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1. 熊さんのラブレター

□◆□◆




 ある日の、家々から味噌汁の匂いが漂っているお昼時。

 大柄の男が鮎川家の敷地へと駆け込んできた。


「ちょっと聞いてよ舞花ちゃん、大変なんだ」


 勝手口のドアを開け、舞花の姿を見つけたくまとしかずは泣きそうな声を出す。

 年齢は三十半ばほどだろうか。黒く日焼けをした四角い顔。そして顎にはもみあげと繋がっている無精ひげ。

 熊田は舞花がよく利用する魚屋の店主だ。

 よほど慌てているのか、商売用の前掛けを着けたままである。


「今度はどうしたんですか熊さん。大きな声出して」


 目玉焼きを焼いている舞花は、疲れたような溜息を吐いた。

 どうせまた、ろくでもない依頼をしに来たのだろうとあきれているのだ。

 それに気付いたのか、熊田は慌てて横に手を振る。


「違う違う。今度は本当に大変なんだって」


 熊田は目を見開いて強調するが、舞花は「ふ~ん」と冷たい視線を返すだけ。


「とにかく、聞くだけ聞いておくれよ」


 手を合わせてくる熊田に、舞花は「……聞くだけなら」と溜息を吐いた。

 鮎川舞花は亡き父の跡を継いで探偵を生業としている。

 先日も遠出して殺人事件を解決してきたばかり。だが、そうそう大きな事件の依頼など来るはずもなく、普段は町の人たちの相談相手になったり、時には木に登って降りられなくなった子猫を助けたりと、いわゆる『よろず屋』のような仕事をしていた。


「でも、また変な話だったら断りますからね」


「お、俺は舞花ちゃんに変な話なんてしたことないよ~」


 腰に手をあてて仁王立ちする舞花に、熊田は困った顔を見せる。


「なに言ってるんですか。この前は並べたはずの魚がいつの間にか消えているって言うから調べたのに、ただ野良猫が盗んでただけだったじゃないですか。それに、その前は幽霊が出たって大騒ぎするから調べたのに、幽霊の正体はお化粧をした熊さんのお母さんだったでしょ。あの時は人を化けもの扱いするなって、私まで怒られちゃったじゃない」


 そう舞花はふくれるが、熊田も言い返す。


「魚はよぉ、まさか目を離した隙に十匹もの野良猫が来るなんて思わねぇじゃねぇか。それに幽霊の件はうちのおふくろが悪いや。何年もしたことのない慣れない化粧なんてするもんだから……いくら祝言に行くための練習だっていってもよ、俺はあの顔を夜中に見たんだぜ、幽霊だと思ってもしかたないだろ?」


「まあ、たしかにあの化粧は凄まじかったですけど……」


「そうだろ? あれじゃ白粉を塗りすぎてのっぺらぼうにしか見えないって、舞花ちゃんも笑ってたじゃねえか」


「わ、私はそんなこと言ってないでしょ。それを言ったのは熊さんじゃない」


「でも、あとで一緒に笑ったよな?」


「う……そ、それは……」


 身に覚えのある舞花は言い返すことが出来ない。


「そんなことより熊さん、大変な事って何?」


 仕方なく、舞花は話題を変える。


「おお、そうだった――」


 思い出したように手を打った熊田は、


「舞花ちゃん、これを見てくれよ。今朝渡されたんだけどさ……」


懐から紙切れを取り出した。

 どうやら手紙のようだ。


「これは……なに?」


 受け取った舞花は首を傾げる。

 その手紙にはこう書かれていた。



俊和さんへ


さんがすき

ずつていで

かますます

しでやのい

とはめつな


夏目を探してぐるぐると回ってくださいね。

夕刻にお逢いできることを願っております。


夏目より



 呆然とする舞花に熊田が詰め寄る。


「で、舞花ちゃん。これはなんだい?」


「訊いたのは私なんですけど?」


 質問に質問を返されても答えようがない。


「熊さん、どういった経緯でこれを受け取ったの?」


 舞花の質問に、熊田の顔が赤くなる。


「じ、実はよぉ。俺、三丁目のなつちゃんに、その……こ、告白されてな」


つりせんを間違えていますよって?」


「ちがぁぁぁうっ! なんでそうなっちゃうのさ!」


「だって、熊さんよく釣銭間違えるし」


 熊田の大きな声に舞花は指で耳を塞いでいる。

 この熊田という男。魚屋という商売を営んでいるが計算はからっきしでどんぶり勘定もいいところである。

 しかし釣銭間違いなど日常茶飯事ではあるものの、人の良さと魚を一匹買えば他の魚までおまけに付けてくれるというサービス精神がうけ、文句を言う人は誰もいない。


「じゃあ、なつめさんは何を告白したんですか?」


「そりゃあ舞花ちゃん。告白つったら、やっぱりあれだろう?」


 再び顔を赤くし、熊田は大きな体をもじもじさせる。


「あれって?」


「だ、だから……」


「だから?」


「そ、その……」


「その?」


「す……」


「……す? もうっ、なんなの?」


 歯切れの悪い熊田を注意すると、熊田は耳まで赤くして息を吸い込んだ。


「す、好きですって、お付き合いしてくださいって告白されたの!」


「好きですって……。ええっ! 夏目さんって熊さんのことが好きだったの!?」


 舞花は目を見開いて驚いた。

 九条夏目といえば町内一の美人だと評判な娘なのだ。


「ま、ままま、舞花ちゃん! 声が大きいって!」


 舞花の大声に、熊田は慌てた様子で口に指をあてた。


「ご、ごめん」


 舞花も自分の口を手で覆う。

 この時にできた沈黙の間で冷静になったのか、熊田は急に肩を落とした。


「やっぱり、俺からかわれてるのかな? 夏目ちゃん美人だし、年だって一回り離れてるし……」


 それを聞いた舞花はからからと笑いだす。


「年の差を気にするのは男の人の方が多いっていうけど、熊さんもそうなんだね」


 九条夏目は、十九才の舞花より四つか五つ年上になる。

 たしかに熊田とは干支で一回りくらいの年の差があるのだが、この期に及んで何を言っているのかと舞花は面白がっている。


「舞花ちゃんは気にならないのかい?」


 探るような視線を受けた舞花はきっぱりと答えた。


「気にする」


「するんだ……」


 熊田の目がテンになる。


「まあね。子供扱いされないか心配になるっていう意味でだけど。でも、さすがに一回りも上の人はないな~」


「そうだよな~……」


「あ」


 さらに肩を落とす熊田に、舞花は「私は、だからね」と前置きしてこう続けた。


「だけど、告白されたんなら心配いらないんじゃないかな。通りの角の楠本さん夫婦だって親子ほどの年の差があるわけだし。夏目さんってちょっと変わり者って感じだけど、熊さんにその気があるなら受け入れてあげれば?」


「その気もなにも、俺は嬉しいんだよ。でもさ、その夏目ちゃんが変わり者ってところで悩んでるわけよ」


「ああ、この手紙のことね」


 舞花はもう一度手紙に目を通した。




俊和さんへ


さんがすき

ずつていで

かますます

しでやのい

とはめつな


夏目を探してぐるぐると回ってくださいね。

今日の夕刻にお逢いできることを願っております。


夏目より




「今日の夕刻に、俺はどこへ行けばいいのさ! 舞花ちゃん、探偵としてのキミを見込んでお願いするよ。この暗号を解いておくれよ」


「そういうことなら――。はい、解けたわよ」


 僅か数秒の早業だった。


「はやっ! も、もう解けたのかい?」


「ええ。私、優秀な探偵ですから」


 胸を張る舞花に熊田がすがるような視線を送る。


「それで? 俺は夕刻にどこへ行けばいいんだい?」


「それは熊さんが解き明かさないと意味がないわよ」


「……え?」


 答えを教えてもらえると思っていた熊田が凍りついた。


「変わり者の夏目さんとお付き合いするなら、きっと熊さんは頻繁にこういう手紙を受け取ることになるわ。その度に私のところに来るつもり? 私だって毎回解いてあげられるほど暇じゃないの」


「そりゃそうだろうけど……」


 困り顔の熊田に舞花は微笑む。


「大丈夫。私がヒントを出してあげるから、一緒に考えましょ」


 舞花は手紙を熊田へ向けた。


「重要なのは、この“夏目を探してぐるぐると回ってくださいね”ってところ」


「町中を探し回れと? 夏目ちゃんが立ち寄りそうなところといえば……」


 熊田の見当違いな考えに舞花は手を横に振った。


「熊さん、そうじゃなくて。待ち合わせ場所はこの手紙に書いてあるのよ」


「手紙に? でも、よくわからない言葉が並んでいるようにしか見えないんだけどな」


「それじゃ、この5×5の文字を見て、な・つ・めを探してみて」


「5×5の文字のなかに夏目ちゃんが?」




さんがすき

ずつていで

かますます

しでやのい

とはめつな




「さんがすき、ずつていで……とはめつな……ん?」


「気が付いた?」


「とはめつな……これを逆から読んだら、なつめはと……にならないかい?」


「正解。あとはぐるぐる回りながら読めばいいだけ」


「なつめはと……しかずさんがすきです……いのやでまつてます。いのやで……これって、あの井野屋かい?」


 暗号を解けたと熊田の顔が明るくなった。


「間違いなく、甘味処の井野屋さんでしょうね。熊さん、あま~い逢引きになりそうだね」


「にゃは~……」


 熊のような大男が子供のような笑顔になる。

 照れる熊田は舞花に何度もお礼を言い、足取り軽く帰って行った。


「よかったね、熊さん」


 後ろ姿を見送りながら微笑む舞花。すると居間から「舞花、この焦げ臭いのな~に?」と母親の声がした。


「焦げ臭い? あ、ああぁぁぁっ!」


 見ればフライパンのなかの目玉焼きが真っ黒になっていた。

 慌てて火を止める舞花。


「それは舞花が食べなさいよ。食べられるところが残っていればだけど」


 居間からの母親の声に、舞花は乾いた笑い声を吐いた。



□◆□◆

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