深夜残業はしたくない
「今度、王子様がお妃選びの舞踏会を開くそうよ! 国中の独身女性に招待状が届くんですって」
この世界に来てから3ヵ月ほど経ったある日、ゴブリン1号が嬉しそうに言った。
「シンデレラ、あんたは着るものがないでしょう? 留守番してなさい」
どうすればこんなに醜くなれるのかと疑問に思うくらい、底意地の悪い表情を浮かべた継母が、私を嘲笑った。
「舞踏会とか下らない。税金の無駄遣いだし、夜呼びだすとか正気の沙汰じゃないでしょ。何の権限があってそんな時間に拘束するんだか。ま、せいぜい楽しんでくれば?」
心底そう思った私はそう言い放ち、あっけにとられる2人を残し、自室に戻った。
あれから1週間がたち、いよいよ舞踏会の日となった。
私にも招待状が来たが、もちろん行かない予定だ。
ゴブリン2号の支度を手伝っていると、自分が昔着ていたドレスを私に貸すから、舞踏会に行ってはどうか、と提案してきた。
「いやよ、舞踏会なんて。でも、気持ちだけはもらっておくわ」
私はそう言ったものの、2号は納得いかないようだ。
「でも、ベスはとても美人だし、もしかしたらお妃に選ばれるかもしれないわ。私なんかより、あなたが行くべきよ」
私はいつの間にか、灰かぶりという意味をもつシンデレラではなく、本名で呼ばれるようになっていた。
「見た目だけで結婚を決める男なんて、碌なもんじゃないからやめたほうがいいよ。それに、あんただって努力して痩せたし、ニキビも減ってきてそれなりになったじゃん。王子と結婚なんてお勧めしないけど、でもあんたがそうしたいなら、自信もって行ってきなよ」
私がそう言うと、ゴブリン2号――いや、私ももうあだ名で呼ぶのはやめよう――エイミーは泣き始めた。
「痩せられたのも、ニキビが減ったのも、家事ができるようになったのも……全部あなたが助けてくれたおかげよ。あなたがいなければ、私はずっと嫌な人間のまま一生を終えるところだったわ。今まで酷い事してごめんなさい」
「ちょっと、化粧が落ちるから泣かないで! それに私、感謝されるようなことなんて、何もしてないからね。エイミーが変わろうと自分で努力した結果なんだから」
照れ隠しでそう言ったものの、私はエイミーにばれないよう、熱くなった目頭をこっそり拭った。
「それじゃあ、しっかり留守番してなさいよ。定時までは働くんだよ!」
相変わらず私に嫌がらせをしてくるものの、定時という言葉はすっかり継母にも定着した。
「はいはい、就業時間内の仕事には全力を尽くします。ちなみに、私は今日残業しないつもりだから、帰ってきたら自分で鍵を開けて戸締りもしてね」
そう言って3人を送り出した私は、定時まで後片付けや洗い物に勤しんだ。
定時になったので自室に戻ると、1人の老婆が現れた。
戸締りはしっかりしていたのに、どこから入ってきたのだろう。
こう見えて、やり手の泥棒なんだろうか。
「かわいそうなシンデレラ。このマダム・マーサが何とかしてあげるから、舞踏会に行ってきなさい」
舞踏会に行く気がなかったので、魔法使いの存在なんてすっかり忘れていた。
頼んでもいないのに、まさかこうして登場してくるとは……。
「あの、私舞踏会に行きたいと思っていないので。お引き取り願えますか?」
私がそう告げると、マーサは困った顔をした。
「そう言われても困るのよ。あなたを舞踏会に行かせないと、職務怠慢で魔法使いを首になってしまうの」
「魔法使いの業界も大変なんですね。本人が望んでなくとも、上司の指示ならやらなきゃならない、本来の目的から離れてしまった仕事って感じですか、そういうの。私も会社勤めの経験があるので分かります。本当は行きたくないんですけど、協力します」
私の気まぐれでこの老婆が首になるのはかわいそうだ。
不本意ではあるが、私は舞踏会に参加する事にした。
「よかったわ。それじゃあ、かぼちゃとネズミ、馬と犬を用意して頂戴!」
助けてあげる、という割に、準備させるものが多すぎるだろう。
しかも、ここである問題が発生した。かぼちゃは嫌いだから買っていないし、猫を飼い始めたのでネズミはこの家には寄り付かなくなっていた。犬は元々飼っていない。確か、かぼちゃを馬車に、ネズミを馬に、馬と犬を従者と御者にするはずだけど、どうしようかな……。
「かぼちゃは嫌いだから用意が無くて。トマトで大丈夫ですか? それと、ネズミと馬がいないから、馬を白馬にでも変えてもらって、馬車は1頭で引ける大きさにして……。あと、御者は猫を人間に変えられます? 従者はこの際、いらないので」
私の提案にマーサは驚いていたが、魔法使いとしてのプライドもあるらしく、できないとは言えないようだ。結局私の言ったとおりに変えてくれた。
「……あとは、あなたのドレスだけね。さて、どんなのにしましょうか」
マーサはしばらく考え込んだ後、私に向かって杖を振り下ろした。
鏡を見ると、ボロボロだった灰色のワンピースが、鮮やかな赤色の美しいドレスへと変貌を遂げていた。
「トマトの馬車に色を合わせてみたの」
マーサがウインクした。
赤色は舞踏会で目立ってしまう気もするが、こんなに素敵なドレスを着られるなんてちょっと嬉しい。
私はマーサにお礼を言った。
「どういたしまして。そうそう、靴はこのガラスの靴を履いてね」
そう言われた私は、ふと思った。
この靴を残した事で、王子がシンデレラを探し始めるのであれば、靴も魔法で消えるタイプにしてもらえばいいのでは?
もちろん、私が靴を落としてこなければ済む話だが、念のため対策を講じておきたい。
「あの、靴も魔法で作ってもらえませんか? ガラスの靴だけ残っても困るんです」
私の言葉に、マーサは少し困った顔をした。
「ええ、でもこの靴を渡すように言われているから……」
「仕様書がそうなっているって事ですか? それじゃあ、仕方ないか」
彼女も仕事でやっているのだから、仕方がない。
私は諦めて、ガラスの靴を履いて舞踏会に向かう事にした。
「シンデレラ、1つ気を付けてほしい事が……」
「12時の鐘が鳴ったら魔法が解けるから、それまでに帰ればいいんですよね? 大丈夫、深夜残業になっちゃう10時までには絶対帰ってきてみせますから。まあ、今日の残業代は誰にも請求できないんだけどね」
ぽかんと口を開けて私を見つめるマーサにそう言い残し、私はトマトの馬車に乗り込んだ。
馬車を降りると、お城にはたくさんの若い女性が集まっていた。
まったく、王子もパーティーなんか開かずに、大人しく貴族の娘と結婚しとけばいいのに……。
そう思いながらも、せっかくなので食事をとる事にした。
美味しそうなチキンを頬張っていると、周囲がざわめき始めた。
「なんて素敵なのかしら! ぜひ一緒に踊っていただきたいわ」
「私なんてお声をかけてすらもらえないでしょうけど。でも、見ているだけでも幸せだわ」
隣にいた女性達の見つめる先には、恐らく王子と思われる人物が立っていた。
確かに、背は高いし顔もかっこいい。笑うと白い歯がキラリと光る、ハリウッド映画に出てきそうな金髪碧眼のイケメンである。
ま、王子がイケメンだろうがそうでなかろうが、私には関係ないけどね。
サンドイッチとスイーツを小皿に載せ、私はバルコニーで庭園を眺めながら食事をとる事にした。
幸いバルコニーには誰もおらず、私はホールから聴こえてくるオーケストラの音色をバックに、優雅なディナータイムを過ごした。
「パーティーは楽しくありませんか?」
食事を終え、ボーッと庭園を眺めていると、不意に背後から話しかけられた。
振り返ると、声の主は先程の王子だった。
「ダンスが踊れないので、こちらに避難しておりました。パーティーは楽しいです。食事もとても美味しくて」
一応、相手は王子なので、失礼にならないよう気をつけながら答える。
「それなら良かった。本当はダンスにお誘いしようと思ったのですが、少しお話しませんか?」
せっかく王子から離れていたのに、まさかここまで来るなんて……話すのすら嫌だと言う訳にもいかず、私は頷いた。
「あなたのお名前は? どちらからいらしたのですか?」
どうしよう、本名は名乗りたくないけれど、適当な嘘をつくと矛盾が生じて話の辻褄が合わなくなるかも……。こういう時は、自分が知ってる人になりきればいいんだっけ。
「エイミーと申します。シャイニー村から参りました。畑しかない田舎です」
村の名前は適当だが、エイミーとして受け答えをすれば何とかなりそうだ。
「エイミー……素敵な名前ですね。私も昔、郊外に住んでいたことがあります。シャイニー村というのは聞いたことがないのですが、あなたのような美しい人が生まれ育ったのだから、きっと美しい村なのでしょうね」
存在しない村を褒められ、私は曖昧な笑みを浮かべた。
「ところであなたの村は、ここからどの位かかるのですか?」
「そうですね、馬車で1時間程で……」
答えながら、私ははっと気づいた。
そうだ、すっかり時間の事を忘れていた。
今、何時なんだろう……。
ホールの時計を見ると、丁度10時を指していた。
よし、もう帰ろう。
私は王子に、あまり遅くなると御者の老体には大変なので、そろそろ帰りたいと伝えた。
「そうなのですか。それは困りましたね。あなたともう少しお話ししたいのですが……。どうでしょう、あなたの御者は帰らせて、私の馬車でお帰りになっては」
どうやら王子は一筋縄ではいかない相手のようだ。
「初めてお会いした方にそこまでお世話になれません。それに、夜10時以降は深夜残業になるんですよ。残業代も割増で高くつきますし。さすがに、王族に請求するわけには参りませんので……」
早く帰りたい気持ちが強くなり、私はつい話の流れで労働基準法を持ち出してしまった。
継母達相手の時しか出さないようにしていたのに……。
「よく分かりませんが、そのざんぎょう代とやらをお支払いすればいいのですね?」
王子は表情一つ変えず、離れて待機していた従者を呼び寄せると、私の掌に金貨を1枚置いた。
意味不明な言葉を並べ立てられてもまったく動じないあたり、この王子はかなり手強そうだ。
つい、金貨を受け取ってしまったものの、私はどうすべきか悩みに悩んだ。
この金貨1枚は、残業代どころではなく、大抵の国民の月収ほどの価値があるはずである。
まさか、話をする以外の手当も含まれているのではなかろうか。王子といえども男な訳だし、良からぬ事を考えているかもしれない。金貨を返して、無理にでも帰った方がいいのでは?
でも、王族から賜ったものを返す事は、かなり無礼な行為になる気もする。一体どうしたものか……。
「かしこました。残業代をいただきましたので、11時まででしたらご一緒いたします。」
あらゆる情報を天秤にかけた結果、私は魔法が解ける12時から逆算したタイムリミットの11時まで、王子に付き合う事にした。
「それはよかった。では、立ち話もなんですから……」
王子に言われるがまま、私は先ほどまで眺めていた庭園に足を踏み入れた。