お嬢、初めまして! 1
数年前に遡る。
ウィンコットの国の片隅に、一人、震える少女が居た。
(なんで私がこんな目になんで私がこんな目になんでなんでなんでなんでなんで……)
ガチガチと震えながら踞るその少女は、ウィンコットの国の者ではなかった。
どころか、こちらの次元にある世界の者ですらなかった。
少女の名前は、天ヶ瀬巡。
ウィンコットとは違う次元……いわゆる異世界という場所に存在する、日本国の出身で、そして、その国で特に何の問題もなく生活を送っていた女子高生だった。
その日は修学旅行の最中で、人生初スキーなるものに胸を踊らせながら、友達とああでもないこうでもないと言いながらじゃれあい、楽しい時を過ごしていた……筈だった。
けれど、気がついた時、巡はどこかも分からない森の中に倒れていて、そこに、先程まで話していた友達は一人もいなかった。
状況を探ろうと思い、確かめた携帯端末は圏外。
行く宛もなくさ迷った末に、巡は、森を抜けた先にあった、小さな村へとたどり着く。
「助かった」と思い、その場所へと走ったが、しかし、そこは既に人の暮らしていない廃村であった。
誰か居るだろうと期待を寄せていただけに、その事にがっかりし、力が抜けて歩く気力もなくなってしまった巡は、その日は空き家の一軒を借りて眠る事にする。
どれくらい前から人が住んでいないのか分からないが、壁はボロボロ、ところどころ床が抜け、家具類は腐り落ちたり錆び付いていて使えない状態。
屋根も朽ちかけだが、かろうじて雨風が凌げるのが不幸中の幸いだった。
寝転がる事なんか出来ないから、膝を抱えて両の肩をギュッと抱く。
膝に顔を埋めて目を閉じれば、目尻からポロリポロリと水がこぼれ落ちた。
せめて人が居るところに……。
一夜開け、そう思った巡は、廃村を後にした。
しかし、それからどれだけ歩いても、辺りは森……たまに一軒家や集落を見付けても、人の居る気配はない。
旅行の荷物と、その中のお菓子が手元にあったので、数日は食べる物が確保出来ていたが、それも遂に底を突いた。
「疲れたよ……もうやだよー……」
もはや体が汚れるとかそんな事も考えられず、地べたに座り込んで泣きごとを言うが、当然、誰も答えてはくれない。
そのまま日が暮れるのも構わず座り続けて、完全に辺りが暗くなった頃、不穏な気配が巡を取り囲んだ。
機嫌の悪い犬みたいな唸り声と獣の息遣い。
ジリジリと迫って来るそれの姿が、やがて、暗闇でも視認出来る場所まで現れる。
それは、巡の知る生き物の姿ではなかった。
黒色で、一見、犬か狼の様に見えるが、左右に四つある目が赤く光っている。
「あ゛ーーーーーっ!!!!!」
じわじわと迫っていたうちの一匹が、巡に目掛けて飛びかかって来たのを、手にしていたバッグを振り回してなんとか防ぐ。
「あ゛ーーーーーっ!!!!!あ゛ーーーーーっ!!!!!」
そのままバッグを振り回しながら、キシキシ軋む体を引き摺って起こし走り出した。
そこが道なのかどうかとか、木の枝や草が体を切りつける痛みも忘れて、無我夢中で逃げる。
しかし、元々が山のある土地などで暮らしていなかった巡は、足場の悪い道を移動する事に慣れていない。
足を取られてバランスを崩し、そのまま何かの隙間へ滑り落ちた。
落ちる際に擦りむいたのか、全身にヒリヒリとした痛みが走る。
幸いにして頭をぶつけたりなどはしていなかったが、滑った先を登る気力はなかった。
(なんで私がこんな目になんで私がこんな目になんでなんでなんでなんでなんで……)
土や血でドロドロな体を引き寄せて踞るが、震えが止まらない。
(もうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだ……)
遠くで聞こえる獣の咆哮は、きっと巡を探している声に違いない。
「バケモノ消えろバケモノ消えろバケモノ消えろバケモノ消えろキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロ」
そうして巡が、一夜を明かしきる前に、その周辺一帯の『バケモノ』が、消失していた事など、彼女は知らなかった。