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白雪の雪解け  作者: 宮瀬ひさな
序章
1/2

義妹の願い

 ひんやりとした感触が鼻に走った。


「あ、雪」


 顔を上げると白い沫雪(あわゆき)がしんしんと降っているのが見えた。口から漏れた息は瞬く間に白くなり、すぐに消える。梢は頬に付いた泥を手で拭い、ひどく降る前に帰らねばと義弟妹(ぎていまい)の名前を呼んだ。


「つくし、枸杞(くこ)、ほたる、帰るよ!」


 梢の声が木々の声にこだまするが、聞こえるのは自分の声だけで幼い弟妹たちの声は聞こえない。自分から遠くに離れるなと言いつけて薪拾いに連れてきたというのに、返事だけは一人前の子供たちには伝わらない。梢は短いため息をついて集めた薪を抱えると、薄暗い木の間を通って探し始めた。


「こずえ(ねぇ)みて、これひろったの」


 最初に姿を現したのは義妹の枸杞だった。両手に何かを乗せて梢に近づける。

 それはよく見ると銀色の鈴だった。所々錆びついているが、狐や六花が彫られていて精緻な細工ははっきりと目視できる。枸杞の手の上で転がった鈴は、かわいらしい音色をたてた。もし錆びていなければ、そこそこいい値段で売れたかもしれない。


「きれいなの拾ったね。どこに落ちてたの?」


 枸杞はしばらく空中に目を向けて考える仕草を見せ、「あっち」と来た方向を指さした。その方角はたしか崖があったはずだ。


「なくさないようここに入れときな」


 梢は古布で繕った巾着を差し出した。

 枸杞は少しのあいだでも手放すことが嫌なのか眉間にしわを寄せたが、梢の言うとおりにした方がなくさなくて済むと思ったのか、しぶしぶ鈴を入れた。巾着に入った鈴はシャランと存在を示すかのように音を奏でた。


「こずえ姉!」


 元気な声とともに誰かが背中に飛びついた。顔は見なくても誰かわかる。こんないたずらをするのは一人しかいない。寒い外でも元気だな、と梢は呆れる。


「つくし、あぶないでしょ。もしわたしが倒れてたら、枸杞はしたじきになってたんだよ」


 とんとんとつくしの背中を叩き、もうすぐ十歳になる義弟を背中から降りるように促した。


「こずえ姉ならたおれないって、おれわかってるもん」


 驚かせることに失敗したからか、それとも梢に叱られたからか、つくしはふてくされていた。梢は何も言わず、宥めるようにつくしの頭を優しく撫でた。


「そういえば、ほたるは? 二人で薪を取りに行ってくれたんじゃなかったの?」


 こうしている間にも雪はさらに降っている。吹雪になれば、家に帰るのも苦労する。

梢は薪集めの手伝いに来てくれた弟たちを連れてはやく帰りたかったが、つくしは首を横に振った。


「わかんない。ひとりで山おくに行ったんだ。……せつ姉がいるって」


 『せつ姉』という名前に、梢は目を見開いた。左腕で持っていた薪を手放し、枸杞とつくしの手を引いて走り出した。つくしがいたであろう方向に足を進め、大声で名前を呼んだ。着物の裾が泥で汚れようとも、梢の頭は二人のことでいっぱいだった。


「ほたる、せつ姉!」


 立ち止まって叫んでも返事はなかった。

 枸杞とつくしも梢の手から離れ、梢が口にしたのと同じ名前を叫んだ。


「おーい、ほたるー」

「せつ姉どこー?」


 あちこち捜しまわっても姿は見えなかった。

 ひゅっと強い風が吹き、梢の手がわずかに痛み思わず顔をしかめた。真冬の冷たい空気は水作業で荒れた肌にこたえる。少しでも痛みをやわらげるため、手に息をかけた。

 このままがむしゃらに見えない姿を探し続ければ、梢の手傷は霜焼けになり、幼い枸杞とつくしは風邪をひいてしまうかもしれない。

 一度連れて帰って、また一人で捜そうかと思ったときだった。


「こずえ姉いた!」


 枸杞の声で、梢は我にかえった。枸杞はいつのまにか姿が消え、いま立っている場所からさらに木が鬱蒼とした方向から聞こえてくる。梢は躊躇なく木の葉をかき分けて奥に進むと、何も生えていない広場があった。そこには枸杞と捜していたほたるとがいる。梢のあとについていたつくしと枸杞はちらりと梢を見たが、ほたるだけは呆然と空虚を見つめていた。


「……せつ姉がいたって本当?」


 梢の唯一の姉の名前を口にすると、ほたるの肩がぴくりと反応した。


「さっきいたきがしたの。きれいな水色のおべべきて」


 つくしは梢には目を向けず、ただまっすぐ前を見て言う。


「もしかしたらひさしぶりにかえってきて、まいごになったのかなって。でもね、いないの。いたのは白いきつねさんだけだった」


 ぐすんと鼻を鳴らしたつくしは梢を見上げ、見つめる瞳からはいまにも涙があふれそうだった。


「そっか、そっか」


 梢はそれだけ言うとつくしの前にしゃがんだ。長い髪と小さな肩についた雪を払うと、優しく抱きしめた。梢が姉にしてもらったように、優しく背中に手を当て、ゆっくりとさする。


「せつ姉はちゃんと帰ってくるよ。もしかしたら今日かもしれない。明日かもしれない。もうずーっと、奉公に行ってるんだもんね」


 梢は言い聞かせるように呟いた。泣きそうな枸杞に、不安そうな顔をしているつくしに、そしていまにも泣き叫びそうな自分に。

 みんなが会いたがっている。梢も、弟も、妹も、父も。家族みんなが慕う、心優しい姉はいつ帰って来るのだろうか。


「へっくし」


 ほたるのくしゃみに、梢ははっと我にかえった。

 どれくらいこうしていたのだろうか。雪は所々に積もって、皮膚を刺すような冷たい風が強く吹いている。


「帰ろうか。おっとうが待ってる」


 梢はほたるをおぶって、つくしと枸杞の手を握った。繋いだ二人の手は冷たい。

 去る前に一度、辺りを見渡した。会いたいと思った人の姿はなく、四人以外に人の気配はない。ただ雑木が無造作に高く伸びているだけだった。


「せつ姉がいなくなって六年か……」


 大好きだった――いまでも大好きな、憧れの存在である義姉。『せつな』にもう一度会いたい。いつになればみんなのもとへ帰ってくるのだろう。


「会いたいよ。せつ姉……」


 梢の嘆願は、雪の中に溶けた消えた。

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