お嬢、初めまして! 3
クラリスが発した稀人の世界の言葉──English……英語であったが、残念ながら稀人の世界には数多の国と幾つかの言語が存在しており、巡の暮らしていた国は、英語を第一言語としていない国であった。
しかしながら、英語は、その世界では『世界の共通語』の地位を獲得している。
一応、巡も『I have a Pen』、『I have an Apple』くらいの知識は有しており、音として馴染みがあった。
だから、何日もさ迷い歩いた末にようやく見つけた街の住人がどう見ても、母国、日本の人の顔の特徴をしていなくて。
それでも何とかコンタクトを取ろうと、拙い英語で必死になって話しかけたのにそれが通じなくて、相手の言う事も解らず。
でも体は痛いし空腹だし辛いし惨めだし……どうしようもなくなって、発狂しそうになった時。
聴こえてきたその英語に、巡がどれだけ救われる思いがしたか。
きっとクラリスは分からないだろう。
彼女の第一声を聞いた時、巡は号泣した。
擦り傷や泥だらけでお世辞にも綺麗とは言えない顔を更に不細工に歪めて。
そうする事で激しく動いた顔の筋肉のせいで薄く張っていた傷のかさぶたが裂けて、そこに涙が流れる度にチクリとした痛みを感じたけれども。
それを気にせずに、声を上げてわんわん泣いた。
そんな巡を見てクラリスは、「酷い顔を晒して泣くのはおよしなさい!!」と、ちっとも優しくない言い方で怒鳴りつけてきたけど、それは巡の知らない言葉だったので、巡は何を言われているのか解らず、尚も泣き続けた。
そうしていると。泣き続ける巡をそのままに。
クラリスは、絡まれていた街の人に何事か言いくるめて、それら、後から追いかけて来たらしい彼女の兄とその御付きにも何事かを打ち明けてから、巡の手を引き、彼女をその場所から連れ出した。
少し強めの力で手を引かれ、クラリスが乗って来たらしい馬車につめ込まれて移動する時も、巡は何故か絶えずクラリスに怒られ続けていたけれど。
その怒鳴り声は、何を言っているのか解らなくても自分を励ましているように聴こえて、巡には怖く感じられなかった。
その間もずっと握ってくれていた手が温かった事にとても安心感を覚えたのを、後の後の後々になっても、巡は思い出す。
そうして連れられて来たお屋敷で、直ぐ様、湯編みへと放り出されて、簡単な治療を施されて身なりを整えられ。
呆気にとられている間に豪華な食事を与えられて、食べる事を促され。
最終的に寝室のベッドへ突っ込まれる形で眠りについた。
孤独と空腹、行く宛のない恐怖に怯えた昨日までの酷い生活との落差と、目まぐるしい変化に、何が何だか情報を整理する間もなく巡は眠りの世界に落ちた。
それは久しぶりに安らぎを得られた深い眠りだった。
「“ ん…… ”」
意識が浮上する感覚と共に、瞼の裏側で光を感じ、小さく唸り声を上げつつ、巡が起床すると、そこには腕組みしてこちらを見下ろす、大変美しく威圧的なクラリスの顔があった。
「“ う、うっわぁぁぁぁっ!!!!! ”」
驚いて跳ね起きて、高級寝具の弾力に、巡は再び引き戻されて寝転ぶ。
「“ I bid you good morning.(おはよう) Did you sleep well ? (よく眠れて?) ”」
「“ ぐ……Good morni……え……? ”」
そんな巡にクラリスは声をかけて来た。
声をかけて来たのが自分を助けてくれた人で、それが英語の朝の挨拶である事と、眠りがどうのこうの言われたのは何となく理解出来たが、後半の内容とお礼を含めた正しい返しが解らずに、巡は大いに戸惑う。
「“ Do you know what I mean ? (わたくしの言っていること、伝わってるかしら?) ”」
「“ ええと……? ”」
「やっぱりこの言葉では伝わりませんのね」
「“ は……え……? ”」
そんな巡の様子に、クラリスは一つため息を吐いた後、何かを取り出して、寝転がる巡の傍らに置いた。
「“ これな……解る……しら……? ”」
「“ お、おぉん? ”」
置かれたのは拳大の石で、表面に紋様なのか文字なのか、よく分からないものが刻まれている。
そこから、チューニングの合っていない古いラジオ放送の様なざらざらとした途切れ途切れの音が流れ出た。
「“ わたく……の……葉……伝わってる? ”」
「“ つ!伝わってますっ!伝わってま……おっふっっ!! ”」
それが意味の解る日本語で、そして目の前にいる人の言葉であると認識して、巡は興奮で勢いよく体を起こし、バランスを崩してまた寝具に倒れ込んだ。
「“ ちょっ……遊ぶ……は止め……下さらない? ”」
「“ 遊んでないっす…… ”」
弁明しながらうつ伏せの姿勢になり、そこから、よじよじと起き上がる。
それから巡は、正座の姿勢を作り、クラリスに向かって頭を下げた。
「“ 助けてくださり、ありがとうございます ”」
色々、訊きたい事や知りたい事はあったが、これが先ず一番に伝えなければいけない事だろう。
「“ 別に、たまた……通りがっ……だけです。助け……訳で……ありませんわ ”」
巡の言葉を受けて、相手はツンと顔を反らしてきつく言い返す。
たまたまだろうがなんだろうが、巡がこうして助かった事実に変わりはない。
そして、よくよく観察すると、相手が反らしたその顔は耳が少し赤く色付いてているのが見て取れた。
(もしかしなくても、照れ隠し……?)
この人、ツンデレの気があるのかもしれない。
会話を始めて、しばらくも経っていないのに、巡はそう確信した。