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見てください! 麻婆豆腐が校庭を埋め尽くしています!

 提示されたセリフを適切に配置して短い物語を作成しましょう。


「見てください! 麻婆豆腐が校庭を埋め尽くしています!」

「麻婆豆腐の作り方を教えてください!」


 そう言って、少女は深く頭を下げた。町中華の店主、安藤は戸惑いを顔に浮かべる。断るにはあまりに切実な祈りが、その言葉には含まれているようだった。頭を上げる気配の無い少女に、安藤は困ったように声を掛ける。


「どういうことか、教えてくれるかな?」


 少女は顔を上げ、真剣な表情でうなずいた。




 一定の間隔で鳴る電子音は、ひどく冷たい現実をことさらに強調している。時間は止まることなく流れ続けているのだと、そう言われているような気がして、芽衣子は目を伏せた。確かに時間は流れている。昨日が終わり、今日が始まり、やがて終わる。明日もきっと来るだろう。それなのに、目の前にいる彼だけは、時が止まったかのように眠り続けている。

 人工呼吸器につながれ、芽衣子の同級生である宮地(みやじ)(まもる)は眠っている。穏やかに、どこか満足そうに。




 集団下校、という学校行事には、いったいどんな意味があるのだろう。そんなことをぼんやりと考えながら、芽衣子はランドセルを抱えなおした。初夏の日差しが降り注ぐ町は今日も代り映えのしない風景を提供している。本来なら下級生の子と手をつないで帰るのが集団下校の趣旨だろうが、あいにく芽衣子と同じ方向に帰る下級生はおらず、彼女にとって集団下校は単に決まった経路での帰宅を強制される不可解な行事となっていた。


「……人生って、何だろうね」


 芽衣子はポツリとつぶやく。隣を歩いていた同級生、宮地守はギョッとした表情を浮かべて言った。


「な、なんだよ突然。わかんないよ人生なんて」


 初夏の風に似つかわしくない虚無感を漂わせる芽衣子に対して、守は慌てふためいて視線をさまよわせる。人生の何たるかなど齢十年の身で分かるはずもないが、クラスメイトが悩み苦しんでいるのなら、その苦悩をどうにかしてあげなければ。そんな義務感が顔に現れている。


「と、とりあえず、楽しいことを考えてみたらどうだろう?」


 何とか絞り出した守の提案を、芽衣子は乾いた目で見つめ、小さく息を吐いた。宮地君にこの問いはまだ早かったか。そんな諦めが芽衣子から滲む。守は若干傷付いた顔で芽衣子を見る。


――ブォン!


 二人の脇を車が結構なスピードで通り過ぎる。本来、住宅街の生活道路であるはずのこの道は、県道と国道を行き来する車の抜け道として利用されていた。そして、ここを抜け道として利用する運転者は大抵の場合、制限速度を守らない。歩道と車道の境のないこの道路では、歩行者がゾッとするような経験をすることも珍しくないのだ。車が巻き起こした生温い風に、守は顔をしかめた。


「は、早く帰ってさ、おやつでも食べたら?」


 仄暗い諦念を振り払うべく、守は第二の提案を芽衣子にぶつける。芽衣子は視線を上げ、遠くの空を見つめた。おやつ、おやつかぁ。何があったかな?


 交通量は徐々に増え、車はまるで自分が主役の顔をして道路を走る。守は落ち着かなさそうに車と芽衣子を交互に見ている。芽衣子は心ここにあらず、といった風情でゆっくりと歩く。


 冷蔵庫にプリンがあったっけ? でも昨日、お姉ちゃんが名前を書いてた気がするな。気付かなかったふりをして食べてしまおうか。きっと、烈火のごとく怒るだろうな――


――ドン!


 不意に聞こえた凄まじい衝撃音に、芽衣子は振り返る。そこには、電柱に激突してなお走り続けようとする一台の車があった。ブレーキ音もなく、速度を緩める気配もない。電柱にぶつかった衝撃で車は向きを変える。芽衣子の真正面に見える、運転席に座る人物は――気を失っていた。


「危ない!」


 横方向から突き飛ばされ、芽衣子は地面に倒れ込む。さっきまで芽衣子のいた場所を車が通り過ぎ、民家の外壁に大きな穴を穿った。芽衣子は上半身を起こし、周囲を見渡す。守の姿は、ない。


「――宮地、くん……?」


 周辺の住民がぞろぞろと外に出て事故の様子を確認する。破壊された民家の敷地内で、誰かが何か叫んでいた。何人かが警察と救急車を呼んだ声が聞こえた。


――車が民家に突っ込んで

――子供が一人巻き込まれて


 子供が、巻き込まれて? 宮地君は、どこ? 芽衣子は呆然と大破した車を見つめる。大人の一人が芽衣子の傍に寄り、「大丈夫?」と声を掛ける。芽衣子は、答えない。


「なに、が……?」


 理解より先に身体が震える。遠く救急車のサイレンが聞こえた。




 病室のベッドの傍らには守の母が座り、守の手を握っている。事故から二週間が経ち、守が目を覚ます気配はない。手術は成功し、一命はとりとめた。しかし目を覚まさない。原因は医者にも分からず、時間だけが過ぎていく。


「……この子は、麻婆豆腐が好きでねぇ」


 守の母は独り言のようにつぶやく。


「お昼寝していても、私が麻婆豆腐を作っているとすぐに目を覚ますの。『麻婆豆腐の匂いがする』って」


 だから、大丈夫。まるで何もなかったように目を覚ます。自分にそう言い聞かせるように、守の母は何度も「大丈夫」と繰り返す。しかしその言葉とは裏腹に、守の母の憔悴ぶりは目を覆いたくなる有様だった。ひどくやつれ、ほとんど寝ていないのだろう、顔色は血の気を失っている。芽衣子は「おばさん」と声を掛け、その続きを何と言っていいか分からず、うつむいた。


「芽衣子ちゃん」


 守の母は芽衣子を振り向く。苦しげな、絞り出すような声。


「……もう、ここには来ないで」


 芽衣子はハッと顔を上げた。守の母はどこか虚ろに芽衣子を見る。


「皆がこの子を褒めてくれたわ。勇敢だって、すごいって。同級生の女の子を救った、勇気ある子供だって。でもね」


 守の母はうつむき、両手で顔を覆った。


「どうしても、考えてしまうの。あなたが悪いわけじゃないと分かってる。それでも」


 押し殺した嗚咽が聞こえる。押し殺してなお残る感情が伝わる。


「あなたを、助けなければよかったのにって。臆病でも、卑怯でもいい。無事に帰ってきてくれたらよかったって。事故に遭ったのが、あなただったらよかったのにって!」


 事故の原因は運転手の心臓発作だったそうだ。運転手はあの事故で亡くなり、恨む相手はすでにない。憎む相手が、この世にいない。だから、感情は生きている者に、近くにいる者に向くのだ。

 顔を覆う両手の奥からすすり泣きが聞こえる。何度も何度も、「ごめんなさい」と繰り返す。芽衣子は泣くことも言葉を紡ぐこともできずに、唇を噛み、病室を後にすることしかできなかった。




「同級生のために、麻婆豆腐を作りたいんだね?」


 安藤は確認するように言った。顔を上げ、芽衣子は大きく頷く。その瞳は悲壮な決意に満ちていた。


「何になるのか、分からないけど、でも、私にできること、これくらいしかないから」


 守の母が言った、『麻婆豆腐を作っているとすぐに目を覚ます』という言葉に、芽衣子は一縷の望みをかけた。いや、かけるしかなかった。傍で祈ることさえ拒まれた芽衣子には、他に許された手段などなかったのだ。安藤は「ふむ」と小さくうなると、


「そういうことなら、僕よりもっと適任者がいる」


 スマートフォンを取り出し、どこかへと電話をかけ始めた。戸惑う芽衣子を横目に、電話の相手と何事か言葉を交わし、安藤は電話を終える。そして芽衣子に手を差し出して言った。


「行こう」

「ど、どこに?」


 反射的にそう返した芽衣子に、安藤はどこか不穏な笑みを浮かべて言った。


「僕の師匠、『巴西の鬼』のところさ」




 安藤に連れられて向かった場所は、どこか常人には近寄りがたいほどの高級感を持った一軒の中華料理店だった。完全予約制のその店は、今は客のいない時間帯らしく、ひっそりと佇んでいる。しかし奥の厨房では今日の仕込みの真っ最中なのだろう、慌ただしい雰囲気が伝わってくる。


「その子が?」


 厳めしい顔の老人が、ぎろりと芽衣子をにらむ。芽衣子は身を固くした。安藤の師匠、『巴西の鬼』の異名を持つ四川料理界の重鎮は、老人らしからぬ覇気をまとって仁王立ちしていた。安藤は苦笑いを浮かべる。


「子供をにらまないでください。師匠は顔が怖いんだから、怯えてしまいますよ」


 老人は「むぅ」とうなり、「そんなつもりはなかったのだが」とわずかに視線を落とした。顔が怖いと言われて傷付いたのだろうか。妙に可愛いリアクションに、芽衣子は思わず笑った。老人はどこかホッとしたように表情を緩める。安藤はかすかに口の端を上げ、そして挑発するように言った。


「できますか?」

「誰に向かって物を言っている」


 不快そうに老人が安藤をにらんだ。安藤はひるむ様子もなく堂々と視線を受け止める。


「しかし、欲しいのは、奇跡です」


 ふん、と鼻を鳴らし、老人はどこか誇らしげに胸を張った。


「四川の歴史がそれを叶える」


 傲慢なまでの自信が老人から溢れる。安藤は安心したように息を吐く。老人は芽衣子に視線を移し、真剣な声音で言った。


「麻婆豆腐の作り方を教えるのは構わん。だが、儂は料理人だ。子供相手に優しくやり方を教える術を知らん。それでいいかね?」


 芽衣子の身体が硬く強張る。しかし彼女は、重圧をはねのけるように顔を上げ、老人の顔をしっかりと見つめた。


「……よろしく、お願いします!」


 芽衣子が深く頭を下げる。老人は満足そうにうなずいた。




 窓の外を流れる街の灯りを見つめながら、老人はどこか思案気だった。運転席の安藤は助手席の老人の様子に不安になったのか、声を掛ける。


「何か気になることでも?」


 いや、と小さく首を振り、老人は再び窓の外を見る。灯りの一つ一つが、誰かの生活であり、人生でもある。病院の窓から漏れる光も、誰かの命の光だ。


「……あの子は、どんな気持ちなのだろうな」


 芽衣子は日が暮れるまで老人に教えを乞い、懸命に修行に励んだ。とはいえ、ほんの二時間程度では満足な成果も得られない。芽衣子はまだ続けると言い張ったが、さすがに小学生を日が落ちて後に留め置くことはできず、親御さんに連絡をしてから車で送った。車の中で芽衣子は一言もしゃべろうとはしなかった。ただ、ひどく焦っているようだった。


「あの子は何も悪くありません」

「当たり前だ」


 老人がギロリと安藤をにらむ。安藤は軽く肩をすくめた。老人は正面に向き直る。しばしの沈黙の後、老人は覚悟を決めたように口を開いた。


「悪いが県庁に向かってくれ」


 県庁? と安藤が思わずといった様子で聞き返す。老人はうなずき、


「祈りは多いほどよい」


 そう言って口を引き結んだ。




「……なるほど、事情は分かった」


 県庁の知事室で、鋭い面差しの初老の男が値踏みするような目で老人を見ている。老人は臆することなくその目を見つめ返した。この部屋の主――先日の選挙で圧勝し、三期目に突入したこの男は、まさにこの県の頂点に君臨していた。


「だが、一私人に対して県が格別の配慮をするわけにはいかない。我々は納税者から受け取った税金を公平、公正に再分配する役割を負っている。可能な限り多くの県民の幸福に資する。そうでなければ県は動かんよ」


 老人は眉間にしわを寄せ、県知事をにらむ。


「芽衣子も、守君も、県民だ」

「百万分の一、だよ」


 県知事は冷酷に言い放つ。老人の顔に怒りが宿った。


「あなたは人を数でしか見ないのか」

「そういう立場にいるのでね」


 しかし県知事は老人の怒りを簡単に受け流す。飄々としたその顔から、何を考えているのかをうかがい知ることはできない。老人は県知事をにらみ続ける。しばし、視線が交錯し――ふと、県知事が笑った。


「失敬。政治家の言い回しというのは回りくどいのが常でね。私は芽衣子ちゃんも守君も、どちらも大切な県民の一人だと思っている。つまり、私はね」


 どこか楽しそうに県知事は言った。


「可能な限り多くの県民の幸福に資するのであれば協力できる、と、そう言っているのだよ」


 県知事の意図を計りかね、老人は眉を寄せる。県知事は電話を取り、誰かを呼び出したようだった。すぐに廊下から、バタバタと慌ただしい足音が聞こえる。「失礼します」と言って入ってきたのは気真面目そうな中年の男――副知事だった。


「お呼びでしょうか、知事」


 うむ、と大仰にうなずき、ことさらに厳めしい表情で県知事は告げる。


「当県は明日から『マーボー県』を名乗り、麻婆豆腐を地域振興の柱と位置づける。さしあたり一週間後に、大規模なマーボー祭りを開催するので、地域振興課に具体的なプランを提出させてくれ」

「は?」


 副知事が間の抜けた、甲高い声を上げる。マーボー県? 県の特産品とも歴史とも何の関係もない麻婆豆腐を地域振興の柱に? この人は何を言っているのか、という疑問と混乱がありありと分かる。しかし県知事はそれらの一切を無視して再度命じた。


「これは我が県の未来を賭けたプロジェクトだ。失敗は許されんぞ」


 笑顔で恫喝する県知事に小さく悲鳴を上げ、副知事は逃げるように部屋を出る。老人はぽかんとした様子で県知事を見た。ふふん、と得意そうに鼻を鳴らし、県知事は老人に言った。


「さて、私を動かした以上、あなたにも動いてもらうぞ。『巴西の鬼』よ」




 日曜日の学校の校庭に、今は無数の屋台が並んでいる。それらは麻婆豆腐を売る店ばかりで、食欲を刺激する匂いが辺りに充満していた。県知事が大々的に『マーボー県』宣言をしてから一週間、老人の呼びかけで日本各地から集まった中華料理人たちが腕を競う、『天下一麻婆豆腐大会』が開催されていた。大会は活況を呈し、遠くは沖縄、北海道から来た客でごった返している。マスコミの注目度も高く、昼のニュースのライブ中継ではヘリから状況をリポートしていた。


「見てください! 麻婆豆腐が校庭を埋め尽くしています!」


 レポーターが興奮気味にヘリから叫んでいる。その様子を見上げ、県知事は誰にも聞こえぬようにつぶやいた。


「……戻ってこい、守君。君は、望まれているんだ」




 病院の窓の白いカーテンが風に揺れる。守の母は、守の手を握ったまま眠っていた。外では『天下一麻婆豆腐大会』が行われている。会場である学校にほど近いこの病院には、風に運ばれた麻婆豆腐のいい匂いが届いていた。


「……麻婆豆腐の匂いがする」


 幼い少年の声が、病室にぽつりと響く。小さくうめき声を上げ、母親は目を覚ました。何か聞こえたような――気のせいだろうか? そんなぼんやりとした意識の中、再び声が聞こえる。


「お母さん。お腹すいた」


 気のせいじゃない。気のせいじゃない! 意識が一気に覚醒する。守は横になったまま、しかしはっきりと目を開き、母を見ていた。


「――先生。先生――っ!!」


 母は叫び、ナースコールを連打する。慌ただしい足音がこちらに向かってくるのが聞こえた。


麻婆豆腐の力をナメるなよ。

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