2 煙草の回想
2004年に書いた小説を一部リライトし、20年ぶりに引っ張り出して、ホコリを払い、掲載し直してみました。内田百閒文体を試したくて書いてみた短編習作です。
私がはじめて煙草を吸ったのは、小学生のとき、確か四年生のときであった。そのときはうまいともなんとも思わなかった。むしろまずいと思った。私に煙草を吸わせたのは同じ年の友人で、既にいっぱしの愛煙家だった。彼は末っ子で三人の兄姉がいた。三人ともかなりのヘビースモーカーであったが、そのときには兄姉の中で成人している者は一人もいなかったはずである。
初めて吸った煙草は、やたらと甘たるい匂いがした。甘たるいくせに煙はやはり煙たくて、初めてだから吸い方もわからず、思い切り肺に入れてしまってひどくむせた。私は、二度とこんなものは吸うまいと心に決めて、それで私の初喫煙は終りになった。
この次に吸ったのは中学生の時である。そのときから私の喫煙人生は本格的に始まったと言える。しかし私は煙草をうまいと思って今の今まで吸い続けてきた訳ではない。私を愛煙家にしたのは絶え間ない努力の成果である。
中学生になってしばらくすると、周囲の友人が慣れない煙草を次々と始めた。通過儀礼のようなものだ。私は煙草はもう懲り懲りだと思っていたからずいぶん手を出さないでいたけれども、吸わないでいるとどうも仲間に入れてもらえないようである。仲間はずれになるのは嫌だから、仕方なく一本だけ吸うことにした。ところが一本で終わるはずはないのである。彼らは格好をつけようとしてことあるごとに吸うものだから、そのたびに私も付き合って吸わざるをえず、しかし仕方なく吸うにしても上手に吸わねばならないから、吸い方を毎回毎回練習しているうちに、自然、煙草がなければ落ち着かないようになってしまった。つまらないことだと思う。
だから私の場合は、純粋な愛煙家とは言いかねるのだ。