28
「身体に優しいレシピの本でしたら、料理の本ではなく、薬草の専門書はいかがでしょうか? 薬草は料理にして摂取できるものもありますし、お粥に細かく刻んで入れる方法もあるみたいですよ。効能や調理法が書かれた本がございますので、よろしければお持ちしましょうか?」
今日もルーテシアは王立図書館で仕事をしている。今日はコック服姿のまま駆け込むようにしてやってきた男性の応対をしていた。
額に汗を滲ませた男性が「ぜひ頼む」と言ってルーテシアに続いて本棚に消えていく。きっと、王族の誰かが体調でも崩したのだろう。王族の情報はどんなものでも最重要機密扱いなのに、あれではすぐにバレてしまう、とオベロスタは横で様子を伺いながら密かに苦笑していた。
(それにしても……)
オベロスタは遠くで本を渡して笑顔を見せているルーテシアを見て笑顔を消す。気に食わない。非常に気に食わない。
「こちらで手続きは終わりです。8日以内の返却をお願いします」
カウンターに戻り、手続きを済ませたルーテシアをずっと胡乱げな目で見つめていたオベロスタに、ルーテシアはようやく気がついて苦笑いを浮かべる。
「どうしたんですか? オベロスタさん。今日、例の薬師の女性が来ないからって、そんな顔しないでくださいよ」
「ちげーよ」
オベロスタはわざと汚い言葉を使う。もちろん、来る度に食事に誘ってもなかなか首を縦に振らない薬師の女性のことも気にはなっていたが、今モヤモヤとしているのはそっちではない。
「ルーテシアだよ、ルーテシア」
「私ですか? 何かしました?」
ルーテシアは目をくりっと丸くして首を傾げた。
ここ最近、ルーテシアの様子がおかしい。きっとヘルマンと何かあったのだろう、とオベロスタが予想できるくらい、ルーテシアは一気に大人になった。幼気な表情が減り、どこか色気を感じさせる憂いのある顔をする。
それが、新婚らしい幸せなオーラを含んだものだったなら、オベロスタはこんな顔をしていなかっただろう。オベロスタはルーテシアが恋愛を知ってどう変わるのか楽しみにしていた。確かにルーテシアは変わったが、オベロスタが望んでいたものではなかった。
最近のルーテシアは別人のようだ。内面の感情を隠して笑ってみせる。以前までは感情のまま突っ走るような人だったのに。
「その顔だよ。気持ち悪い」
「ひどい! そんなこと言わなくたって!」
きつい言葉を使うと、ルーテシアはムッとした顔をした。見たかった本当の顔が久しぶりに見られた気がして、オベロスタは僅かに口角を上げる。
「おかしいぞ、お前。自分でもわかってるんだろ」
「おかしい……」
ルーテシアの表情が揺れた。好機を逃すまいと、オベロスタは畳み掛ける。
「ルーテシアらしくない。もっと自分の気持ちのままに突っ走るのがルーテシアだろ」
「わかり、ません。普通ですよ、私は」
ルーテシアはそう言ってオベロスタから目を逸した。
「そろそろ町へ行ってきますね。お使いです」
そのままオベロスタの目を見ないまま、ルーテシアは足早に図書館を後にする。オベロスタは苦い顔でその背中を見送った。
「幸せなやつはあんな顔はしないんだ。どこで間違ったかねぇ……」
オベロスタが見たかったのは恋愛によって暴走が加速するルーテシアだった。そこにはどこか照れがあり、幸せな顔をしているべきなのだ。
変な方に暴走したルーテシアを見ても、オベロスタにはどうすることもできなかった。
ルーテシアはオベロスタから逃げるように町に出た。しかし、これもれっきとした仕事の内だ。今日、町へ出ることは朝から決まっていた。
町へ出たのは、王族が読む本を購入するという仕事のためだ。王立図書館には王族が娯楽で読める本はほとんどないので、時折司書に依頼が来て、町で選定した本を購入し、王族に献上するという仕事がある。
今日は10歳になったばかりの第五王子の好む本を買いに行く。第五王子は勇敢な冒険物語を好む。彼のための本を買いに行くのはいつもルーテシアの仕事だった。日常的に冒険物語を読んでいるのがルーテシアだからだ。
逆に王女達の本を選ぶのはオベロスタの役目だ。王女達は恋愛小説を好むので、家でそればかり読んでいるオベロスタが適任だった。
そんなわけで、今日は第五王子からの依頼なのでルーテシアは町に出ることになった。何軒も本屋をはしごする。内容も王子に読ませて問題のないものを選ばなくてはならないので、慎重さが必要な仕事だ。
まだ献上したことのない本の中で、しっかりとした内容のものを選ぶ。ルーテシアは本屋の本棚をじっと睨み、時折手にとってパラパラと中身を見て思い出しながら献上する本を購入していった。
無事に5冊ほどを購入することができ、最後にもう一軒本屋を見てから王城へ戻ろうと考えながら歩いていた時。ふと見慣れた人物の姿が見えて、ルーテシアは息を飲んだ。
人混みに紛れても頭1つ抜けている背の高い人物。ルーテシアが贈ったハットをかぶっているヘルマンだ。
ルーテシアはパアッと顔を明るくした。司書の仕事で町へ出ることは滅多にないのに、その機会にこうして会えるとは。
(今日はおやすみだったのね)
朝、会った時は休みだとは言っていなかった。だが、こうしてハットをかぶっているということは、きっと休みなのだろう。
嬉しさから鼓動が早まる。ルーテシアはヘルマンに声をかけようと手を挙げかけた。
「!?」
既のところで手を下げて、思わずルーテシアは建物の影に隠れた。ヘルマンが一人で歩いていたわけではなく、可憐な女性と一緒だったからだ。
ヘルマンの隣の人物は頭に布を巻いていて顔が見にくいが、スカートを履いているので間違いなく女性だ。ルーテシアよりも身分がいいのか、刺繍の入った高価そうなワンピースに身を包んでいる。
女性は痩せているが、ヘルマンに向ける明るく屈託のない笑顔のおかげで、骨ばった顔も柔らかい印象だ。顔は痩せているのに、胸部はしっかりと女性らしさを主張している。布から一筋こぼれ落ちた髪の毛は長く銀色で、毛先だけはピンク色になっていて、見惚れるほど綺麗だった。
ヘルマンはやはり私服を着て、笑ってこそいないが、女性に付かず離れずの距離を嫌がっている様子もない。そんな並んで歩く二人をルーテシアは固まったまま呆然と見送った。顔色は真っ青になり、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
(そう……そうよね。初めからわかっていたことだわ)
二人の姿が見えなくなってしばらくして、ルーテシアはそう思って笑おうとする。だが、ただ表情が引きつっただけで、その後泣きそうに歪められた。
(ヘルマン様と私は恋をして結婚したわけじゃない。ヘルマン様が私以外の誰かと結婚することになっても受け入れるしかないと、そう覚悟していた……はず、なのに……)
ルーテシアの瞳にはみるみる内に涙が溜まってきて、こぼれないようにするためにぐっと瞳に力を入れる。
(浮かれていたんだわ……ヘルマン様の行動から少しでも仲良くなれた気がして)
建物の影で立ったままルーテシアはぎゅっと唇を噛み締めて、感情の波が通り過ぎるのをじっとやり過ごした。




