ダブルワークってどうなの?
広々とした夜の庭園は、騒音で溢れた城とは打って変わって、シンと静まり返っている。
王子は私の家族の事や、普段の生活について聞きたがった。
私はエミリーになりきり、母親が再婚して、実の姉と義理の妹と暮らしている事や、普段は家事をしている事などを話した。
暫く私の話が続いたが、あまり話しすぎると嘘がばれてしまいそうだ。
「それにしても、夜なのが残念ですね。明るい日差しの中で見れば、きっと見事な木々や草花で賑やかでしょうに」
私の話から気をそらそうと、王子に話しかけた。
「そうですね。庭師自慢の庭園ですから。この時期は特にばらの花が見事なんですよ。どうですか、今日は城に泊まって、明日ご覧になってからお帰りになっては」
隙あらば引き留めようとする姿勢は、昨今の草食系男子にも見習ってほしいくらいだ。
しかし、私は何としてでも11時に帰らなければならない。
「まあ、いけませんわ、未婚の女が1人で外泊だなんて」
そんな事は微塵も思っていないが、はっきり断らないと王子は勝手に都合よく解釈しそうだから、仕方がない。
「これは失礼しました。では、今度また改めてご招待いたしましょう」
私に微笑みかけながら、王子が言った。
いやいや、それは困る。私は今日この時をもって、あんたと会うのは最後にしたいんだから。
「殿下。私はただの村娘です。今日の舞踏会は夢のような時間でした。でも、夢はいつか目覚めなければならないのです。私は今日の思い出を胸に、明日からはまたいつもの生活に戻ります」
二度と会うつもりがないという強い意志を伝えるため、私は王子の目を見てはっきりと告げた。
王子の青い目が、私を見つめ返す。
それまで浮かべていた穏やかな笑みが消え、真剣な眼差しだ。
「俺は、心から尊敬できる女性と結婚したいと思っている。妃という地位にしか興味のない、パーティー好きのものではなく、俺自身を見てくれる女性と。身分など関係ない」
唐突な一人称俺に、私は少しだけドキッとした。
しかし、私は王子の期待には応えられない。
「……もう帰らなければなりません。殿下なら、私よりも遥かに素晴らしい女性と巡り合えると思います。それじゃあ、お元気で」
「待ってくれエイミー……」
王子に呼び止められたが、これ以上は一緒にいられない。
私はなりふり構わず、馬車へと急いだ。
何とかエントランスの階段までたどり着いた私は、トマトの馬車に乗り込もうと一気に駆け下りた。
もう少しで馬車にたどり着くというところで、私は何かに足を取られ、地面に倒れこんだ。
地面の溝に、ヒールが挟まってしまったようだ。
溝から靴を取り出そうとしたものも、がっちりはまっていて中々取れない。
そうこうしているうちに、エントランスに私を追う王子と従者たちの姿が見えた。
靴を残していきたくはなかったが、このままでは自分が捕まってしまう。
私は靴の救出を諦め、トマトの馬車に乗り込んだ。
「クロ、早く馬車を出して!」
御者に扮したクロに向かって叫ぶとすぐ、馬車が前へと進み始めた。
馬車の窓から後ろを振り返ると、追手は馬車を追っては来ないようだ。
ホッと一息ついたのもつかの間、ガラスの靴を置いてきてしまった事が気にかかり落ち着かない。
想像以上に執念深そうなあの王子なら、あの靴一つで私までたどり着いてしまうのでは――。
やっぱり、マーサが首になろうがなかろうが、舞踏会に行くんじゃなかった。
私は馬車の中で深いため息をついた。
でも、起きてしまった事は変えられない。
これからどうすればいいか考えなきゃ。
王子に身の上は話したけれど、偽名を使ったし、村の名前もでっち上げた。
もし、王子がガラスの靴がピッタリ合う女性を探し始めても、名乗り出なければいいだけの話だ。
そう自分に言い聞かせると、不安な気持ちは徐々に消えていった。
家に着いたのは12時ギリギリだった。
馬車をおりた瞬間、トマトが足元に転がり、クロが大きな伸びをしながら足元にまとわりついてくる。
幸い、継母達はまだ帰ってきていなかった。
馬小屋に馬を戻し自室に戻ると、疲れ切った私はそのままベッドに飛び込んだ。
舞踏会の後は、特に何も無く平穏な日々を送っていた。
継母達の話によると、王子は舞踏会が始まってしばらくは、王子と踊りたいという女性達と代わる代わるダンスを踊っていたものの、ある時間以降は姿を消してしまったらしい。
「どうやら、赤いドレスの女と一緒にいたらしいのよ。確かに、舞踏会が始まる前に見た気もするけど、ダンスは踊っていなかったわよね?」
「それが、どうやら庭園にいたみたいだよ。王子が追いかけるのを見たって人がいてね」
王子とダンスが出来なかった悔しさよりも、ゴシップへの関心の方が勝った1号と継母は、連日噂話に勤しんでいた。
あれだけの人がいたのだから、私の姿を目撃されていて当然だ。
だがこの様子だと、赤いドレスを着ていたのは私だとは気づかれていないようだ。
私はとりあえず、胸をなでおろした。
王子の動きは、頼まなくともこの噂好きの2人がペラペラ喋ってくれるだろう。
向こうが動き出す前に、とりあえず就職活動を再開しよう。
以前、サーシャの店を訪れてから、3か月は経っている。
王都の店の話の結果がそろそろ聞けるだろう。
それに、王子にもらった金貨で、1人立ちに向けて色々と準備しないと。
エイミーに外出する事を伝え、私は町に向かった。
店に着くと、私の事を覚えてくれていたようで、サーシャから話しかけてくれた。
「ベス、久しぶりね。王都のお店の話を聞きに来たんでしょう? ちょっと待っててね……」
サーシャの接客が終わるのを待って、私達はテーブルについた。
「あなたの事を話したら、ぜひ雇いたいって。王都の人口が増えて、人手不足みたいよ。お店の上に従業員が住めるようになっているから、家の心配もいらないわ」
「本当ですか? なんてお礼を言ったらいいのか……ありがとうございます」
私はサーシャに心からのお礼を伝えた。本当に、親切で優しい人だ。
「ただね、お店が忙しくって、仕事を教えている暇がないんですって。それで、ここからは相談なんだけど」
サーシャが続ける。
「私のお店でしばらく研修してみない? 平日は人手が足りているから、土日だけになるんだけど……。2か月もすれば、向こうのお店に行けるようになると思うわ」
「もちろんです! ぜひ働かせてください!」
願ってもないチャンスに、思わず食い気味に答えてしまった。
本当に、あの時サーシャの店に入って良かった。
「それじゃ、決まりね。来週の土曜日から来てちょうだい。あとは、お洋服なんだけど……」
つぎはぎの少ない服を着てきたものの、やはりサーシャも私の服装は気になっていたらしい。
確かにこの格好では、とても接客なんてさせられないだろう。
私は王子にもらった金貨で、新しい服を買う事にした。
「実は、亡くなった父がこっそり残してくれた金貨があったんです。これで仕事用に何着か買いたいのですが……」
サーシャにそう言うと、店の商品からワンピースとスカート、シャツをいくつか選んでくれた。
「お店で着る分には、これくらいあれば十分ね。あとは王都で暮らすようになってから、残りのお金で買うといいわ」
これだけ買っても、まだ手元には十分な銀貨が残っていた。
「奥様、私には継母と義姉がいるんですが、いつも2人に虐められるんです。きれいな服を着ていたら、きっと取り上げられるか、ダメにされてしまいます。それでお願いがあるんですが、こちらで保管していただけないでしょうか。お仕事の時だけこの服を着るようにしたいんです」
「やっぱり、あなたは苦労していたのね。そんな気がしていたけれど……。もちろん、ここで保管しておいてあげるわ」
涙ぐむサーシャにそっと抱きしめられ、私は思わず泣きそうになった。
「ねえ、エイミー。ちょっとお願いがあるんだけど……」
夕飯の後、継母達が部屋から去るのを待って、私はエイミーに話を切り出した。
土日はサーシャのお店で働くとなると、家の仕事はもう1日休まないとならない。
法定休日は1日しか主張できないので、雇用主である継母に所定休としてもう1日請求するか悩んだが、町で働く事がばれて、反対されるのは困る。
幸い、店の仕事は午後からなので、午前中にできるだけ仕事を済ませ、残りをエイミーにお願いするのが得策だと考えたのだ。
「それで、そのお店で働くから、お昼以降の家事を私にやってほしいって事ね?」
「そうなの。ただ、町で働くことはあの2人に知られたくないの。残業代は私が出すから、お願いできないかな……」
エイミーは私の話に暫く考え込んでいたが、最終的には私の依頼を引き受けてくれた。
「それにしても、2つの仕事を掛け持ちするなんて、大変そうね。大丈夫なの?」
「まあね。こういうの、ダブルワークって言って、お金のためとか、好きな事をしたいとか、色々な理由でやっている人がいるのよ」
現実社会でダブルワークをするとなると、保険やら税金やらがややこしくて大変そうだが、この世界では多分大丈夫そうだ。
もっとも私の場合、そのうちの1つは家事で雇用者は継母なので、そういう意味では会社に内緒の副業と言った方が正しいかもしれない。
「それにしても、なんだか寂しくなるわ。あと数か月でベスが王都に行ってしまうなんて……」
エイミーの表情からは、本当に悲しんでくれているのだと感じた。
「私も、最初は色々あったけど、エイミーと仲良くなれてよかったわ」
本当に、エイミーが2号のままだったら、私といえども精神的にかなり厳しい状況に陥っていただろう。
「そもそも、ここはベスの家なのに。本当は私達が出ていくべきよね。ごめんなさい……」
「私は全然大丈夫だから。気にしないで」
私がベスになったのはここ数か月の事で、この家にも亡くなった両親にも何の思い入れもない。
エイミーにはこんな事で気を病んでほしくなかった。
「ねえ、エイミーだって、この家にずっといる必要ないんだよ。もし自立したいという思いがあるなら、いつか王都に来てよ」
「でも、そこまでベスにお世話になる訳には……」
「何言ってるの、友達じゃない! それに、義理ではあるけど一応姉妹だし。あの女は助けないけど、エイミーは別だからね」
私の言葉に、エイミーは嬉しそうに笑った。