婚約者の浮気を見て倒れたら、王太子から求婚されました
エルーシア・シャンタル公爵令嬢。黒の艶やかな長髪に、黒い瞳、美しい顔立ちの彼女は今日もため息を吐く。婚約者であるルシアン・レオポルド侯爵令息の浮気が原因だ。
ルシアン・レオポルド侯爵令息。輝く金の髪に緑の瞳。文武両道で誰にでも優しい誠実な彼は、しかしエルーシアの前では無口で無表情なのだ。そんな彼は、貴族の子女の通う学園で平民の女性と恋に落ちた。
ナタリア。平民なので姓はない。美しいストロベリーブロンドの髪に青い瞳の、世にも珍しい光属性の魔法を使える優しい美少女だ。聖女候補として、平民でありながら特別に学園に通っている。
そんなルシアンとナタリアの浮気は、しかし愛し合う二人の純愛物語として持て囃された。そしてそんな二人を引き裂く悪役として、エルーシアは悪口を言われ続けた。エルーシアはため息を吐くしかできなかった。
そんな中で、学園の中庭で抱きしめあいキスを交わすルシアンとナタリアを見つけてしまったエルーシアは、精神的なショックを感じてその場で気絶してしまう。目覚めた頃には医務室のベッドの中だった。
「医務室…私、倒れて…?」
「やあ、可愛いお嬢さん。目が覚めたかい?」
「…王太子殿下!?」
がばっと起き上がろうとするエルーシアをそっと寝かせるのは、パトリック・プロスペール王太子。エルーシアはどうして、なんでとパニックに陥った。
「ごめんね。あの不埒な浮気者共を見て倒れた君を放っておけなくて、申し訳ないけど僕がここまで運んだんだ」
「え!?す、すみません!」
「いいんだよ。気にしないで?」
なんて優しい方だろう、とエルーシアは思う。ルシアンとナタリアのせいで友達がいない、学園でも学園の寮内でも独りぼっちのエルーシアは、パトリックの噂を全く知らなかった。
パトリック・プロスペール。プロスペール王国の王太子であり、銀髪に赤い瞳の彼はしかし、女嫌いで有名だった。もちろん王太子としての振る舞いを心得ている彼はなるべくそれを隠して無難な態度を取るが、内心自分に言い寄ってくる彼女達に辟易していた。そしてご令嬢方はいつからかパトリックの本心に気付き近寄らなくなっていた。そんなパトリックが女性を気にかけるなど初めてのことで、パトリックはエルーシアのことを好きになったのではないかと瞬く間に噂が広がった。
ーそして、それは本当であった。
エルーシアは完璧な令嬢だ。淑女として身につけておくべき教養を次々と吸収しており、その微笑みは女神のように優しい。そんな完璧な彼女がポロポロ涙を流して倒れ込んだのを見た瞬間に、パトリックは初めて女性を愛おしく感じた。
そしてわざわざ自らエルーシアを医務室へと運んだ。自分とエルーシアのことが噂になるようにだ。それは外堀を埋めてエルーシアを手に入れるためにだった。
「ところで、エルーシア嬢。あの浮気者はどうするつもりかな?」
「どう…とは?彼は婚約者ですし…」
「…別れたいとは思わないのかい?報復は?」
「ほ、報復!?」
穏やかではないパトリックの言葉に、エルーシアは驚いた。そんなエルーシアを見て、パトリックは益々エルーシアに惹かれる。なんて心の美しい人なのだろう、と。
「でも、婚約は解消した方が良い」
「お心遣いありがとうございます。でも、今から新しい方を探すなんて…」
金持ちの後妻になれたら幸運、というレベルだ。
「おや、目の前に婚約者が決まっていない優良物件がいるだろう?」
にっこりと微笑んだパトリック。エルーシアは内心パニックになる。
「いや、あの…え?」
「僕と婚約していただけませんか?」
跪き、エルーシアに愛を乞うパトリック。ベッドで寝ているエルーシアの左手をそっと取り、指輪をはめた。
「え、なんでぴったり…」
「ふふ」
笑うだけで教えてくれないパトリックにエルーシアは引きつった笑顔を向けるしかない。
「あの、でも、王太子殿下。私なんかじゃ…」
「なんかなんて言わない。君は公爵令嬢で、ルックスも良いし、教養だってある。しかも優しく控えめで可愛らしい。君はこれからは僕が守るから、どうか受け入れて?」
「でも…」
「君のご両親は僕が説得するから。ね?」
「…はい」
にっこり笑うパトリックにもはや何も言えないエルーシア。エルーシアは、思う。これがパトリック以外なら、この場できっちりとお断りしたのに、と。だって、傷心した女性に手を差し伸べて婚約破棄を唆し、自分のモノになれと言うのだから。
けれど、それでもいいかと思えた。パトリックが欲してくれるのなら。私が誰かに必要とされるなら、と。そして、その自分の思考に気付いた時…パトリックのことを悪く言えないなぁと思っていた。
その後、すぐにエルーシアとルシアンの婚約はなかったことになった。婚約破棄でも婚約解消でもなく、なかったことに。
ルシアンはその後聖女として認められたナタリアと結婚した。しかし、結婚した瞬間からナタリアは本性を見せた。彼女はヒトの男を奪うのが大好きな略奪好きだった。何故彼女が聖女なのかと泣く女性多数。さすがにルシアンも彼女を愛する自信がなくなった。
しかし、王太子であるパトリックからの命令で離縁は出来ない。自分はなんてバカなことをしたのかと落ち込んでいても、どうしようもなかった。そして仕事すら手につかなくなったルシアンは、とうとう廃嫡された。侯爵家は弟が継ぐ。弟も弟の婚約者も素晴らしい人格者だ。この二人なら問題ないだろう。
ルシアンはヒステリックに怒るナタリアを連れて中央教会に向かった。ナタリアを聖女として保護して、民のために力を使わせてくれと。自分のこともナタリアの侍従として雇って欲しいと。二人は中央教会に迎え入れられ、ルシアンはナタリアを支えることに人生を費やした。ナタリアは、ルシアンの子供を授かることすら出来ないと毎日泣いて過ごすことになった。
エルーシアとパトリックも、ルシアンとナタリアが結婚する少し前には結婚した。今日もパトリックはエルーシアを溺愛する。
「シア、そろそろ休憩しようか」
執務を行うエルーシアにそう声を掛けてパトリックはにっこりと笑った。エルーシアが素直にパトリックの元へ行くと、パトリックはエルーシアの頬にキスをする。
「愛してるよ、シア。君はまるで美しい妖精のようだ」
「もう、パトリック様ったら…」
「君を喜ばせたくて、実はこんなものを用意してみたんだ。どう?」
「まあ!パトリック様、これは魔法石ですか?すごいです!」
「ああ。僕の魔力が注がれているから、必ず君を守ってくれるよ。身につけていてね」
「はい、パトリック様!」
この頃にはエルーシアはパトリックを愛するようになっていた。毎日が幸せに感じるようになった。二人の間の甘い雰囲気は、子供が出来ても、孫が出来ても変わらなかった。二人は世界一の幸せな夫婦、と呼ばれるほどおしどり夫婦として有名になっていた。