#7 『魔女』レジーナ
「依頼斡旋書」と称した毒グモが運転手の紙飛行機を飛ばしてから一日経過する。その間ヘルメスは何一つ行動を起こさないまま、日がなハーブティー片手に読書を愉しんでいた。
「一日経ったが、その斡旋書をくれてやった奴の動向は知れているのか?」
「んぁ? そりゃ知らんな」
「えぇ……」
「だーいじょうぶだいじょうぶ。今日、ってかもうそろ来るだろ」
根拠のない信頼を見せるヘルメスはもう一口ハーブティーを啜る。
「アイツは能天気そうだけどやることはキチンとこなすからな」
誰を指しているか分からないが、依頼した者に全幅の信頼を置く主に、従者はため息をつきながらも信じるしかなかった。
それから半日後、太陽が真上に昇ってようやく薄暗い森が照らされだす時刻。
少し早めの昼食を済ませた二人は食後のティータイムにしゃれこんでいた。ほどよく冷やしたハーブティーを飲みながら、取り留めのない話を交わしていると、最近よく使われるようになりはじめた玄関ノッカーの打ち鳴らされる音が重く響く。
「む、客か」
「最近は来訪者が多いな。応対する身にもなってほしいぞ、まったく」
あえて聞こえるようにそう言ったリルは、主の反応を見るまでもなく扉の前まで歩み寄る。
開閉するだけで蝶番が軋む木の扉をゆっくりと開けると、リルの視界に入ったのは浅黒い人らしき肌――扉の真正面近い位置に立っていたため、面食らって後ずさりながらその人の全体像を見る。
そこには長い銀髪をポニーテールにまとめた、快活な笑みを浮かべる褐色の女性が立っていた。
黒い皮革のロングコートを羽織り、ショートパンツとシャツを着ている。長身でスラリとしたボディラインにしなやかな肢体が、彼女の肉体美をこれでもかと喧伝している。耳元でキラリと光る竜を模した精緻な銀細工のピアスも、リルの主観ながらに格好よく見えた。
主が『転生者』であるため、リルも自分が知らない異世界の話や服を着せられたりもするが、以前こんな服を渡されたなあと思いだした。あまりにも肌面積が広すぎてタンスの奥底に押し込んだが。
そんなことを思い出しながら、多少面を喰らいつつもリルは褐色の女性を迎えよう礼をする。
「いらっしゃいま――ふぇあっ!?」
矢先、リルが素っ頓狂な声を上げて顔を赤らめながら驚く。
「こんにちは、人狼ちゃん。耳やらかいわねぇ」
なんと、来客者に耳を思いっきりわしづかみにされたのだ。
柔らかな髪の毛で覆われていながらもやはり敏感な耳をいきなり掴まれたら当然びっくりする。硬直したリルの両耳をわしゃわしゃと撫でまわしながら女性は顔をずずいと寄せてニンマリと笑う。
「あなたがヘルメスの従者さんね。主様はいるわよね?」
「あ、え、は、はい」
「じゃあお邪魔させてもらうわ。久しぶりね、ヘルメス」
「そういうお前もしばらくぶりだな、レジーナ」
ずけずけと入ろうとした褐色の女性をリルが慌てながら引き留めると、いつの間にやら立ち上がってたヘルメスと挨拶を交わしていた。
「あ、あの……あなたはいったい……?」
「あー、そういやこうやって会うのは初めてだったね。その反応だとアタシの話すらしてなさそうだけど、まあいいわ。名前はレジーナ・フラメクス――『魔術小隊』って組織の頭目を務めてるわ。そしてそこの邪念塗れのレズ金術師の悪友よ」
ウィンクをしてみせたレジーナと名乗る女性は、くすぐられた耳を押さえて耐えているリルにケラケラと笑ってみせる。
「『魔術小隊』……?」
「『魔女』と『魔法使い』で構成された傭兵集団さ。なにがレズ金術師じゃ、ぶっ飛ばすぞ」
「やーねぇ、ホントの事しか言ってないじゃない」
ヘルメス自身もたいして怒っているわけではないようで、手でさっさと入れと招き入れたかと思えば、珍しくキッチンに立って湯を沸かす準備をしだした。
「黒茶でいいか?」
「うん、ありがと。アタシ砂糖いらないからねー」
ヘルメスは茶葉が飾ってある戸棚から、黒い炒った豆が入った紙袋を取り出す。
黒茶とは苦みや酸味を主に呈する品種の豆を炒って挽いた物から抽出する、元の世界では珈琲に相当する物だ。豆を三人分程度抽出できる量、手製のハンドミルに入れてゴリゴリと挽き、カップに乗せた紙製のフィルタに手際良く乗せていく。
「へぇ、料理のセンスは壊滅的なくせにそんなことはできたんだな」
「普段はやらねーからな。どうせなら美味しいのを飲みたいし」
「遠回しに不味いのを飲ませようとしてるって聞こえるんだけど……」
日常生活で家事らしきことを一切行わないヘルメスに向けた嫌味だったが、何気ない普段の料理に対する感想を含んだ返しにリルは言葉を詰まらせ顔を赤らめる。レジーナも気づいたようで、「狙ってるのか天然なのかわからない女たらし」と言う。
「アンタはタチ悪いのよ。そーやって阿漕な手段で人の信頼作ろうとしておきながら、息を吐くように甘ったるい台詞吐くんだから。ただでさえ『魔眼』でヘンな苦労してるのに、これで女の子にまで嫌われたら救いようがないわよ?」
「うっせー。何も好きでこんなパッシブスキル持ってるわけじゃねーっての」
『魔眼』――ヘルメスが所有する特殊能力の一つであり、いたってシンプルな効力を持っている。
それは『魔力を込めて見た男性を己の虜にする』力であり、男性に限るが確実に魅了し自身の傀儡としてしまう恐ろしい能力だ。
一時的な戦力確保や情報収集を目的とした奴隷としての使役など、用途を絞れば非常に「今のヘルメス」にも得な代物だろうが、現状一回もこの能力を行使したことは無い。
なぜなら、別に男をはべらしたり、男を奴隷にしたり、ましてや男とイチャイチャするような気はサラサラ微塵も無い。これに尽きる。
転生して転性した今は女性の体であれ、中身は立派な性欲持て余す男の子「間桐蓮也」なのだ。別段生理的に無理とまでは言わないが、「せっかくなら可愛い女の子をはべらしたい」願望を持ち合わせる蓮也には、この能力は全くもって不要の長物と化している。
ちなみに男の娘も魅了はできるかは分からないが、やるかどうかはあくまで最終手段としている。あまりにも自身のハーレム進捗が壊滅的だった場合のだ。
呆れ果てた、といった様子のレジーナにヘルメスは、可愛らしいとはかけ離れている歪なバランスのネズミが描かれているマグカップを差し出す。中にはドリップした黒茶(珈琲)がなみなみと注がれており、持ち上げるだけでゆらりゆらりと水面が揺れている。
「飲んでみ」
ニヤッと嗤って促す。お互い顔を見合わせたのち、レジーナとリルはそれぞれ一口啜る。
「あら美味しい」
「……美味しい。主のくせに、なんか腹立つ」
「そりゃどーも。誉め言葉として受け取っとくよ」
不味いと疑りながら啜った一口に、意外や意外といった面持ちを見せると従者と魔女。
「なんでこれを上手く淹れれる技能と美味いと理解できる舌があって、どうして行動に移せないんだろうな?」
「もっと美味しいものを作れるのが俺の隣にいるからなー」
「ん、そっか」
「いちゃつくのは止めてもらえる? アツくてアツくて火傷どころか爛れちゃいそうよ」
口の両端をニンマリと上げたレジーナは、ヘルメスたちを交互に見てから悪戯っぽく笑う。
「そんなあなたにグッドニュース。彼女……リュノアちゃんがここに来たいってなったら、アタシか仲間が同伴して連れてきてあげることにした。『魔獣除けの鈴』も親御さんからこっそりパクって彼女にあげたわ」
「でかしたレジーナ」
「でも、あんまり女の子の心を玩ぶ様な事して嫌われても私は知らないわよ」
「そこら辺は俺紳士だから心配無用さ……っと。さて、うちの可愛い従者との顔合わせも終わったことだ。そろそろ本題に入ろうじゃあないか」
そう前置きを置いて、ヘルメスの両の眼が蒼く妖しく光る。
「今回『黒毒呪』で呪殺しようと画策した犯人と呪術の使用者――教えてもらおうか」
底知れぬ深海を覗き込んだかと、怖気すらも感じられる冷徹な視線に、レジーナは表情を変えず――。
「実行犯はアタシよ」
強い意志が映って見える銀の瞳を向け、ありのままの真実を告げた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
新しいキャラはなんと魔女。ちなみに魔法使いも呪術師もいたりします。