13.北の離宮に馬鹿が来た①
よろしくお願いします。
「マイラ様! お昼ですよ! 休憩しますよー」
白熱していた話し合いが、アンナの声で中断した。「お昼だ」と言われると、急に空腹を感じてしまう。空腹を忘れるほど集中してしまい、昼はとっくに過ぎていたのだ。
「本当だわ。私ったら時間を忘れてしまって。お昼を食べてから、また再開しましょう。自慢の料理をお出ししますので、たくさん食べて下さいね」
ニッコリと微笑むマイラを前に、説明に来てくれた養蚕事業者の二人は骨抜き状態だ。
マイラが北の離宮に来て半年が経っていた。
王族としての荷物を卸し、肩の力が抜けたマイラの見た目は少し丸くなった。それを証明するのは村人達だ。
マイラが北に着いた当初の村人は、王子妃という身分の高さよりもその美しさに圧倒されていた。凍り付くような気高さに、誰もが遠巻きに見ているしかできなかった。だが今では誰もが、マイラに気軽に話しかけてくるようになっていた。
というのも北に来てからのマイラは、離宮にこもる事がない。日々外に出て村人と交流し、離宮も地域に開放している。王族というより、領主に近いのかもしれない。
村の行く先が見えずため息ばかりだった人達が、マイラの見る未来を夢見て立ち上がり協力するのに時間はかからなかった。
村に来てまだ半年しか経たないマイラが、くすんだ色の寂れた村を鮮やかな色に塗り替えていく。その信じられない光景を目にして、ワクワクと胸躍らせない村人はいない。
離宮の食堂だってマイラが作ったものの一つだ。港があり魚介類が採れるのに、食堂一つなかったのだ。「それじゃもったいない!」と無駄に広い離宮の食堂を解放したところ、料理を目当てに港を訪れる者が増えた。そのおかげで、今では中庭にテラスを作るほどの広さになっている。
いつも人で溢れて賑やかな離宮の食堂は、今日は特に賑わっていた。
「おう! 先に食っているぞ!」
食堂ではマイラの願いで自領から養蚕業者を連れて来てくれたレオンハルトが、ソドムの料理を口一杯に頬張っている。最強の戦士らしいスピードで大きなお皿を次々に平らげていく。
王都で店を出す予定だったソドムは、マイラと一緒に北に来ていた。
「店を出せるのは嬉しいけど、それよりも大陸を超えて色々な国を回って、その土地の料理を学びたい。そのための資金は働いて貯めたい」
そう言ったソドムはマイラに語学を習いながら、離宮の料理人として働いて資金をためることにした。ソドムの料理の大ファンであるマイラにはありがたい話だし、離宮の食堂が大人気なのもソドムの料理のおかげだ。
レオンハルトと向き合って座るマイラの瞳に、穏やかに波打つ美しい海が広がる。テラス席からは海が一望できるのだ。
離宮のある場所は、サフォークの最北端にある小さな港町だ。この場所は王領であって、セルラード領ではない。だから今までは誰の手も入らず、村人が細々と暮らしていただけで廃れていく一方だった。誰からも見放された土地と化していたのだ。
だが、わざわざ離宮を建てただけあって、この場所から臨む海の碧さは素晴らしい。
しかし、何十年も放置されていた港町は、剥き出しの茶色い崖と灰色の岩だらけで、薄汚い印象しか残らない。
寂れて見放されたこの地が自分の様に思えるマイラは、美しく心温まる場所に生まれ変わらせたいと考えた。
綺麗な碧い海や夏でも比較的涼しい気候と、ソドムの考案した魚介料理は人を呼び込める。それに加えて、ジュードの花があれば貴族達のバカンスの場になるとマイラは早々に準備を開始した。
ジュードの働きで色彩豊かになった港には、他大陸からもマイラが宣伝した村の名産を求めて人が集まるようになり、商店も一気に増えて賑やかになった。
自分達が考えもしなかった事を始めるマイラに、セルラード家や村人は驚かされるばかりだ。だが当のマイラは、この土地から発生するお金だけで生きていけるよう抜け目なく事業を進めていく。その頑張りによって、産業もなく寂れる一方だったこの土地が生まれ変わるのは早いだろう。
今日もマイラを一目見ようと漁師が魚を持って離宮にやって来た。市場に買いに行かずとも、新鮮な魚料理がテーブルには並ぶのはありがたい。
別荘地の整備や花の栽培といった業者も多くやって来ているため、離宮の食堂は連日大繁盛だ。それに大繁盛の理由は、上手い料理だけではない。漁師同様に、美しく朗らかなマイラを一目見ようと人が集まるのだ。
村民から声をかけられる度に穏やかな笑顔で答えるマイラを見て、レオンハルトはホッとしていた。
誇り高い王族として教育されてきたマイラが、王族としてのプライドを踏み躙られ北の離宮に押し込められたのではないかと心配していたのだ。押し込められた以外はその通りだった訳だが、思いの外マイラが生き生きとしているので今は安心している。
いや、今は別の心配をしている。
住民との距離が近い事を、マイラが望んでいるのは理解できる。だが、危険も伴う。マイラは美し過ぎるのだ。レオンハルトが護衛をしていた頃だって、マイラに憧れるあまり近づこうとする者、襲おうとする者、攫おうとする者が後を絶たなかった。全てレオンハルトが返り討ちにし、二度と同じ真似ができないようしっかりとお仕置していたのだ。
「この土地は大きくなるだろうから、(主にマイラに)警備が必要になる。私が滞在して指導できるようになればいいのだが……」
マイラの護衛は簡単ではない。腕が立つことは当然として、何より護衛本人にマイラに手を出さない精神力が求められる。
猛者を相手にすることを想定すると、女性騎士では少々実力不足だ。男が護衛になるのなら、レオンハルト自ら邪な心を削ぎ取っておきたいところだ。
だが、辺境の軍隊にいざこざはつきもので人手不足は否めない。軍の要であるレオンハルトが長く席を空ける訳にはいかないのだ。
「聞いたわ。レオンったらまた騎士を再起不能にしたらしいわね?」
「私と結婚し、我が辺境伯軍を手に入れようとする野心家が後を絶たん! とりあえず全員のお手並みを拝見してやっているが、全く根性無しで参っている。私に勝てないくせいに、我が軍に有益な能力や情報だってもたらせない男ばかりだ。そんな奴等ばかり集まってくるから、本当にうんざりしているよ」
タイラー家は辺境伯と言えど、国の要所を守る最強の軍隊だ。公爵家以上の権限と潤沢な資金がある。腕に自信がある者が、権力を夢見てレオンハルトに挑み、散っていくのだ。タイラー家としたら直系の血縁を残したい所だろうが、レオンハルトのお眼鏡にかなう者が出るのは難しそうだ……。
タイラー家を案じてマイラがため息をついていると、アンナがさっきとは打って変わった青い顔で走り寄って来た。その只事ではない気配に、マイラとレオンハルトの表情も険しく引き締まる。
アンナは二人にだけ聞こえる小声で、「何の連絡もなくアーロン殿下がいらっしゃいました。お客様を連れています」と告げた。アンナの表情はレオンハルトが兵士としてスカウトしそうなほどに、怒りに満ち闘志が剥き出しだった。
マイラが離宮に来たばかりの応接室は、部屋一面が灰色一色で窓も少なく、まるで地下牢にでもいる気分にさせられた。マイラはそれが嫌で、壁をぶち破り大きな窓を並べ光が入り込み、海が一望できる明るい部屋に生まれ変わらせたのだ。内装も明るい色調の物で揃え、ソファは窓から見える海と同じ色だ。
そのお気に入りの澄んだ海色のソファに、アーロンとベルナルドが並んで座っている。こんな事態は想像もしていなかったマイラは、ため息しか出ない。
(二人が来るなら地下牢のままでよかった……)
相変わらず失礼が服を着て歩いていようなアーロンは、挨拶もなく皮肉が始まった。
「殊勝にも離宮に行くって言うから心配していたのに、噂の護衛兵を引っ張り込んで浮気三昧か! さすがに悪女は違うなぁ」
レオンハルトは騎士として来ている訳ではないので、帯剣はしていない。だが足元に隠した短剣に手が伸びるのを、マイラが目でたしなめた。
嫌味が止まらないアーロンを諫めたのは、意外にもベルナルドだった。
「それは違う。レオンハルトは、女性だ」
青い目を丸くしてレオンハルトを見るアーロンに対して、「そんなに気になるなら、脱いでみせましょうか?」とレオンハルトは小馬鹿にしたように揶揄った。
真っ赤になったアーロンはそれを隠すように、ベルナルドに突っかかる。
「ベルナルドはそれを知っていて、マイラが浮気したという噂を肯定したんだ。やるねぇ、そんなにこの悪女が嫌いだったんだ! 十五歳から無理矢理婚約しておいて、二十二歳で捨てるって計画的だもんな。悪女に何をされて憎んだのか知らないけど、そのおかげで兄上が貧乏くじ引かされたんだよね?」
自分のしたことをマイラの前で改めてぶちまけられたベルナルドは、泣き出しそうな顔でうつむき「違う……」と聞き取れないほど弱々しい声を出した。
「俺はマイラを離すつもりはなかった! 本格的に執務をこなすようになると、今まで以上にマイラの優秀さが分かったんだ。父上も側近も議会も俺には一切期待せず、どいつの顔にも「マイラが来れば何とかなる」と書いてある。見返したくて必死に努力したけど、どうしたって俺ではマイラに敵わない。自信を失っていた時にラーナが俺のことを「すごい!」って褒めてくれるのが嬉しくて、そのお礼にドレスとか調子に乗って贈ってしまった。マイラならそんな俺の気持ちを汲んで、きっと許してくれると思ったんだ。それなのに、婚約破棄か婚約解消かどちらかを選べと言われて……」
アーロンでさえ、ベルナルドの発言に呆然として言葉を発せられない。
だが、ベルナルドは捨て犬のように縋る目でマイラを見ている。いくらマイラでもこの駄犬を拾う気にはなれない。
「……え? クレイナルもユドルも瀕死の重傷だぞ? それだけの事をしておいて、お前……」
アーロンは怪しい生物にでも会ったような顔で、ベルナルドから距離を取ろうとソファの端に逃げていく。
未だに自分のした事の大きさに気が付けないベルナルドを前に、マイラは自分の七年間を虚しく思った。
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