2-1、地下迷宮①
地下迷宮に潜るためには煩雑な手続きは必要ない。
入るだけなら簡単なのだ。
地下迷宮の出入り口を管理している<銀の盾>に遺書のような念書を渡して、決められた日に地下迷宮へ潜るだけ。といって、地下二階までは人の手によって管理されているため、地上から降りたらすぐに地下迷宮に到着したという実感は薄い。雑多な露店や木賃宿、歓楽街や武器屋を抜けて地下二階の奥に位置する<銀の盾>の詰め所もとい地下三階へ下りる階段を下りきって、初めて地下迷宮にやってきたのだという実感が持てる。
その日、マーフィは二十五度目のダンジョン探索の第一歩を踏みしめた。
ジリ、という砂利と石が擦れる感触。荷物越しに相棒を見やって、ニヤリと笑った。
「また来たな」
「ああ、お互い、悪運の強さだけは天下一品だな」
マーフィの相棒はシュルシュルとヘビのような舌を出しながら答えた。
鱗に覆われた武人。リザードマン。マーフィの相棒グルトンは元々大陸の西端に広がる湿地で暮らしていたらしいが、詳しいことはマーフィも知らない。ただ、マーフィに負けず劣らず地下迷宮に潜り続けていることからも、恵まれた過去ではないことだけは窺い知れる。リザードマンの平均を遥かに超えた槍術も、彼の人生の過酷さを物語っている。
グルトンが尋ねた。
「貴公はどこまで潜るつもりだ?」
「行方不明者ボードを見る感じでは、6~8階にタグが転がってそうだったから、その辺りを探索するつもりだ。お前もそうだろ?」
「……」
リザードマンが足を止めた。
マーフィは振り返らず、歩き続けた。地下迷宮で他人に合わせるヤツは素人だ。
「我が友マーフィ。拙者はどこまで潜れると思う?」
「意味のない質問だな。俺たちは”漁り屋”であって、冒険者ではない。限界まで潜らず、タグを拾える場所まで潜るだけだ。どこまで潜れるかなんて、考えるだけ無駄だろ」
「拙者が冒険者だとしたら――」
グルトンの言葉に、マーフィは苛立ちを覚えた。
――また、コレか。
微妙に湾曲していて先の見えない通路を一歩ずつ進みながら、マーフィは舌打ちした。彼の怒りを察したリザードマンは小声で呟いた。
「子供が産まれるのだ」
「そうかい。おめでとさん」
「拙者も、我が子に胸を張っていられるような人物になりたいのだ。こそこそ逃げ回って、死体を漁って小銭を稼ぐような父親を持つ子が、幸せになれると思うか?」
「さあな。俺の管轄外だ」
脳裏に浮かんだ少女の顔を搔き消した。
自分にも別の生き方がある、という幻想は甘く魅力的だ。もちろん、幻想は幻想だ。マーフィがマーフィである限り、現実は変わらない。冒険者で一山当てられるほどの腕やコネはなく、誰かを支えてやれるような力もない。家のない人間には青い鳥の居場所はない。
結末は見えている。
「拙者は冒険者として、行けるところまで行く」
「そうかい」
マーフィは胸中で相棒に別れを告げた。
最初から説得は諦めている。グルトンも馬鹿ではない。計算に計算を重ねたうえで、やむにやまれず冒険者として活動することを決めたはずだ。今さらマーフィが説いたところで意味はない。それに、地下迷宮内では時間も気力も体力も無駄に消費したくない。
肩に載せた蛍光石の灯りが地下迷宮の岩肌をやんわりと照らし出す。
それから半日ほど二人は移動した。
以前、下の階に繋がっていた穴が開いていた地点に来たが、もう穴は消えているどころか、通路の形まで跡かたなくきれいさっぱり変形していた。これが地下迷宮の厄介な特徴で、フロアの形質が毎回違うのだ。どの時点で切り替わるのか、あるいは徐々に変化しているのかはまだ判明していないが、自身の経験から推測するにおそらく前者だろうとマーフィは考えている。
「チッ」
リザードマンの舌打ちが聞こえた。
珍しいこともあるものだと感じたが、彼の心中を察してマーフィは暗い気持ちになった。冷静沈着が売りだった”青鱗の漁り屋”が、まだ何も起こっていないうちから焦っている。悪い兆候だ。こういうときに行動すると悪い結果に繋がる。
「今日はここで寝よう」
しかし、グルトンは逡巡してから首を横に振った。
「まだ動ける。移動できるうちに移動しておきたい」
「そうかい」
マーフィは相棒に構わず半自立式球形テントを展開した。