああ、そうか」


 納得したように青年はつぶやく。机を濡らした水は、彼の涙だった。彼は、泣いていた。


――僕は、泣きたかったんだ。


 ずっと一緒だと思っていた。失うことなどないと思っていた。でも今、彼女はいない。もう、彼女はいない。

 死んだ心に染み入るように、湯気の温かさが青年を包む。

 お茶漬けをすすりながら、青年はずっと、泣き続けた。


一杯のお茶漬けに救われるときがある

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