#57 鴉ノ滅ビ
「とまあ、錬金術師どもはいつ仕掛けてきてもおかしくない状況なんだが――」
鴉の翼を折り畳んで黒い外套を羽織ったのはクロウ=サルバトーレ・ダリウス。隠れ家らしからぬ廃屋の地下、蟻の巣めいて広がる部屋の中、『屍喰いの鴉』の構成員たちは集合していた。
「依頼は達成だ。諸手を挙げて喜ぶにはまだ早いが、それでも労わせてほしい。没した奴らの鎮魂も込めてな」
現在地はラブレスから離れてアークヴァイン王国西部、ウォルライン。南部から西部までの人力横断は二日ほどかかる。実際人の足で往復するような距離ではないが、障害物の無い空路なら、翼竜の速度も相まって三時間かそこらで到着する。
「やーっと追い付いたぁ~。クロォ~アンタ早過ぎよぉ~。手加減して飛んでくれないとさぁ~見失うじゃないのぉ~」
階下に遅れて降りて来たのは翼竜に乗って移動していたシュカ=ハリマオウ・レピテム。風で乱れた赤のドレッドヘアを整えながら、間延びした声で語り掛ける。
「悪いな。この格好、羽に負荷がかかって地味にストレスが溜まるんだ。たまには両翼を広げて飛ばないと飛行の腕も鈍るしな」
鴉獣人のダリウスとて自由自在に飛べるわけではない。あくまでも高速滑空するか上昇気流に乗った時に限る限定的な飛行だ。しかしその最高速度は翼竜を遥かに上回り、また建物や樹岩といった障害物に遮られずむしろ足場として移動できる。
「飛行の「腕」、ね。「羽」の「腕」って意味不明だけどね」
バサバサと外套をはためかせてるサルバトーレへと、陰から誰かが揚げ足を取るように語り掛ける。
その人物はコルヴォ=ランピオン・グレイスレイブ。義手代わりの籠手には矢筒を取り付けており、屋内なのに何故か戦闘態勢のままだ。
「仕留め損ねるなら、生きていると分かっていたのなら、俺に言ってくれればよかったのに」
「お前には荷が勝ちすぎる。それにあの錬金術師たちは生きているのが依頼主としては好都合だろう。これは俺の推察だが、きっと仲良くなれるだろうよ」
「……まったく。どいつもこいつも、なんでそんな自信満々に面倒くさいことするかなぁー」
コルヴォはやれやれと生意気そうな表情でおどけてみせる。
「これで全員が揃ったわけだな。さて、改めて依頼は達成だ。依頼主への報告は滞りないな?」
「勿論。『商人』師団に仕事のできないヤツはいないよ」
「上々。ならば全師団員、順次帰投。帰るまでが仕事だ。くれぐれも気を抜かないように」
「怖~い魔女たちの追撃だけは、気を付けなきゃだからねぇ~。埠頭で帰る組と翼竜で帰る組、どっちも警戒することよ~ケヒヒッ」
「以上」と短く言い放ち、一斉に団員が敬礼したのを見たサルバトーレは踵を返す。凛とした態度を瞬時に崩し、およそ一党の長とは思えない、ニタリとした笑みを浮かべる。
「さぁて、ここからが本番だ。どこまで上手いこと帰れるやら」
「んねぇ~クロォ~? ホントに、今更錬金術師が来ると思ってるの~? もう神霊種たちはドナドナされた後だし、別に来る意味無いでしょ~?」
「絶対来るだろ。性格からしてお礼参りとか好きそうだし」
生まれ育ちの故に利益的な考え方のシュカと、ある種人の内面的なものを重きに置くようになったコルヴォは、各々が今の敵の動向を推察している。サルバトーレはそれをただ静かに聞いている。
コチコチと、前の住人が置き去りにした掛け時計の刻む音が部屋に響く。会話と会話の隙間、ほんの一瞬、互いの言葉が止まる間。
その刹那――獣のような五感に加え、闇に潜みし住人達特有の研ぎ澄まされた危機感覚が、空気が震える気配を捉える。
ズガンッッッ――!!!
雷鳴のような音が、眼前を破壊を伴って通過する。飛び退くほどの過剰な反応はせずに自然な風に数歩下がっただけだ。だが、下がらなければ串刺しだったろう。
廃墟街、本拠を貫通した岩の柱。目の前で挽き肉同然に磨り潰された同胞に悲鳴を上げる――なんて間も無く天井を砕く音と風のうねりが悲鳴を飲み込んで鴉の群れを駆逐していく。
ズドガガガッ――!!!
轟きを纏って家の周囲を粉砕する音が鳴る。かなりの攻撃密度だ。三人とも大きく回避行動を取っていれば被弾していただろう。
「伝令、警戒、伝達! 被害状況を報告しろ!」
「これは……ってぇ~こんな反応、いつぞやもしてたわねぇ~」
「まったくだ。鴉を騙っておきながら、俺たちは制空権を取られることが多いな」
床にほぼ垂直に突き刺さった矢は風の魔力を帯びていた。木造の屋根はおろか石畳さえ貫く威力を持つ矢を放つ――こんな技を操る敵を知っている。
「偵察班より報告! 錬金術師の襲来! 他多数の種族が廃墟街一帯を包囲!」
「おいでなすったか。詳細な敵数は?」
「包囲網は人狼、かなりの数です」
「空を例の巨竜に陣取られています。先ほどの矢は神霊種単騎によるものかと」
「あぁらあら~? 絶体絶命ってやつねぇ~」
コルヴォの指示による周辺偵察の内容を、シュカはどこか達観している風に振舞う。いつもと同じだ。窮地に立つことはこれが初めてではない。危険度は段違いである。平時と同じ振舞いができているだけ冷静なのだ。
特に驚くことも、狼狽えることもなく、サルバトーレは端的に要件を伝える。
「各員、確保されたルートを保持しつつ順次帰投。無駄な交戦は不要だ。自身の安全を第一に帰れ」
「……了解しました。御武運を」
最後に脱出していった六団曹を見届けた後、
「さて、コルヴォ。お前がここを去る前に言っておきたかったことがある」
「なにがさ? 俺たちだってグダグダしてたら、生き埋めにされるか魔術で射抜かれるかわかんないんだけど?」
「次の師団長はお前だ」
至極正常で、普通の声色で告げた言葉。混沌の異常事態の下、その意味を理解し飲み下すのは無理があった。
重い動揺を受け動けずにいたコルヴォをよそに、サルバトーレは天井を――今やがらんどうになった空を見上げる。
隠す気のない極めて濃い魔力を漂わせながら上空より挨拶代わりの一発を撃ち込んだ、当代唯一にして最強の錬金術師と相対するべく――。
「さて、空は相変わらずのツンとしたご様子。岩の柱が突き立てられようと、無数の瓦礫が落ちようと、魔力の矢雨が降り注ごうと、ただ我が物顔でそこにあるばかり」
所変わり遥か空の上、屋根一枚地下室の天井一枚合わせるより分厚く、廃墟街の面積より巨大な影を落とす巨体が浮かんでいる。
芝居がけて空虚に語り掛けるは錬金術師、ヘルメス・トリスメギストス。傷や骨折の痛みも引き、魔力の枯渇による脱力や頭痛も治まった。万全とは程遠い状態だが、最悪の時より余程マシだ。むしろその落差のおかげか、晴れ渡る空のように脳内は澄み渡っていた。
「そんな空を征するは鴉にあらず。支配者の名、それは悠久の古竜ミストルティン。背に五人の魔女を従えて、奏者の調べに導かれ、森の神霊の女王を運び、そして二人の主の命を待つ」
ミストの背中の上で構えているのはヘルメス、リルの主従。『魔術小隊』の五人にヨハン。そして『神霊女王』シアラ。
「では地を征するは鴉なのか否、当然鴉にあらず。其れは亜人の隣人にして宿敵。人に成り、人を狩り、人を殺す人の天敵、人狼――中でもとびきりの異端。魔性の森で研いだ爪牙は、あらゆる敵を喰らい、引き裂き、一切無惨に捩じ伏せる。天性の戦闘者、神々の命をも奪う者、フェンリル。我が最愛の従者なり――」
二振りの神銀のククリナイフを抜き放ち、眼下の鴉二匹をにらみつける。見える、確かに見える。人狼の研ぎ澄まされた感覚が、目が、耳が、忌々しいアイツらの存在をありありと教えてくれる。
ややも血走った目付きに気付いたヘルメスは、やれやれといった風にリルの頭を軽く撫でる。
「……えーっと、つまりはだな、逆説的に言えば俺も大地の支配者ってこった! ナッハハハ!」
真面目な表情から一転。破顔して爆笑するヘルメスを見て、リルは息を整える。悪い癖が出る所だったと、心を平静に戻した。
「んで、リルさんや……こんな感じでどうでっしゃろ?」
「うん、口上としては及第点。ただ、最後で変に自分らしさを出そうとしてたのは減点」
「かぁーっ。ウチの従者は厳しいねぇ」
「なりきり不足。恥が出たでしょ、主」
「二人とも、遊びすぎよー。そろそろバシッと決めること!」
「へーいへい。了解でっすよ」
銀剣を抜いているレジーナにどやされながらも、ヘルメスは右腕を高らかに掲げた。包帯を巻かれて傷だらけの腕が、指先が、パチンと音を鳴らした瞬間、様々な属性の魔術が天を覆う。
「「さあ――」」
見上げる二匹の鴉と見下ろす錬金術師たちの視線が交錯する――。
「防衛の時間だ」
「殲滅の時間だ」
最後までお読みいただきありがとうございました。
気付けば丸一年経ってました。驚きですね。




