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しかし現実はそう甘くはなかった。強豪赤坂実業高校の鍛えあげられた守備力を、決して見くびってはいけないのだ。
左利きのファーストが打球を必死に追いかけ、横っ飛びで打球をノーバウンドで抑えたのであった。これには完全にヒットだと思っていた藤井も、1塁ベースに向かって走る途中、絶望して膝から崩れ落ちた。
「やっちまった......クソ!」
「藤井、ナイスバッチ!」
「藤井さん、ホンマ最高っすわ」
ひとつのアウトを消費してしまった事で落胆し、うなだれながらベンチに戻ってきた藤井に、矢澤をはじめとすりチームメイトたちは労いの言葉をかける。
それが意外だったのか、単純に嬉しかったのか、或いは両方か、藤井は涙を堪えるのに必死だった。
「う、打てなくてごめんよ、矢澤......」
藤井はかすれた声で言った。
「藤井さん!何いうてはるんですか!試合はまだ終わってませんよ!一緒に全国行きましょう!」
矢澤の言葉に、藤井はハッとした。そうだ、試合はまだ終わっていないのだ。自分が打てなかったからといって、試合を諦める奴がどこにいる。そんな思いに駆られ、藤井は思考を180度回転させ、ベンチに身を乗り出した。
「ありがとう!矢澤!そうだな、諦めちゃダメだ!よし、バッターかっとばせ!」
2番の木戸が初球で凡退してしまい、ツーアウトの場面で、金串が打席に立つ。
金串はこの日、1度の出塁すらも達成できていなかったが、それでもまだ、安室高校サイドからの期待は薄れるものではなかった。
1球目.........ボール!
外角に逃げるスライダーに、もはやもう反応すらしない。これは決して手が出なかったのではなく、選球眼の良い、いつも通りの金串が帰ってきたということである。
そしてついに、続く2球目のストレートを金串はコンパクトに打ち抜いた。
パァァーーーン!!!!!
打球はレフト前に落ちるヒットとなった。
さぁ、同点のランナーを迎え、頼れるキャプテン、精神的支柱、安室高校の主砲である御木本が、みんなの思いを背に受け、バッターボックスに入る。
ここでタイムリーが出れば同点、一発が出れば一気に逆転となる。しかし、アウトになれば、甲子園出場の権利を失い、3年生の部員は引退を余儀なくされる。それら全てはこの男にかかっているのだ。球場全体が熱気の渦に包まれ、全ての注目がバッターボックスの御木本に一極集中する。スタンド全員が息を呑んだ。
球場が異様な空気に包まれる中、近衛は最後の勝負だと言わんばかりに、力一杯ストレートを投げ込んだ。
そして何があったのか、ボールがすっぽ抜けたのか、近衛は投げた後、あっ、と呟いた。
なるほど、近衛の豪速球はバッターにとって1番打ちやすいゾーン、つまりど真ん中に入る失投になってしまったのである。そしてそれを御木本ともあろう男が見逃すはずもなかった。
カキィーーーーーーーン!!!!!
快音を響かせ、打球はレフトに向かって大きな弧を描く。
「お、お、いった!」
「やったーー!!!」
「キャ、キャプテン!!!」
安室高校のベンチ内外から、悲鳴に近い大歓声が起こる。打った本人の御木本は祈るように打球の行方を見つめていた。
しかし、ここまで来た赤坂実業高校だ。
レフトは打球を見ることなくひたすらフェンスに向かって走る。全力疾走だ。
そしてフェンスギリギリ手前のところで振り返ったと思うと、おもむろにグラブを差し出した。
「え」
「え、え?」
レフトのグラブにボールは収まり、試合はゲームセットを迎える。
安室高校の、そして御木本ら3年生の、夏がこうして幕を閉じたのであった。




