思い立ったら転職!
「いらっしゃいませ」
「こんにちわ、ベス。今日は夏用のスカートを見たいんだけど……。」
「かしこまりました。では、こちらへどうぞ」
サーシャの店で働き始めてから今日で1か月。
自信のあった経理系の仕事はもちろん、接客や在庫管理の仕事もすべて面白く、早く王都に行きたいという気持ちだけでなく、純粋に仕事を楽しみながら過ごしていた。
接客も、今ではサーシャのフォロー無しでもできるようになった。
もっとも、裁縫の腕はからっきしなので、サイズ直しはサーシャに任せきりなのだが……。
王都の店は規模が大きく、裁縫専門のスタッフがいるので問題ないらしい。
「ベス、短い間によくここまで覚えたわね。これならいつ向こうに行っても大丈夫ね」
閉店後、売り上げの計算をしていると、サーシャに声をかけられた。
「すべて奥様のおかげです。本当にありがとうございました」
サーシャがいなければ、私は今も継母達の世話をするだけの生活を送っていただろう。
「どういたしまして。でも、あなたも本当によく頑張っていたわ。それでね、向こうのお店で1人辞めた子がいるみたいで、ベスに早めに来てほしいって連絡があったの。この様子なら、来週には行っても良さそうね。引っ越しの準備もあると思うけど、こんなに急でも大丈夫?」
「もちろんです。元々荷物もないですし、明日にでも出発できます!」
目論見通り、当初の予定よりも早く王都に行けるなんて……この1か月、努力した甲斐があった。
「それなら良かった。そうね、じゃあ来週の土曜日に出発するって伝えておくわね。土曜日なら王都行きの町の馬車が出るから、それに乗ればいいわ」
「はい! 本当にありがとうございました」
ついに王都に行けるんだ。ようやく、自分だけの人生を歩き始められる。
「これ、心ばかりなんだけどお餞別よ」
サーシャの手には、可愛らしい包みが乗っていた。
包みを開けると、バラの刺繍が入った白いハンカチが入っていた。
「わあ、素敵なハンカチ。いただいてもいいんですか?」
「もちろん! それと、こっちは今までのお給料ね」
研修期間なので少なめで良いと伝えていたのだが、手に乗せられた袋は想定よりもずっしりと重い。
「こんなにいただけません。研修でしたし……」
「最初の週は確かにそうだったけど、あとの3週間はほとんどの仕事を1人でやってもらってたもの。お客さまにも好評だったのよ」
お世辞だとは分かっていても、褒められると嬉しいものだ。
「それに、義理のお姉さんのうち1人とは仲がいいんでしょう? そのお金で、お別れの品を何かプレゼントしたら?」
確かに、エイミーには本当にお世話になったし、何か渡したいな。
私はサーシャに相談して、薄紫色のワンピースを送ることにした。
町から家に戻る道中、自然とスキップしてしまうほどに浮かれた私は、その足でエイミーの元へと向かった。
「すごいじゃないベス! ついに王都に行くのね。寂しくなるけど、でもおめでとう!」
「そうなのよ。これも家事をやってくれたエイミーのおかげよ。本当にありがとう」
私たちは継母達に聞こえないよう、なるべく小声で喜び合った。
「クロの事なんだけど、お店の寮で飼ってもいいって言われたの。だから……」
「ううん、私が面倒見るから大丈夫よ。お姉さまも実は隠れてクロの事かわいがっているの」
私の前ではそんな素振りを見せなかったのに、ゴブリン1号にもかわいいところがあるじゃないか。
「わかった。じゃあ、クロの事お願いね。これ、私の代わりに働いてもらったお給料と、クロのご飯代。当面はこれで足りると思うから」
「こんなにたくさんいいの? もらいすぎな気がするんだけど……」
「いいの。もらってくれないと、私の気が済まないから」
年配の女性のように、私は半ば強引に給料袋を渡した。
「あの2人には、前の日の夜伝えるわ。本当は出発当日の朝が良かったんだけど、あの2人最近寝坊するから……」
「確かに。昔はベスの事たたき起こすためだけに早起きしていたのにね」
エイミーの言葉に、私は思わず笑ってしまった。
金曜日の夜、私は予定通り継母達に明日この家を出ていく事を告げた。
初めは怒った様子を見せていたが、この家を含めた亡き父の財産の権利をすべて放棄すると告げると、それなら、とすんなり認めてくれた。
「でも残念だったわね。丁度明日、この町にもお妃探しの調査団が来るっていうのに」
1号が勝ち誇った顔で言った。
王都に行けば関係ないからと、この所情報収集していなかったのだが、間一髪で逃げ切れそうだ。
「私は別に履きたくないけど、せいぜい頑張ってね。 靴が入ればお城には行けるらしいから、足の指でも切ってくといいかも。あの靴、アンタには小さいから」
そう言い逃げした私だったが、この不用意な発言を後に後悔することになる。
「ベス、ちょっといい?」
荷造りも終わりかけ、最後の準備をしている所にエイミーが現れた。
「もちろん! どうぞ入って」
招き入れた私は、エイミーがいつになく真面目な顔をしていることに気がついた。
「エイミー、どうしたの?」
「さっきお姉様に言っていた事なんだけど……」
「ごめん、食事時に足の指を切れって言うのは、冗談にしても良くなかったかも」
さすがに言いすぎたと思い、私はエイミーに謝った。
「そうじゃなくて……どうしてお姉様の足より靴が小さいって断言できたの?」
明日ここを離れる事で、私は思ったよりも浮かれていたようだ。でもこれくらいなら言い間違いで誤魔化せるだろう。
「そうだっけ? ほら、あの人背が高いから、靴のサイズも大きいかなって、そう思っただけ」
「……ねえベス、あなたが例の赤いドレスの子なんじゃないの?」
問いかけているものの、その口調はそうであると確信しているようだった。
「舞踏会の次の日、馬が疲れていたのに気づいたわ。あの日はずっと馬小屋にいたはずなのに。だから私、あなたが舞踏会に行ったんじゃいかって、ふと思ったの」
口を閉ざした私の前で、エイミーが話し始めた。
「でも、事情があって言えないんだろうと思ったの。いつか話してくれるだろうって。だから、この事は忘れることにしたわ」
何も話せない私を見て、エイミーがさらに続けた。
「でも、今日全てが繋がったの。まるで調査から逃げるみたいに王都に行くことも、説明がつくわ」
ここまで来ると、もう隠さない方がいいかもしれない。
私はあの日の事を全てエイミーに説明する事にした。
魔法使いの事は伏せ、サーシャにドレスを借りた事にした以外は真実を。
「王子に興味無いって言ってたのに、全部嘘だったのね。しかも、私の名前を出すなんて……。友達だと思ってたのに、酷いわ」
私の話を聞いたエイミーは、見たことも無い表情を浮かべた。怒り、失望、裏切られた悲しみ……。
どうすれば、エイミーに許してもらえるだろうか。
「ごめん、そんなつもりじゃなくて……ただ、舞踏会には1度行ってみてもいいかなって、後になって思って」
苦し紛れにそう言った私だったが、エイミーは勿論納得などしてくれなかった。
「私が王子に憧れてたから、言い出せなかったの? ベスは美人だものね、行けば王子から声をかけられるから、一緒に行ったら私が可哀想って思ったんでしょう?」
冷たい蔑んだ目で私を見ながらエイミーが呟く。
「違うの、私……そうだ! 王子が持っているガラスの靴の片割れがこれなの。この町に調査が来た時に持っていって。そうすれば、あの時の娘はエイミーだったんだって、みんながそう思うから……」
ガラスの靴を差し出すと、エイミーは私の手を振り払った。
床に落ちたガラスはガシャンという音を立てて、粉々に砕け散った。
「……そう、同情してくれてありがとう。あなたの助けでもないと、この顔じゃ王子に見向きもされないものね。でも、私はそこまで落ちぶれてないわ。これ以上惨めな気持ちにさせないで!」
エイミーはそう言い残し、私の部屋を去っていった。
呆然と立ち尽くす私のもとに、騒ぎを聞きつけたクロが擦り寄ってきた。
「ごめんねクロ、今片づけるから。危ないから入ってきちゃだめだよ」
我に返った私は、床に散らばったガラスの破片を片付けようと手を伸ばした。
「痛っ……」
手から赤い液体が流れる。ガラスなのに迂闊だった。
回らない頭をフル回転させて止血し、やっとの思いでガラスを片付け終わるとすぐ、私はベッドに横になった。
破片で手を怪我した事だけではない痛みが全身を襲い、その日は中々寝付けなかった。
辛く長い夜が明け、引越しの朝を迎えた。
あんな事があったけれど、エイミーには最後に挨拶をしていきたい。
そう思い部屋の前でノックをしてみたものの、やはり返事はなかった。
「エイミー、昨日はごめん。もう私の声なんて聴きたくないだろうけど……」
部屋の中から反応はない。
「でも、これだけは伝えたくて。今までありがとう。もし、いつか私の事を許してくれて、王都に来ることがあったら、王都のマダムフルールのお店に来てね。私、まってるから」
暫く待ってみたが、何も反応はなかった。これなら、罵声を浴びせられたほうがずっとましだ。ただ無視されるのがこんなに辛いだなんて。
「それじゃあ、元気でね。今までのお礼のプレゼントがあるんだけど、ここに置いておくね。いらなかったら、捨てても構わないから。……あと、クロのことよろしくね」
やっとの思いでそれだけ言うと、エイミーに買ったワンピースをドアの前に置き、足早に階段を駆け下りた。
継母達がまだ起きていなくてよかった。こんな姿を見られたくはないから。
零れ落ちる涙をぬぐいながら、私は町へと向かった。
馬車を待っていると、サーシャとボーナム夫人が見送りに来てくれた。
私は急いで顔をぬぐい、泣いていた事を悟られないようにした。
「ベス、あっちのお店は規模が大きくて戸惑うかもしれないけど、ここでやった通りにすれば大丈夫よ。落ち着いたら手紙をちょうだいね」
「王都には良い男が一杯いるからね。よく吟味して選びなさい。いいのがいなかったら、私が紹介してあげるから連絡するのよ!」
サーシャもボーナム夫人もいつもと変わらない調子で私に話しかけてくれた。もしかしたら、泣き腫らした顔に気づいていたのかもしれない。
2人の気遣いに、重かった私の心が少しだけ軽くなった。
2人に別れを告げ馬車に乗り込むと、私と同じ年頃の姉妹とその母親がいた。3人で王都に買い物に行くようだ。
楽しそうに話す姉妹を見て、私はエイミーの事を思い出した。ついこの前まで、私達もあんな風に話せていたのに――。
まるで転職を祝福するかの如く晴れ渡った空の下で、王都に向かう私の心は再び鉛のように重くなっていった。