2.悪女誕生!
読んでいただけれ、嬉しいです。
本日最初の投稿です。
昨夜の不快な気分がまだべっとりとまとわりつく朝、マイラは王太子の執務室に向かっていた。今後のことについて、まずはベルナルドと話をするためだ。
ランスは会談の予定が入ったため、泣く泣く自分の側近であるダルシールに諸々の指示を出してマイラに同行させた。
「昨日の今日では手が出てしまいそうだから、ダルシールに頼んで良かったのかもしれない。ぶん殴った事が、これから始まる地獄の交渉に影響したら困るからな」
ランスはそう言うと、酷い悪人面のまま微笑んで送り出してくれた。
ランスから交渉を任されたダルシールは、マイラの二つ年上の宰相の息子で、マイラの妹と結婚している。そしてレオンハルト同様に、マイラの気の置けない幼馴染だ。
その幼馴染は、会うなりレオンハルトに「いつでも剣を抜けるようにしておけよ」と指示を出す。もちろんレオンハルトも「そんなのは、お前に言われるまでもない」と答え不敵に笑った。
それを見て安心したダルシールは、マイラに目が全く笑っていない笑顔を向けた。
「最初に言っておくが、俺もランス様やレオン同様にベルナルドには、はらわたが煮えくり返っている。マイラも分かっていると思うが、ベルナルドは国同士の約束を反故にしたんだ。あの糞野郎がマイラに謝って、マイラが許して済む問題じゃない」
「分かってる。甘い顔なんてしないで、クレイナル国にはちゃんと償ってもらう。国の利益が最優先、下手なことを言って言質を取られたりしないから安心して」
王女として、そして未来の王妃として育てられたマイラは、国のために動く分には頭が切れる。それが自分の事になるとからっきしなのは、国のためには自分を犠牲にするべきと教育されたからだ。そのせいでマイラは、自分の事には頓着しない。
「マイラはいつだって完璧だ。そのまま冷静でいてくれよ。俺はマイラの受けた屈辱を許せそうもないから、暴走したら止めてくれ!」
ダルシールは一息でそう言うと、ノックもせずに扉を開けた。
扉の先ではソファに座ったベルナルドに、ミラーナがしな垂れかかっている。その後ろに立つベルナルドの側近は、死んだ魚の目をしていて生気がない。
レオンハルトの手が剣にかかるのを、マイラが止めている間にダルシールはつかつかと進んでいく。
「ベルナルド王太子殿下の婚約者は、まだキュレーザー国第一王女殿下のはずです。これは立派な不貞行為として成立します。ここからは二国間の問題についての話し合いですよ? ユドル国の王女などお呼びではない!」
「何だ、お前! 従者の身分で、俺に意見するのか! 従者の分際でユドル国を愚弄するのか!」
ダルシールの勢いに押されながらも、ベルナルドもミラーナの手前いいところを見せようと頑張って虚勢をはっている。
(先にキュレーザー国を愚弄したのが、お二人なのは誰が見ても明らかですよ? それに、二国間の話にユドル国は不要ですよね? 不貞の当事者ですよ?
ベルナルド様、もっと優秀で国のことを考えられる方だったはずなのに……。後ろにいる魂が抜けたように口が半開きの側近も、きっとわたくしと同じ気持ちですよ)
「国同士の話し合いの場にミラーナ様を参加させるのであれば、それ相応の理由を説明してください。それにダルシールは従者ではございません。王太子殿下から正式に指名された代理人です」
マイラは静かにそう言うと、ニッコリと微笑んだ。
ベルナルドとダルシールのぶつかり合う火花が部屋で燃え上がっていたが、マイラの冷静過ぎる態度で一気に沈静化して寒いくらいだ。
ベルナルド抱き着くようにしがみ付き「マイラ様、こわぁい」と舌足らずに言ったミラーナに、ダルシールとレオンハルトとベルナルドの側近の舌打ちが飛ぶ。
ベルナルドもさすがに交渉前に分が悪いと分かったのか、ミラーナに甘い言葉を囁き部屋の外に出した。
(ベルナルド様が望む夫婦関係がこういうものなら、やっぱりわたくしには無理だ。今まで散々甘えられてきたベルナルド様に対して、甘えるという感情を持てるはずがないもの)
交渉の第一声はマイラだった。
「ベルナルド様、『婚約破棄』と『婚約解消』の、どちらがよろしいですか?」
当事者なのにも関わらず、まるで「夕食は肉と魚どっちがいい?」と聞いているような口ぶりだ。
自分の結婚がなくなる話なのに、やっぱりマイラは何事もなかったかのような笑顔を見せる。何の感情も籠らないマイラの深い瑠璃色の瞳に呑み込まれ、夜の闇に置き去りにされたベルナルドと側近は青い顔をしている。
ベルナルドは「こんなはずじゃない」とでも言いたげで、側近の「やっぱり……」と表情を失った顔には冷汗が止まらず流れ続けている。
凍ったように固まったままの二人が何も言わないので、ダルシールは婚約時に交わした契約に対する違反事項を並べ立てた紙を見せ、一つ一つ読み上げ始めた。
「……昨日の今日でこちらも準備不足ですので、国に戻り再度契約事項を確認して賠償や慰謝料の交渉を始めたいと考えています。その際にはクレイナル国には、それ相応の覚悟を持って臨んでいただきたい! 今日のところは、これが言いたかっただけですので。これで失礼します」
マイラとダルシールが立ち上がると、ベルナルドが青い顔のままマイラを見上げる。身体ばかり大きくなったが、マイラからしたら初めて会った時の十三歳の少年が縋ってきているようなものだ。
「……マイラは、嫁き遅れるが、いいのか?」
ここまでは馬鹿な弟に対する大人の対応だったマイラも、この言葉には流石に怒りがこみ上げた。
「言葉の意味を量りかねますが、このままベルナルド様に嫁ぐくらいなら、嫁ぎ遅れた方が幸せですね」
今まで見せたことのない怒りに燃える迫力の笑顔を向けられたベルナルドは、さらに固まったまま動けず、暫く無言のままその場に残っていた。
マイラとベルナルドの婚約が破棄され賠償問題も決着すると、マイラは一躍、大陸一の悪女に成り下がっていた……。
これには家族全員、キュレーザー国民みんなが腹を立てた。
特に元々ベルナルドとの結婚を快く思っていなかった国王以外の家族は、結婚を許した国王を責め立てた。歴代の王族が愛した家具や美術品が品良く並べられ歴史の重みが感じられる博物館のようなサロンは、国王家族が集まって悲惨な状況と化している。
王妃と第二王子と第二王女が国王を責め、王太子妃が王太子を責める。正に、地獄絵図。
マイラとベルナルドが婚約した際、国王は国益を優先させたが、娘を思う心も忘れず契約事項はかなり細かく設けていた。今回ベルナルドは、ことごとくその契約事項に違反をした。
逃げていたクレイナルの国王も出てきて少しでも自国の傷が軽く済むように嘆願してきたが、娘の誇りを踏み躙られた上に嫁き遅れにされたキュレーザー国王がそれを許すはずがなかった。
それは交渉を担当した王太子も同じ気持ちだ。追及の手をゆるめることなく取れるだけ、いや、取れる以上に搾り取った。
もちろんクレイナル国だけでなく、ユドル国に対してもだ。ユドル国唯一の金脈である鉱山の権利の大半を、キュレーザーのものにしたくらいだ。
こうしてマイラとキュレーザー国を馬鹿にした二国から搾り取り、国同士の約束を反故にしたベルナルドに婚約破棄を突きつけたのは、キュレーザー国のはずだった。
十五歳から七年間見守り寄り添ってきてくれたマイラを侮辱し、契約違反の限りを尽くした浮気者のベルナルドは世間から糾弾されるはずだった。
だが、世間の噂は、全くの反対となっていた。
まず最初に出た噂は、「浮気をしたのはマイラで、その浮気相手は護衛騎士であるレオンハルトだ」というものだった。
この二年ほどは王太子妃の妊娠と出産後の体調も思わしくなかったので、マイラが王太子のパートナーとして会議や夜会に出席することが多かった。国外も回っていたため、マイラと護衛であるレオンハルトが一緒にいる姿を目にした者は多い。そのせいもあって、噂は瞬く間に大陸中を駆け抜けた。
加えてキュレーザー国は二国から、これでもかと賠償を搾り取った。それも「悪女マイラはベルナルドを陥れたにも関わらず、クレイナル国とユドル国から必要以上に賠償を脅し取った」と勝手な話をでっち上げられる理由の一つになってしまった。
こんな卑劣な噂を捏造したのは誰なのか?
まず最初に頭に浮かぶのはクレイナル国だが……。これ以上被害を重ねたら間違いなく国は崩壊するというのに、私が犯人ですと手を挙げるような馬鹿な真似をするだろうか?
なら誰が? 何の目的で?
まぁ、誰が作り上げたにしろ『浮気者のマイラは愛想を尽かされ、ベルナルドに婚約破棄された。嫁き遅れとなった「氷姫」はそれに怒り、賠償金を搾り取った』という話が、大陸中でまことしやかに噂されている。
これが真実として広まってしまったのだから、キュレーザー国がいくら騒ぎ立てたところで焼け石に水。マイラの悪評が増えるだけだ。
だが、マイラにとっては人生を閉ざされたと言っても過言ではない事態。
(二十歳を過ぎたら嫁き遅れと言われる中で、二十二歳で婚約破棄となればまともな結婚は諦めないといけない。その上「浮気者で鼻毛一本だって残さずむしり取る悪女」という汚名を着せられている。もう、お先真っ暗だ。王女としては、完全に終わった……。
王太子妃のリラは十九歳だけど、王子を産んでる。妹のリーシェは二十歳で第二子妊娠中だ。一方わたくしは二十二歳で未婚。しかも悪女……。
これだけ悪評が立てば、国外で私を望む物好きはいない。国内は筆頭公爵家にリーシェが嫁いでいる手前、それ以下の家にわたくしを嫁がせることはできない。まさしく八方塞がりとは、この状況よね……)
王妃が年齢不詳の可憐な顔を悔しさで歪ませて、国王に向かって扇を投げつけた。バチンと痛そうな音がして、先端が国王の額に当たったのが見なくても分かる。だが、王妃はそれくらいでは怒りが収まらず、両手で膝を叩き続けている。
「あの糞野郎は最初っからマイラにべったりと甘え切っていて、絶対に駄目だと思ったのよ! 嫉妬深くてマイラに男を近づけるなとうるさくて仕方がないから、こちらだってそれなりの対応を取ってやった結果がこれ? 舐めているとしか思えない! 確かにあの土地もクレイナルの木材も魅力的だったけれど、無くてはならぬ物ではなかった……。あの時わたくしがもっと反対していれば!」
マイラは泣き崩れる母親を抱き起し、今回も家族の和解に奔走する。
「お母様はあの時も、これ以上ないほど反対してくださいました。国のために婚約を決めたのは、間違いなくわたくしです。国のために嫁ぎ、クレイナルとの関係を密接にすることはできませんでしたが、欲しいものはお兄様が取ってきて下さいました」
そうマイラが王妃を慰め王太子にフォローを入れれば、王太子妃が怒りを爆発させる。
「ランス様は、やりすぎたのよ! マイラ様を侮辱されて許せない気持ちは分かるわ! わたくしだって、ベルナルドを殺してやりたい! でも、怒りに任せて取り過ぎたことが、逆にマイラ様を追い詰める噂に繋がってしまったのよ!」
「待って、リラ! 貴方の気持ちは、とても嬉しいわ。でも、お兄様の取った行動は王太子として正しいわ。もちろん、兄としても正しい。こんな噂が出てしまったのは、わたくしに問題があったのよ。もともと『氷姫』なんて呼ばれて、周りからは距離を置かれていたんだもの。気が付いていたのに、そのままにしてきたわたくしの落ち度なのよ」
マイラが自分の失敗を恥じれば、今度は第二王子が怒りを露わにする。
「どうしてマイラはいつも自分の事を大切にしない? 王族として国のために身を捧げるのは当然なことかもしれないが、家族の前くらい本音を言ってもいいんだ! 誰よりも傷つけられたのはマイラなのだから、もっと辛いと叫んでいいんだ!」
(そりゃあ、ベルナルドのことは殴りたい。もっと早く言えよ! と怒鳴りたい。やって良いことと悪いことは教えたよね? と罵りたい。だけど何より、悪女のレッテルまで貼られるほどわたくしを嫌いになった理由を教えて欲しい。いや、教えろ! なんて言ったら、ベルナルド様を引き摺ってでも連れてきちゃうよね? だから言いません!)
「……わたくしが国にいると、キュレーザー国がいい笑い物になりますね。国に悪い印象がつく前に、わたくしは大陸から出た方がいいと思います」
国内に嫁ぐことが決まっていた妹と違って、マイラは未来の王妃として厳しく育てられた。そして、マイラは誰よりも王族としての役割を果たそうと努力し実行してきた。
だからこそ国民から最も愛されているのだ。そんなマイラを悪女だと思う者は、キュレーザー国にはいない。
だが、国民のその温かい気持ちが分かるからこそ、マイラは自分の存在が国を苦しめるのが許せない。王族として役立たずの自分が、国の恩恵を受けることを容認できないのだ。
マイラのその苦しそうな笑顔に、家族全員が言葉を失った。ついさっきまで怒鳴り声が響いていたサロンが、嘘みたいに静まり返っている。
一番早く立ち直ったのが国王だ。
「……我が国を、マイラを笑い者にする国があるのなら、今すぐ滅ぼそう。幸いにも搾り取った金が潤沢にある!」
「名案だわ! 今までの中で一番最高の決断よ!」
王妃が賛成の声を上げると同時に、全員が「これしかない!」という顔で一致団結している。
「待って! 待って下さい! それは駄目です! そんなことをして、傷つくのも痛みを受けるのも国民です。お父様は軽はずみすぎます!」
「出まかせの噂なんかによって、マイラが愛するこの国が傷つけられるはずがない! だが、マイラがそう思い国を出るというのなら、キュレーザーの国民たちは皆立ち上がって戦うだろう。私達も国民もマイラが大好きなのだから」
父親の言葉にマイラが涙を零すと、王妃も妹も義姉も抱き合って泣いた。兄達は国王を囲んで、マイラを助けられない悔しさを奥歯で噛みしめた。
読んでいただき、ありがとうございました。