5.初夜の誓い
本日二話目の投稿です。
よろしくお願いします。
アディリアの話はマイラの鼓動を早め、顔をにやけさせた。この結婚に、ロスリーに期待が高まってしまい、ベールを見る度に胸が高鳴る。
悪女を買われて嫁ぐのだと思っていたけど、本来の自分を見てくれているのだろうか? と期待してしまう。そんな自分を慌てて必死で諫める。
(私は愛されて嫁いできたのではない。政略結婚とさえも言えない。ロスリー殿下が欲しかったのは、自分を王太子に押し上げない傷物の王女であるわたくし。悪女なのだから。分を弁えなくてはいけない)
マイラは何度も自分にそう言い聞かせるのに、心の中に広がる期待が胸をムズムズとさせる。顔がにやけてしまい、いつもの「氷姫」の顔に戻すのが難しい。
結婚の儀式を無事に終えた事を報告するために国王夫妻に謁見すると、二人は思っていた以上に笑顔で迎えてくれた。その一方で国内の貴族達からの視線はきつく、ロスリーが見えなくなると「悪女が!」「今度はサフォークから搾り取る気か」「今晩お相手しますよ」と、中傷が飛び交った。この程度は想定内だと、マイラは割り切っている。
サフォーク国がマイラを歓迎していないのは分かっていたことだ。
そう思いながらも、心の至る所で「でもロスリー殿下は私を歓迎してくれるのかも」という期待が芽吹こうとして、それがマイラを困らせる。
結婚に関する一通りの儀式を終え、後は初夜だけとなった。美しいが重かった衣装を脱ぎ、今は身軽だ。
それにしても、マイラの付きの侍女の仕事は酷かった。髪もろくにとかさないし、化粧品に至っては何か薬品が混入された刺激臭がしたので使わなかった。
マイラはキュレーザーにいる時から入浴は一人でしていたが、あの侍女に手伝ってもらったら今頃身体は傷だらけだったと思う。
それくらいの悪意を持ってマイラに対応していたということは、マイラを貶めるために選ばれた侍女なのだ。きっと明日になれば、マイラはサフォークの化粧品がお気に召さない、侍女が気に入らないと言って仕事をさせないと噂になるのだろう。
そんなことをぼんやりと考えながら窓辺に佇むマイラは、これから初夜を迎えようという新妻には到底見えない。当然だろう、結婚式だと言うのに剥き出しの悪意に晒されていたのだから。
「もう、うんざりだけど……。こうなるのは分かり切っていた事だものね……」
誰にという訳でもなく、口からこぼれた言葉は窓の外の闇に呑まれていく。
窓からのぞく夜空は、分厚い雲が覆い月も星も見えない真っ黒闇だ。夜の闇に吸い込まれるようにマイラが黒い夜空に手を伸ばすと、ロスリーの部屋と繋がる扉が叩かれた。
マイラが慌ててベッドに腰を下ろすのと同時に、ロスリーが夫婦の寝室に入って来た。
だが、ロスリーはマイラの隣に来ることもなく、お酒が用意されたテーブルに行くこともなく、自室の扉とベッドの間で足を止めた。
不安と緊張と恥ずかしさでうつむいていたマイラは、歩みを止めたロスリーの足元が夜着ではないのに気が付いた。その瞬間に、ロスリーに対して期待していた気持ちが急激に冷めた。代わりに雪崩れ込んだ羞恥心で溺れそうなマイラは、分不相応にも愚かな期待をしていた自分が恥ずかしくてもう死にそうだ。
(こんな愚かなわたくしが望まれて嫁いできた生娘みたいな態度でいたら、ロスリー殿下にとって余計に迷惑だわ。悪女らしくしなくては)
マイラは心を落ち着かせ、何事もなかったようにロスリーに向かって顔を上げた。目の前には結婚式と変わらないままの服装のロスリーが立っている。金髪もきっちりと整えられたままで、生真面目な印象の整った顔がマイラに向けられている。
今日一日中マイラを見ていたブルーグレーの瞳が、今は困ったように何か言いたげだ。
(わたくしの顔が怖くて何も言えないのかしら? でも笑ったところで、アディリア様みたいな癒しの効果はないし……)
ロスリーは深く息を吐き出すと苦しそうに眉間に皺を寄せ、マイラの深い瑠璃色の瞳を睨むように見つめた。
「結婚式まで済ませたのに申し訳ないが、私には跡継ぎを作る意思が…………ない」
たった一言だが、マイラの心を打ち砕くには十分だった。
パァンと自分の心が割れる音を聞いたマイラは、「期待なんてするから」と自分を呪った。
王家に産まれ、王家に嫁ぐ運命だったマイラは、妃の一番大事な仕事は王家の血を絶やさない事だと教えられてきた。
傷物の嫁き遅れ悪女で何一つ期待されていないけど、王家の血を残す器としては望まれているのだと思っていた。
だけど、今、自分は何も望まれず、何の使命もない事を知った。名前だけ。便宜上「妻帯者です」と言うためだけの、妻。
王族が子供を作らない。普通に考えればあり得ない。だが、サフォーク国は王太子と第二王子を推す者達で、いつ争いが起きてもおかしくない状況だ。
いくらマイラが悪女と名高い嫌われ王女でも、王太子夫婦より先に子ができてしまえば均衡が崩れる。
(ロスリー殿下は争いを避けたくて私を選んだのだから、そのためには子供を作らないことが一番よ。どうして気が付かなかったのだろう? 生娘みたいに(生娘だけど)夫婦の寝室で待つなんて……。私ったら、みっともない!
私は悪女だものね。嫁き遅れの悪女に、妻という名前を与えてくれただけでも感謝しないといけない。馬鹿みたいに夫婦の寝室で待つ悪女なんて放っておけばいいのに、ちゃんと気持ちを伝えてくれたロスリー殿下に感謝しないといけないんだわ)
「……かしこまりました」
プライドをかき集めて何とか声を絞り出し、二度と使うことのないベッドから立ち上がったマイラは、自室に繋がる扉に足早に向かった。こんな苦しい場所から、さっさと抜け出したかったからだ。
マイラが扉を開けると、背後からロスリーの焦った声が耳に届く。
「……この国は跡継ぎの問題で揺れているのに、俺がその問題にまだ向き合えていない。そんな状態なのに、君を巻き込んでしまって本当に申し訳ないと思っている。君は何も悪くないんだ!」
自室に入ったマイラは、扉を閉める前にロスリーを振り返った。苦しそうに自分を見つめるロスリーに、マイラは極上の笑顔を向けた。
「……わたくしが悪くない? そんなはずないでしょう? わたくしは悪女なのですから」
そう言ったマイラはロスリーを見ることなく扉を締め、ガチャリと鍵の音を響かせた。
(わたくしは愚かだ。二度と結婚に期待なんかするものかと思っていたのに、ロスリー殿下が自分を愛してくれるなんて期待してしまった。ロスリー殿下の思惑に適った嫁き遅れの悪女だから、子供も生まない名前だけの妻として選ばれただけ。キュレーザー国のお荷物になるところを『妻』の名を与えられ救ってもらったんだから……)
「感謝なんてするか!」
マイラはベッドに枕を投げつけると、何度も拳を叩きつけた。トルソーにかかっているベールも引きちぎりたかったが、さすがにそれは勿体なさ過ぎてできない。
「ふざけんな! 人を何だと思ってるんだ? 悪女か? そうか、そうだった。そっちがその気なら、これからは悪女として生きてやる! 私は本物の、今世紀最大の悪女になってやる!」
王女として生まれ、家族に愛され、恵まれた環境で成長したことに感謝し、国のために身を捧げて努力を重ねてきたマイラ。
世間からは冷たい氷姫と言われていたがキュレーザー国民はマイラの内面を知り、マイラを愛してくれた。だからこそ国の枷になりたくないと、サフォークに嫁ぐことを選んだ。
そんな見た目以外は悪女から程遠い、思いやりに満ち溢れたマイラが、初夜に悪女になることを誓った……。
読んでいただき、ありがとうございました。
まだ続きますので、よろしくお願いします。