ツンデレ幼なじみの心の声が聞こえ始めたんだけど
信号は絶対赤だったんだ。
間違いない。うん、はっきり覚えてる。
だから止まるはずの車がグイって前に出てきて。
あれ、あの車止まらないぞ、って思った時には、もう遅くて。
いや、止まりはしたんだけど。
たぶん運転している人は歩いてる僕を見つけ、ヤベっ、て感じで急ブレーキを踏んだんじゃないかな。
だから止まり切れない車がコツンって感じで僕にぶつかったわけで。
コツンって程度だったから僕が怪我したのは車にはねられたからじゃなくて。
驚いて転んだからなんだ。
右足首の捻挫。
これくらいですんだんだから交通事故にしてはダメージ軽微。
でも転んだ時に軽く頭を打ったから、念のため、一応、検査入院をすることになった。
丸二日の入院。
もうだいたい検査は終わっていて、あとは結果待ち。右足首はテーピングで固定されているし、熱っぽいからあんまり動き回れない。
とりあえずベッドでゴロゴロ。読書したり。読書したり。読書したり。うん、ひたすらスマホで小説読んでた。投稿サイトのやつばっか。
ちょうど事故にあったのが昨日、水曜日。で、明日退院。だけど、もちろん学校は休む。要するにいきなりの五連休。
よし、これを機会にたくさん読むぞ、なんて思ってたんだけど。昨日は熱っぽさと疲れで読書どころじゃなくて。
今日は前に読んだ作品をマッタリマッタリ読み返したりして。
病室。
夕方になると急に面会者が増えた。
六人部屋でベッド二つは空いてる。そのうち僕以外の三人にお見舞いに来てるから、なんか見放された感がある。
ああ、僕のことを気にしてくれている人なんて誰もいないのか。
寂しいな、切ないな。
なんてひたってみたりして。
いや、母さんは昼休みに仕事を抜け出して様子を見に来てくれたし、父さんも仕事終わりに寄ってくれることになってるんだけどね。
誰かが病室に入ってきた。
カーテンで閉め切っていて、ちょっとした個室になってるから音だけが聞こえた。
【ここよね】
えっ、なんだ?
なんか、今、頭に声が入ってきたんだけど。そう、音楽聞いてたら雑音が混じる感じというか。なんというか。
その謎現象にちょっとパニックになっていると、シャッとカーテンが開いた。
焦げ茶色の長い髪。鋭くて大きな吊り目。ツンと尖った鼻。右胸にうちの中学校のエンブレムの入った紺色のブレザー。襟に青いリボン。グレーのスカート。
クラスメートの加納貴理花だった。
キリカはなにも言わずに僕を睨む。あんた、なにか言いなさいよ、みたいな感じ。
えっ、なんで、キリカが?
いや、家が向かいだし。幼なじみだし。保育園も小学校も一緒だったし。なんなら、小四くらいまで、ゲームしてたりしてたけど。
朝も三日に一度くらいは一緒に登校したりするし。なんなら買い物に付き合わされたりするけど。
【良かった。元気そう。でも、頭とか打ってるかもしれないし……大丈夫よね】
また、なんかキタっ。脳に直でキタ。
えっ、ナニコレ。僕の耳が変になったの?
でも、キリカの唇は動いてなかったし。絶対、音として耳に届いたものじゃなかった。
サラっと頭に流れ込んでくる感じ。
頭打ってなんか変になったのかな?
ヤバイ。幻聴? 脳ヤラレちゃった?
キリカは無言のままベッドの横の丸椅子に座った。背もたれがないキャスター付きのやつ。
威圧感たっぷりの不機嫌顔で僕を見ろしている。
早く私を歓待しなさい。せっかく見舞いに来てやったんだから。
そんな態度。
頭の中にメッセージが届く謎現象がひっかかりつつも、僕はキリカに微笑んだ。
「ありがと。来てくれて」
キリカの目元が、ふっ、と。本当に、ジャッカン、ものすごくかすかに緩んだ。直後にまたキタ。
【心配したんだから。すっごく心配したんだからね。心配で吐くかと思ったんだから】
あっ、コレ、キリカだ。
声じゃないのに、はっきりとキリカだって分かる。キリカの声が頭に直接流れてきてるみたいな感じで。
「なによ。ピンピンしてるじゃない。心配して損したわ」
ようやく口を開いたキリカの第一声。
第一声……だと思う。
「ちょっと当たっただけだからね。車」
「元気なら元気って連絡しろってのよ。こっちは事故で入院したって聞いただけなんだから」
「誰から聞いたの?」
「斎藤先生が言ったのよ。朝のホームルームで言って、それだけ。昼休みにあんたの家に電話したら、おばさんが出たから病室聞いて。あーあ、ホント、ムダ。サイアク」
言って、ズイっと顔を近付ける。
お前が悪い、全部悪い、面倒かけさせんな、みたいな目つき。
【傷とか残ってないみたいだけど。本当に足ひねっただけなのか。あっ、ていうか、顔近い。ヤバい。距離感、間違えた。顔アツイ。ヤバい。でも、いきなり体引いたら不自然だし】
ああ、うん、コレ、キリカじゃないや。
だって、キリカ、めちゃくちゃ怖い顔で僕を見てるし。キリカの心の声がテレパシーみたいに届いているのかなって思ったけど。絶対、キリカじゃない。キリカ、こんなこと思わない。
「明日には退院なんだよ。足は当分、このままだけど。杖使わなくて歩けるし」
テーピングはしているけど、膝は曲がるから歩くのはそこまで大変じゃない。いつもより疲れるけど。
「ホント、心配して損した。慰謝料請求したいくらいよ」
フン、と鼻を鳴らして、キリカ。それからやっと体を引いて、周りをキョロキョロ。
「なにか欲しいものあるなら、買ってきてあげるわよ。三倍の料金でね」
「高いなあ」
「当然でしょ。この私をパシリにするんだから」
「じゃあ、一緒に下行こうか。ジュースくらい奢るよ」
せっかくお見舞いに来てくれたんだからね。両親以外ではキリカだけだ。まあ、ホントに大した怪我じゃないから。あと、僕、友達少ないし。
「当然ね」とキリカ。
うん、安定の幼なじみ。これぞキリカ。僕がのろのろとベッドから抜け出すのをジっと見ている。
なにトロトロしてんのよ、あんたは亀か、とか、思ってんだろうなあ。
【これって、肩とか貸した方がいいのか? えっ、肩貸すの? くっつくの。それ、合法?】
またきた謎メッセージ。
……うん、やっぱりキリカだよね。
キリカの心の声だよね。だって、タイミングありえないもん。こんなドンピシャなタイミングとメッセージありえないもん。
でも目の前のキリカはきっつい眼差しを僕に向けていて。それは、いわゆる侮蔑、みたいな。
キリカはクラスではクールで気が強くて言葉がキツい女子というキャラクター。女友達とは普通に話してるけど、男子には当たりがキツい。
それでも容姿がいいから告白されることも、よくあるみたい。
「大丈夫、ちょっと遅いけど歩けるから。そんな気をつかわなくていいよ」
心の声に答えるみたいになった。
「はっ? 別に気なんてつかってないけど。バカなの? 自意識過剰なの? 笑えるんだけど」
ちょっと早口でキリカが返す。気のせいかな。顔が赤いような赤くないような。
キリカの後ろをヨッタヨッタと歩く。足首が固定されているだけで歩きにくい。杖をつくほどじゃないけど歩きにくい。
キリカはときどきチラッとこちらを振り返って冷たい視線を送ってくる。
ホントのろいんだけど、みたいな。
キリカの背中を見ながら、やっぱり心の声が聞こえてくるのかなあ、なんて考えた。事故にあった衝撃で超能力に目覚めたとか。
小説の設定としてはアリだな、なんて思いつつ、じゃあ、どうしたらそれを証明できるのか、と考えを進める。
病院の休憩スペース。プラスチックの白いテーブルセットが並んでいて、そのうち二つに人がいた。
自販機でジュースを買う。スマホを近付けて支払い。キリカが羨ましそうな顔をする。
「キリカは高校になったら?」
「そうよ。別に、ぜんぜん不便じゃないからいいけど」
明らかな強がり。
【スマホあったら、レイン? それでケイタと連絡とれるし。すっごい欲しいんだけど。親がなあ】
心の声が聞こえてきた。
あ、今更だけど僕は長部啓太。十四歳。中二。たぶん、中二病は発症していと思う。たぶん。
【おはよう、とか、おやすみ、とかレインしちゃったりして。ヤバっ、なにその神アイテム】
左手を右脇に回して右手で顎を押さえる、探偵とかがやりそうなポーズをしているキリカ。真剣な顔でそんなことをしているから難しいことを考えているみたいなんだけど。今のが心の声だったら、すごく普通のこと考えてるんだなあ。
テーブルセットで向い合ってジュースを飲む。僕はコーヒー、キリカはコーラ。キリカは大のコーラ好きだから毎回このパターン。
「学校は変わりない?」
「あるわけないでしょ。あんたがいないくらいでさ」
にべもない。キリカはいつもにべもない。
「退院したらノート写させてよ」
「嫌よ。なんであんたにノート見せないといけないのよ」
本当ににべもないなあ。
【もうっ。パラパラ漫画描いたり、変な落書きしてるし、ムリに決まってるじゃない。字も汚いしさあ】
ああ、うん、確かにキリカの字はダイナミックというかアーティスティックというか。ちょっと読みにくいね。
キリカがジロリと睨む。不機嫌丸出し。すごい威圧感。
【怒った? 言い方、悪かった? 謝った方がいい? あっ、笑った。セーフか】
顔と心の声のギャップがすごいなあ。
【ううっ、なんでこんな言い方しかできないの? マジで、私ってなんなんだ? また寝るとき、後悔するパターンじゃん】
あっ、なんか心の中で苦しみ始めた。
クールにコーラを飲んでいる様子なのに。目の前の僕のことなんか眼中にない、みたいな様子なのに。
「ホント、来てくれてありがとう」
「……別に、ついでよ」
言ったあとに、また心の声。何のついでなのか必死で考えてる。いや、ウォーキングのついでとか、さすがに苦しいって。
さっさと別の話題にしよう。もう、ここまで来たらキリカの心の声だってのは確定だと思うけど。一応、ダメ押しの検証しとかないと。
「そういえばさ。アレ、どうなった?」
わざとボカして聞いてみる。
「はっ? アレってなによ?」
キリカの問いかけには微笑みで返す。これでキリカはアレについて考えるはず。
【えっ、なに? アレって? 滝本から告白されたこと? それは話してないわよね。夏休みにピアス空けることは……話したような? いや、話してない。サトミが言うわけないし。数学の小テストが五十点だったこと? それ、ケイタに話した? いや、話してない、絶対話すわけないし。マジで、アレってなによ。あっ、ひょっとして前、レッサーパンダが見たいって言ったこと? 動物園に行こうよって誘って欲しくて、すごいアピールしたアレかしら】
なんか高速でキリカが考えてる。というか、キリカのいろんな情報がどんどん入り込んできて、ちょっと申しわけない感じ。
「ピアス、空けるんだっけ?」
ちょっと言ってみる。
キリカが一瞬、ギョッとしたような顔になった。しまった、みたいな顔。さっとサイドの髪に隠れた耳に手をやる。キリカは結構な福耳で。そのことにコンプレックスを持ってるんだ。
小六の頃に言い合いになった時に、つい耳のことを言ったらビンタされた。以来、絶対に耳のことには触れないようにしようと決めている。
「黙ってなさいよ。親に言ったら許さないから」
ギロっといつもよりも強力な眼光で僕を射る。
「言わないけど。でも大丈夫なの? ピアスの穴って定着するまで一ヵ月くらいかかるそうだよ。そのあいだ、つけてないといけないらしいよ」
「寝るときにつけてて、昼間は外すわよ」
「やめといた方がいいと思うよ」
当たり前だけど中学校では校則違反になる。あとキリカの親は厳しいから、ものすごく怒られると思う。
キリカが無言で僕を睨む。ジッと凝視する。怖い。
【こっちは必死なのに、なに、こいつ気楽なこと言って。ムカつく、ムカつく。ピアスしたら、ちょっと勇気がでるかもしれないって。あんたのこと好きだって言えるかもって思ってるのに。なんなのよ。だいたい、あんたがいつまでたっても告白してこないからいけないんじゃない】
ちょっと待った。
えっ? 今、なんか、とんでもない言葉が出てこなかった? 好き?
頭が一瞬、真っ白になった。なんか、カメラのフラッシュたかれたみたいに。その間もキリカの心の声(もう絶対それでしょう)はとどまることなく、流れ込んできて。
気が付いたら僕は病室のベッドに戻っていた。
◇
キリカとは物心ついた頃から一緒だった。同じ時期に引っ越してきたみたいで。子供の年齢も一緒。母親同士はすぐに仲良くなって家族ぐるみの付き合い。
僕もキリカも一人っ子だから、兄妹というか姉弟というか、まあ、そんな感じに育った。
小学校高学年くらいまでは本当に仲が良くて。放課後はいつも二人で遊んでた。
なにがキッカケかは分からないけど小学校五年の頃からキリカの言葉がキツくなってきて。態度もなんか冷たいというか、よそよそしくなってきて。
寂しいな、と思った。キリカとは親友だと思っていたから。
「まあキリカちゃん女の子だからね。幼なじみっとかってそういうものよ」なんて母親は言っていたけど。
僕はよくわからなくて。それでもキリカから拒絶されていることはわかった。
小学校では絶対話しかけてこなくなったし。僕が話しかけても無視することもあった。
かと思えば登下校の時に声をかけてくることもあって。そのまま一緒に歩くこともあった。
本当にキリカとの距離感が分からなかった。その頃、ようやく人との距離感というものを自覚し始めた頃だったから余計にね。
そんな風にちょっと微妙な関係になった僕とキリカだったけど。ときどきキリカはすごい勢いで僕に接近してきて。
例えば休みの日にいきなり家に来たり。買い物につき合わせたり。そういう突然の急接近があるものだから、僕らの距離は近付いたり遠ざかったりを繰り返していた。
中学生になっても、それは変わらなくて。
きっとキリカにとって、この距離感が心地いいのかなって思ってた。
「長部君ってC組の加納さんと付き合ってるの?」と一年の時にクラスメートに聞かれた(今はキリカと同じクラスだけど一年の時は別々のクラスだった)。
その時は本当に意味が分からなくて。
えっ、付き合う? なにそれ。
僕はまだ男女交際のそれにまったく知識がなかったもんだから、本当にわけがわからなかった。頭の上にクエスチョンマークが現れたんじゃないかな。
さっそくスマホで『付き合う』ってことを調べて。ああ、恋人になるってことだったのか。うんうん、ナルホドネー。
で、あとで、そのクラスメートに、キリカとは別に付き合ってないよ、幼なじみだよ、と伝えた。
数日後、そのクラスメートが告白してきたことをキリカから聞かされて驚いた。ああ、そういうことなんだ、だから、僕に聞いてきたんだ、なんて納得した。
「中学生になって二人目よ」とキリカは言って。ジッと僕を睨みつけた。「タイプだったら付き合っちゃうかもね」
ボソッとそんなことを言った。
へえ、まあ、そうだろうね、なんて僕は適当に相槌を打って。そしたらキリカは急に不機嫌になって。
なにを話しかけても口を聞いてくれなくなった。
本当に僕はキリカのことがよくわからなかった。いつもキツイ言葉で僕を攻撃してくるし。話しけても冷たい態度を取られるし。
かと思えば、いきなり近付いてきてなにかを探るような態度をとって。
だからリーディングで(僕はそう呼ぶことにした)でキリカの気持ちを知ったあと、ようやく意味が分かったんだ。
ああ、そういうことだったんだって。
理解はできたけど、じゃあ、どうしよう、とか、そういうことは全然頭が回らなかった。ただ、ひたすら、アレはああいうことだったんだ、って、過去の答え合わせを続けた。
翌日。
僕は無事退院。でも、ホント、大丈夫なの、と思わなくもない。だって、明らかに僕、変なことになってるよね。
超能力っぽいものに目覚めちゃったよね。
はっきり超能力だと言い切れないのは、まだキリカの心の声しか聞いたことがないから。そう、看護師さんとか、両親とかの心の声はまったく聞こえてこないんだ。
だから、超能力? ってクエスチョンマークがつくわけで。
とにかく退院した僕は二日ぶりの自宅に軽く懐かしさを覚えた。やっぱり自分の家が一番だよね。落ち付くよね。自宅サイコー。
さっそく最近ハマってるゲームを始める。今日は金曜日。母親は午前中だけ休みをとって僕を迎えに来てくれた。で、昼食後、僕は一人になったわけで。
リビングのテレビの前であぐらをかいて、学校を休んでるのにゲームをやっているという背徳感を感じつつも、そのせいでいっそう盛り上がっていた。
ピンポーンとインターホンが鳴ったのは午後四時のこと。
インターホンのモニターに映ったのはキリカだった。制服姿。手になんか箱を持ってる。
わっ、と僕は妙に驚いてしまって。
キリカがキタ、キリカがキタ、キリカがキタ。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
その時になって僕はようやく気づいた。キリカの気持ちを知った自分がどういう態度を取ればいいのか、という問題が発生していることに。
どうして、そのことを考えなかったのか? というか、一番重要なその疑問がぜんぜん頭に浮かばなかったのは、どうしてなのか?
とにかくキリカを家に入れないと。
ほとんどパニックになりながら玄関ドアを開ける。
「ちゃんと退院できたみたいね」
キリカが言った。相変わらず鋭い目で僕を睨んで。
それから、ずいっと手にしてる箱を僕につきつける。
駅前のケーキ屋さんの箱。
「あっ、ありがとう。入って」
キリカは無言で靴を脱ぐ。
その背中から心の声が届く。
【おめでとうとか言いなさいよ、私。冷たい感じになったじゃない。良かったとか、安心したとか、そういう態度必要じゃないの?】
また自分を責めてる。
僕は聞こえない振りをして(当たり前だけど)リビングにキリカを招き入れた。キッチンから皿とスプーン、それからオレンジジュースを持ってくる。
その間もキリカの心の声は次々と届いてきて。
僕の足を気づかっていたり。さっと手伝いができない自分を叱っていたり。かと思えば前に来たのは二ヵ月前だったかしら、なんて考えてみたり。
キリカが持ってきたケーキを皿に乗せる。僕はいちごショート。キリカはチーズスフレ。
「ありがとう。食べたかったんだ。コレ」
僕の大好物だ。
「母さんから言われたから仕方なくよ」とそっけなくキリカ。
【ママ、あんたが事故にあったことも知らないけどね】
即、ウソがばれた。なんか申しわけないなあ。
キリカとなにを話していいのかわからない。僕は当然、キリカの気持ちを知らないことにしないといけないんだけど。
じゃあ、なにを話せばいいのかって。
今までなにを話していたのかって。
いろいろ考えて、余計、言葉が出てこない。キリカもキリカでなにも話さない。不機嫌そうにケーキを食べている。
ただ、その分、心の声はずっと聞こえてきていて。
【ホッペタにクリームついてる。なによ、もう、そういうとこがあざといのよ】とか(すぐホッペタ拭いた)。
【ホント、美味しそうに食べるわね。可愛いな】とか。
【なんか、いい雰囲気かも】とか(そうかな?)。
キリカの心の声のおかげで僕は気まずさなんて感じる余裕がなかった。
「学校はどうだった?」
やっと僕が言えた言葉はそんなどうでもいいこと。
「別に普通よ。あんたがいなくても、なんにも変わりないわ」
あっ、いつもの憎まれ口キタ。
直後に、またキリカが心の声で後悔する。こっちは慣れてるから気にしなくていいのに。
「ああ、そういえば。日野君たちが寂しそうだったわね」
ちょっとフォローするみたいに言った。
【ぜんぜん普通だったけど。別にいいわよね、これくらいの嘘】
やっぱり嘘だった。それはそれでちょっと寂しいなあ。
またパタッと話は終わった。
もともと僕もキリカもそんなに話す方じゃない。だいたい話すことは互いの趣味のこと(僕は小説、キリカはジグソーパズル)で、どっちかを聞き役にして、ひたすら好きなことについて話す。
かと思えば、なんにも話さないこともあって。それでも息苦しさを感じない。
【あっ、私、汗臭くないかしら。体育もあったし。走って帰ってきたし。ああ、失敗したあ。ひょっとして、臭ってる? もうっ、ヤダぁ】
心の声が飛んできた。
キリカが可愛そうなくらい動揺してる。
すぐに帰りたいけどケーキ、まだ半分も食べてなくて、すごい迷ってる。
僕は安心させるためにクンクンとニオイをかいだ。
「なんか、いいニオイがする。キリカのニオイかな」
言ったあとに、うわっ、なんか変態っぽい、と思った。しかも、すごい恥ずかしいし。
チラッと見るとキリカは無言で固まってる。直後に怒涛の心の声。
【えっ、えっ、なに、今の? えっ。ケイタ、私のニオイが好きってこと? そうなの? そうなの? どうしよう、嬉しい。でも、ケイタ、そんなこと言うか? ひょっとして、汗臭いことをからかってるの? 皮肉? それだったらムカツク。超ショックなんだけど。どっちなのよ】
どうしよう。余計、混乱してる。
心の声に答えるわけにもいかないし。
キリカが僕を睨む。それはもう威圧感たっぷりの鋭い目で。
「どういう意味よ」
ストレートに聞いてきた。
僕はキョトンとして(ちょっとわざとらしかったかも)、それから、なにが? と聞いた。
「さっきのよ。人のニオイかいでさ。いいニオイとか言ったじゃない」
「えっ、そのまんまの意味だよ。キリカのニオイ。なんか安心するっていうか。いいニオイって思って? 嫌だった?」
ちょっと早口になったかも。やっぱり演技するのって難しい。
キリカが下を向いた。心なしか顔が赤い。
「馬鹿じゃないの」
つぶやく。
だけど心の中の声はすごい勢いで流れてきて。
【なに? どういうこと? それ、私のこと好きってこと? もしかして、告白だったの? それはさすがに違うわよね。でも、彼女にしてもいい、みたいなニュアンスよね。だって、いいニオイっていったもの。わっ、どうしよう。なんか、わけわかんなくなってきた】
あっ、なんか、すっごい曲解してる。
どうしよう。深い意味はなかった、みたいに訂正した方がいいのかな。でも、なんか、それも申しわけないし。
ちょっと話題を変えた方がいいのかも。
あっ、そうだ。今回、お見舞いに来てくれたし、こうして退院祝いまで持ってきてくれたし、なんか、お礼を贈ろうかな。
「そうだ。今度一緒に買い物行こうよ」
誘ってみる。
ジロリとキリカが僕を見る。そう、ねめつけるような視線。こいつはなんでこんなことを言い出したんだ、みたいな目。
けれど心の声はこう言っている。
【デート? デートに誘ってるのよね。初めてケイタから誘ってくれた。ヤバっ、嬉しいっ】
目つきと心の声にどうしてこんなにギャップがあるんだろう。こんなの絶対分かんないよ。
「ほら。昨日も来てくれたし。ケーキもご馳走になったし。なんかお礼したくて」
言いながら顔が熱くなった。だってキリカがデートなんて言うから。それにキリカの気持ちも知っちゃったわけだし。
「……なんだ」
キリカがボソッとつぶやいた。見るからに元気がなくなった。
【私、なにはしゃいでたんだろ。馬鹿みたい。さっきのニオイのことだって、絶対、ただの勘違いだし。ケイタが私のことなんとも思ってないこと知ってるじゃない】
キリカがフォークを置いた。
チーズケーキはすでに無くなっていて。
「帰る」
止める間もなく、キリカは立ち上がり、リビングを出ていった。
僕はただ座ったままそれを見送るだけ。
キリカを失望させしまった。
胸が痛かった。
◇
その晩。
久しぶりに家族三人そろっての食事。母さんがケーキ(いちごショート)を買ってきて。父さんもケーキ(いちごショート)を買ってきて。
結局、僕は三個もいちごショートを食べることになった。
いつもならその幸運に大喜びするだろうけど。両親に元気な顔を見せたくてはしゃいでみせたけど。
僕はなんだか気が重かった。
夕食後、早々とお風呂に入って(父さんがあとから乱入してきた)、自室に引っ込む。
スマホをいじる。クラスの友人のヒロシ君と宮本君とのグループにレイン(超有名SNS)を送る。二人とも僕の心配をしてレインをくれたんだ。
しばらく友人たちとレインをしていた。
誰かがコメントを打つまで、ちょっと時間があって。そのちょっとした時間に、スルっとキリカの顔が頭に浮かぶ。
いつも僕に向けてくる怒ったような顔。仏頂面。キリカはあんな顔の裏で僕が想像もつかないくらい色々、考えていたんだ。
いつの間にか、スマホを見るのをやめて、目を閉じていた。
キリカのことを考える。
どうしてキリカの心の声だけ聞こえるのか?
このキリカ限定で働く超能力はなんのためにあるのか?
そんなことを考えていたら自分がひどい人間な気がしてきた。
キリカの好意を知って。それに知らないフリをし続けることに卑怯さを感じた。
そうだよ。
僕は今までキリカの気持ちに気づかなかったけど。
今は彼女の気持ちを知っている。その気持ちにちゃんと向き合わないとならないんだ。
答えはまだ出せなくても、ちゃんと向き合わないといけないんだ。
「あげるわ。どうせ、誰にも貰えないんだろうからさ」
今年のバレンタインデーにキリカがチョコレートをくれた。それはもう、見下すような憐れみたっぷりのニュアンスで。義理以外のなにものでもないって感じで。
でも、きっとそれはキリカの精一杯のアプローチで。
キリカはそんな風に僕との関係を変えようとあがいていて。
ごめんね、キリカ。
心の中で謝った。
◇
週末は家でのんびりと過ごした。
結局、キリカと買い物に行くこともなかった。ほら、歩けるとはいえ捻挫してるしね。
おかげでゲーム三昧。ヒロシ君から借りたゲームや、彼のお勧めのアニメを見たりして過ごした。
月曜日。
足のこともあるから早めに家を出た。
ひょっとしたら途中でキリカに追いつかれるかな、と思っていたけど、そんなこともなく。無事、学校に到着。
クラスメートたちからは、大丈夫か? なんて声がかけられた。このちょっとチヤホヤされる感じ、嫌いじゃないよ。
ヒロシ君(ちょっと太り気味)と話しているとキリカが教室に入ってきた。
一瞬、目が合う。ツンとソッポを向かれた。あれ、なんだろ。
なんか怒ってるみたいだけど。
心の声が聞こえるかな、と思ったけど、ぜんぜん聞こえてこない。距離がありすぎるからか。それともこんな風に人がたくさんいるとダメなのか。
それとも、ひょっとしたら、もうキリカ限定のリーディング能力は無くなってしまったのかも。
あれは本当に一時のもので、脳の配線がちょっと限定的につながったみたいなもので。もう通常状態に戻ったとか。
なぜか不安になって落ち付かなかった。
だからだろう、僕は、いつもなら絶対しないようなこと。
キリカに近付いて声をかけた。教室で声をかけても相手にされないことは分かっているけど。ただ、心の声が聞こえるかどうか、確かめたくて。
「おはよう。金曜日はありがとう」
「おはよう」
キリカはそっけない。それだけ返して、それから鞄の中をゴソゴソとする。
やっぱり心の声は聞こえない。
教室ではダメなのかな。二人きりじゃないとリーディングは発動しないのかも。
自分の席に戻ろうとすると、スッとキリカがノートを五冊、差し出した。
「えっ、なに、コレ」
キリカはソッポを向いたまま、ひと言。
「ノート」
「それは分かるけど」
「写させてって言ったじゃない」
あっ、そうだった。そういうことか。
「ありがとう。助かる」
キリカは無言。いつも以上にそっけない。
僕はキリカから借りたノートを手に席に戻った。
ヒロシ君に冷やかされる。僕とキリカの仲を怪しんでるんだ。何度もただの幼なじみだって説明してるんだけどね。
「だから、別にそんなんじゃないってば。キリカとは普通に友達で……」
友達と言った時に、すごく違和感があった。言葉を続けられなくて、そのまま口をつぐむ。
そこに部活の朝錬を終えて戻ってきた宮本君が合流。さわやかなイケメンで誰とでも仲良くできるタイプ。
よっ、と気軽に声をかけてきて、そのまま僕の足のことを気づかってくれる。
「どうってことないよ。ちょっと歩きにくいくらいで」
それから始業ベルが鳴るまで三人で雑談。授業が始まる直前になって、キリカからノートを借りたら彼女がノートをとれないことに気が付いた。
見るとキリカは別のノートを出してる。
わっ、申しわけないよ、それは。
一度、返して、放課後に改めて借りよう。
そう思いつつ、キリカから借りたノートを開く。消しゴムがいろんなところにかけてある。あっ、ノートの端の落書きとかパラパラ漫画が消されてる。
面倒なことさせちゃったなあ、と、またしても申しわけなさが増した。
一限目が終わったところでキリカにノートを返した。放課後、また貸して、と。
キリカは無言でうなずいた。本当に教室だとそっけない。
なにを考えてるんだろう。今までぜんぜん気にしていなかったけど。キリカの表面的な部分だけしか知ろうとしなかったけど。
彼女がどんなことを考えているのか気になった。
それから特に何事も起こらず。
いつも通り、時間は過ぎていった。結局、キリカの声は一度も聞こえることもなく。放課後になった。
ショートホームルームが終わったあと、すぐにキリカの席に向かった。キリカは後ろの席の保坂さんとなにか話していて、僕の接近に気が付かない。
保坂さんが先に気づいた。それでキリカも気が付いて僕を見る。
キリカが心得ていたように五冊のノートを僕に差し出す。僕は無言でそれを受け取った。
「一緒に帰ったらいいじゃん」
保坂さんが言った。
「はっ? なんでよ。嫌よ。付き合ってるみたいじゃない」
キリカがやや早口で言う。
「今さら?」
保坂さんがおかしそうに言った。
「もう、さんざん見られてるじゃん。一緒に歩いてるとこ。同じ同じ」
そういえばキリカとは登校や下校途中に一緒になることはあっても、一緒に教室に入ったり、教室を出たりってことはなかったな。キリカなりの線引きがあったのかな。
キリカがさっさと行けというふうに手で僕を追い払う。安定のキリカだ。
リーディングが本当に無くなってしまったのか、確認したかったけど諦めよう。
ちょうど教室を出ようとしていたヒロシ君に声をかけて一緒に帰った。
◇
帰宅した僕はキリカから借りたノートを写した。自分用のノートはそれようにページを空けてとってある。ちょっと余って空白ページができちゃったけど、まあいいや。
夕飯前に無事に写し終えて。
僕はノートを持ってキリカの家に行った。
インターホンを鳴らしたら、すぐにキリカがドアを開けた。
「ノート、ありがとう。助かったよ」
ふん、とキリカが鼻を鳴らす。
「感謝してるならレンタル料払いなさいよ」
「それもかねて土曜日にでも買い物に行かない?」
言ってキリカが行きつけの雑貨屋に誘う。
「分かった。覚悟しときなさいよ。高い物買わせてやるから」
「大丈夫、いざという時のために、お小遣い貯めてあるから」
「あんたお小遣い結構、貰ってるもんね」
「そんなに差はないと思うけど」
そのまま五分くらい立ち話。久しぶりにキリカのジグソーパズルトークが炸裂。
ちょうどキリカのお母さんが帰ってきて、それをきっかけにして僕らは別れた。
結局、リーディングが発動することはなく。キリカの心の声は一度も聞こえなかった。
◇
いつも通りの日常。
どんどん時間は過ぎていって。気が付くと金曜日の夜になっていた。
変わったことといえば僕が授業中にキリカを見ることが多くなったことかな。
僕の席は最後列だから見ようと思えばキリカの後ろ姿が見える。授業中、何度となく視線をそちらにやってしまう。
だからといってキリカとの関係に変化はなく。相変わらず教室ではそっけがなく。かと思えば下校途中に後ろから急接近して声をかけてきて、そのまま帰ったり。
やっぱり僕のキリカ限定超能力のリーディングは終わってしまったらしく、あれ以来、キリカの心の声は聞こえてこない。
だんだん、あれは僕の妄想だったんじゃないか、なんて気持ちになってきていた。
それでも、あの事件が僕の心に残した影響は大きくて。ちょっとした隙間時間とか眠る直前とかにキリカのことを考えるようになっていた。
キリカのことが好きなのか?
その辺は分からない。ただキリカが僕にとって特別なことはたぶん間違いがなくて。
キリカがもし、他の男子と付き合ったら。自分の代わりに、そいつがキリカの隣を歩く姿を何度も見ることになって。
それを想像すると胃のあたりがムカムカとした。
翌日。
僕は約束通り、午前十時にキリカを迎えに行った。キリカはすぐに出てきた。それこそ、秒で出てきた。
玄関で待機してたんだと思う。
黄緑色のジャケットに深緑のスカートという服装で頭には黒いベレー帽をちょこんと載せている。なんだか大人っぽい。
「あんた、もうちょっと服装に気をつかったら?」
僕を上から下まで眺めてキリカが言った。
「服とかよく分からなくてさ」
量販店でそれっぽいのを適当に買っただけだからなあ。
「馬鹿。分からないのは勉強しないからじゃない」
「まあ、そうなんだけど」
「せっかくだから自分の服も買ったら?」
うーん、と僕の返事は煮え切らない。
そんなお金があったらゲームや小説を買う方がいいんだよなあ。
それから僕らは駅に向かって歩いた。
向かう先は二駅ほど先の繁華街。駅とデパートがくっついていて、その中にいろんなテナントが入ってる。キリカの行きつけの雑貨屋やジグソーパズルを買う玩具屋もそこにある。
僕が行きつけの大きな本屋もそこにあるから、僕らが買い物に行くとなったら、もう、その駅に確定なんだ。
キリカは昨日の夜、ちょっと夜更かししたらしい。今やってるパズルが、もう少しで完成しそうで頑張ってしまったらしい。
その気持ちはよくわかる。僕も読んでる本があと少しで終わるとなったら夜更かししちゃうし。
駅に到着。ホームに入った直後に電車がきた。いいタイミング。
電車はまあまあ混んでいたけど、それでも座れた。ちょっと窮屈な隙間に二人並んで座る。キリカの右側と僕の左側がくっついて。
キリカは両手を両膝に載せて。前を向いたまま石像みたいに固まって。
僕もそんなキリカの態度に彼女と接触している左側を変に意識しちゃって。
ぜんぜん会話をしないまま電車は目的の駅に到着。その駅では僕らと同じように多くの人が降りた。
なんだかちょっと気まずい雰囲気のまま、僕らはまず玩具屋に向かった。
そこでキリカがジグソーパズルを吟味。もうすごい真剣に悩んでる。あんまり真剣だから声をかけにくくて。
僕は、睨みつけるようにパズルを選ぶキリカの横顔を、ただ眺めていた。
長い睫毛がちりちり震えていて。ツンと尖った高い鼻がカッコよくて。
ああ、キリカってこんな顔してたんだなあって、あらためて思った。
今まで見ているようで見ていなかったんだ。
いきなりキリカがこっちを向いた。おかげでバッチリ目が合った。それから言いづらそうな顔。
「ねっ、お礼、パズルでもいい? 結構、しちゃうんだけど」
「別にいいよ。なんかいいのあったの?」
コレ、と言ってキリカが僕に見せたのはアメリカ発の有名アニメ会社の作品のパズル。しかも僕でも知ってる超人気作。しかも二千ピース。
「半分、出してくれると、助かるんだけどなあ」
いつもと違って上目づかいにねだってくる。
「いいよ。約束だしね」
値段をチラっと見たら、うん、やっぱりソコソコした。
「ホント」
キリカの顔がパアっと輝いて。
わっ、と僕は思わず心の中で悲鳴をあげて、半歩後ずさり。
なんか、キリカのあんな笑顔、本当に本当に久しぶりに見たものだから。僕はただただ圧倒されたんだ。
◇
それは多分、今までほとんど完成しかけていて。
残るは、あと一ピースってところになっていて。だけど、その一ピースがどこにもなくて。いつのまにか、まだパズルが完成していないってことさえ忘れていて。
僕のキリカに対する気持ちはきっとそういうことなんだと思う。
そして、ついさっき、キリカのあの笑顔で最後のピースがはまったんだ。
「なによ? ボーとして」
正面に座るキリカが言った。大きな収穫があったため、機嫌がよくて、いつもよりちょっと目元が優しい。
僕は自分の顔が変に赤らむのを感じて下を向いた。
ポテトを一本、つまんで食べる。
ファーストフード店。雑貨屋にはよらずにここにきて一休み。というか、キリカは早く家に帰ってパズルを始めたいみたいだし、僕ももはや買い物どころじゃなくて。
結構、お金使ったし、今日はジュース飲んで昼前に帰ろうということになった。
「なんか、さっきから口数少ないけどさ。ひょっとして後悔してる?」
ちょっと不安げなキリカ。
「違う、違う。そんなこと絶対ないから。ただ、ええと、足が思ったより痛くてさ」
とっさに、そんな嘘をついた。
キリカがガタッと小さなテーブルを揺らして立ち上がった。
「だ、大丈夫なの? 迎えに来てもらった方がいい? うち、パパなら家にいるから大丈夫だけど」
「あ、ええと、大丈夫。歩くのはぜんぜん平気」
「ムリして変になっちゃったらどうするのよ。やっぱり、迎え呼ぶわ。スマホ貸して」
「あ、ああ、違う、ホント、大丈夫。大丈夫だから。違くて、さ。今のはほんの冗談で」
あんまりキリカが不安そうな顔しているから、とてもこのまま騙してなんていられなかった。
「冗談? じゃあ、足は平気なの?」
僕の足元を見てキリカが言った。
「うん。ぜんぜん、平気。ホント、ごめんね」
「なによ。もうっ」
キリカが座る。それからジロっと僕を睨んだ。さっきまでの上機嫌が嘘みたいな怖い顔。
「最悪なんだけど、今の冗談。ぜんぜん、笑えないし」
「ごめん」
謝りながらも僕の心臓は激しく鼓動を打っていて。カーと体が熱くなっていて。
キリカに睨まれているのに、なぜかすごく照れていた。
「パズル買ってくれなかったら、引っ叩いてたわよ」
言って、とりあえずキリカは矛を収めてくれた。
それからキリカは気を取り直して、いつものジグソーパズルトーク。いかに、この有名アニメ会社のシリーズが魅力的か(キリカはそのアニメもこよなく愛している)を力説した。
好きな物のことを話すキリカは生き生きとしていて。いつもは自分の話を聞いてもらうための対価として彼女の話を聞いてるんだけど。もう、ずっとこのまま彼女の話を聞いていたい気分になった。
「やっぱり、ちょっと、ボーとしてるんじゃない?」
相槌がおろそかになったせいか、キリカが話を中断した。
「そうかな。ごめんね」
「別に怒ってないわよ。ただ……」
ただ、なんだろう?
その先の言葉が僕はすごく気になった。
どうして、リーディング、無くなっちゃったんだろう。
昨日までは、そんなに惜しくなくて。むしろ無くなってくれてホッとしてたんだけど。今は、もったいなくて仕方がない。
「ただ、なに?」
「別に。なんでもないわよ」
ソッポを向いて言った。
それから僕たちはまた電車に乗って僕らの街に戻る。帰りの電車はガラガラ。
行きの時みたいに体がくっつくようなことはなく。僕らは二十センチくらいの距離を離して並んで座った。
「ねえ」
しばらくの沈黙。それを破った、キリカの、ねえ。
「なに?」
「ありがと」
すぐになんのことか僕は分からなくて。
だけどキリカが言った、ありがとう、は心にジーンと染み込んだ。
「どういたしまして」
言ったあとに僕はキリカがパズルのお礼を言ったんだと理解した。
「足、本当に大丈夫なのよね?」
「うん。本当に大丈夫だよ」
「ならいいけどさ。あんたが変なこと言うから引っかかってるのよ」
「ごめん」
「なんか……」
そのままキリカは黙ってしまった。
僕はキリカの言葉の続きを待ったけど、キリカはなにも言わず。僕はチラッとキリカを見た。
そしたらキリカもちょうど僕を見ていて。僕らの目はバッチリあった。
バチンって静電気でも起こったみたいな気がした。
心臓が大きく跳ね上がって。また鼓動が速くなる。それでも絡み合った視線を外すことなんてできやしない。
やがて電車が止まり、ドアが開いた。何人か乗ってきて、僕らの視線はそれでほどける。
次の駅は僕らの街の駅。ほんの数分で到着する。その数分の間、僕は何度も嘆いた。
本当に、なんで無くなっちゃったんだろう。
◇
日曜日が長く感じた。
いつもなら、あっと言う間に夕方になっていて、もう終わっちゃったのか、って思うのに。
ああ、まだ二時か、なんてスマホの端に表示される時刻を見て思った。
もしキリカがスマホを持ってたらレインを送るのになあ。
そんなことを思って、それから苦笑い。
入院中、リーディングでキリカの心の声を聞いた。
キリカがスマホがあったら僕に連絡とれるのに、って羨ましがってた気持ちが痛いくらいにわかる。
キリカと話したいな。ちょっと会って来ようかな?
家は向かいだし、たぶん彼女は家で昨日の戦利品のパズルをやっている。五分もかからず会えるはず。
だけど、それができない。だって、なんの用もないのに会いになんて行けないよ。
それで、ああ、そうか、とちょっと納得。付き合うって、そういうことなんだって。
なんの用もなくても会いに行けて。
電話とかかけられたり。
ただ相手に会うために逢いに行ける。
キリカと付き合いたいな、って思った。
今の僕らの関係だと逢いに行くのに理由がいるから。
それから僕はキリカと付き合うためには告白という、ものすごい儀式をしなくてはならないことに思い当たる。
告白。
ああ、なんてものすごい儀式なんだろう。一対一で自分の好意を告げて受け入れてもらう。
誰それがキリカに告白したなんて何度も聞いたけど。
いざ自分がしようと考えたら、もう、なんていうか恐怖で背筋にゾワゾワっとした感覚が走る。
キリカがいつもの仏頂面で迎え撃つかと思うと……ヤバい、吐きそう。
君のことが好きだ。付き合って欲しい。
なんて言うのかな?
言えるか? すごい、ドモりそうなんだけど。学校の屋上でキリカにそう告白するところをイメージ。
うっ、ムリムリ。
僕は早々にイメージトレーニングを断念した。気分転換に小説を読もうとするけど、文字を追っても言葉はぜんぜん頭の中に入ってこなかった。
諦めて今度はゲームをする。
しばらく、ぼんやりゲームをしていると、また頭の中にムクムクとキリカの顔が思い浮かんできて。
恋ってなんか修行みたいだな、って思った。みんなすごいなあ。
◇
夜。
ちょっと思いついて超能力について調べてみた。ほら僕みたいにリーディングが急にできるようになった人がいるかもしれないし。
インターネットって便利だ。こんな突拍子もない、リアルで人に聞いたら、なに言ってんだコイツ、アタマ大丈夫か、みたいなことでも簡単に調べられる。
いろいろ調べてたら人の心の声が聞こえたことがあるという記事に行き当たった。カウンセラーが書いた記事で、そういう症状の患者がいたというものだったけど。
それによると、このカウンセラーは、人の心の声が聞こえたという患者を、一時的なストレスで幻聴のようなものを聞いたのだろうと結論付けていた。
実際、その患者にカウンセリングを続けたところ。患者が聞いた心の声は事実と大きくかけ離れていたとか。
恐らく患者が自身の記憶と、相手からの声音や表情を元に創りあげてしまったものなのだろう、とかなんとか。
その記事はすごく理路整然としていて。
僕のもコレだったんじゃないか、と思わず納得してしまった。
その記事の患者も僕と同じで特定の一人の声しか聞こえなかったらしい。それも親しい相手。
ああ、そうかあ。
あれ僕の妄想だったんだ。
なんていうかガクッと力が抜けたような気分で。それから、すごく恥ずかしくなって僕はベッドにもぐりこんだ。
だってそれは、例えばテレビ番組で音声を消して自分でセリフを当てはめるみたいな行為で。
しかも自分に都合のいいセリフばっかり。
うわっ、うわあ、と、もう、込み上げる羞恥心。
ひょっとしたら僕は気づいてなかっただけでキリカにずっと恋していたのかも。だから、そんな妄想を抱いてしまって。思わぬ怪我でちょっと弱気になっていたのもあるのかな。
布団をかぶって、しばらく身悶え。
キリカの顔を見ながら相手の気持ちを勝手に妄想して、僕ってやつは、もう、なんていうかさあ。
スマホが鳴った。
通話の着信音。個別に設定していないから誰だかわからない。
だいたいレインで通話しちゃうから、スマホの通話機能は滅多に使わないんだけど。
布団から抜け出してスマホを見ると、着信相手はキリカの家の電話だった。
なんだろ? なんかあったのかな? かけてくるとしたらキリカだよね。
ドキドキしながら通話に出る。
「ケイタ?」
キリカの声。ちょっとこわごわなのは滅多に電話なんてかけないからだろう。
「うん。僕」
なぜか喉がカラカラになっていて。僕はかすれた声で言った。
「別になにもないんだけど」
キリカはそう前置きしてから、昨日買ったジグソーパズルについて、どれほど満足しているか、ワクワクしているかを話し出した。
本当に楽しそうで。
僕は、うっとりとしてキリカの話を聞いていた。目を閉じてキリカの顔を思い描いて。彼女の声を聞き続ける。
もしキリカと付き合うことができたら。特別にジグソーパズルを贈らなくても、こんな風に毎晩、彼女と話すことができるようになるかもしれない。
いいな、それ。すごくいいな。
◇
朝、起きて顔を洗った僕はバチンと両手で頬を叩いた。
あのあと、キリカとの電話が終わってから、いろいろと考えた。もうすごい考えた。
リーディングは、たぶん、僕の妄想。キリカの心の声なんて聞こえなかった。
だけど、それがキッカケで僕はキリカと向き合うことができた。キリカにキチンと恋をすることができた。
だったら、そんなに悪いことじゃない。いや僕にとってはすごく意義のある妄想だったんだ。
まあ、それはそれとして、さ。
キリカの心の声が僕の造り出した妄想だったとすると。
彼女は僕のことをどう思っているかなんてのも、ぜんぜん分からなくなって。
入院中にお見舞いに来てくれたり。退院祝いを持ってきてくれたり。義理チョコもくれたし。登下校の時に、声をかけてきてくれたり。
そういう事実だけをつなげて推測するしかなくて。
たぶん悪いようには思ってないと思う。
幼なじみ? それとも気の合う異性の友達?
ひょっとしたら僕の妄想みたいに僕のことを想っている可能性だってゼロじゃないと思う。
叩いたせいでちょっと赤くなった鏡の中の僕の顔。
キリカに告白しよう。
勇気を出して。告白しよう。君が好きだって。
たぶん僕は恋の魔法にかかったばかりで、すごくテンションが高いんだと思う。だから、こんなことを朝っぱらから決意してしまうんだ。
だけど、これだけはなんとなく分かる。
時間をかけたら、どんどん勇気が無くなっていく。一歩が踏み出せなくなる。
むしろ恋にかかりかけで、おかしくなってる今がチャンスなんだ。
「よし、言うぞ」と僕はなんかの主人公みたいに鏡の自分に向けて言った。
うん、言ったんだけどね。
着替える間に、その決意はさっそく揺らいでいて。キリカに向けて好きだって言う想像をしたら、もう、胃のあたりがキューと縮むみたいな。
朝食を食べている間に、さらにテンションは下がっていって。
もう少し様子を見た方がいいんじゃないかな。だって、キリカ、たぶん僕のことなんとも思ってないよ。キリカが僕に言ってきた言葉の数々を思い出してみなよ。
などなど自分の心の声がどんどん聞こえてきて。
歯磨きをしている間には、もうしばらくこのままでいいんじゃないかな、なんて納得してしまった。
今までずっとキリカとは幼なじみとしてやってきたんだから。
ここでもし告白して気まずくなったら嫌じゃないか。
そうなったら、夜に電話どころか一緒に歩くことすら出来なくなるかもしれない。
うん、そうしよう。
しばらくは様子見。現状維持。告白は保留。
朝一の覚悟なんてどこへやら。
ただ、それはそれとして、キリカには会いたくて。だから早めに家を出た。
ドアに背中を預けてドキドキしながら向かいの家のドアが開くのを待つ。こういうとき、幼なじみは便利だ。
やがてキリカの家のドアが開いた。
僕はなにげなさを装って道に出る。
キリカが出てきた。
「おはよ」
キリカが声をかけてくる。
「おはよう」
僕はチラリとキリカを見て言った。たったこれだけなのに、すごく緊張する。
「なんか暗いわね」
キリカが不満そうに言った。
「ごめん。昨日、寝付けなくて」
ふん、とキリカが鼻を鳴らす。
「どうせ本でも読んでたんじゃないの?」
「まあ、いろいろと」
並んで歩く。
キリカは何を読んでいたのか聞いてきた。たぶん、昨日の夜、自分の話をさんざん聞かせたから、バランスをとらなきゃあ、なんて思ったのかもしれない。
僕はキリカの質問に言葉を濁した。
実は君のことばかり考えていたんだ、なんて告白のフレーズが頭に浮かんだけど。
それが口に出てくることはなかった。
僕が小説の話をしないので、キリカはそれならばとジグソーパズルの話を始める。本当に楽し気で。声は熱を帯びて大きく身振りを交え始めて。
ふいに彼女の下ろした手が僕の手に触れる。
その瞬間。
父さんに釣り堀に連れて行ってもらったときのことを思い出したんだ。
魚はぜんぜん釣れなくて。
長い時間、ただ待っていて。
だけど、いきなり、釣り竿にすごい力がかかった、あの瞬間を。
僕はキリカの手をつかんでいた。
キリカの手を握るのなんていつ以来だろう。細くて、繊細で、だけどなにか強さを感じた。
キリカがビクっと震えた。
目を見開いて僕を見る。僕はその焦げ茶色の瞳を見つめ返した。顔が燃えるよう熱くなる。よく顔から火が出そうっていうけど、まさにそれで。
さっと顔を背けたい、下を向きたい、いや、いっそう、背中を向けて全力で走り去りたい。
だけど、絶対に、そんなことするもんか。
僕とキリカはそのまま見つめ合う。
時間が止まったように長く長く感じた。
どれくらいだろう。体感では十分くらい?
だけどリアルな時間では二十秒くらいかもしれない。
キリカが目を閉じた。
サっと指を目尻に当てて。
キラキラした目で、僕を見て。
それから前を向いた。
僕も前を向いて。どちらからともなく歩き始める。
きっとこのまま登校したら思いっきり冷やかされるんだろうなあ。
でも、ぜんぜん構わない。だって、事実なんだから。
【これって、そういうことよね。そういうことよね。私の勘違いじゃないよね。えっ、ひょっとして夢? 私、まだ寝てるの? だって、ケイタがさ。私にさ。夢なら、もうちょっとだけ、覚めないで】
アレ、コレ、キリカの心の声だよね。
それとも、僕の妄想なのかな?
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。