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第九話 寝子丸、死が迫る!

「ここっぽいな」


 休楽くんが手に持っている地図と目の前の建物を見比べて言った。長い道のりを経て、僕たちは艱難辛苦退治の依頼を受けた、本日一件目の家に辿り着いた。


 さっさと浄化してやるぞと気合いを入れ、表情も凛々しめに行きたいものだが、景色に目を奪われてそうもいかなかった。

 立派な民家で、庭が広い。僕たちは敷地内に足を踏み入れた。


「へえー、広い(うち)だなー。見ろよ池もあるぜ」


 休楽くんが指した方に僕と癒咲くんはわくわくしながら目をやる。


「本当だ! すごい!」


 近寄ってみると、岩に囲まれた池の中に鯉が泳いでいる。今日は天気が良いから水も鯉も光って見える。岩に生えた柔らかそうな(こけ)の黄緑色も綺麗だ。すずながこういう綺麗なものが好きなのも分かる気がした。


「金持ちなんだなー」と癒咲くんも腰に手を当て、家の庭を見渡している。庭の中には蔵もあるようだ。普段なかなか見ることの無い裕福そうな家の庭に、僕らは大興奮。


「っと、いけねえ。お前ら気合い入れて行くぞ」


 何かの試合前のように休楽くんが切り替え、僕らは「おう」と返事をして、再び玄関へ向かって石畳を歩いた。


 僕も癒咲くんも疲労が回復してこんなに元気なのは、さっき同中にあった茶屋で休憩してきたばかりだからだ。ほうじ茶は温かくて団子は美味かった。いや、団子を食べたのは僕だけだったろうか。


 玄関の前に来て、僕はふと違和感を覚えた。


「なあ、でも艱難辛苦の気配がしないな」


「気配を消せるくらい強ェ敵ってことか」


 休楽くんがニヤリと笑い、腕が鳴るぜと言わんばかりに斧を持ち変えて構えた。


「そうだな、警戒していこう。とりあえず俺が家の人と話してくる。二人は外を見ておいてくれ」


 癒咲くんが言い、僕らは「了解」と声を揃えた。ガラガラと戸を開け「ごめんくださーい」と言って家の中に入って行くのを見届けた。癒咲くんはだいたいいつもこんな役回りだ。


 成長した艱難辛苦の中には、こうして殺気を感じて、見つからないため気配を消す頭の良いやつも存在する。しかし気配は消せても姿はそのままなので見つけたらこっちのもんなのだ。僕はこんなことをできるやつらがいることを今まで忘れていた。


「なあ、忘れていたよ。気配を消せるやつもいるんだったな」


 横を向くと、休楽くんはどこから敵が出て来るのかと辺りを見渡している。集中しているんだろうがニヤつき顔はそのままだ。


「ああ、おまえは引き寄せるんだもんな」


「まあな」とだけ返し、自分も艱難辛苦がどこにいるのか探そうと体の向きを変え、手に持った弓を構えた。休楽くんとは背中を向けて立っている。


 今はこの二人と艱難辛苦を浄化するために来ているから、向こうは殺気を感じて気配を消す。どうやらその性質が、今は僕の引き寄せる体質を上回っているようだ。これはなんだか解放されたようで気分が良いかもしれん。


「だけど、君たちといる時は引き寄せないのかもしれないな」


 そう言って青い空を見上げた矢先、大きな影が視界を覆い尽くした。


「えっ!」


 避けるのが間に合わず、何かに押しつぶされ、体は石畳の上にドンと倒れた。打った頭がジリジリと痛い。体を覆うように柔らかく大きな物体が乗っかり、それはドプンと揺れた。


 なんだこれ、まさか、艱難辛苦かーー!?


 休楽くんが僕の名前を呼んだ気がした。気がしただけなのは、体を包み込むほどの大きさの艱難辛苦が上から覆っているため、外からの音をほとんど通さないからだ。


 ここまで密着するのは初めてだ。完全に油断していた。

 しかしなんだこれ、全然引き寄せるじゃないか!

 さっき立てた仮説は見当違いだったらしく残念でならない。やはり僕の体質は二人と居ても発動するんだ。


 とにかく一度退かそうと、腕をあちこちに振り、足を空に向かって蹴り、全身を動かそうとした。……しかしダメだった。


 い、いぎゃっ………!!?


 腕や足を動かそうとすると、粘性の強いその体に皮膚が持っていかれそうになり、引き裂かれるような痛みが走った。


 ダメだ、動かせない……!


 今回の艱難辛苦は相当粘性が強いようだ。すべてがくっつき、二度と離れなくなる。

 右手は弓をまだ握りしめているが、それも艱難辛苦とベタベタくっつき動かすことはできない。左手は握りしめていたためか、かろうじて指だけを動かすことができる。

 片脚は上がった状態のままで、腕も変な体勢で止まり、髪や顔もベタベタとくっついている。艱難辛苦のベタベタは、服越しではあるが背中にまで這い回ってきた。


 嘘だろ……?

 どうやっても抜け出せない事実に、全身に嫌な汗が滲み出す。


 だめだ、焦るな。焦るな。

 艱難辛苦には焦りや苦しみの感情すらも餌になってしまうのだ。


 艱難辛苦と密着した部分から、少しずつ体力と気力が吸い取られていくのを感じる。

 背中から腕から腹から、その内側から少しずつ失ってはいけないものを、よく研がれた刃物で削ぎ取られていく感覚。


 とにかく怯えてはいけないし、怖がってはいけない。冷静に、今どうすべきかを考える。それだけだ。

 顔と艱難辛苦の間に出来たわずかな隙間で浅い呼吸をして、どうにか気持ちを落ち着かせることができた。


 ああ良かったな、僕が強くて。長年の経験と座った肝が生かされた。なあに、これくらいのなら今まで何度だって浄化してきたさ。

 そんな言葉をとにかく心の中で繰り返し不安を消す。それに、今日は三班の二人もいるんだ。一人じゃない。


 僕は艱難辛苦が落ちてきてからのこの数十秒、すさまじい速さで脳を回転させた。ようやく少しだけ余裕が出来た。休楽くんに助けを求めるんだ!

 ほとんど動かない(まぶた)をギリギリと開けてそちらを見ると、黒い半透明の艱難辛苦越しに、そばに立っている休楽くんの姿が見えた。


 休楽くん! 助けてくれ!!


 わずかに呼吸できる隙間はあるものの、大きく口を開けて叫ぶのはベタベタが口の中に流れ込んで来そうで怖いため、僕は一生懸命に心と目で訴える。


 しかし休楽くんは、あろうことかその手に持った巨大な斧を高く持ち上げた。信じられない行動に心臓がドクンと跳ね、ものすごい勢いで血の気が引いた。


 な、何する気だよ!!?


「仕方ねェ……もうこうするしか。寝子丸、じっとしてろよ……」


 よく聞こえないが、休楽くんはそう言ったように思えた。


 ちょ、待ってくれ! なんでだよ! 勘弁してくれ! 絶対違うよそれは!!

 

 今その大きな斧を艱難辛苦の弱点である中心目がけて振り下ろしたら、僕にくっついていて逃げそうもない艱難辛苦は一発で浄化できるだろう。だけど、艱難辛苦の中心の下には僕の体の中心もあるんだぞ!

 というか、方法がそれしか見つからないんなら癒咲くんを呼びに行ってくれ。今君がすべきことはそれだ!


 焦ったせいで浅い呼吸がさらに苦しくなる。

 頭をふるふると振ることも体をガタガタ震えさせることも許されない今、必死に目でやめてくれと訴え続けるも、休楽くんはまるで気がついていない。

 明らかに様子がおかしい……。


 ……ハッ! いや、そうか。

 その時僕は理解した。


 休楽くんがこうなっているのは、艱難辛苦に取り憑かれて脳を支配されているからだ。もはやそれしかないだろう。


 ああ、あの明るく前向きだが適当で嘘つきな休楽くんでさえこうなってしまうとは。艱難辛苦はなんて恐ろしいんだ……。


 それが分かったとして状況が変わるわけでもなく、やつはどんどん僕に近づき、目を動かして狙う場所を決めている。


 ぎゃああああ! 来るな来るな!

 ああ、どうすれば……。この状況から、良い未来を切り開くには……。

 死の淵に立たされた僕は、考え、そしてようやく頭が正常に回るようになったのか、ついにあれの存在を思い出した。


 わああああああああああっ! 忘れていた!

 大切な大切な、肌身離さず持ち歩いている空間を飛んだり物を出したり仕舞ったり出来る機能の付いた懐中時計!!


 使わないつもりだったが、死と隣り合わせの今、僕にはこれを使う以外道は残されていない。


 なにか使えそうな武器を出せれば……。田舎の別荘のあの部屋に残っているものを頭に浮かべる。そして閃いた。


 武器を出現させる前に、まず胸の上くらいで止まっている左の握りこぶしをググググと動かしてなんとか横向きに変えた。この際皮膚が引っ張られようが剥がれようがどうでもいい。


 そうして念じ、別荘の部屋を思い浮かべる。


 どうか、上手くいってくれ……!


 次の瞬間、左手に菜切り包丁が出現した。あの部屋で使えそうなのはこれしかなかった。しかしこれなら艱難辛苦を切り裂くには十分だ。

 包丁が出現した時点で上手く艱難辛苦の体をブスリと貫通してくれた。


 こぶしの向きを変えられなければ、もし包丁が下向きで出現した場合、そのまま自分の胸をグッサリ刺していたことだろう。


 じんわりと生まれた安堵(あんど)をよそに僕は包丁を握った手に力を入れる。皮膚が剥がれて血が滲んできた。じりじりと痛みが増してくる。

 吸われ続けている体力がいよいよ底を尽きそうで、なんだか意識も飛びそうだ。

 だがあと少しで、あと少しで助かる……! 敵に取り憑かれて暴走した仲間に殺される前に、僕がこれを浄化させるんだっ……!!


「浄化あああああ!!!!」


 心の中で叫びながら、残った体力をすべて使い切る勢いで一気に切り裂くと、艱難辛苦は光の粒を散らしてその体のほとんどは溶けるように消えた。


 ハアハアと息を切らし、肩を揺らす。

 体にはまだベタベタはまとわりついている。しかし気力や体力が吸い取られていくあの感覚は消えた。

 そして顔を覆っていた部分も消えたため、たっぷり呼吸が出来るようになり、目も開けられた。久しぶりに外の空気に触れ、嬉しさで涙が出そうだ。

 包丁はベタベタがくっついているため仕舞う気にはなれず、その場にカランと置いた。


 ああそうだ、斧で襲ってくる筋肉はどうなったろうか。そう思って横を向くと、その体の動きは止まっていて、どうやらもう襲っては来ないらしい。僕が艱難辛苦を切り裂いたことで、休楽くんに憑いていたのも一緒に浄化出来たのかもしれないな。


 はあー、しかしどうしたもんかねこのベタベタは……。


 石畳にしっかりくっついたままの僕は、ただ寝転がったまま空を見るしかできない。とりあえず依頼されていた艱難辛苦の浄化は完了したから大丈夫だろうと、僕は目を閉じた。とにかくとても疲れた。


「……うお、危なかったなあ」


 休楽くんの声がした。意識が戻ったようだ。


「結局寝子丸一人で倒しちまったな。せっかく俺が斧でぶった切ってやろうと思ったのによ」


 ……ん? なんだと?

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