社員割引は意外と使える
王子は再び眼鏡をかけると、先ほどまでの子芝居をやめた。
「セントラルにいるとは盲点でした。城から1時間の町や村を探していましたから。賢いあなたの事だから、これを見越していたのでしょうね。エイミーというのも偽名なのでしょう?」
目が笑っていない、とはまさにこの事だろう。
くだらない嘘とはいえ、王族を騙したのは事実である。
詐欺罪で投獄されたらどうしよう……。
答えあぐねる私を見て、王子が続ける。
「残念ながら、嘘がバレた上、私に見つかってしまいましたね。さて、あなたの弁解をお聞きしましょうか?」
店内に他の客がいなかった事もあり、買い物をする訳でも無さそうな王子のことが気になったのか、どこからともなくマリアが近寄ってきた。
「失礼、まだお仕事中でしたね。立ち話もなんですから、後で食事にでも行きましょう。お仕事は何時までですか?」
「この子、15時までで終わりです! 私が責任をもって支度をさせますわ。17時頃には準備できると思います」
マリアが横から嬉しそうに口を出してきた。
「ありがとうございます、親切なお嬢さん。それでは、その頃また伺います」
王子はマリアにそう言うと、私の答えも聞かずに店を後にした。
「マリア、勝手に話を進めないでよ!」
「えー? だって、素敵な方だったじゃない! それに、結構お金もありそうだし。食事くらいなら大丈夫よ、皆気軽に行ってるわ。でもまあ、ベスが帰ってこなくても何とかしといてあげるから、それ以上の事になっても心配いらないわよ?」
一瞬、マリアも王子とグルなのかと疑ってしまったが、どうやら王子とは気づいていないようだ。
単純に恋のキューピットになりたいらしい。
「私が手伝ってあげるから、素敵な夜を過ごしてきてね! そうと決まれば、今日は何としてでも定時で帰らないと」
マリアに定時の概念が浸透したのは嬉しいが、今日は残業したい気分だ。
私は時計の針が14時を指すのを見て、大きなため息をついた。
私の願いも虚しく、その後も客足は遠のき、定時であがれる事になった。
しかも、私が食事に行く事をマリアが話してしまったので、皆から早くあがれと急かされる始末だ。
「さて、何を着ていけばいいかしら」
当然のように私の部屋のクローゼットを開け、中を見つめながらマリアが悩み始めた。
「食事と言っていたけど、どんなお店か分からないわね。でも、ベスが何を着てくるかで、行く場所を変えるのかも。彼ってそんな感じしない?」
私にはよくわからないが、そういうものなんだろうか。
「でも、あまり気張りすぎてもね。あくまでも誘ったのは向こうなんだから、張り切らず、でもおしゃれな感じで……」
気に入る服が私のクローゼットにはなかったらしく、マリアは新しい服を買ってはどうかと提案してきた。
「このお店の良いところはね、従業員なら半額でお洋服を買わせてもらえるの!」
なるほど、社員割引があるという訳か。
確かに半額は魅力的だが、王子のための出費というのが癪に障る。
しかし、1人盛り上がるマリアに水を差す事もできず、私は結局マリアと一緒に店に戻った。
相変わらず空いている店内で、私に合うワンピースはないかとマリアが探し始める。
すると、話を聞いたアンの顔が突如として輝き、どこかへ消えたかと思うと、赤いワンピースを手に戻ってきた。
「これね、前から絶対ベスに似合うと思ってたワンピースなの。着てみてよ!」
王子相手に赤は絶対着たくない。頑なに断ろうとする私を、アンが睨んできた。
「ここでは私が先輩なんだから。言うこと聞かないと痛い目見るわよ」
普段は絶対敬語は使うなと言うほど、上下関係のない職場なのに、ここぞとばかりに脅してくるとは。
私は抵抗するのを諦めて試着する事にした。
「やっぱり、思ったとおりとても似合っているわ!」
試着し終わると、アンがうっとりとした眼差しでこちらを見つめてくる。
彼女は洋服に関してオタク的な思考を持ち合わせているので、推しが尊いとかそんな感じなのだろう。
でも、確かにサイズもぴったりだし、王子の事さえなければ私も気に入るようなデザインだ。
「こういう服は中々値下げなんてしないのよ。半額で買えるなんて運命だわ!」
支払わなければ買わずに済むと思っていたが、いつの間にかマリアがマダムに掛け合って、給料天引きにする話までつけてきた。
覚悟を決めた私は、マリアに身を委ねる事にした。
「いらっしゃいませ」
閉店後にも関わらず、なぜか従業員全員に笑顔で迎えられた事にもまったく動じず、王子はにこやかに店内に足を踏み入れた。
眼鏡はかけているものの、服は着替えてきたようだ。
「お待ちしておりました。ベスは明日の朝6時からの勤務ですので、それまでにお返しくださいね」
そういうと、マリアは王子に私を差し出した。
私を見た王子は一瞬、言葉に詰まったようにも見えたが、気のせいかもしれない。
「それは良かった。皆さんのご協力に感謝します。ではベス、参りましょうか」
王子に腕を差し出され、面食らってしまったが、皆の手前、私はその腕を掴むしか無かった。
ドアはダニエルが開けてくれた。
もう17時を過ぎているのに残っているなんて珍しい。
しかも、いつもみたいにちょっかいも出してこない。
不思議に思いながらも、私は王子に促されるまま、店の前に止まっていた馬車に乗り込んだ。
馬車の中では当然2人きりになる。
王子は私への怒りが収まらないのか、自分から話すつもりはなさそうだ。
いつまでもこうしていても仕方がない。
「殿下、嘘をついてしまい申し訳ありませんでした」
私が謝ると、王子は驚いた顔をした。
「意外と素直なんですね。てっきり、また訳のわからない御託を並べるかと」
「どんな理由であれ、あのような嘘をつくべきではありませんでした。許していただけなくて当然です」
「まぁ、先程は少し腹が立ちましたけど……。反省してくれたならいいのです。本名も分かりましたし」
よかった、何とか投獄は免れそうだ。
「でも、いくつか守ってほしい事があります」
「はい、何なりとお申し付けください」
投獄されないのであれば、今日くらいは望みを聞いてあげよう。
「1つ、殿下ではなくチャールズと呼ぶこと」
確かに街中では殿下と呼ばない方がいいだろう。
「2つ、敬語で話すのをやめること」
これも、身分がばれないためには重要かもしれない。
「3つ、逃げようとしないこと」
さすがの私も、今日はもう逃げだす元気もない。
「分かった。それじゃあチャールズ、私にも敬語は使わないでね? それと、今日は逃げないから」
「やっぱり勘違いしているね。この3つは、今日だけじゃなくて未来永劫守って欲しいんだけど」
チャールズの言葉に私は反論した。
「嘘をついたのは悪いと思ってる。本当にごめんなさい。でも、あなたから離れたいという気持ちは今でも変わらないの。だから、ずっとは守れな……」
「嫌ならいいよ? 詐欺罪、逃亡罪、王族侮辱罪……ベスが好きなだけ牢屋にいれてあげるよ」
チャールズは、その爽やかな笑顔からは想像もできない位に恐ろしい事を言ってのけた。
この男ならやりかねない。
仕方がないが、言うとおりにした方が良さそうだ。
「それに、結婚を命令してる訳じゃないから安心して? 俺も強引に迫りすぎたって反省したから。まずは友達から始めようか」
不服そうな私の顔を見て、チャールズが付け加えたものの、感情が出やすい私の顔は相変わらずそのままだった。
「……わかった」
不貞腐れた顔でそう言った次の瞬間、ぐー、という音が私のお腹から聞こえた。
怒って不貞腐れてお腹が空くなんて、まるで子供だ。
恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じた。きっと、チャールズに揶揄われるに違いない……。
「お腹が空いてたんだね。それじゃあ、少し急ごうか」
私の予想とは裏腹に、チャールズは優しくそういうと、御者に馬車を急がせた。