テラウェッジ家でホームパーティ4
ライアンとルーテシアは庭を見ることができる位置にあるテーブルを囲んで向かい合って座った。ライアンは外で木刀を構えているラジアンと、その構えを直しているヘルマンを眩しそうに目を細めて見ている。
「ありがとう」
ぽつりと零された言葉が誰に向けられているものなのかわからず、ルーテシアは無言でライアンに視線を送った。ライアンは視線をルーテシアに移すと、ふっと微笑んだ。
「ヘルマンのこと。辛抱強く付き合ってくれたんだろう」
「いえ、そんなことは……」
ルーテシアには思い当たることがなく、首を振る。
「いや、わかるよ。俺はヘルマンの兄だからね」
ライアンはもう一度庭へと視線を向けた。
「あれは昔から自分の感情を表に出すタイプじゃない。表情にも出なければ口にも出さないからね」
その言葉には思い当たることがある。ルーテシアも臆病だったが、ヘルマンの気持ちがわからなかったからこそ、夫婦となってだいぶ経って気持ちを伝えあうことになったのだから。
「俺たち兄弟や両親は長い付き合いだから考えていることがわかるけれど、ルーテシアさんは苦労しただろう」
「苦労……とは思っていません」
ルーテシアは控えめに口を挟む。
「確かにわかりにくいところのある方ですが、ちょっとずつわかるようになってきましたし、何より最近は言葉にも態度にも表してくれるようになりましたから」
ライアンがヘルマンと自分のことを本当に心配してくれているのだとわかり、ルーテシアは安心してもらえるようにはっきりと口にした。ライアンは目を細めて微笑む。その顔は、まだ何度かしか見たことがないヘルマンの笑顔に目元が似ていると思った。
「結婚してくれたのがルーテシアさんで本当によかった。ヘルマンだってきっとそう思っているはずだよ」
「そうでしょうか」
ヘルマンの気持ちを理解しているが、ルーテシアは恥ずかしくてそんな風に答えた。ライアンは深く頷く。
「まあ元々、ヘルマン側の心配はしていなかったけれどね。心配だったのはルーテシアさんがヘルマンをどう思うかというところだけで」
「ヘルマン様の心配はしていなかった……というと?」
ルーテシアが聞き返すと、ライアンはちょっといたずらっぽく笑う。
「こんなこと言うとヘルマンに怒られるかもしれないけどね。ヘルマンは元々ルーテシアさんのことを好ましく思っていたから」
「好ましく……えぇぇ!?」
言葉の意味を理解すると、遅れてルーテシアの頬が赤くなる。だが、ルーテシアはその言葉を素直に受け入れることができない。
「ヘルマン様は初めはそんな素振りまったく……。結婚当初はほとんど会話もありませんでしたから」
「不器用なんだ」
ライアンは困ったように微笑む。
「女性にも興味がないと言って関わってこなかったからね。うちは男兄弟だし、女性の扱いがわからなかったんだと思うよ。だけど、さっき言ったことは本当だ」
ルーテシアは頬を赤く染めたままライアンの話に聞き入っている。
「初めて顔を合わせた日のことを覚えている?」
「はい」
忘れるはずがない。結婚式を挙げる前にヘルマンとは一度だけ会った。その時はライアンとヘルマンが二人でやってきて、ルーテシアの両親と共に挨拶をした。簡単な自己紹介の後、ルーテシアが結婚後も仕事を続けたいこと、結婚式の話、結婚後の住まいの話などほとんど事務的な話をして終わった。
「あの日の帰りに上手くやっていけそうかヘルマンに聞いたんだ。そうしたらあいつ『可愛らしい人でした』って言ったんだ」
ライアンはその時のことを思い出したのか、くつくつと笑いながら続ける。
「ヘルマンが女性の容姿を褒めるところなんて初めて聞いたし、何より余裕がない感じがさ。ああ、これは惚れたんだろうなって」
「そ……」
そんなことあるのだろうか。ルーテシアはそう思いながら、ドキドキと速くなった鼓動を落ち着けるように胸に手を当てる。
あの時は本当に事務的な話ばかりで、ルーテシアだってヘルマン自身のことはほとんど知ることができなかった。そんな顔合わせだったのに、ヘルマンがそんな風に思ってくれていたなんて。
「後で聞いてみるといいよ」
ルーテシアは庭でラジアンに剣術の指導をしているヘルマンを見る。胸がドキドキとしてどうしようもない。早く二人きりになってそのことを聞いてみたいと思った。
「それじゃあまた」
「プルガトルへ行く前にまた顔を出すんだぞ」
「ヘルマン、上手くやれよ」
「……わかっています」
夕暮れ時にヘルマンとルーテシアはテラウェッジ家を後にする。思い思いに挨拶を交わし、馬車に乗り込んだ。動き出すと、思わずと言った様子でヘルマンが深い息を吐き出した。
「お疲れ様でした」
「ルーテシアも」
ヘルマンはルーテシアの頭に触れ、よしよしと撫でる。
「両親も兄も大切な家族ですが、やはり私はこうして静かにいられることが好きなようです」
「まあ。私も静かな方ではないと思いますが」
「そうですか? あまり気になりません」
ヘルマンはそう言うと、ルーテシアの身体を引き寄せた。ルーテシアはヘルマンの胸に頬を寄せながら、聞きたかったことを尋ねてみることにする。
「ヘルマン様、私と初めて顔を合わせた時、どう思いましたか?」
「どうしたんですか? 急に」
そう言いながらも、ヘルマンは嫌がる様子は見せない。
「ちょっと聞いてみたくて」
「そうですね……誤解を恐れずに言うとしたら、会う前に抱いていたイメージとは違いましたね」
「どんな風に?」
「結婚をしたがらない女性というのは珍しいでしょう。だから、どんな変わり者かと」
ルーテシアは少し驚いた顔をした後、くすくすと笑った。当然のことだと思ったからだ。
「実際に変わり者でしたでしょう」
「いえ、初めて会った時のルーテシアは大人しいご令嬢でしたよ」
「そう思っていただけたなら、お母様の教育のおかげですね」
そう言ってルーテシアは笑いを深める。
「とても結婚できずに行き遅れてしまいそうな女性には見えませんでした。求婚されたこともあったでしょう?」
「いいえ。私は本にしか興味がなかったんです。結婚したら大抵は仕事をやめなくてはいけないこともあり、社交の時期になっても毎年一、二度しか出ませんでした。私は地味ですし、見初められないように会話に気をつけてもいましたから」
「気をつけていたとは?」
「何を尋ねられても本の話しかしませんでした。こちらからお聞きすることも本のことばかり。大抵、5分と持たずに離れて行きました」
「そうですか。見る目のない男達だ」
ヘルマンはそう言い、ルーテシアを抱く力を強めた。
「実際、結婚後に仕事を続けたいと言う条件では、なかなか相手も見つかりませんでしたよ。お父様の頑張りでヘルマン様に出会えたわけですが……」
「ええ、本当によかった」
ヘルマンがそう強く言うので、ルーテシアの頬が赤くなる。
「あの……ライアンお義兄様がおっしゃっていたんですけれど……」
言いにくいことを尋ねようとしているので、ルーテシアは口ごもる。赤くなった顔で僅かに瞳をうるませて聞く。
「ヘルマン様は、初めて私に会った時に……その、私に既に惚れていた、と……」
ヘルマンは間の抜けた顔をした後、口を引き結ぶ。照れているのだとわかって、ルーテシアの胸は高鳴った。
「兄上はまた余計なことを……私が剣術を教えている間ですね?」
「ええ、でもあまり怒らないでくださいね。ライアンお義兄様もヘルマン様のことを心配して言ってくださったのだと思うので」
「わかっていますが……」
ヘルマンは目を閉じて両目尻を指で抑えてから、口を開く。
「……可愛らしい方だと思いましたよ。ルーテシアのことを」
さっきライアンから言われたことだったが、直接ヘルマンからその言葉が聞けてルーテシアの心臓は跳ね上がった。
「『惚れた』とはっきり認識したのはだいぶ後になってからのことでしたが。ですが、思えば初めて会った時から好意は持っていたのでしょうね」
どこか他人事のように言えるのは、想いが通じ合って冷静に過去の自分を見られるようになったからだ。恋愛経験がないということは、初めて芽生えた気持ちを理解するのに時間がかかるということでもある。
ヘルマンに熱の籠もった瞳で見つめられて、ルーテシアは逃げたくなるくらい胸がきゅっとなった。
「もっと早く言ってくださればよかったのに」
恥ずかしさから、ルーテシアは可愛げのないことを言う。しかし、それすらも愛おしいと言わんばかりの熱い眼差しがルーテシアを捉え続けている。
「恋愛に興味がなかったので、自分でもそんな感情に戸惑っていたのですよ。ルーテシアも私を好きになるはずはないと思いましたし。でも……」
ヘルマンの指がルーテシアの頬を撫でた。
「ルーテシアの反応を見て、次第にもしかしたらと希望を持つようになりました。その時にちゃんとはっきりと言葉にするべきでした。結果、ルーテシアを不安にさせて、本当に申し訳なかったと思っています」
「ヘルマン様……」
謝らなくていいと言いたいのに胸が一杯になってすぐに言葉が出てこない。その間に、ルーテシアの耳元にヘルマンの口が寄ってくる。
「これからは何度でも言います。ルーテシアを愛していると」
ボリュームの抑えられた声は色香が漂い、ルーテシアをぞくりとさせる。ルーテシアはしがみつくようにヘルマンに抱きついた。
「ルーテシア」
ヘルマンはそんなルーテシアの顎に手を添え、上を向かせる。ゆっくりとヘルマンの顔が近いてきて、ルーテシアは目を閉じた。熱い唇が重なって、ルーテシアはくらくらとした。
唇が離れると間近で目が合う。
「これからはもう不安にさせるようなことはしないと誓います」
「ヘルマン様……」
ルーテシアは再びヘルマンの胸へ自分の顔をつける。顔も身体も熱く、もうパンク寸前だ。そんなルーテシアをふっと微笑んで見たヘルマンは、家に着くまでよしよしとなだめ続けていた。




