#8 『魔女』の傭兵
笑みを残したまま発した言葉に誰よりも早く反応したのは、テーブル上の果物ナイフを素早く手に取ったリルであった。
「あら、流石人狼の身体能力、って言った方がよくって?」
「そのまま黙って」
ヘルメスの隣で黒茶を飲みながら一緒に座っていたはずのリルは、既に傷一つ無い綺麗な首筋にナイフを突き立て、レジーナの背後に回っていた。褐色の肌よりも赤く黒い血を流さんと、ナイフは動脈の上にビタリと止められている。
リルはレジーナがピクリとでも動けば頸動脈を掻っ捌くつもりだったが、ヘルメスはそっとナイフへと手を伸ばして制止する。すると、握っていたナイフが形状を維持できなくなるかのようにボロボロと崩れ、床に散らばり落ちる。
「やめとけリル。ってか、頼むからやめてくれ。お前らが争った挙句家が全損なんざしたら敵わねーから」
「でも……主……!」
「事の真偽の判断は釈明を聞いてからでも遅くないだろ。ナイフを突きつけられて、気分良く話せる奴はそうそういねーだろ」
まるで気にもしないと言わんばかりにリルへと促すが、当の本人は不服極まりなかった。
「だいじょぶだいじょぶ。有罪だったら俺が直接手を下すしな」
ヘルメス自身もなにやらきな臭い気配がしていることは分かっている。故にレジーナ本人の口から聞きたい。そう思ったのだ。
砕け散ったナイフに再び手をかざすと、粉々になった破片が煌きながら集っていき、元のナイフの形へと修復された。持ち手を向けて返されたナイフを見て、リルも半ば諦めたように殺気を腹の内へ、ナイフを鞘に納めてテーブルへと戻した。
「よし、良い子だ。そんじゃあお互い刃を引いたところで、お話を聞こうじゃあないか。レジーナ」
「ええ、アタシとしても今回の小さな騒動の種明かしがやっとできるわ。まず、犯行の企画をしたのはこの男よ」
もったいぶった言い回しと共にロングコートのポケットから一枚の紙を取り出し、テーブルの対面に座っているヘルメスの手元に写真を放る。
縦横十センチも無いそれなりの硬度を持った板紙に、ぼさぼさの長髪で陰気な男の姿が鮮明に映し出されている。それは元の世界で写真と呼ばれている代物であり、この世界でも一般的に普及しているものである。誰が作ったのかは知らない。転生した三年前からすでに存在していた。
写っていたのは黒いぼさぼさ髪が両目を覆い隠すまで伸び切った痩せぎすの男。少年と呼ぶには些か成長してはいるが、成人と評するには子供っぽ過ぎる。陰鬱で社会に馴染む気はさらさら無さそうな、少なくともヘルメスの第一印象は相当よろしくない。
「そいつが今回の呪殺依頼の主犯、ルスト・クレイトン。十六歳の学生。両親は商業都市ラブレスで診療所を営んでいるわ。森の開拓最初期から診療所を構えていて、腕も人格も確かな人って触れ込みよ」
「ふん、そんなの関係ねーよ。肝心の息子がこれなんだからよ。いかにも根暗なツラしてやがる」
「そうね。他者への好意が捻じ曲がって、病魔から救う演劇を開演しようとしたんだからね」
再び無造作にコートのポケットに手を突っ込むと、メモ帳の切れ端の束を取り出し、留めていた紐を解く。バサバサと机の上に散らばった、文字の羅列が均整に並ぶ紙を何枚かまとめ、ヘルメスとリルに投げ渡す。
「こんな具合にね」
日記の日付は現在から二年前の八月から始まっており、書かれていたのは整った文字と哲学書気味の語句の選択から、執筆者の教養と文才の素養の高さは見て取れるが、内に秘めようとして隠し切れなかった狂気も滲み出ていた。
彼女に抱いている思いは恋慕、恋情ではあったものの、過熱し過ぎた感情は独占欲と偏執に満たされ、年相応に覚えてしまった性の知識がありったけの思いで書かれている。
「ハッ、こりゃ確かに欲望ってワケだ。浅ましい願望を書き綴ってまあ」
「……素直に気持ち悪いな」
「リュノアちゃんとは商業都市ラブレスの学園内での同級生くらいしか接点はないけど、一目惚れして以来ずっとずーーーっと思い続けて恋焦がれてたみたいよ」
「正気を疑うな。リュノアさんには心底同情する」
頭が沸いた文章や発言は元の世界で幸か不幸か見慣れていたので、ヘルメス自身は面白おかしく捉えれたが、見慣れていないリルは吐き気を催すかの不快感を感想として吐き出していた。リュノアとリルは同い年でもあり、転性したヘルメスとは違い生まれながらの女性だ。自分だったらと投影されているのも一因だろう。
汚物を取り扱っているように紙を捨てるリル。ヘルメスも内容については深く言及しないでおいた。中身が男の自分が口に出して読みたくない低俗なものだ。一応証拠の一部なのだろうそれをきっちりまとめて、ヘルメスは続きを聞くことにする。
「『黒毒呪』の効力が低くなる神経毒を持つ蜘蛛を選んだ理由は?」
「それこそ、ルストがアタシに依頼した理由であり、彼が行おうとした計画よ。端的に言えば、彼は自分が救いの神になりたかったのよ」
首を傾げた主と従者へ、レジーナは分かり易く説明する。
「アタシに「リュノアが死ぬか死なないかギリギリのラインで苦しむ呪術を施せ」と依頼したのよ。致死毒や激痛を伴う毒だとすぐに死を迎える。それに治療をするにあたって捕獲難度の高い毒性生物を使うのは避けたかった。自分の保身も考えての発想ね。だからラブレスの傍で最も危険な地帯たるルベドの森の毒性生物で、表層の安全な場所で採れる『フルーフドクグモ』を使うに至ったのよ」
聞くには堪えない計画の全貌をひとしきり語ると、レジーナは手近の窓を開け放って指笛を拭いた。すると、その音に反応して一匹の蜘蛛が窓の上から姿を現す。屋根の上に居たようで、尻から伸ばした白い糸にぶらさがりながら、足をよじらせて器用に窓の桟に飛び乗った。
髑髏に似た紋様を背中に浮かべるそのクモは、まさに件のフルーフドクグモだった。ヘルメスが解呪に使った種類の余剰を、証拠品として斡旋書と同時に送った一匹だ。毛むくじゃらな足をちょこちょこと動かし、窓の桟に差し出されたレジーナの手に乗ると微動だにしない。
「可愛いでしょ。名前はシュピーネよ」
「ペットかよ! いや、どうとでも好きにすりゃいいけどさぁ?」
「この計画は謎の病魔に苦しむリュノアちゃんを、クラスメイトの自分が診療医の息子として助ける……それでハッピーエンドを迎えるはずだった。けれど、親の娘を思う気持ちまで汲み取れず、人知を超えた怪異が住まう森へと助けを求めるとは思いもせずにあら不思議。森に住まう錬金術師が呪術を治療して終わりましたとさ。……これが滑稽な演劇の顛末ね」
「そんな安直なことで呪殺なんて依頼するんですか!? そもそも好きになるかなんて確定の事象という訳でもないでしょう? それにいくら学園の同級生だからといって、医者の息子が急に家に立ち寄って治療する事なんかも怪しいですし……」
「さあね。チーズみたいに穴だらけな計画だけど、本人が考えたんだもの。仮に成功すれば一目置かれて感謝されるだろうし、もしかしたらそれで満足するかもしれない。でも「命を救われた」ことがあれば、多少なりとも理解できるかもしれないけど」
実現にはリルとレジーナが言ったように、大きな関門も補完しきれていない穴もある不完全な計画だった。素人が作り、素人目でも欠陥が見抜ける計画に気付かなかったのは、偏に愛欲の狂気に憑りつかれていたからなのだろうか。
「ヘルメスの介入で計画は大きく軌道修正することを余儀なくされたんだけどね。そりゃあ彼も予想だにしなかったでしょうね。科学的にも魔術的にも解決できない問題だからって、天下の大錬金術師様の住まう魔獣の巣窟に自分の命を賭してまで向かったんだから」
『黒毒呪』は呪術の中でも比較的簡単な部類であり、解呪の難易度がそれなりに高い呪術だ。毒性生物の正体を見抜く知識と治療に用いる薬品を精製・錬成できる技術を兼ね備えなければならない。医者は当然、雇った魔法使いのレベルによっては解呪に匙を投げるのも無理はない。
「元依頼主ながらもそこだけ残念としか言えなくなるわ。依頼した魔女が治療しちゃった錬金術師と繋がっていた運の悪さも相まって、彼の先見の明の無さには笑っちゃうわね」
「下調べは十分にってな。そういや、ルスト・クレイトンはどうした? てっきりしょっ引いてくるもんだと思ってたが」
「安心して。待ち合わせを取り付けて襲って眠らせた。もう憲兵にあげてきたわよ」
「あー……ま、死んだら死んだで自業自得か」
「主、その言葉の意味が私も分かってしまったぞ」
こともなげ、というよりは当たり前な口ぶりだったが、ヘルメスは苦笑いを浮かべた。迅速な対応は有り難いが、否応にもルストの安否を心配せざるを得ない。
この案件は当然だろうがガドルノスへと伝えられる。良識ある大都市長様が、自分の娘と同い年で、面識がほぼ無いにしろ同級生を殺す、或いは死傷レベルの行為を施すまではしないだろう。
だとしても子煩悩なガドルノスが何をしでかすか、解呪に関わった身からしてヘルメスも内心冷や冷やしていたのだ。
「何の心配をしているのかしら?」
「ちょっとしたことだよ。それよりも、リュノアに呪術の事とかルストの計画を教えたりはしてないだろうな?」
「……ホント、妙な所に気が回るわね。大丈夫よ。こんな怖気が走る計画を聞かせるほど悪魔じゃないわよ」
「ならよし。純真無垢な十六歳が知りたくねーだろ。支配欲丸出しの自演とか」
「主も十七だったじゃないか。えらそーに」
「こまけぇことは気にしない。今は中身的に二十歳だし」
「相変わらず容姿と言動と中身がちぐはぐねぇ」
顔を見合わせてけたけたと笑い合う。
三年の中で初めて出会った友達のように親しい人物――リルはこの二人がどう知り合ったかは知らない。知り合ったのは三年の間か、はたまた人格が入れ替わる前から交流があったのか。
錬金術師ほどではないが、『魔女』という職業と名称自体は各国家へ轟いてはいるものの、その実非常に希少な存在だ。それに自分の主以外に初めて出会った人間だからこそ、リルは興味が湧いた。レジーナ・フラメクスという人間に。
「一つだけ、聞きたいことがあるんです。……なんでもないちょっとした疑問ですが」
「なんでもどーぞ。スリーサイズとかはナイショだけど」
「えっと……どうして『魔術小隊』という傭兵集団を作ったのか、です」
おどけた回答をスルーして、リルは問いかけた。
「それがアタシができる生き方だからよ。戦火の中でしか存在し得ない……それがアタシだから」
リルとしては気になって仕方なかったのだ。聡明で明朗快活な彼女は、お世辞抜きで魅力的に見える。不完全な自分と違い、人間種の集落でも余裕で溶け込めるだろう。
それでもレジーナはさも当たり前の事を答えるように言い切った。
一縷の疑いも迷いも無く、戦いが自分の生きる道だと。
「私には……分かりかねます。こんな狂気に満ちた依頼なんて唾棄すればいいでしょう。面と向かって頭がおかしいと言ってやればいいでしょう。だというのに……」
「世界は得てしてそんなものよ。傭兵に限らずどんな職業でもね。依頼を受けたら完遂して報酬を受け取る。依頼を受ければどんな汚く馬鹿げた仕事でもこなす。頭の沸いた依頼者でも、きっちり依頼を遂行しないと信用ってヤツはすぐに地に落ち、成り立たなくなる。傭兵もおんなじよ。アタシたちの世間の評価は「金で雇われた粗暴な兵士」だけど、その実市民と同じくお偉いさんにはペコペコ頭下げたり苦労しているのよ」
それでも――一拍間を置いて柔らかい笑みをリルへと向ける。
「全員がどうかは分からないけど、アタシたち傭兵はこの国が大好きなの。誇りと自負を持って、この国に住まう土地や人々を守っているつもりよ」
ふいと物憂げな表情が笑みの影に差すと、指を鳴らした。すると、どこからともなく箒が宙を舞い、玄関先に着陸する。
「ま、なんてったって傭兵稼業は雇い主が居なけりゃ商売あがったりだからね。故国を愛してやまないのは当然ってね」
たはは、と困った様に笑みを見せて立ち上がり、開いた窓から外に飛び出ると、魔力によって浮遊する箒は主人に呼応するかの如くレジーナの元へと向かう。そこへ両足で着地し、見事に浮遊してみせる。
「今日はここらでおいとまするわね。報酬、また今度受け取りに来るわ。ちゃんと用意しててよ?」
「当然。また手を借りるだろうからな」
「ふふ、それでよし! じゃあねお二人さん、あんまりくだらない痴話喧嘩してると、見てるこっちが甘ったるくなっちゃうからやめなさいね!」
浮遊する箒から砂塵が巻き上げ加速し、ルベドの森の深層部へと飛び立っていった。
快速で去っていった快活な女傭兵の姿を二人で見送ると、リルはぽつりとつぶやいた。
「……不思議な人だったな」
「ああ、俺も今でもそう思うよ」
「今までこういう依頼は『魔術小隊』に回していたのか?」
「そうだが。何か問題でも?」
「いや、三年も主の家で生活して一度もここに来たことが無いからな。少し気になっただけだ」
怪訝な表情のリルの言葉に、確かにとヘルメスは納得する。
とはいえ、その理由はヘルメス自身に依頼が回ってこないだけであり、『魔術小隊』へと斡旋した依頼の数は両手の指で事足りるくらいだ。何も用が無いのに家へ招いて茶の相手をさせる真似を、常ながら警備やなんやと忙しい傭兵にさせる気もない。
それにルベドの森が人入り皆無のがらんどうで、そもそも依頼をする人がいない事。命を賭けて森を攻略し、何をされるか分からない悪名高き錬金術師に依頼をする度胸がある者がいない事も挙げられる。
と、素直に言ってもよかったがついからかってしまう。
「そりゃあおめー決まってんだろ。いきなりボンキュッボンのおねーさん家に連れ込んだら、どこぞの人狼ちゃんが嫉妬に駆られて寝首を噛みつきにきちゃうだろー? いや俺的にはバッチコイウェルカムなんだけどさ」
「だっ、だれがっ! そんなことっ! あるわけないだろ!?」
「なにもリルが、とは言っていないが?」
赤面して食って掛かったリルに、ヘルメスは「計画通り」と思いながら、ニタリと厭らしく口の端を歪める。
「そんなリルが俺は大好きさー。ほれほれ、お前の大好きな主様がその愛らしい耳を撫でまわしたり、その意外と膨らみがある双丘を揉みしだいて――ぶぇっ!」
「セクハラドスケベレズ金術師は黙ってろ!」
もれなく右拳による側頭部強打をくらったヘルメスは、だらしなく机の上にダウンした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
二か月ぶりの更新でございます。
PCのWASDキーがDbDのやりすぎで陥没したり、就活したり北海道食べマルシェに参加したり、忙しい二か月間でした(一番最初オイ)。
今後も私生活に支障をきたさない程度に更新を続けていきますので、よろしくお願いします。