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Cat & Garden.  作者: 四季ラチア
名前を呼ぶこと
9/19

再会

「ところで…」

アケビに乱された髪や衣服を整える。

点滴の管がささる手の甲を少し不快に思い、ガーゼとテープ越しにぺろぺろと舐めながら、猫は気になっていたことを二人に訊ねた。

「…あんたら、どうしてこんな簡単に俺を助けた。俺を見て何も思わなかったのか」

「…どういう意味よ。まさか、イチゴ先生がしてくれたことを、大きなお世話だって言いたいの?」

「いや…俺は、明らかに妙な奴だろ」

頭の違和感。

花売りが付けた花飾りはそのままだが、包帯は新しいものに取り替えられている…だったらこいつらは見たはずだ。自分の片耳と片目がないことを。

第一印象は最悪だっただろう。

それに加えて外見に似つかわしくないこの声だ。普通なら忌まわしく思って遠ざける。

「あんたらもお目出度い頭なのか」

「失礼な! イチゴ先生はお医者様として、苦しんでいる貴方を助けた。当然のことじゃない。貴方は何もわかってないのね!」

「まったく気難しい猫だな」

きいっと苛立たしげに耳をふるわせるアケビと、心底めんどくさそうに頭を掻くイチゴ。

怒りや呆れを抱かれる理由は、猫にはわからない。

だって当然だろう。

醜い怪我をいくつも負い、血と反吐まみれの奴を容易く助けたなんて、フツウならあり得ない。

外見に合わないこの声も、フツウなら、呪いを振りまく声だと恐れ、嫌うのが当たり前だ。

フツウなら。

だから、フツウならしないことをしたこいつらは、フツウではないはずだ。

あの花売りだって。

「あのなあ…」


イチゴが猫の目をじっと見る。

「その怪我の理由は知らないが、多少なり身体に損傷があっても、何もおかしいとは思わないぜ。生まれつき目の見えない奴、耳の聞こえない奴、腕のない奴、そういうのは幾らでも居るんだよ。お前だけが特別、おかしな姿なわけじゃねーって」

「だったらこの声は」

「それもお前の個性だろ」

「貴方は自分が特別だと思いたいの?」

…特別だなんて思わない。

ただ、フツウではない。異質な奴だと、忌まわしい奴だと、近づくべきではない奴だと、そう思う。そう思われるのがフツウなはず。

猫の暗い顔を見たアケビは、短くため息をついた。

「…貴方、余程ひどい偏見を受けてきたのね。そんなの、見た目や性格をとやかく言うひとなんて、適当に受け流せばいいのよ」

「相手にするのも面倒だろ」

「…ちがう」

ちがうんだ。

猫はきしりと歯を食いしばる。

訊ねたいことはそれではない。怪我だの、声だの、そんな生易しい話ではなく。

こいつらはきっと、自分に大きな見落としをしているはずだ。


「…尻を見なかったのか」


「は?」

…少女にしては低い、低い、低い声で、アケビが唸る。

だが猫は気にせず、当たり前だと思う問いかけをさらに続ける。

「だから、俺の、尻を見なかったのか」

「異常性癖ぃぃぃ‼︎」

牙をむき出しにしたアケビは、ギラリと爪を伸ばした手で猫の身体を掴み、思い切り振り上げる…窓から投げるつもりだ。

猫の視界が逆さになる。魔物のような顔をした純血の犬の少女がぐらりと映る。点滴の管が突っ張り手の甲が痛む。思わぬ凶行に、猫は反撃の体勢もとれない…受け身の構えも整わない。

投げ飛ばされる───

「バカヤロー、アケビ、やめろ!」


…ガシャッ、と点滴スタンドが傾くのを、素早くイチゴが片手で掴み、もう片手は、アケビのふさふさの尻尾を掴んだ。

猫の視界の凶暴な顔は、はっと自我を取り戻したように牙を仕舞い…逆さのまま猫をベッドに落とした。

受け身も取れず、猫は布団に背中を打つ…布団はふかふか柔らかく、重力に従って勢いよく落ちても、ほとんど痛くなかった。木の上から岩場に身体を打った時とは大違いだ…猫は目を回しながら思い出していた。

頭の上で、イチゴがアケビを叱っている。

「こいつは病気と怪我を負った患者だ。悪化させてどうする…それにここは病院だぞ」

「す、すみません! だってこのひと、私たちにセーテキなことを!」

「こいつは言葉が不自由なだけだ」

そう言ってイチゴは、ベッドの上の猫を手荒く転がしうつ伏せにさせ、薄い白い衣服、つなぎのボタンをゆっくり外していく。

猫はびくりと耳をふるわせ、髪を逆だたせる。セーテキの意味は知らないが、今明らかに自分がセーテキなことを受けそうな気が───


だがそんなことはなく…ボタン外しは尾骶骨の辺りで止まった。

「ひっ…」

アケビが短い悲鳴を上げる。

「だから、本当はお前には見せたくなかったんだよ。なのにこの猫野郎」

開いた服の隙間から、ふさ、と現れる紅色の尻尾。それは尾骶骨から直接生えているのではなく、そこに浮いている。

「ま、魔物…だったんですか…」

「ああ。目を見てもわからなかったか?」

…猫はシーツに顔を埋め、視線だけで二人を見る…明らかにアケビに異変が起こっている。

偏見を気にするなと言ったその声は。

「イチゴ先生、どうして魔物なんか!」


───直後、アケビは目を見開き、ふらふらとよろけながら、イチゴと猫を素早く交互に見る。そして。

「す、すみません。す、少し、頭を冷やしてきます!」

「無理するなよ、アケビ」

…悲鳴のような裏返った声を残し、アケビはぱたぱたと病室を去っていった。

猫は体を起こす。

「…あれが正しい反応だぜ」

「かもな」

「あんたは、知った上で俺を助けたのか。『魔物なんか』の俺を…」

「おう。『魔物なんか』のお前をな」

にんまり、とイチゴは気怠げに笑う。

…知らなかったから取り乱した、あのアケビという少女は、思っていたより普通の少女だった。それでも、差別を口にしてしまった自分を責め席を外す…本当に素直で、真面目な性格なんだろう。

だがこのイチゴは、知った上で。

「何故だ」

「…また何故、か。くどいねえ…」

しつこいのは承知している。だが訊ねずにはいられない。

猫は何もわからない。ひとの優しさや温かさを信用できない。だって自分は魔物だ。魔物なのに。

「お前が思っているような、やさしさだの何だのと生ぬるいもんじゃねーよ。アケビが言ったように、僕は医者として、苦しんでる奴を助けただけさ」

「あんたは純血だ」

純血(ひと)は魔物を助けちゃいけないのか?」

めんどくせえな…とイチゴは大きくあくびをし、カーテンの向こうの、もうひとつのベッドにどさりと大の字で横になった。

「僕にはさ…」


「憧れのひとが居るんだよ」

…唐突に話し出す。

猫はぱち、とまばたきをする。

「僕は医者とは言えまだこども、見習いだ。知識も技術も、堂々と医者と名乗るにはまだ足りない」

「…見習いってんなら、指導者が居るのか」

「早とちりすんな。院長先生も確かに尊敬するが、そうじゃない」

イチゴは、猫のポケットから取った緑のアンプルをじっと眺め、くるくると弄ぶ。

「僕がやってる治療は、院長先生がやるような、化学や手術とかの現実的な治療じゃない…僕は」


「魔法の治療をしている」

「魔法?」

…猫は顔を歪める。

魔物が魔法という単語を使うならわかる。魔物なら魔法の治療もできるだろう。

だがこいつは、イチゴは子豚の純血だ。純血に魔法なんて使えるはずが───

───いや、ひとりだけ知っている。

あの兎の女。美しい女。花売りの女。

魔法の花を育てている、あいつ。

「僕は治療のために、定期的に魔法の花を買うんだが…いつも来てくれるあのひとは、僕よりも花の調合に詳しくてさ。必要な効果の薬をいとも簡単に作ってくれるんだよ」

ぞわり、と猫は背中に寒気に似た違和感を感じた。どく、どく、と心臓が強く脈打つ。頭の中に昨日の記憶がちらつく。

「あのひとは頭も良いし、見た目も美人でさ…女なのに背が高くて…まあ、それは置いといてだな」

若草色の髪と瞳。細身で高い背丈にワンピースがよく似合う。たくさんの花に囲まれたあの姿は、忘れたくとも忘れられない美しさ。

「あのひとは、ひとも魔物も差別なく助ける。多くの奴らはあのひとを魔女なんて呼ぶが、僕はそれでも良い。僕が憧れているのは、そのひとだよ」

猫はぐしゃりと頭を抱えた…左手が触れた包帯留めの花飾り。

「おいイチゴ…そいつは」


「イチゴ先生、お客様ですよ!」

ガチャリとドアが開き、アケビが戻ってきた。何故か頭がびしょ濡れになっている。

「お客様じゃねーだろ、患者って言え」

「いえ、お客様です。いつもの方ですよ」

「つうか、何でびしょ濡れなんだよ」

「頭を冷やしてきました!」

「とりあえず拭け」

イチゴは乱雑に枕カバーを剥ぎ取り、アケビに投げ渡す…アケビは素直にそれで頭を拭き始めた。

それを見てひく、と苦笑いする猫に、ベッドから起き上がり、白衣の裾をひらりと翻しイチゴが振り返る。

にまり。

「ちょうど良かったな、猫。僕が憧れているひとに会わせてやるよ」

「どうぞお入りください」

アケビがドアの向こうに呼びかける。



部屋に流れ込む甘い香り。

くすぐったくて、くしゃみが出そうになる。

猫は耳をぶるりとふるわせ、恐怖とも違う、嬉しいとも違う、奇妙な息苦しさに呻き、目を見開く。


若草色の髪と瞳。

細身で高い背丈にワンピースがよく似合う、

美しい、兎の女。

「こんにちは、イチゴ先生───」

澄んだ瞳に猫を映すと、彼女───花売りの少女もまた息を詰まらせたように、目を見開いた。


「猫くん?」

よろしくお願いします。

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