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「えっと、失礼いたします。」
ユリウスの部屋をノックしたのは、補佐官のベンジャミンだった。
ルフェルニアが飛び出て行ったため、嫌な雰囲気を察したのか、随分と居心地の悪そうに入室する。
「…もう、死ぬしかない。」
ユリウスは両手で顔を覆って、ソファに行儀悪く倒れ込んだ。
じめじめとキノコでも生えてしまいそうな雰囲気に、ベンジャミンは口元を引きつらせる。
「…どうかしたんですか?」
空気が読めるベンジャミンは、聞きたくないけれど尋ねた。
このままでは仕事が滞ってしまう。少し話して吐き出せば、ましになるだろう。
今までは一度たりとも仕事が滞ることがなかったユリウスだが、ルフェルニアをフッたというあの一件以降、度々仕事に身が入っていないように見受けられた。それでも常人と比較すれば大層仕事が速くて的確なのだが、ベンジャミンはその変化がよくわかっていた。
「僕には関係ないだろうって…、ルフェに嫌われた…、もう何も頑張れない…。」
この世の終わりのように呟くユリウスにベンジャミンはため息をつきたくなる。
「何かをしつこく問い詰めたのではないですか?」
「僕はただ、ルフェが心配だっただけさ。帰国が予定よりも遅いし、ノア大公のことだって。」
「そういえば、先ほど薬草学研究所でノア大公をお見かけしましたが、少しアルウィン君に似ていましたね。」
「君も彼がアルウィンに似ていると思うのか?」
「君も、ということは、ルフェルニア嬢がそう仰っていたのでしょうか?」
「そうさ。ノア大公がアルウィンに似て可愛いのだと言っていた。」
ユリウスは忌々し気に吐き捨てた。
「ああ、ルフェルニア嬢はアルウィン君のことをとても大事にしていますからね。」
「それに、ルフェの好きなタイプだ。」
「そうなのですか?」
「ルフェが子供のころに好んで読んでいた物語は、王子よりも、勇ましい騎士の方が活躍するものばかりだった。」
ユリウスは自分の見た目が物語に出てくる王子のそれに近いことを自覚していた。ユリウスが植物局で働くことを目指していたにもかかわらず、剣の腕を磨いたのは、ルフェルニアの好みに近づくためだった。
結果、体質なのか筋骨隆々とまではいかなかったが、程よく筋肉の付いた美しいゴリラが爆誕した。
「確かに、サムエルからそのようなことを聞いたことがある気がします。」
王立学園を卒業したベンジャミンの弟サムエルは、騎士局に入り、そこそこの活躍を見せている。きっとそのうち騎士爵を賜るだろうという話はユリウスの耳にも入っていた。
ベンジャミンは、サムエルが「自分は騎士だから、まだ勝ち目がある」と学生の頃に言っていたことを思い出した。
「弟に顔が似ていて、騎士をしていたからって、すぐに気を許すなんて、危ないじゃないか。」
ユリウスは尤もらしい理由を付ける。
「一国の主なのですから、何も危険なことはないでしょう。それはユリウス様だってわかっているのではないですか?」
「いいや、ルフェは可愛いんだから、何が起こるかわからない。実際、ノア大公はルフェに可愛いデイドレスを買い与えていたんだから、きっと疚しい気持ちがあるに違いない。」
ユリウスは体勢を戻してソファに座り直すと、真顔で言い切った。
ベンジャミンはルフェルニアの顔を思い浮かべる。確かに可愛いと言えば可愛いが、突出した特徴のない、平凡な顔立ちだ。贔屓目がすごすぎる。
デイドレスの件だって、ギルバートはただの善意だったのだろう。ベンジャミンは、ユリウスから度々ルフェルニアが普段は贈り物を受け取ってくれないことを聞かされていたので、ただ自分の贈り物を受け取ってもらえないからと拗ねているだけだ、とすぐに勘づいた。
「そうは言っても、普通の女性は恋人でもない男に、交友関係をとやかく言われるのは誰でも嫌がると思いますよ。」
「そういうものなの?僕はルフェに何を言われたって大丈夫だよ。」
「…、それはユリウス様だからです。ともあれ、ルフェルニア嬢に嫌われたくないのであれば、早めに謝って、そしてお仕事をするべきです。ルフェルニア嬢も仕事をしない男性はお嫌いでしょうからね。」
ベンジャミンがいつになく強く言い切るので、ユリウスは押し黙った。
確かに、と思わないでもなかったからだ。
ユリウスは特大のため息をついてから、執務机に向かった。




