3.悪女への縁談
本日二話目の投稿です。
よろしくお願いします。
家族会議が行われた後に自室に戻ったマイラは、ベッドの上でぼんやりと呆けていた。
「で? 結局、マイラはどうするんだ?」
ソファの上で胡坐をかいているレオンハルトの言葉が、ぼんやりしていたマイラを叩き起こす。
「そうよね? 胸のつかえは半分取れたけど、私はどうすればいいの? このまま城で暮らすのはいたたまれない。城から出るなら修道院だけど、それは家族が許さないだろうし。かといってこんな傷物悪女は外交にも使えないし……。どうしよう? 何も解決してなかった……」
レオンハルトはため息をついて、うんざりした顔をマイラに向ける。
「国王一家は優秀だと思うけど、たまにスコーンと抜けるよな? ダルシールがいつも青い顔してるのが、うなずけるよ」
「レオンにもいつも助けてもらってばかりいたわね……」
マイラの言葉にレオンは少しだけ悲しそうに微笑んだ。
「私は、もうお前の傍にはいられない。元からクレイナルにはついて行かず、領地に戻って辺境伯軍を継ぐことになっているからな」
「レオンにはずっと守ってもらった。感謝しかないわ。これからは国の要所を守ってもらうんだもの、レオンは一生わたくしの騎士様よ」
そう言ったマイラは一番心を許しているレオンハルトに、子供みたいにギュッと抱き着いた。レオンハルトもマイラを抱きしめて、マイラと過ごした日々を振り返る。
「マイラはキュレーザー国のみんなが愛するお姫様だからな。守りがいがあったよ」
レオンハルトは細い目に優しさが滲み、マイラのシルバーブロンドを揉みくちゃにする。
本来なら乞われて嫁ぐ幼馴染を見送って辺境の地に発つはずだったのに、こんなことになりレオンハルトの心中も穏やかではない。幼い頃からずっと一緒にいるマイラは、レオンハルトにとってもただ一人のお姫様なのだから当然だ。
子供の頃から美しく聡明なマイラは、その恩恵ばかりを受けていた訳ではない。
美しければ美しいほど、やっかみは多くなるものだ。早々に美しいだけの人間は馬鹿にされる事を知ったマイラは、勉強やマナーを身につけるため努力を重ねた。
だが、マイラは美しすぎた。並みの優秀さでは、自分の美しさに打ち消されてしまうのだ……。「これでは足りない!」と必死に、誰よりも完璧な淑女を目指した。美しさを上回る知識や能力を得るために十代を捧げたと言っても過言ではない。
それなのに苦労して得た優秀さと冷たい見た目のせいで、マイラは他国の人間からは距離を置かれがちだ。
美しく優秀だが、近寄りがたく冷たい氷姫。
周りは当たり前のようにそう呼ぶが、その優秀さを得るためにマイラがどれだけの努力を重ねたのかを誰も知らない。国のために国民のためにマイラがどれだけ熱く心を配っているか、誰も知らないのだ。
マイラを知らない者達は、マイラが生まれた時から全てを手にしていると思っている。だからこそ、悪女なんて噂があたかも当然の如く流れてしまったのだろう。
「本当のマイラは相手の事ばかり考え過ぎるあまり、迷走してばかり。人間関係に関しては、完全に方向音痴なのにな!」
「ちょっと、レオンの言う通りだけど、それ、今言う事かしら? わたくしは今、どん底なのよ?」
「私が居なくなったら、誰がマイラの愚痴を聞く? 侍女は氷姫が悔しさのあまり、枕を殴りダメにする事が度々あるなんて知らないだろう? 苛立ちを食欲と行儀の悪さで発散するために、お菓子を『もっちゃもっちゃ』と音を立てて食べる所を見たらみんな卒倒するんじゃないか?」
レオンハルトの言う通りで、王女として完璧であろうとするマイラは人前で弱みを見せない。自分をさらけ出すのは、レオンハルトか家族の前だけだ。
「いっそのこと、レオンがお嫁にもらってくれればいいのに!」
「ははは、できるなら、そうしてる!」
マイラとレオンハルトの仲の良さは、他国では浮気をしていると信じられているほどだ。だが、キュレーザー国でそんな馬鹿な事を思う者は、誰一人いない。
レオンハルトが女だからだ。
マイラが好きすぎて心配したベルナルドは、護衛だろうとマイラの側に男性がいることを嫌がった。だからこそ、レオンハルトがマイラの護衛となったのだ。
本来ならばレオンハルトは近衛騎士ではなく、騎士団の第三部隊で国境警備の経験を積む予定だった。それにも関わらずマイラの護衛を引き受けたのは、ベルナルドの我が儘があったからだ。「それなのに!」と言いたくなる王妃と同じ気持ちを、レオンハルトだって持っている。
レオンハルトはタイラー家の一人っ子で、辺境伯を継ぐ唯一の存在。ずっと子供ができなかったタイラー家に、遅く生まれた待望の子供だ。だからこそ辺境伯軍を率いる父親が高齢で動けなくなる前に、全てを受け継ぐ必要がある。辺境の屈強な戦士達を完全に支配下に置くのは難しく、引継ぎは今からでも遅いくらいだ。もう引き留めることはできないと、マイラもレオンハルトも十分過ぎるほど分かっている。
「マイラが辺境伯軍に入隊するなら、雇ってやるぞ?」
「嫌よ! 鍛錬訓練好きのレオンは手加減を知らないもの。最強の辺境伯軍だって、レオンが帰ってくるからと戦々恐々としているらしいじゃない?」
「私の訓練についてこれない奴は、私の軍には不要だ! それに男というだけで自分の方が勝っていると思っている奴を、叩きのめし、身の程を分からせ、苛め抜くほど面白い事はないだろう?」
そう言って笑うレオンハルトの顔は、恍惚としていて恐ろしい。
マイラには見せない一面だが、レオンハルトは人を痛めつけるのが本当に好きなのだ。レオンハルトが担当する拷問に立ち会う者は、心を壊して翌日には騎士団を去ると言われているほどだ。
だらけ切ったマイラが広いベッドをゴロゴロと回っていると、扉が激しく叩かれた。体当たりしているような大きな音に驚いたマイラが、ビクッと怯えて立ち上がってしまうくらい扉が揺れている。
レオンハルトが険しい顔で、「王女に失礼だと思わないのか?」と怒鳴りながらドアを開ける。
だが扉を叩いていたのは侍女ではなかった。扉の前に立つのは、マイラの一つ年上の兄ローネルだった。
平均的な身長より高いはずのローネルが、自分よりもずっと背が高いレオンハルトを見上げて「すまない、緊急事態だ!」と言うと部屋の中に転がり込んでくる。
ローネルは国内外の裏の動向を把握し、情報操作する軍の特殊任務に就いている。本人も意識して目立たないようにしているし、仕事柄常に静かに行動する癖がついている。
そのローネルが顔を真っ赤にして、走ってマイラの部屋に飛び込んできたのだ。何か重大なことがあったのだと、部屋に緊張が走る。
ローネルが息を整えている間、待ちきれないレオンハルトは「ローネル様の秘密部隊がベルナルドを殺したのか?」と物騒この上ないことを聞く。
「それも考えているが、ああいう奴は物理的な抹殺より、社会的な抹殺の方がこたえるんだ。そっちの方向で進めている」
二人は好きな本の話でもしているような口ぶりで、会話をしている。この手の話題はマイラの管轄外なので、聞こえない振りをするに限る。
「そんなことより、マイラを呼びに来たんだ。すぐに国王の執務室に行くぞ! レオンハルトも一緒に来い!」
ローネルはマイラの手を掴むと、レオンハルトを呼んで部屋を飛び出した。特殊任務に就くローネルの足について行けるはずがなく、マイラの足がもつれる。
ローネルの慌てっぷりから急ぎの案件だと判断したレオンハルトが、マイラを抱き上げて二人は疾風の如く廊下を駆け抜けていった。
国王の執務室には、再び家族が全員集まっていた。その全員が頭を悩ませた顔をしていて、何か良くないことがあったのだとマイラも唇を噛む。
(国を脅かすほどの事だろうか? 国のパワーバランスからいって、今他国から狙われるとすればクレイナル国のはず。いや、そんな軍事的なことより、わたくしのせいで貿易に支障がでたのだろうか? 自分の置かれている状況を思えば、国益には不利にしか働かない。何が起きたっておかしくない。やっぱり一日でも早く国から出なくてはいけない!)
不安でいっぱいのマイラは、両手を握り締めて国王の言葉を待つ。
国王は執務机から苦悩に満ちた紺色の瞳をマイラに向けると、「マイラに結婚を申し込んできた者がいる」と静かに告げた。
(……えっ? 大陸で最も有名な悪女に? まともな相手の訳がない。別大陸の金持ちの後妻か、どこぞの王室の側室だろう。お父様は私の事を思って納得できないのだろうが、国から出られるなら、国を守れるなら、この際何でも構わない!)
覚悟を決めたマイラに、国王は苦しそうに相手の名を告げた。
「サフォーク国の第二王子、ロスリー・サフォークだ」
(そう、サフォーク国の第二王子か。果たしてどんなヒヒ爺なんだか……? えっ?)
表に出ていない裏情報を確認するため、ランスがローネルを見る。
「どういう奴だ?」
「冷静で優秀で抜け目ない、女遊びもしていない。なぜ次男を王太子に据えなかったのかと疑問に思うほど、表の噂通りの人物だ。人は良いが能力がない王太子に変わって実務をこなしているのがロスリーで、実質彼が王太子みたいなものだな。王太子も能力はないが人柄は悪くないから、害はないはずだ。だが、この前の会議でマイラに突っかかってきた王太子妃は評判が悪い。王太子妃となって贅沢三昧予定だったらしいが、国王夫妻やロスリーに見張られて上手くいかずストレスが溜まっている。マイラが嫁いだら、立場を利用して難癖をつけてくる事は間違いない」
「そんな糞女をどうして野放しにしている?」
「王太子が何も言わずに放っているからだ。王太子だけ母親が違うから、どうも家族は王太子を腫物のように扱っている。その腫物王太子が自分の妻に何も言わないから、家族も何も言えず我慢して野放しにしている。大多数の貴族や国民は、王太子夫妻に非難轟々だ。それもあって国民はロスリーを未来の国王にと望んでいるけど、なぜだかロスリーには一切その気がない」
国王も難しい顔でローネルに尋ねる。
「本人にその気がなくとも、第二王子を王太子に担ぎたい貴族は必死なはずだ。何としてでも自分の娘と結婚させ、ロスリーを王太子にしようと目論むだろう?」
「確かにそう考えて、実際に行動している貴族は多いです。ですが、ロスリーに全くその気がなく、そういう事態にならないよう細心の注意を払っています。それがあまりにも徹底しているので、もう諦めている貴族も多いと聞いています」
ローネルの話を聞いた国王が、悔しそうに唇を噛む。
「という事はサフォークは、ロスリーを王太子争いから撤退させるためにマイラを選んだのか? マイラとの結婚なら国内の勢力争いに影響しないし、王女とはいえ……」
国王だって父親だ、娘を悪くは言えず口ごもってしまう。だからマイラが代わりに引き継いだ。
「わたくしは王女とはいえ、大きな傷がついていますからね。こんな評判の悪女を妻にしたら、ロスリー殿下の評判はがた落ちでしょうね」
マイラを妻にしたら、ロスリーが王太子となる未来は閉ざされる。
手ぐすねを引いて自分の娘と結ばせようとしていた有力貴族の後ろ盾はなくなる。他国から慰謝料をふんだくる強欲な浮気者を妻に選んだロスリーに協力する貴族も激減するはずだ。
いくら王族とはいえ、助けてくれる貴族がいなければ政治は動かせない。ロスリーの勢力が一気に弱まるのが目に見える。
マイラの言葉は的確なだけに、誰もが気まずそうな顔をした。
聡明で大陸一の美貌を誇る、本来であれば誰もが妻にと欲した姫だったはずなのに……。とんだ悪評をつけられて、今までとの落差が激しすぎる。
マイラは王妃になるべく日々努力を重ねてきたというのに。ベルナルドの愚かな行動と悪意ある噂が、これまでのマイラの輝かしい功績を真っ黒に塗りつぶした。それだけでなく、マイラの未来までも穢したのだ。
その事を物語るような縁談話に、家族全員の眉間に皺が寄る。
まだ重要な報告が残っているようで、ローネルは更に眉間の縦ジワを深くして続ける。
「ロスリーはマイラと同じ歳ですが、今までことごとく縁談を断っています。王太子をになるのを避けているのが一番ですが、実は他にもう一つ理由があります」
ローネルの低くなる声に、全員が嫌な予感しかしない。
「グレシア国にずっと想いを寄せている令嬢がいるからです。しかし、つい先日、その令嬢がロスリーの従兄と結婚しました……」
(心を寄せた相手が結婚してしまったので、王家の血を残すために踏ん切りをつける事にした。かといって国内の有力貴族と結婚して王太子になるのはご免だ。そこに王太子への道を閉ざしてくれる悪女が、丁度良く転がっていたから拾ってくれたってところか。
ハハハ、本当に酷い話だ。これだったらヒヒ爺の後妻の方がまだましだ。だって、器量目当てでも何でも、わたくし自身を望んでくれるのだから。
ロスリー殿下は違う。わたくしではなく、何者かによって作られた悪女を妻に望んでいる。こんな話ってある? 立派な王妃になろうと今まで必死に努力してきたのに、そんな自分は不要だなんて。わたくしはどこまで貶められればいいの?
かといってこの話を断れば「嫁き遅れの悪女がお高くとまっている」言われ、またキュレーザー国が被害を被る。このまま国に残って迷惑をかけるくらいなら、お飾りの妻であろうが居場所があるなら大歓迎だ)
マイラは何も気づいていない振りをして、穏やかにニッコリと微笑んだ。
「お受けいたします。わたくしには、もったいなさすぎる話です」
マイラの全てを達観した笑顔は、国王には辛い。
悪評さえなければ、マイラならばいくらでも縁談が舞い込んできたはずだ。こんなマイラを馬鹿にした縁談になど、見向きもしなかっただろう。
国王の胸の内としては、マイラには国に残って政を手伝って欲しい。だが、マイラは自分の事を「他国との繋がりも作れない、役に立たない王女だ」と思っている。「国に利益をもたらすために他国に嫁ぐことが、お前の王族としての仕事だ」マイラはそう言われて育ってきたのだから……。
国に繋ぎ止めておくことは、マイラの今までの努力を無駄にし、マイラを傷つける事になってしまうのだ。
不幸な結婚をさせるか、国に残してマイラの自尊心を削ぎ取り続けるか、国王はこんなに苦しい決断を未だかつてした事がなかった。
「……分かった。この話を、受けよう……」
王の執務室に、国王の固い声がグシャリと落ちた。
誰の顔にも笑顔はなく、全員が沈痛な面持ちでその声を聞いていた。
読んでいただき、ありがとうございました。
まだ続きますので、よろしくお願いします。