11.嵐のような出発前日①
よろしくお願いします。
「アーロン殿下、わたくし達、とぉっても忙しいのですがっ!」
ルーシャの怒りなどお構いなしで、アーロンはのんびりと「茶も出ないのか?」と催促してくる。いつも通りの偉そうな態度にルーシャの怒りは頂点に達し、紅茶の代わりに熱湯でもぶっかける勢いだ。
北の離宮に行くのを明日に控え、準備に忙しいマイラの私室にアーロンが何の前触れもなく現れたのだ。
それでなくても時間が限られていて、荷物の準備以外に執務の引継ぎだってある。勝手な訪問は困るのだが、アーロンは遠慮する気が一切ない。
「せっかく俺が来てやったのに、この俺をほったらかしで荷物の準備をしているのはどうかと思うぞ。どんなに忙しくても、座って相手するのが常識だろう?」
「生憎、悪女に常識は通用しないのです!」
作業の手を止めたマイラが仕方なく前に座ると、アーロンは何故か急に少しだけ寂しそうな顔を見せた。
「本当に明日、行くのか?」
「わたくしが出て行った後は、アーロン殿下がこの部屋を使って下さって構いませんよ?」
そう言ってマイラが揶揄うと、アーロンは「使うか!」と真っ赤になって怒っている。
「お前が俺のことを男好きみたいに言うから、女だけでなく男からも距離を置かれるようになったんだぞ! 誤解くらい解いてから行けよ!」
マイラが食堂で言った言葉はあっという間に城を飛び出し、国中に広まったのだ。いや、もしかしたら大陸中かもしれない。
「良かったじゃないですか。今ならこの部屋に引っ越してきても誰も止めないかもしれませんよ?」
クスクスと笑うマイラに、アーロンが珍しく真剣な顔を向ける。
「……お前、城に戻らないつもりか?」
「知っての通り、わたくしが側にいるのは、ロスリー殿下にとって損害にしかなりませんから」
散々アーロンに言われてきた言葉を返してやれば、さすがに何も言えなくなって、むっとした顔で紅茶を飲んでいる。
(アディリア様の言う通りで、アーロンは悪い奴ではないのよね。良い奴でもないけど……。まぁ、シャナ様と比べたら言葉だけで悪意が少ない分、今となれば文句を言い合う中だしね。憎めない奴ではあるわね)
「兄上には伝えてあるんだろうな?」
「いくらロスリー殿下がわたくしに興味がないと言えど、書類上は夫婦ですから。きちんと伝えましたよ?」
マイラはアーロンに言われてきた嫌味の数々を、これが最後とばかりにしっかりと返していく。
「お前は本当に根性が悪いな! アディリアみたいに可愛げがないから、兄上の興味が引けないんだ!」
その言葉にマイラの心臓がグッと締め付けられる。「興味を持たない相手だからこそ、名前だけの妻に選ばれたのですよ」とは、さすがに言えない。
「本当に全部アーロン殿下の言う通りでしたね。それだけロスリー殿下のことを理解しているのですから、フラフラしていないでもっと力になって差し上げて下さいね」
そう言われたアーロンは、ふいっと顔を背ける。
「兄上は俺の助けは望んでない。俺が兄上につけば、次期国王を巡っての均衡が崩れるからな……」
この国は、こればかりだ。王太子がいるにも関わらず、第二王子を次の王へと望む。こんな歪んだことばかり言っているから、国が落ち着かないのが分からないのだ。
残念ながら王太子の能力は低いし、そのせいなのか周りから軽んじられているように見える。国の未来を思えば、優秀な者に舵取りを任せたいと思うのが当然の心理だろう。だが、ロスリーは必要以上にそれを拒んでいる。まるで逃げているようにさえ見えるのだ。
この悪循環が続く限り、本来の意味での平穏は訪れない。
マイラの苛立ちを感じたのか、アーロンが弁解を始めた。
「王太子と兄上の仲が悪い訳ではない。お互いに痛々しいほどに気を遣い合っている。兄上は王太子の影として生涯尽くすつもりだ。ただ、王太子の能力が低いから、兄上の優秀さが目立ってしまい『影』にならない。だからこそ、兄上を王太子にという声がいつまでたっても消えない。消えないどころか日増しに高まり、兄上は通常業務に加えてその火消しにも奔走している」
「王太子殿下は、シャナ様を娶った時点で継承権を放棄しているように思えますけど……」
「普通に考えれば、そう思うよな。俺も王太子と兄上の間に何があったのかは知らないけど、二人以外に踏み込めない何かがあって教えてもらえない」
(それは何なのだろう? 私なんかが気にすることも許されない話なんだろうけど……)
「でもまぁ、兄上の気が変わって国を背負うことになったら、一番邪魔なのはお前だな。醜聞にまみれた悪女なんて国の評判を落とすだけで王妃には相応しくない」
「ロスリー殿下が心をお決めになられたのなら、わたくしはいつでも身を引きます。国内の情勢を整えることが最重要課題になるでしょうから、王太子妃にはサンダース公爵家が一番相応しいと思います」
マイラはロスリーとサフォーク国の未来を考えて真剣に考えて言ったのに、アーロンは胡散臭そうな目を向けてくる。
「どうせまた、サフォークからも搾り取る気だろう?」
「キュレーザー国の評判を保つ程度には、取らない訳にはいきませんね。でも、ロスリー殿下が問題なく国を動かせるよう、見せかけにするようにと家族には伝えるので安心してください」
アーロンはニヤリと笑うと「言質取ったからな! 忘れるな!」と言って帰って行った。
隣の部屋を片付けながら聞いていたアンナとルーシャは、アーロンの言動に怒り心頭だ。
アーロンにはすっかり慣れたマイラは怒りに震える二人を宥め、アンナには自分の出発準備をするよう指示を出してその場を収めた。
アンナと一緒にルーシャも出て行こうとするのを、マイラは「ルーシャに話があるの」と言って部屋に引き留めた。
何を言われるのか嫌な予感しかしないルーシャは、恐る恐るマイラを見る。視線の先にいるマイラは、スッキリとした顔でルーシャに向かって微笑んでいた。
「わたくしを支えてくれた仲間の中で、今後が決まっていないのはルーシャだけね」
「わたくしはマイラ様と共に、北の離宮へ向かいます!」
本気でそう思ってくれているルーシャに、マイラは首を横に振って応えた。
ルーシャは二つ年上ということもあり、マイラにとってはは姉のように頼りになる存在だった。マイラの使用人達の中で唯一執務を手伝ってくれているルーシャとは、常に行動を共にしていて一番近い存在であるのは間違いない。
「北に行ったら、わたくしは北の土地の人達と一緒に、生活を共にして生きていくつもりです。わたくしには不要となった王族の肩書は、もう捨てるつもりよ」
王女として生まれたマイラは国を背負えるよう強く、国のために犠牲になれるよう潔く生きろと言われてきた。だからこそ自分に問い質す。「果たして今の自分は王族と名乗るに相応しいのだろうか? 跡継ぎも望まれず、妻としての役割は夫の足を引っ張る事だけなのに……」と。
(わたくしは王族と名乗り、その恩恵を受けるに値しない)
「ルーシャが側にいて、いつもアーロン殿下やシャナ様から守ってくれました。面倒な貴族からの攻撃もかわしてくれましたね。わたくしが今笑っていられるのも、新しい土地でやり直せるのもルーシャのおかげです。ですが、これからのわたくしは、そういう人達と付き合うことはありません。ルーシャを通して、ロスリー殿下に見守ってもらう必要はないのです。わたくしはもう大丈夫ですから、貴方は自分の居場所に戻ってください」
ルーシャは優秀過ぎて鼻につくとシャナの家庭教師をクビにされた。
確かに優秀過ぎて家庭教師にはもったいない人材で、だからこそマイラは執務を手伝ってもらっている。
文官になれば国の中枢でもやっていけると勧めようと思っていた時に、何だか懐かしい誰かに雰囲気が似ているなと思った。それが二番目の兄であるローネルだと分かった時、一気に全てが繋がった。
ルーシャはロスリーが送り込んでくれたマイラの守り人だったのだ。
ローネルのような雰囲気なのは、ルーシャの本職は諜報活動だからだ。それならば冷静沈着なのも人脈が広いのも優秀なのも足音がしない時があるのもうなずける。
(ロスリー殿下がわたくしを心配してくれているのは嬉しい。だけど、わたくし達二人の間には、人を介さないといけない距離があると思い知らされる。
それだったら放っておいてくれた方が、よっぽど優しいと思う。下手に手を伸ばしてくれるから、つい期待してしまう。それなのに、こちらがその手を取ろうとすると、引っ込めてしまうのだから残酷だ)
冷静で普段は手厳しいルーシャが、目に涙を浮かべて懇願する。
「確かにわたくしはローネル殿下の部下です。騙すような形になってしまい、本当に申し訳ございません。信じてもらえないとは思いますが、今のわたくしは身も心もマイラ様の仲間です。これからもマイラ様にお仕えさせてください。お願いします」
頭を下げるルーシャの肩に手を置いたマイラは、「頭を上げて」と優しく声をかける。
その声に引き上げられるように顔を上げたルーシャに向けられていたのは、マイラの穏やかな笑顔だった。
「わたくしはルーシャに感謝していて、怒ってなんていないわ。それに貴方のことはずっと信じていたし、これからも信じている。だからこそ、ロスリー殿下の下に戻って、貴方にしかできない仕事をして欲しい。ロスリー殿下を支えて欲しいの」
「マイラ様を苦しめるあの馬鹿の下には帰りたくありません」そう言いたいのに、言えない。マイラがロスリーを支えたいのに、できないから自分にその役を託しているのが分かるからだ
。
「ルーシャをわたくしの下へ送って下さったロスリー殿下には、本当に感謝しています。貴方はわたくしにとって、姉であり友人のような存在でした。だから最後に、貴方にお願いがあります」
マイラはルーシャにしかできないお願いを、一つだけ託した。願いを託されたルーシャは、「力及ばず、申し訳ございません」と言って泣き崩れた。
読んでいただき、ありがとうございました。
まだ続きますので、よろしくお願いします。