5 幽霊との遭遇
2004年に書いた小説を一部リライトし、20年ぶりに引っ張り出して、ホコリを払い、掲載し直してみました。内田百閒文体を試したくて書いてみた短編習作です。
幽霊を見たときのことを今でも思い出す。思い出すと少しだけぞっとする。あれは幽霊ではなかったかもしれない。
私はそのとき、今住んでいるのではない別のアパートに住んでいた。そのアパートも古くて歩くたびに床が軋んだ。
ある冬のこと、用事があって帰宅が夜遅くなり、最終電車に乗ってようやく帰ってきた私は、アパートの前に立っている一人の妙な女を見た。その女は冬だというのに目もくらむような黄色いワンピースを着て、玄関の前に立っていた。帰ろうとしていた私の足はすくんだ。しかし女は私自身に用があって立っているわけではないと思った。何しろ私はその女を知らないのだから。
驚いたことに女の格好は、いつの間にかまぶしいくらいの黄色いワンピースから、沈むような深紅のセーターに変わっていた。着替える暇なんかあったわけはない。
お前は何用でここに来たのだ、と女がふいに声を出した。
私は肝をつぶした。冷やりとした。その声は、女にしてはおかしなほど低い声であった。
私の部屋がここにあるのです、と私はかろうじて震える声を抑えながら言った。
ではわたしの部屋はどこにあるのだ?
私はいても立ってもいられないほど怖くなって、その場を走り去った。アパートに近くには線路が走っていたのだけれど、線路に沿って、とにかく走りつづけた。気がつくと朝になっていて、また驚いた。朝になっているのにまだ真夜中であるような、おかしな朝だった。
私はそのとき朝からどこかに(思い出せない)出かけなくてはならず、それにはアパートまで帰らなくてはいけないのだった。だから電車に乗って帰ってみることにした。私は一晩で六駅ほど移動していた。アパートまで帰ってみるとその女の姿はもうなく、安心したのとひどく怖いのとで、急に眠くなってきた。私は部屋に入ると、知らないうちに眠ってしまったようだった。
その日は夕方になって目が覚めたのだが、夜が近づくとなると怖い気持ちが戻ってきたので私はまた眠ることにし、せっかく目が覚めたのをねじ伏せるようにして無理やり寝てしまった。途中で誰かが玄関のドアを二、三回強く叩いていたようだけれども、私は起きなかった。
だから私は朝から朝までほとんどずうっと目を閉じていたのである。あんなに眠ったのは、後にも先にも一度だけだろうという気がする。