お嬢、婚約破棄です! 2
異世界からの漂流者を稀人と呼ぶ。
稀人は、次元を越えた漂流の負荷により様々な能力を付加され、それを持ってこちら側に流れ着く。
ほとんどは漂流のもたらすそれらに堪えられず命を落とすと言われているが、たどり着いた者が漂流中の事を覚えていない上に、そもそも流れ着く生きた人間の事例が数える程しか無いため、真相は定かでない。
稀な能力を持って流れ着く、稀な人間。
故に、希少。故に、稀人。
その、希少なはずの稀人は、現在、主であるお嬢に引っ張られながら叫んでいる。
「ちょっ……お嬢、痛い!マジ痛い!むしろ弱冠血が滲んでる!!」
「あなた稀人なんだから!それくらい後から自分で治す事が出来ますでしょう!」
「いや、それとこれとは違いますって!今痛いのが問題なんですって!!」
わざとらしく、ウルウルと涙目を作り、悲痛さを湛えた声で身の苦痛を訴えてみると、訴えられた方は、溜め息をついて足を止めた。
「少しくらい反省なさい。殿下にあの様な物言いをして……ここが学園都市であなたが稀人だったから良かったものの、本来なら不敬罪に問われてもおかしくないんですのよ?」
学園都市は国から独立した体制を貫く。
加えて、稀人は、その能力や特異性故に、『世界を脅かす程の問題を起こさない限りは丁重に扱わねばならない』とされている。
それは、歴史を知る、いわゆる上流階級に属する者ほど徹底して守られている決まりだった。
「というかあなた、あれ、殿下がお怒りになると解っていてわざとやりましたわね?」
お嬢の指摘に、メイドは、唇をつきだして口笛を吹いてるかの様なポーズを取っているが、その口からはヒューヒューと風が流れる間抜けな音だけがする。
「吹けてませんわよ!全く……確かに、あなたは、普段から一般常識度外視した様な言動が多いですけど、いつもは、もうちょっと、気持ち、ほんのちょっぴりだけ分別がありますでしょう?」
メイドはまたしても、口からヒューヒューと風を吹き出す。
「だから吹けてませんわよ!ふざけた動きで誤魔化すのはお止しなさい!」
「あれ、バレました?」
「……あなたが何かするとき、それが大体、わたくしがらみなのは知っています。あなたが殿下に不遜な態度を取ったのは、わたくしのせいなのでしょう?」
「それは違います!」
それは違う。
お嬢の。彼女の『せい』などという事は、決してない。
メイドには恩があった。
この世界に流れ着いて、右も左も言葉も解らず、途方にくれていた時に、お嬢に救ってもらったというでっかいでっかい恩があった。
だからメイドには、このお嬢に、これからの全てを捧げ尽くすのだという決意があった。
「ていうかですよ?だってですよ?あの王子お嬢に対して失礼過ぎやしません?お嬢というものがありながら、あの特待生と必要以上に接触してるとか、そもそも今まで浮気紛いの行為をしくさってたのあっちじゃないですか!それをちんけな冤罪着せて婚約破棄するとか馬鹿にしてるにも程がある!!」
それを。その大事なお嬢を。
彼らは。この度の婚約破棄劇の関係者たちは。
落として踏みにじったに等しいのだ。
「殿下のお取りになった、あれらの行動は、全ていじめを受けているリズベットさんを思っての行動でしょう?」
「だからって、何かある度に王子に突撃ダイレクトアタックかます必要あります!?王子、いちいち、それを受ける必要あります!?」
「……殿下はお優しい方なのよ。リズベットさんもそれが分かるから殿下を頼ったのではないかしら?それに、冤罪の件だって、沢山の嘆願書があったから動いたに違いないわ」
「いやあれ正義感行き過ぎて、前方一直線以外の後ろとか左右とか、上とか下とか、見えなくなってるだけでしょう!というかですね、先ず、私が納得行ってないのは、一方からの意見だけでよく調べもせずにあれって事ですよ!しかもですよ!?仮にも婚約者の方を信じないであっちの意見ばっかり参考にするってなんなんですかね!?そこに愛はないんですかね!?お嬢への愛はないんですかね!?……いや、愛に関しては私がめっちゃお嬢愛してるんでいいです!!……せめて信頼はないんですかね!?あんな奴の所に嫁いで、それで私の大事なお嬢は幸せになれるんですかねぇっ!!!!!」
「やっぱり、わたくしのせいで……いいえ、わたくしのために、憤ってくださいましたのね」
メイドがまたしても違いますぅ……などと言いながら頬を膨らませたので、お嬢はそれを指でつついた。
ぷしゅっと気の抜ける様な空気音がしたので、クスリと笑う。
「……それでも……ですわ。それでもわたくしと殿下の婚姻は、殿下の後ろ楯と国の上層の安定には必要な事で……本当は話し合ってでも彼に考え直していただく必要がありましたのよ……」
「お嬢……」
王位継承権第一位のカイル王子であるが、実は、彼が王位を継ぐのは、絶対の磐石ではない。
それには、現王が王位に着くにあたり、辿った経緯が関係していた。
しかし、カイル王子の王位継承権が揺らげば、その頃のもめ事や問題が再び浮上する事になる。
だから、それらの問題をねじ伏せるために、カイル王子には強い後ろ楯が必要だった。
しかし。
「でも、もういいですわ!このまま痼の残る婚約を続けても、それはそれで問題が起きそうですし、正直、メグルがああ言った時はスッキリしましたし!」
メイドはカイル王子の事を能力脆弱と酷評していたが、腐っても王子、知力は言うほど酷いものではない。
自分の立場が不動のものではないことくらい、彼も十分に理解しているはずだ。
そして、理解した上で、それでも、己が胸の内の正義に則って、あの婚約破棄の宣言をした。
婚約を結んでからそれなりに王子と会って話してきた自信はあったのに。
最終的に周囲の人たちの声と天秤にかけられ負けてしまい、「わたくしに対する信頼ってその程度だったのね」……と、お嬢が、王子に対してがっかりしたのもまた事実である。
「ナイス切り替え!流石、高品質珍プレイ好プレイ製造機お嬢!素敵!!」
メイドが囃し立てる。
切り替えが早いのは、どちらかと言えばそちらではないか、と、お嬢は思う。
「前から思ってましたけど、その、ちん……何とかってなんですの?」
「あ、お嬢、そこで切っちゃうのダメなやつ」
「何でよ?」
「あ、これ、純粋なお嬢にはまだ早いやつです」
「また訳の分からない事を……あとその小型念写機の中身だけれどね、即刻削除なさい」
『小型念写機』と、お嬢に指された、メイドの手には、奇妙な質感をした板状の物が握られている。
それには、先ほど、メイドが王子に提出しようとしていた、証拠のナニカが収まっているはずだった。