16.悪女と呼ばれた王妃様
本編完結です。
本日二話目の投稿です。
「どうして兄上がそんな事をしたのかといえば、間違いなく俺のためだ」
ロスリーはハッキリとそう断言した。
「俺がマイラに心惹かれた時、兄上は一緒にいた。俺の気持ちに気付いていたんだ。そして俺がマイラを貶めた者を絶対に許さない事も、分かっていた……」
マイラがロスリーを振り返ると、今までの苦悩が分かるほどに迷い疲れ切った顔をしたロスリーがいた。
「俺が兄上を王太子から引き摺り下ろす理由を、兄上が自ら作ってくれたんだ。マイラのためだという大義名分を作り、俺に罪悪感が残らないようにしてくれた」
世間も王太子もロスリーにその座を奪って欲しいと願っている。しかし、ロスリーは兄を思うと、迷い踏み出せない。
マイラに恋する弟を見た兄が、ロスリーに一歩踏み出させるために仕組んだのだ。
「だが、マイラの悪評を広めたのが兄上だと知れれば、当然キュレーザー国が許すわけがない。俺は兄上を引き摺り下ろすだけでなく、処刑しなくてはいけない……」
悪評によってマイラが受けた傷は大きすぎた。
マイラの家族からすれば、悪評のせいでマイラはそれまでの人生を全て否定された。そして、未来までも潰され、不幸な結婚を強いられたとしか思えない。その上、サフォークのマイラに対するあまりにも酷い態度を考えると、キュレーザー国としては最も重い罰を与えても収まらないはずだ。
「兄上は自分が生きている限り、争いの火種になると思っている。最初から自らの命と引き換えにするつもりだったんだ。兄上の自己犠牲を前に、俺は、どうすればいいのか分からなくなってしまった。マイラを幸せにしたい。マイラに笑って欲しい。なのに、俺は何もできない。マイラを傷つける奴が許せないのに、一番傷つけているのが、俺だ……」
アーロンやシャナや貴族達など多くの者がマイラを傷つけようとした。だが、仲間がいたの事もあり、たいした傷にはならなかった。ロスリーから受けた傷以外は……。
「俺は兄上に憎まれこそすれ、断じて兄上の優しさに縋っていい人間じゃない。俺は、自分の欲で、兄上を殺しかけたのだから……」
自分に言い聞かせるように苦しみ吐き出した言葉は、真っ黒な蜘蛛の糸となってロスリーを捕らえて離さない。そしてマイラとロスリーの間にある数メートルを、そう簡単にたどり着けない距離にしてしまう。
「その事件が起きたのは、兄上が十五歳で俺が十一歳の時だった。当時の俺は、周りの大人の掌の上で転がされている事にも気づけない、優秀さを鼻にかけた馬鹿だった。兄上は王太子になりたくないとアピールするために勉強を嫌がっていた事にも気付けず、勝手に一人で対抗意識を燃やして兄上より賢い自分を吹聴していた愚かな子供だったんだ」
その頃を思い出したのか、ロスリーは自分の太腿を握り込んだ拳で殴りつける。それはまるで当時の自分へ向けているようで痛々しい。
「両親は兄上の気持ちを置き去りにして、兄上を王太子にする準備を始めた頃だった。だが、兄上の生い立ちや、本人の性格を危惧して反対する声が大きかった。それに加えてグレシア国の名家の出である王妃の実家の後ろ盾、何よりグレシア国とのより密接な関係を求めて、俺を王太子にと推す声が高まっていた。馬鹿な俺はそんな声に振り回されて、『王太子に相応しいのは自分だ』と言うようになっていた。そんな俺に、兄上は『うん、そうだね。僕もロスリーが相応しいと思う』と優しい笑顔で賛成してくれた。兄上は国の事を考えていたのに、俺は自分の事しか考えていなかったんだ」
ロスリーが自分の罪を告白する度に、部屋の空気が重く暗くなっていく。窓から広がる澄んだ碧い海でさえ、少しずつ濁っていくようだ。
「俺は自分の言葉の重さが、その時まで全く分かっていなかった」
ロスリーは苦しそうに、血にまみれてしまった自分の手に視線を落とす。
「俺を王太子に押し上げたい有力貴族が、俺の言葉を鵜呑みにした。人を使って兄上を暗殺しようとしたんだ。暗殺は失敗したけど、兄上は半死半生を彷徨った。暗殺を指示した貴族は、俺に『ロスリー殿下がこの国を背負うに相応しい。殿下がそう言ったんじゃないか! 私は殿下の命令に従っただけだ!』と叫びながら連行された。そう、俺は間違いなくそう言ったんだ。なのに、俺は処刑もされずのうのうと生きている」
(それは違う。罪から逃れたい汚い大人に、ロスリー殿下は利用されただけです)
「目を覚ました兄上が俺に言ったんだ。『なんだ、死ねなかったのか。ごめんな、ロスリー。次はもっと上手くやるよ。この国にはお前が必要だ』そう言って、死人のような冷たい手で俺の手を握ってくれた……」
「その時に、国に必要なのは、俺ではなく兄上だと分かった。その日を境に俺は、王太子という座からも国からも家族からも逃げた。何事にも無関心を装い、何でも諦めるようになっていた。それが俺にとって、一番楽な事だったんだ」
(だから、どうしてそうなるかな? お互いに相手を思い合っているのは分かるけど、二人共極端なんだよ。兄弟なんだから、もっとどうしたいのか話し合えばよかったのに)
「そうやって俺が全てから逃げ出している間に、兄上は王太子になった。俺のためだ。俺が兄上を殺そうとした事実を隠すために、兄上はあれだけ拒否していた王太子になったんだ。俺はどうしたら良いか分からなくなった。とにかく兄上の役に立たなくてはと、優しすぎて政には向かない兄上に代わってできる限り補佐をした。まだ俺を王太子に挿げ替えようと言う声が大きいことは知っていたから、俺は未婚のまま兄を補佐して一生を終えようと思っていた。その決断に何の迷いもなかった」
ロスリーのブルーグレーの瞳が、触れることさえ許されない大事な宝物を見るようにマイラを捉える。
「でも、マイラに出会った」
「何の起伏もなく時間だけが過ぎていくはずだった俺の日々が、マイラの事を考えるだけで色づいてしまう。マイラだけは、何を犠牲にしてでも手に入れたいと思った。他の奴の隣で笑っているなんて、想像もしたくもなかった!」
(そんなにも大変なことを乗り越えて、愛されていたとは思いませんでした……)
「ロスリー殿下のわたくしを見る目は、いつも優しくて温かくて、そして申し訳なさそうでした。ルーシャを送り込んでアーロン殿下達から守るだけでなく、ニーナ達の自立も手助けしてくれました。もちろん、この北の地もロスリー殿下の協力があったから、この短期間でここまで生まれ変わったのです。遠くから見守ってくれるのは、『愛せなくて、ごめん。でも見放した訳ではないよ』って意味だと思ってました」
ロスリーの瞳が見開かれ、どんどん顔が曇っていく。
「本当に申し訳ない。兄上の話や俺の今の状況を打ち明けようか悩んだ」
「そうですね。言って欲しかったです」
「でも今の話を聞いたら、マイラは自分が犠牲になろうとするだろう?」
「……………………」
「悪女のままでいいと言うだろう? 身を引こうとするだろう? 俺はそれが怖かった」
(誰かの命と引き換えにして、守りたいプライドなんてない。ロスリー殿下と王太子殿下の関係が、これ以上拗れるのなら身を引いて妻の座を明け渡した。今正に、そうしようとしていた所だし……)
「俺はマイラの事になると、手放したくなくて焦ってしまって周りが見えなくなるんだ。でも今は、マイラに相談しなかったことを後悔している。マイラとなら、お互いの意見を尊重して最善の道を見つけられたはずだ」
今まで過保護なまでにマイラを何重もの箱の中に、大事に閉じ込めていたロスリーの発言とは思えない。
(そう思ってもらえたことが嬉しい。ずっとぴったりと閉じた扉によって締め出されていたのに、その扉がいきなり全開して部屋に歓迎された気分)
「王太子の座を奪い取るべく動きながらも、兄上の行く末を思うと足踏みしてしまう日々だった。そんな時、マイラを守るために送り込んだルーシャが、マイラから伝言を預かったと言って怒鳴り込んできた」
『ロスリー殿下が国を背負う覚悟ができたなら、喜んでサフォークを去ります。わたくしは悪女として立派に生き延びますから、殿下はサフォークの未来だけを考えて行動してください』
「時期が来たらそう伝えてくれと願いを託されたルーシャは、怒りを爆発させて手が付けられない。マイラの言葉にショックを受ける俺がルーシャに責められている真っ只中に、執務室に兄上が現れた」
ロスリーが立ち上がり、窓辺に立つマイラに向かって大股で歩いてくる。
「兄上はマイラが自分と同じだと言った。『傷つけたくない守りたいと思うあまり、相手は蚊帳の外に出されている。それは大事な相手の気持ちを一切考慮せず、無視している事と何も変わらない。お前は俺との関係を、マイラでも繰り返したいのか?』兄上にそう言われてやっと俺は、自分が独りよがりだったんだと知ったんだ。兄上を可哀相だと思い、兄上を見下していた事にも気付いた。実際は兄上の方が数倍上手で強かだったのに」
ロスリーは「遠回りして申し訳ない」と言って、マイラのシルバーブロンドに躊躇いながらそっと触れる。
「兄上は王太子を俺に譲りたい。俺は王太子となってマイラとこの国を背負いたい。意見が一致した俺達は、マイラの助言通り協力することにした。兄上はもうとっくに準備を始めていて、側近を始め自分についている貴族達が俺と上手くやれるよう話をつけていた。後は俺の妻を狙う貴族連中とマイラの悪評だが、兄上は『辛くても半年待て。マイラが全て解決するから』と言って、強引に力技で解決しようとする俺を止めた」
「わたくしが、解決? 王都の貴族と全く関わってませんけど? 残念ですが、何もしていませんよ」
ロスリーは眼下に広がる碧い海と、茶色と灰色の崖を覆い尽くし始めている草木、少しずつ建ち始めた宿屋や商店が並ぶ港を指差した。
「これらは全てマイラが生み出したものだ。セルラード家を始めとした北の地が豊かになったのも、全てマイラがもたらしたものだ。サフォークにとってお荷物だった北の地を生まれ変わらせたマイラを、悪女だなんて言う者は城にもサフォークにもいない。だから、安心して城に戻って来て欲しい」
お願い口調だが、マイラは今、ロスリーの腕の中に囲い込まれて逃げ出せる状況ではない。
「マイラの悪評も多くの人達の協力で、偽りだったと証明された。俺のせいでマイラに悪女なんて演じさせて、本当に申し訳なかった。もう二度と苦しませたりしないから、俺の一生をかけて償わせて欲しい」
(話の流れとしてはそうなるのだろうけど、私からすると全く想定外の展開だ。嬉しいけど、どうしよう。開発に着手したばかりの港が心配だし……)
「あの、城に戻るのは、二・三年後でも構わな……」
「この土地は兄上が是非とも、今すぐにでも任せて欲しいと言っている。俺もマイラの信頼を得て、好きになってもらえる日が一日でも早く来るように、今すぐ頑張りたい」
ロスリーの真剣で熱い視線がマイラに送られるが、今までの事を思うと返事を躊躇ってしまう。
過去の七年とロスリーと結婚してからの一年。相手に望まれる妻になろうと努力したが、結果は酷いものだった。もうこんな思いはしたくない。そのためには、自分の意思で動かないといけない。
「自分を殺して、後ろで控えてフォローに徹するのはうんざりです。一緒に同じ未来を見させてもらえず、大事に閉じ込めておかれるのはもっと嫌です」
マイラはハッキリとロスリーに告げた。
ロスリーもマイラの言葉にしっかりと答えをくれる。
「俺は独りよがりになりがちだけど、これからは何でもマイラと話し合って決めていきたい。どんなに忙しくても、毎日顔を合わせて話がしたい。大事にするけど、もう大事にし過ぎたりしないから、俺の隣で、俺と共に一緒に歩いて欲しい」
マイラの欲しかった言葉を次々と与えてくれるロスリーは、とどめにと片膝をついてマイラの手に触れた。
「マイラを愛しているんだ」
そう言うと、マイラの手の甲にキスを落とした。
マイラは小さくうなずくと、幸せそうに微笑んだ。
サフォーク国の北の港町は、今日も船の出入りが激しい。国の主要な貿易の場であり、花の栽培と養蚕の地であり、国で最も人気のある観光地でもある港町の名前は『マイラ』。
北の地を豊かな笑顔溢れる土地に生まれ変わらせ、サフォーク国を大きく発展させた王妃様の名前など、本来であれば恐れ多くて呼べるはずもない。
だが、その王妃様は国民に寄り添い、誰よりも国民から愛された。だからこそ敬意を込めて、その名前を呼ぶ。この先もずっと『マイラ』が残した功績を忘れないためにも。
『マイラ』の海が一望できる丘には、今年も深い瑠璃色の花とブルーグレーの花が咲き乱れている。海から海を見ているような景色は、港町マイラを語る上で外せない観光名所だ。
今日も他大陸から避暑で訪れた家族が、丘の花畑から海を一望している。
「マイラにお花はたくさんあるのに、どうしてこの丘にはこの二つの色だけなの?」
十歳にもならない娘が、不思議そうに父親に尋ねている。
「『マイラ』はね、それはそれは美しく聡明な王妃様が作った街なんだ。そんな街のみんなが愛した王妃様を、王様が奪おうとした。街のみんなは、そんな身勝手な王様を許さなかった。王様は王妃様が大好きで仕方がないのに、街のみんなは許してくれない。困った王様は街のみんなに『マイラを必ず幸せにする』と誓って、ここに王妃様と王様の瞳の色の花を植えた。丘にこの二つの花が咲くのは、王様の誓いの証であり、王妃様が幸せである証なんだよ」
「その話、知ってるよ? 『悪女と呼ばれた王妃様』でしょ? ミアはそのお話大好きで、何回も読んだよ! 王妃様は王様に愛されて幸せな一生を送るんだよ!」
幸せな王妃様と王様のお話は、みんなの笑顔となって今日も明日へと語り継がれていく。
終わり
読んでいただき、ありがとうございました。
本編完結しました。
番外編(アーロンと王太子)を二話投稿予定です。本編の補足になりますので、完結しましたが、読んでいただけると嬉しいです。