20
休みの日がやってきた。ルーテシアとヘルマンはレモンケーキ作りを始める前に、まず買い物に向かう。足りない食材があるからだ。
予め通いの侍女に食材を買ってきておいてもらえばいいのだが、こうして自らの足で食材を買いに行くのも気晴らしの一環だとヘルマンは考えていた。こういう機会でもないと、食材を売る店に足を運ぶことはないから、という理由もある。
二人は玄関で待ち合わせた。ルーテシアは肩の開いたワンピースを着て、ショールを羽織っている。普段は露出が少ない服を着ているが、大人っぽく見せるためにチャレンジした。だが、露出が多い分スースーとして落ち着かない様子だ。
玄関へ行くと、待っていたヘルマンの格好を見て、ルーテシアは息を飲む。ヘルマンはシャツの上にジャケットを羽織っていて、ルーテシアがプレゼントしたハットをかぶっていた。
前回、試しにかぶってもらった時は仕事後で軍服姿だったので、こう普段の服装に合わせると、まるでヘルマンのために特注で作られたかのように似合って見えた。
ルーテシアはその場で立ち止まって見惚れてしまいそうになって、慌てて表情を引き締める。大人の女性はそんな間抜けな顔はしないだろうと思ったからだ。
「お待たせいたしました、ヘルマン様。参りましょうか」
「……ええ」
二人は並んで家を出て歩く。ルーテシアはハットの感想も言えないままだ。
「途中で本屋にでも寄りましょうか?」
「いえ、私は大丈夫ですよ」
ヘルマンがそう尋ねても、ルーテシアはすんなりと断る。大人の女性は本屋になど行きたがらないだろうと、そう思っていた。
通りを歩いているとキラキラと輝くアクセサリーがディスプレイされている店が目に入る。ルーテシアがチラリと目をやると、青い花のガラス細工に白いレースがあしらわれたアクセサリーが目につく。
(素敵ね……。青だったら大人っぽい色だし、いいんじゃないかしら)
「……見ますか?」
ルーテシアがちらりと見るだけではなく、じっと視線をディスプレイに向けているのに気がついて、ヘルマンが声をかける。ルーテシアは慌てて視線を戻し、強く首を振った。
「いいえ! 大丈夫です!」
今アクセサリー店なんかに寄ってしまったら、ヘルマンにねだっているようだ。そういうつもりはないので、ルーテシアは興味が無いと強く否定しておいた。二人はそのまま通り過ぎる。
(危なかったわ。私だって働いているのだから、ほしければ自分で買いましょう)
おそらく高いだろうと思われるので、ルーテシアは密かにお金を貯めることを決意した。
「そういえば、今度私の小隊の懇親会があるのですが、ルーテシアも来ますか?」
店を通り過ぎた後、ヘルマンがルーテシアに懇親会の話題を出した。
「行って構わないのですか?」
「ええ。家族も招かれる会ですので。ガリオの婚約者も来る予定だとか」
「エクレール様も……」
ガリオとエクレールとは前回の公開訓練の時以来会えていない。ヘルマンの話も聞き足りないし、会いたいという気持ちがある。
「ご迷惑でないなら、参加させていただきます」
「わかりました。ではそのように言っておきます」
「騎士の方々は家族を招いたイベントが多いのですね」
「はい。騎士は家を開けることが多く、家族には寂しい思いをさせてしまいますから」
ヘルマンも12日間家を開けたばかりだし、騎士によってはもっと遠征は多いのだろう。ルーテシアはヘルマンが言う家族に自分も含まれているかと思うと、幸せな気持ちになった。
そうしてようやく青果店に着く。香りのいいレモンやアプリコットジャム、トッピングするナッツまでを買う。
後は家にあるもので賄えそうなので、二人はあっという間に買い物を済ませて、今歩いてきた道を引き返す。
「……ルーテシア、何かありましたか?」
帰り道、たまらずヘルマンがそう尋ねた。ルーテシアは大人っぽい女性はぺちゃくちゃと喋ったりしないはずだ、と無言を貫いている。普段一人で平気で2、30分喋り続けるルーテシアがそんな状態では、聞かれても仕方のないことだ。
しかし、ルーテシアはすぐには何のことだかわからない。
「何か、とは?」
「元気がないように見えますので」
「そんなことはないですよ」
そこでようやく、普段よりも静かだからヘルマンがそう言ったのだと気がつく。それを、大人の女性に近づけたようだとプラスに捉えた。
「私も大人になった、と言いますか」
「…………」
ルーテシアはどこか得意げだが、ヘルマンは複雑な表情だ。ルーテシアは目を伏せていて、それにも気がついていなかった。
その状態のまま帰宅して、ケーキ作りが始まる。
「では、はじめましょう」
「はい、お願いいたします」
「まずはレモンを絞ります」
ヘルマンが洗って2つに切ったレモンをルーテシアに渡す。
「その搾り器で絞ってください」
「わかりました」
その間にヘルマンはレモンの皮を擦り下ろし、ボールに粉や砂糖を計量し卵を割り入れる。
「絞りました」
「ありが……」
お礼を言おうとしたヘルマンは絞り終わったはずのレモンを見て止まった。ヘルマンから見てレモンの身はまだ残っている。
「……それでは、こちらを泡立たせてもらってもいいですか?」
「はい!」
ルーテシアは元気よく返事をしてボウルを受け取る。ルーテシアがボウルに夢中になっている隙に、ヘルマンはささっとレモンを絞り直した。
「このくらいでどうですか?」
「…………」
程なくしてルーテシアはボウルを差し出してきたが、混ざった程度で泡立ってもいない。ヘルマンは内心、前回ルーテシアが作ったグラタンのことを思い出していた。
「……ルーテシアは料理は2度目でしたね」
「はい」
「……泡立ては、もっと白くなり、まとまってくるまで続けるものです」
「……なるほど」
ルーテシアは泡立て器を握り直して、再び泡立てを再開する。
「そろそろですか?」
「……まだです」
「このくらいでしょうか?」
「いいえ」
「ヘルマ……」
「ダメです」
「ええぇ……」
ルーテシアとヘルマンはそんなやり取りを何度もした。腕の痛さと意外なヘルマンの鬼教官っぷりにルーテシアは大人化計画をすっかり忘れてしまっている。
「ヘルマン様! 白くなりましたよ!」
「それではレモン汁と皮、バターを入れましょう」
「ふぅ、終わりですね」
「いいえ、また混ぜます」
「えええ!?」
ようやく終わりだと思ったのに、まだらしい。ルーテシアは泣きそうな表情になる。
「腕が痛いです、ヘルマン様ぁ」
「代わりましょう。よく頑張りましたね」
ヘルマンはルーテシアから泡立て器を受け取り、代わりに泡立て始める。
「うわぁ、力強い!」
その手付きはルーテシアと比べ物にならないくらいのものだった。台が揺れるくらいの力強さでかき混ぜていく。途中で生クリームや残りの粉を追加して長くかき混ぜる。
「お菓子作りってこんなに疲れるものなのですね」
「ええ、ですが、かき混ぜが肝心なので、手抜きはできません」
「ヘルマン様すごい」
ルーテシアはヘルマンを尊敬の目線で眺め続けた。最後だけもう一度ルーテシアも泡立てを手伝って、ようやく焼く段階だ。
「それではこの型に……ルーテシア、ちょっと」
ヘルマンが呼ぶとルーテシアが振り返る。ルーテシアの頬には、手についたまま触ってしまったのか、生地がついていた。
「顔に生地がついていますよ」
「え、どこですか!?」
ルーテシアはペタペタと顔を触る。しかし、見当違いなところを触れるばかりで、生地は取れそうになかった。
「ちょっとじっとしていてください」
そう言ってヘルマンの手が伸びてくる。触れられる! と思い、ルーテシアは頬を僅かに赤くした。
と、そんなルーテシアを見ていたヘルマンの手が止まる。
「?」
ヘルマンが手で生地を取ってくれるものだと思っていたルーテシアは不思議な顔をして見上げた。すると、ヘルマンの顔がすっと近づいてくる。
「!!?」
ヘルマンの唇がルーテシアの頬に触れ、ザラリとした感触が頬を撫でた。何が起こったのか正確に理解することのできない内にヘルマンが離れ、元の位置に戻る。
「取れました。いい感じの甘さですね」
「──!!!!!」
ルーテシアは声も出せずに顔を真っ赤にする。ヘルマンに生地を舐め取られたようだと、ようやく理解した。
「ちょ、ちょっっっと失礼いたします!!」
ルーテシアの頭はパニックで、たまらず声を裏返し、足をもつれさせながら、走って厨房から逃げ出す。
「な、な──!!!」
ルーテシアは厨房を出ると廊下の壁にもたれて座り込む。心臓はバクバクと大きな音を立てていて頭は混乱状態だ。
「ヘルマン様、なんで突然あんな……!」
浅く息をしながらルーテシアは呟く。身体の内側から熱く、沸騰してしまいそうだった。
子供みたいに顔に生地をつけてしまったが、それを取ったヘルマンの行動は子供に対してのものとは思えない。それに、一度手で取ろうとしてから、あえて口で取ったようにも見えた。
「私のこと、妹……とは思っていないのかしら。今のままでいいってこと?」
ルーテシアは兄と姉に可愛い妹として溺愛されているが、頬にキスをされることくらいはあっても、あんな風に舐められるようなことはない。
「──ヘルマン、様」
顔を赤くしながら、ルーテシアは落ち着くまで胸の前で手を合わせていた。




