9.父親と息子
よろしくお願いします。
的確で無駄のない報告をする息子に、国王は険しい目を向けていた。
ロスリーの報告は他国との貿易ルートの新規開拓と、クレイナル国の王太子を廃嫡にした話だ。話としては、国王にとって非常に満足いく内容だった。本来であれば、険しい顔になり得るはずがない。だが、国王は、この優しく残酷な息子に不満しか抱けない。
第二王子としての仮面を外さない息子に対して、国王は父親の顔になってしまう。
「いつまでマイラを苦しめるつもりだ?」
何度も繰り返されている話題だが、ロスリーは苦しそうに顔を歪めるだけで返事はできない。
ロスリーをここまで頑なにしてしまったのは、間違いなく国王だ。自分に非があると分かっているだけに、ため息しか出ない。
「キュレーザー国だって、マイラの置かれている状況は知っている。これ以上押さえているのは、不可能だ。それにキュレーザー国だけではなく、私も王妃も限界だ。今のお前では、マイラを幸せにできない。自分でも分かっているだろう?」
燃えるような夕日が沈み、夜の闇が取って代わろうと空を覆い始めている。夕日が残した煌めきと夜空が溶け合った色は、マイラの深い瑠璃色の瞳に似ている。
ロスリーはこの時間になると、どんなに忙しかろうと空を見上げてしまう。
答えを述べずに窓の外を眺める息子に、一瞬にして怒りが湧く。
「マイラに『悪女』の汚名を着せてしまったことを後悔して、お前がそれを払拭しようと走り回っているのは知っている。だが、そんな事をする必要がないのも、分かっているだろう? マイラは自分の力で汚名を返上している。この城でマイラを『悪女』だと思っているのは、使えない馬鹿だけだ」
その馬鹿には自分の四番目の息子が含まれている……。
「マイラのおかげで生活が激変した北の地方では、マイラは『女神様』と崇められているのは知っているはずだな? その噂はもう王都にも届き始めている。お前が下手な小細工をして回っているのは、本当の問題から逃げるためだ!」
怒りを露わにして、一気に言い終えた国王は怒りのままに執務机を殴りつける。
国王の家族は歪だ。その原因が自分にある事は、国王だって嫌というほど理解している。王族として国の利益を最優先にするべきだと分かっていたのに、彼は一人の女性しか愛することができなかった。それが家族を歪めてしまい、今に至るのだ……。
息子達が置かれた状況は、自分の失態が招いたことだと分かっている。だからこそ、自分は介入せず、息子達が解決しなくてはいけない。ずっとそう思ってきた。それなのに、あまりにも歯がゆくて、つい口を出してしまう。
国王だってロスリーを焚きつければ、王太子を追い詰める事に繋がるのは分かっている。国王として父親として覚悟の上で言っているのに、煮え切らないロスリーの態度は更に国王を苛立たせる。
「アディリアの時は、彼女が手に入らないのが分かっていたな? 分かっていながら、初恋に踏ん切りをつけるために行動に出た」
国王の言う通りだった。もちろんアディリアに求婚した時のロスリーは真剣だったし、幸せにしたいと思っていた。だが、アディリアに婚約を申し込んだ時は、マイラを手に入れると決めた時のような覚悟を持って挑んではいなかった。
今ならそれが、はっきりと分かる。覚悟を決めて伸ばしたはずの手が、もう少しというところで指先が丸まって届かない今なら……。
アディリアが自分の手を望んでいないと分かっていたのに、ロスリーは手を伸ばした。
自分だって望んでもいいのだと教えてくれたアディリアが苦しんでいる。ルカーシュがアディリアを幸せにできないのなら助けたい。そう思って、衝動的に行動に出た。
目の前でお互いを諦めずに想い合う二人を見て、ロスリーは「ここまでの気持ちを、俺は持っていないな」と自分の気持ちを確認できた。
そのおかげで長年初恋を拗らせていた割に、あっさりと身を引けた。それがアーロンの下劣な茶番のおかげなのかと思うと笑ってしまったが……。だからって制裁が甘くなってしまったことを、今はとても後悔している。
あの時は分からなかった二人の気持ちが、マイラに恋した今なら分かる。本気でマイラを手に入れようとした時、ロスリーは覚悟を決めた。これから自分が行う非情な行為に嫌悪しても、それでも手に入れたくて、誰にも取られたくなくて、必死に手を伸ばしたのだから。
幼いアディリアに「そんなに何でも譲っていたら、欲しいものは一つも手に入らない」と言われたのが、ロスリーの初恋の始まりだった。それは、欲することを諦めていたロスリーの息苦しさを救ってくれた一言だった。
「アディリアに心惹かれたのは、何の屈託もなく欲しいものに手を伸ばせる彼女が眩しかったのです。あの頃は俺のせいで兄上が死にかけて、子供ながらに自分の持つ権力の大きさに怯えていました。俺は絶対に何も欲しがってはいけないと思っていたのに、欲して良いんだと言ってもらえたのが嬉しかった」
「父上の言う通り、アディリアが手に入らないのは、どこかで分かっていました。アディリアは真っ直ぐにルカーシュを想い、ルカーシュもまた同じでした。何のしがらみもなく相手を想える二人が、俺には羨ましかった。今にして思えば、あの想いを俺に向けて欲しい訳ではなかったのかもしれません。ルカーシュを一途に想うアディリアに憧れていたのです」
もちろんアディリアに恋していたが、ロスリーはルカーシュを好きなアディリアが好きだったのだ。自分がそんな風に誰かを想う日は訪れないと思っていたから、余計に「欲しい!」と手を伸ばすアディリアが輝いて見えた。
「今回はマイラのために、覚悟を決めたんじゃなかったのか? 家族や国を揺るがす覚悟を決めたんじゃなかったのか? だからこそ、私はお前の願いを聞いたのだ。そうじゃないなら、マイラを解放してやれ。マイラなら、今からでも他の幸せを見つけられる」
出来るならそうしている! 離したくない。でも、先にも進めない。ロスリーは両拳を震わせるだけで、肯定も否定の言葉も発せられない。
諦めの表情を見せた国王は、息子の顔を見ることなく執務机の書類に目を落とした。
何も言えないロスリーは白くなるほど下唇を噛みしめ、臣下の礼を取って部屋を出る。
扉が閉まるのと同時に「北の離宮を手直しする。マイラが静養予定だ」と言った国王の声が聞こえた。全身から汗が噴き出したロスリーが振り返った時、重く真っ黒な国王の執務室の分厚い扉は閉じ、金色のドアノブが冷たく光っていた。
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