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中庭には人だかりができていた。集まった人々は掲示を見て笑顔を浮かべている。必死な表情のルーテシアはその人だかりをかき分けて、掲示が見える位置までたどり着いた。
アルビリオン王国の正式な掲示はこう書かれている。
『アルビリオン王国第一王女アンジェリカ・フォン・アルビリオンはプルガトル王国次期宰相ベーカゼリス・デンライズと婚約が内定した。今秋プルガトルへ降嫁する。
それに伴い、近衛騎士三名を任命する。
筆頭近衛騎士:アルセフ・エムバラ
近衛騎士 :ヘルマン・テラウェッジ
ガリオ・スワイロス』
「ヘルマン様がアンジェリカ王女の近衛騎士に……つまり、一緒にプルガトル、に……?」
掲示の内容を何度も何度も確認し、ルーテシアはそう呟いた。集まった人々はアンジェリカの婚約に色めき立っているが、ルーテシアだけは違う。ヘルマンの名前と近衛騎士という文字をじっと見つめて青白い顔をしている。
「そんな……」
ヘルマンがプルガトルに行ってしまう。その事実を理解し、ルーテシアはその場にへたり込む。
混乱する頭に蘇ってきたのは昨夜のヘルマンの言葉だ。
『話が、ありまして。大事な話が』
「大事な話ってまさかこのこと……?」
てっきり、昨日見た女性とのことを告げられるとばかり思っていた。
「そうだとしたら──」
『それでは……私についてきてはくれない、ということですか?』
「プルガトル行きのことを言っていたってこと? 私もついていっても、いいということですか?」
ルーテシアは昨夜の自分の重大な勘違いに気がついた。てっきり新しい女性との新居にルーテシアをつれていくと言っていると思ったのだ。昨夜のヘルマンの傷ついた顔を思い出すと胸が締め付けられて苦しい。
「だけど、あの方は……?」
ヘルマンと一緒に歩いていた、銀髪の女性だ。その女性もプルガトルにつれていくつもりなんだろうか。それとも、ルーテシアだけ?
わからないことばかりで、ルーテシアはその場に呆然と座り込んでいる。洋服が汚れることも気にならない。今は目の前の掲示のことで頭がいっぱいだ。
ヘルマンがアルビリオン王国からいなくなる。このままだと、ルーテシアを置いて。
ルーテシアの心は切り裂かれそうに痛い。たった12日間離れただけで辛かったのに、今度はもっと長くなる。年に一度も会えるかどうかわからない状態が一生続くことになってしまう。
そんなことになれば、事実上の離縁だ。苦しすぎて、ルーテシアの息は荒くなる。昨夜のヘルマンも傷ついた顔をしていた。あの表情が意味する感情はなんだったのだろう。
何を信じればいいのかわからない。ルーテシアには笑顔を見せてくれず、他の女性とデートをしていたヘルマンが真実なのか、それとも家で見せるルーテシアを大切に想ってくれている様子のヘルマンが真実なのか。
ルーテシアに見せない顔と見せる顔。それらを思い出しながら、ルーテシアはしばらく座り込んでいた。
ハッと我に返ったのは、答えを見つけたからではなかった。仕事を放り出してここへ来てしまったことを思い出したのだ。
「戻らないと。オベロスタさんに迷惑が……」
よろよろと立ち上がり、スカートに付いた土埃を払う。そして、もう一度だけ掲示に目を向けた。
『おかしいぞ、お前。自分でもわかってるんだろ』
仕事のことを思い出したからだろう、昨日言われたオベロスタの言葉を思い出す。
「おかしい、か。そうよね……」
最近のルーテシアは、ヘルマンへの愛が大きくなってしまったことで臆病になってしまっていた。失うこと、愛されないことが怖くて、自分を見失ってしまっていたのだと気がつく。
『ルーテシアらしくない。もっと自分の気持ちのままに突っ走るのがルーテシアだろ』
「自分の気持ちのまま、か……」
ルーテシアは目を閉じて自分の胸に手を当てて考える。今自分はどうしたいのか、今後どうしていきたいのか。
すっと頭が澄んでいくのを感じる。自分の心の奥深くで何を欲しているのか。
ルーテシアはパッと目を開ける。その瞳には光が戻ってきていた。
「よし!」
後先は考えず、今後悔しないことをする。ヘルマンが遠くへ行ってしまう前に。
「まずは仕事! 急がなきゃ!」
ルーテシアは自分で自分に気合いを入れて、図書館へ向けて再び走り出した。
その日の夜。仕事が終わってから、ルーテシアは家に帰って食堂で本を読んでいる。こうして食堂でヘルマンの帰りを待つのは初期の頃以来だ。
最近はリビングで待っていればヘルマンが迎えに来てくれた。ただ、今日は避けられてしまうかもしれないと懸念し、食堂で待つことにした。
覚悟を決めると、不思議と怖さはない。緊張はあるが、ただ待ち遠しいとさえ思っている。
だが、近衛騎士となることが正式に発表になったからか、ヘルマンの帰りは遅い。ルーテシアは緊張しながら、今日借りてきたばかりの本を読みふけっていた。
ヘルマンが帰宅したのは日付が変わる頃のことだ。物音が聞こえて、初めて食堂で会話した時もこのくらいの時間だったことを思い出して僅かに笑みをこぼす。その後で緊張から顔をひきつらせたが、悪い緊張ではなかった。
いつもよりも慌ただしい足音と共にヘルマンが食堂に入ってくる。驚きから目が見開かれたヘルマンの手にはピンク色の大輪の花束が抱えられていた。
「ルーテシア……!?」
「おかえりなさいませ、旦那さま」
ルーテシアは立ち上がって挨拶をする。
「待っていて、くれたのですか?」
「はい。少しお話がしたくて。まずは食事を……」
「いえ、食事など後で構いません」
ヘルマンはつかつかとルーテシアの元に歩み寄り、手を取った。
「リビングへ行きましょう」
「……はい」
そうして二人は手を取り合ってリビングへと移動した。




