6 大晦日・お酒の失敗
2004年に書いた小説を一部リライトし、20年ぶりに引っ張り出して、ホコリを払い、掲載し直してみました。内田百閒文体を試したくて書いてみた短編習作です。
人々の間で、私は煙草を吸わないことになっている。私自身もそう公言している。実はこっそりと吸っているのだけれど、その気になれば煙草を吸わない人間でいることも出来る。仲間は愚か、家族までが私のことを非喫煙者だと思っている。欺くのに特に理由ははない。面白いからというわけでもない。ただ欺いている。
煙草と同じように、私は結構お酒も飲むし好きなのだけれど、人々のあいだでは私は大変な下戸ということになっている。煙草はどうも門外漢意識が消えないが、お酒は好きで飲んでいる。顔がすぐ赤くなるけれども(だからだまし易い)、それと酔っぱらうのとはまったく別のことである。ただ、仲間内では私は飲めないということになっているので、仲間が来るような飲み屋では飲めない。だから、外で飲むときは自然に遠くまで行くことになる。
お酒のせいで失敗をすることもたまにある。
去年の大晦日のことである。私は年明け前にはアパートに帰るつもりで、懇意の飲み屋で飲み始めた。
みんな大晦日には急いで実家に帰ろうとするけれども、そんなに急ぐことはないのにと思う。正月に顔をゆっくりと見せればいいのであって、大晦日ぐらいはゆっくりと過ごしたいものだ。
大晦日には電車が終夜運転するというから、それを当てにしてだいぶ遅くまで愚図愚図する予定であった。しかし年を愚図愚図越すのは嫌だ。だから頃合を見はからって帰るつもりではいた。
ところが、やはりお酒が入ると頭がどうにかなってしまって、気持ちが大きくなり、帰りたくなくなってしまった。自分で愚図愚図を許しているから、なかなか立ち上がることが出来ない。私は時計をチラチラと眺めながら、まだ大丈夫、まだ大丈夫、と言い聞かせていた。私は一人きりで飲んでいた。一人で飲むと、悪い時には悪いたがの外れ方をするもので、抑制がきかなくなる。手が震えてきたこともある。これは本当の話である。あと一本、あと一杯、とやっているうちに、今年は残すところあと三十分になってしまった。私は慌てて立ち上がり、勘定を済ませた。
ここで年を越していけばいいのに、と飲み屋の女が言った。
そういうわけにはいかない。
私は急いで表へ出た。ところが、今から初詣に参ろうとする気の早い連中が大挙して道を占拠していて、駅付近は鍋の中のごった煮みたいな有様になっていた。私は嫌になった。ここいらに爆弾を落としてしまえばずいぶんとおめでたいことになるだろうにと思った。しかし今から考えると、大晦日にわざわざ電車に乗らなければいけないところまで、酒を飲みに来ることはなかった。私は後悔した。しかしもう遅い。時計を見るとあと十分で今年が終わってしまう。電車になんか乗っていられない。こんなところで年を越したくない。私は、おめでたさに浮かれたひとだかりを乱暴にかき分けて、晴れ着を一つ二つ汚した気もしながら、さっきまで居た飲み屋に戻った。
あら、やっぱり戻って来た。
私は恥ずかしかったので何も言わず、居ずまいを正した。そして年が明けた。一応厳粛に年を越したつもりであった。
お前は一体ここで何をしているんだ。
誰かにそう聞かれて、さっと答えが出なかったのは、ずいぶんと酔っ払っていたからだと思われる。朝起きると、私は道の真ん中で、凍えていた。