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「今日はこの本を借りていきたいのですが」


 その日の仕事終わり。図書館を閉めてから、ルーテシアは3冊の本をオベロスタに差し出した。休みの前にルーテシアがたくさん本を借りていくのはいつものことなので、オベロスタは「はいはい」と言いながら手続きを進める。しかし、1冊の本で手が止まった。


「王宮料理全集? ルーテシアがこの手の本を借りていくなんて珍しいな」

「そうですか? いつもいろんなジャンルの本を借りているじゃないですか」

「それもそうだが、女性が好みそうな本よりは、医学書とか植物図鑑とか、男性の職業の本の方が多いだろう」

「まぁ……それは確かにそうかもしれませんね」


 ルーテシアははにかみながら微笑む。


「実は、旦那さまに料理でも作って差し上げようかと思っていて」

「ルーテシアが?」


 予想していた話だっただろうに、オベロスタは仰々しく驚いてみせた。


「まさかルーテシアがそんな女性らしいことを言う日が来るとは」

「失礼ですね。私だって結婚したのですから」

「それもそうだけどさ」


 オベロスタはニヤリと笑いながら貸出の手続きを進める。


「この数日で料理を作ろうと思うまでになるとは、俺は思ってもみなかったよ」

「まぁ、その点においては私も同じ気持ちですけれど。だけど、せっかく旦那さまが早く帰ってきてくださる日に私も休みなんですから。笑ってもらうためにも料理を作ってみようかな、と思いまして」

「まるで恋をしているみたいだね」

「恋を?」


 恋という言葉が自分に向けられるなどと思ってもいなかったルーテシアは、声を裏返して聞き返した。


「そうさ。案外、ルーテシアの初恋は旦那さまになるのかもな」

「そんなまさか。まだ、ヘルマン様のこと、何も知らないのに」

「今はそうでも今後はわからないだろう? それに、夫婦なんだから、恋をしてもいいじゃないか。今からだって遅くはない」

「オベロスタさんはそうかもしれませんけど……私に恋というのは無縁ですから」

「そうやって突き放すのはよくないよ。してみたらいいものなんだからさ、恋も」

「単にオベロスタさんが私を見ていて面白いだけなんじゃないですか?」

「そうとも言う」


 オベロスタは肩をすくめて笑い、「はい」とルーテシアに本を手渡した。『王宮料理全集Ⅰ』と書かれた本の表紙を見つめながら、ルーテシアは「恋、か……」と、呟く。


 生まれて19年、ルーテシアには無縁だった単語だ。自分にそんな日が訪れるとは到底思えないけれど、ヘルマンの妻となり、改めてそのことについて考える。


(と、いうか、ヘルマン様は恋はしてこなかったのかしら……。もしかしたら、今後、ヘルマン様にそういう方ができて、新しい家庭を築く可能性もあるのよね……)


 アルビリオン王国では一夫多妻制が認められている。ルーテシアとヘルマンは形として夫婦とはなったが、子を成すような関係ではない。


 無理に跡継ぎを作らなくてはいけない立場ではないが、もし、ヘルマンが子を欲した場合、別に妻を迎える可能性もある。そして、ヘルマンがルーテシア以外の女性に恋をした場合も。


(考えても仕方がないわ。ある程度覚悟していたことでもあるし)


 ルーテシアは首を振ってその考えを追い出そうとする。あの屋敷に一人きりになるかと思うと寂しいけれど、それも仕方のないことだ。仕事を続けられているだけ、ありがたいと思わなければ。


「そういえばルーテシア」


 ぼんやりとしていたルーテシアにオベロスタが声をかけてきた。


「王宮料理全集を借りたはいいけど、料理したことないんだろう? それ、王宮の料理人が読むような専門書だぜ? もっと料理の基本が書かれた本を借りるべきじゃないか」

「何を言ってるんですか。そんな基本を書いた本がこの図書館に置いてあるわけないじゃないですか」


 当たり前のように言うルーテシアに、オベロスタは苦笑いを浮かべる。


「あーあ。旦那さまの胃腸が俺は心配だよ。医学書も借りていった方がいいんじゃないか?」

「大丈夫ですよ! なんとかなりますって!」

「ルーテシアの楽観的な性格、普段は好きだけど今回ばかりは旦那さまに同情するな、俺……」


 根拠のない自信を見せるルーテシアを見て、オベロスタはやれやれとため息をついた。




「ヘルマンさん、お疲れ様です」


 翌日の夕方。仕事を終えたヘルマンは汗をかいた肌着を着替えるために騎士団の控室にいた。そこに声をかけてきたのは、気の弱そうな青年だ。


「ガリオ」


 ヘルマンは騎士服の前のボタンを止めながらガリオを見る。ガリオ・スワイロスはヘルマンの2つ年下の後輩騎士だ。ミルクティ色の髪の毛は長く、三つ編みをして1つにまとめている。騎士にしては優しそうな印象だ。


「今日は早く帰れてよかったですね」


 ガリオはヘルマンの隣の棚から自分の着替えを取り出し、服を脱ぎ始める。


 ヘルマンはいつもの無表情だが、ガリオが怯む様子はない。ガリオが騎士団に入った時からもう4年の付き合いになる。“笑わない騎士”と呼ばれるヘルマンの変わらない表情にも慣れたものだった。


「ヘルマンさん、もう少し休んだほうがいいですよ。働きすぎだと思います」

「仕方のないことだ。今は社交の時期、騎士も忙しくなるからな」


 ヘルマンとガリオは主にアルビリオン王国の第一王女の護衛をしている。王女にも自由恋愛が認められているので、年頃である第一王女は頻繁に社交界に顔を出していた。


「でも、ヘルマンさん、新婚なのに……」


 ガリオは眉尻を下げる。ガリオもヘルマンとルーテシアの結婚式に参列した一人だった。


「奥さまも働いているんですよね? 休みが合わないと辛くないですか?」

「辛い、か……」


 ヘルマンはルーテシアが「寂しい」と言ったことを思い出す。自分に興味がないとばかり思い、あえて顔を合わせてこなかった妻が言った言葉はヘルマンの心の中にしっかりと残っていた。


「たまには奥さまにおやすみを合わせてはいかがですか? 僕も協力しますよ。いつもヘルマンさんにはよくしていただいていますから」

「……だが、休みを合わせたところで退屈な思いをさせるだけだろう」

「そんなことはないと思いますが」


 ガリオは困ったように微笑む。


「あ、そうそう。姉から聞いたのですが、王都に女性に人気のカフェが最近できたらしいですよ。なんでも、ケーキがふわふわで美味しいとか。女性は誰もが興味を持っていて、デートをするならそこがおすすめだ、と力説されました」


 ガリオは現在とある女性と婚約中だ。ヘルマンと同じく親同士が決めた相手だが、お互い惹かれ合い、今では順調に交際を進めている。ガリオは婚約者を飽きさせないように、そういった情報にも詳しいようだった。


「よかったら誘ってみてはいかがですか? きっと喜ばれますよ」

「…………」


 ヘルマンは難しい顔をして黙り込む。しかし、そんなヘルマンを見てガリオは密かに笑みをこぼす。


 ちょっと前までルーテシアについての話を振っても「私たちは形だけの結婚だから」と、素っ気なく言われてしまっていた。それが、ヘルマンに歩み寄るような姿勢が見えて、ガリオは嬉しかったのだ。特に、ガリオは長い付き合いの中でヘルマンの内面を知っているので、とてもいい傾向だと思った。


「引き止めてしまってすみません。今日は奥様が家にいらっしゃるんじゃないですか? 早く帰ってあげてください」

「……それでは、また明日」

「はい、お疲れ様です!」


 ガリオは何も否定をしなかったヘルマンの背中を見ながら、小さく声を出して嬉しそうに笑った。


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