8.悪女は療養を希望します
本日二話目での投稿です。
よろしくお願いします。
執務室に残ったルーシャは「マイラ様はこれから、どうするおつもりなのですか?」と、陳情書を整理しながら確認する。
マイラがキョトンとして「どうするって?」と尋ねると、ルーシャは書類を置いて顔を上げた。
「王太子妃にクビにされて行き場を失ったわたくし達を助けて、新しい可能性を与えて下さったのはマイラ様です。そして、今は独り立ちする機会をまで与えようとしてくれています」
マイラは自分のところに来てくれた仲間達に、各々の適正に合った仕事を与えていた。優秀なのにクビにされた仲間達に、自信をつけて欲しかったからだ。
「ニーナはレラワン夫人が一人前に育ててくれるでしょう。北部にあるアンナの領地で試していた作物も非常に順調だと聞いています。庭師のジュードの話だと桑の木もあったそうなので、キュレーザー国の蚕を使って養蚕をするのですよね?」
シルクと一言で言っても、蚕の種類によって大分変ってくる。キュレーザーのシルクを取り寄せるのもいいのだが、産業の少ないアンナの領地で養蚕をすれば一石二鳥だと考えたのだ。
「サフォークやグレシアのシルクも素晴らしいけど、キュレーザーのシルクのハリと光沢も捨てがたいのよ。養蚕が上手くいけば、アンナの実家ももっと潤う。その上、北部地域の成功例にもなって、アンナの実家を見て始めようという家も出てくる、そうすれば、サフォーク国自体が潤うわ」
実際にアンナの実家には、近隣の領主から既に「その野菜の作り方を教えてくれ」「肥料を売ってくれ」と問い合わせが凄いとジュードから報告が上がっている。
北の大地は痩せていて無理だと諦めていたのに、隣の領地が栽培に成功していると聞けば何をしているのか興味を持つのは当然だ。
「寒さに強い農作物も養蚕も、領土のほとんどが極寒のクレイナルのために考えていたのよね。もう必要ないことだと思っていたのに、役に立つ日が来るとは思わなかった。サフォークはクレイナルほど寒くはないから、上手くいくに決まっているわ」
マイラはそう言って、ぼんやりと遠くを見つめた。
ルーシャはマイラを傷つけたクレイナル国に対して腹が立つ一方で、これほどまでに優秀な王子妃がサフォークに来てくれた事に感謝してしまう。
ロスリーからは見向きもされず、周りからは嘲笑われているのに、サフォークのために働くマイラに頭が下がる思いなのは、ルーシャだけではない。
「アンナの実家も確実に豊かになるし、ジュードはマイラ様の指示で花の栽培も始めたと聞いています。やりがいがある仕事を任されたと喜んでいますから、ジュードはこのまま北の土地で暮らすつもりでしょう」
アンナの実家が貧乏で無くなれば、アンナが侍女をしてお金を稼ぐ必要はない。そして、その日はおそらく近い。そうなればアンナは実家に帰ってジュードと結婚するだろう。もちろんジュードもそのつもりだから、北の地に根を下ろす覚悟なのだ。
「料理人のソドムには、何か考えているのですか?」
「王城の正統派な料理は、ソドムにはつまらないらしいの。この三カ月で各国の料理について学び、新しい料理をたくさん作ってくれたでしょう? 実はその料理を料理長にも、食べてもらっていたのよ。バッチリお墨付きをもらったから、王都に店を出そうと思うの。ソドムの腕を買ってくれいている料理長も協力してくれて、今準備してくれているわ」
ソドムも才能が有り過ぎて、料理が独創的になる。それを嫌ったシェラにクビにされたところを、食事に対する不信感が消えないマイラが雇ったのだ。
「それで、マイラ様自身はどうされるおつもりなのですか?」
ルーシャに尋ねられた事が、マイラの一番の悩みの種だ。自分のことが一番ままならない。
(アンナ達をわたくしが救ったように見えているけど、実際は逆なのよね……。
愚かにもロスリー殿下に抱いていた小さな希望を打ち砕かれた時は、婚約破棄の時から引きずっている絶望に取り込まれそうになった。それでも悪女になろうと邁進できたのは、アンナ達のおかげだ。助けてくれたみんなをわたくしという悪女から解き放ち、真っ当な道に進ませるという目標をくれたのもみんなだ。本当に感謝しかないし、全員が幸せになって欲しい。
でも、自分は……。わたくし一人で進む道を決められないものね……)
「サフォーク国はわたくしが悪女と知っていて結婚したんだから、それを理由に離婚はできない。かといってクレイナル国に捨てられたわたくしが、サフォーク国にも捨てられたとなればキュレーザーの評判も落ちてしまう。これ以上キュレーザー国の足を引っ張るような真似は避けたいのよ。正直、どう転んでも先は暗いわ」
「悪い方向の話しか出てきませんが、ロスリー殿下と話し合って夫婦として国を盛り上げるという選択は?」
ルーシャの言葉はマイラの胸に刺さる。
(そうなればいいのにと、何度も思った。
嫁いで三カ月で顔を合わせたのは初日だけ。酷い話だ。それでも、ロスリー殿下がわたくしを大事に思ってくれているのは分かる。
愛してくれなんて思わない。形だけの夫婦でも構わないから、顔を合わせて言葉を交わせないだろうか? そう思って何度も夫婦の寝室に繋がる扉を見つめた……。
ロスリー殿下に差し入れを贈ったのも、一度や二度ではない。ロスリー殿下からは感謝の言葉どころか、カードさえ届かなかった。だから、夫婦になることは、望んでは、いけない事なのだ)
「王家に嫁ぐなら、絶対に男の子を産めと言われて育ったわ。自分の努力でどうにかできる問題ではないし、運相手だから女には酷な話よね。でもそれが王家に嫁ぐ女の最大の役目だし、知らぬ土地で自分の居場所を確保する手段なのよね……。殿下はね、子供を作る気がないのよ」
苦し気に、でも穏やかに微笑んだマイラの笑顔は、多くを乗り越え諦めた上で、この事を吐き出すに至ったのだと物語っている。
ロスリーがマイラを大事に想っていることを確信しているルーシャは、「マイラが歩み寄ってくれれば?」と期待していた。だが、今の話で自分の考えの浅はかさを恥じた。
同時に、ロスリーが本当に憎くて仕方がない。マイラには聞こえない小声で「あの根性無しが!」と毒づいた。
「アンナの領地のすぐそばに、離宮があります」
「そう……。アンナが領地に戻ったら、たまにはそこに滞在できたらいいわね?」
「北の離宮なんて、罪を犯した王族か、心を病んだ王族が押し込められる場所です。もう何十年も誰も訪れていないし、朽ち果てるのを待っている場所です」
「そう……。何だか愛着が湧く場所ね。誰も訪れず、朽ち果てるのを待っているなんて、まるでわたくしみたいじゃない?」
少し投げやりに微笑んだマイラに、ルーシャは恐ろしく真剣な顔で告げた。
「悪女であるマイラ様が体調を崩されたのなら、療養するのにピッタリの場所じゃないですか?」
淑女らしからぬ音を上げて執務机から立ち上がったマイラは、ルーシャの手を引っ張ると、向かい合ってソファに座らせた。そして、額がくっつくほどに顔を近づける。
「聞いて、ルーシャ。わたくし、物凄く体調が悪いわ。今にも、死にそう」
「かしこまりました。療養先を手配いたします」
読んでいただき、ありがとうございました。
まだ続きますので、よろしくお願いします。