#56 目覚ノ時
銀の剣を押しのけリルの命を奪うべく、両手で握ったザグナルに込める力を高めていくサルバトーレ。細い剣の腹を軽々打ち砕けそうな厚みのある打突面は、しかしちっともリルの命まで届かない。それどころか抑えながらも確実に、じわじわと押し返していくではないか。
「……本気みたいね。こんな小っちゃな子をマジになって殺すほど落ちぶれちゃったのかしら?」
「馬鹿言うな。子供の形をした獣だよ、この子は。少なくとも既に人の理を外れている。戻ることすらままならないだろうさ」
射殺すようにぎらつかせて睨むサルバトーレの漆黒の眼を、レジーナは憐れむような銀の瞳で受け止める。
「……アンタ、変わったわね。昔から野心家だったけど、ここまで執着するとは思いもしなかったわ」
「俺は変わっていないさ。変わったのはこの国だ。変わっているように見えるなら、お前がこの国に染まり切ったんだろうよ。少なくとも今のこの国のありようは、俺とはちっとも合わなくてな」
ザグナルを切り返して銀の剣を弾き、ガードが上がったレジーナへと横薙ぎを叩き込む。身を翻して回避するレジーナは、剣戟を数度放つもサルバトーレは、閉所を苦にしないザグナル捌きで全て防御する。
「どうした? 魔女お得意の魔術は使わないのか?」
「使うまでも無いわよ」
攻防の応酬が続く最中、レジーナの剣による大上段の一閃に対し、イバラ鞭が巻き付いた。斬撃の軌道が僅かに逸れ床に突き刺さる。その隙を突くサルバトーレのザグナルの一撃に、レジーナは腹に蹴りを入れて距離を取る。
「これは……そうね、アンタも居たんだったわね。名前は確か……シュカ=ハリマオウ・レピテム、だったかしら?」
「……ケヒッ、アンタに名前覚えられるなんて、ちょ~っっっとばかし気分悪いねぇ~」
鞭を振るうはシュカ。熟練の鞭捌きで剣に巻き付け、ほんのわずかながら軌道を変えたのだ。
「……しっかし馬鹿力ねぇ~。ワンチャンこっちが負けてたまであるわよぉ~」
「あら、それならもっと力強く叩き切ってればよかったかしらね」
軽く冷や汗をかきながらそんな問答をしつつ、シュカは鞭を離して己の下に手繰り寄せる。鞭から感じられたレジーナの膂力はただ事ではなかった。ともすれば、そのまま鞭ごと引っ張られそうなほどであった。
魔術を使わずザグナルの重い一撃を受け止める剣に、レジーナ本人の身体能力。特に純粋な力とベースの獣の能力を持つ獣人種の二人が、何ら特殊な力を発揮していない魔女に正面戦闘で後れを取ることは、本来在り得てはならないことだった。
ふうと息を整えてサルバトーレは埃を払うように服を撫でる。完全に戦う意思を失った逃げの姿勢だ。
「助かったよ、シュカ。さて、レジーナ。お前との勝負は預ける。いずれ変革が訪れた折には、お前との決着は付けてやるさ。……まだ、死ねないんでね」
「……そう。分かったわ、それじゃあね」
レジーナは追跡するでも追撃するでもなく、ただそれだけ言って闇に消えるのを見送るだけだった。
裏口より出たサルバトーレとシュカの二人は、撒く気のない傍若無人な態度で裏道を並んで歩いていた。追撃しないレジーナの意気を読み取ったのかは定かではない。空気を吸って吐いて、リラックスしながら呼吸を整えるサルバトーレに、シュカは問いかける。
「ねぇクロォ。あの人狼ちゃんにトドメ刺さなかったの、ミスだったんじゃないのぉ~?」
「無茶を言う……あの女がいなければ刺せていたさ。後付けみたいで癪だが、鳩尾と肝臓の二点をかなり強く打ち抜いたんだ。どのみちしばらくはまともに動けんだろ」
「でも去り際の人狼の目、見たでしょぉ。「地べた這いつくばってでもぶっ殺してやるぞ」って目よぉ~? 動き出したら絶対厄介よぉ~……」
己の得物を片手に歩きながら答えるサルバトーレ。掛け値なしに自分と五分に渡りあったリルのことを思い返す。意識があるのかないのか曖昧な、濁った瞳で朦朧としていたはずのリルを。それでもなお本能のままにこちらの行動を察知していたリルを。
「意識朦朧なのに恐ろしい目付きだったよ。自分では気が付いていないだろうが、あの人狼は重度の飢餓状態に陥っている。本能のままに暴れられたら、こちらにもラブレスにもどれ程の被害が出るやら」
シュカの提案を無茶と断じておきながらも、本当にトドメを刺すべきだったかと後悔すらできる。
今、リルの身に起こっている変化に、十分すぎるほどの心当たりがあるのだから。
異常な嗅覚の鋭敏化。
戦闘に対する度を超えた興奮。
敵対者への過剰なまでの殺意。
それが示すは止めどない獣性の発露だ。
今まで抑制していたリルの、人狼種としての性だ。
人狼の里で育っていれば、意識して止めずとも発散することができたはずの欲望だ。
獣人種と人狼種は両方とも亜人族として大別されるものの、時に引き継いだ獣の本能が人間の理性を超えて表出する。解き放たれるトリガーは個々によって、ベースの獣によってさまざまだが、格別分かり易いのはやはり怒りだ。
「人ですら、簡単に人と獣の境を超えられるからな。怒りってやつは、まあ厄介なもんだよ」
「ケヒヒッ。ま、怒らせるのがアタシたちの仕事みたいなとこ、あるからねぇ~」
サルバトーレは露出した自分の足の爪を労わるようにさする。光沢が影で損なわれているからシュカは気付いてなかったが、受け止めた足の爪にはヒビが入っていた。あの場では軽口で流していたものの、同じ部位に二度、三度と受けていれば、まず間違いなく砕け散っていただろう。
……そんな過剰な力を発揮して、この世界で最も繫栄している人からつまはじきを喰らわぬためにも、だからこそ獣人たちは強い自制の心を持って日々を過ごす。
喜怒哀楽の揺れ動きで表出せぬよう、天理人欲をわきまえて平穏に心を保っていく。
人間の秤などでは到底量れぬ、薄皮一枚下の獣性を解き放たずに生きていく。
人狼が他の獣人と違い『人狼』という固有の名称を与えられているのも、最たる理由が「最も人に害をなした」からだ。蛇の獣人であれ鴉の獣人であれ、人を超える身体能力を持ち、人に害をなしたことは数知れずあるだろう。
――それだけ人に忌避されているのだ。あの人狼という種族は。
「……にしても、あの性悪錬金術師、怖いったらないわぁ~。案外アタシたち以下のゲス外道じゃないかしらぁ~」
なにも告げずに何年も抑制してまで彼女を縛っていた意味は果たしてどういうものか。ヘルメスの所業にシュカは同情するように毒づいた。
「自分の所業を分かっていながら三年間従者につけているあの錬金術師が、どこまで自分の功罪を理解しているのか……今回の依頼の鍵は正にそこにあったのが、またな」
そう言ってまだ中身の乾ききってない空の薬瓶を放り捨て、サルバトーレとシュカは路地裏の闇に溶けて消えていった。
ぐったりとした微睡の中、自分を起こそうとする声が聴こえる。
「――ん……リ――ちゃ――」
しきりに自分を呼ぶ声が聴こえる。
「リルちゃん、しっかりして!」
「うるさいな」と思って重い瞼を開いてみれば、自分を抱きかかえるレジーナがいた。そうして思い出す。自分の今の状況を。
「あ……レジー……ナ、さん……――そうだっ、サルバト――っつっぅ……」
「アイツらはもういないわ。キャストが周囲を探知したけど、影も形も無かったわね」
「ぐ――ちくしょうっっ!!」
現在のリルはやはり平静とは言い難い。起きがけの目覚め切ってない脳内でも、自分を打倒した人物を思い出す否や、悔しそうに、恨めしそうに、灰色の眼の中で血管を血走らせては床を殴りつけた。
逆に言えば怒りこそが再起動のスターターにでもなったのか、肉体の痛みすら忘れてリルは立ち上がる。荒い呼吸ながら、すぐにでも一戦交えることができそうな高揚感に見舞われていた。
それでもなお発散できずに怒りは募っていくのだからこそ、レジーナは彼女の抑圧されていた人狼種の獣性には計り知れないものを感じた。しかしまだ正気を失うまで獣性に支配されていないようで安心する。完全に自我を失うまでに至ってなければ、まだ託されたものは効果を発揮するからだ。
「まずはこれを飲んで。ヘルメスからの預かりもの」
見覚えのある黒い光沢を持つ丸薬をレジーナは差し出した。ヘルメスが持っていた魔力汚染を中和する薬だ。
「……なんでそれを、レジーナさんが持っているんですか?」
「平時からいろいろと託されているからよ。自分の知らない所で変なことが起きないようにね。ま、今回は変なことが起きちゃったから、こうして一日二日もしないうちに慌ただしく東奔西走してるワケだけど」
「……そう、ですね」
当然のように言ってのけては、たははとおどけて笑うレジーナに、申し訳なくなってリルは黙るしかなかった。彼女のみならず『魔術小隊』まで巻き込んだ罪悪感からだろうか。表面上はあっけらかんとしつつも、毅然と、粛々と仕事をこなすレジーナに、リルは畏敬に似た感傷を抱いていた。
「はい、あーんして。大丈夫よ、ホントにヘルメスの薬だから」
言われるがままに口を開いてごっくんと、丸薬を飲み込んだ。
――ああ、懐かしい味だ。
実際は青草の風味が口いっぱい広がって不味いのなんのって味だが、これこそヘルメスが作る薬の味だ。本人が嫌がらせのように錬成しているのか、はたまた思いがけず材料のせいで味が悪くなるのか。どうあれ何度か飲んだヘルメスの味……そして微かにヘルメスの臭いがして、何故か落ち着きを取り戻す。
「……レジーナさん。今、主の所在は? リュノアさんと聖天教……そこらはどうにかなったんですか?」
「そう、それ含めてアナタを拾いに来たのよ。そんな時よ、もう……探そうと思ったらキャストが変な音聞いたって言うし、ノクトが急に心の声が消えたって言うしで、なんなのよってなってたらリルちゃんが戦ってるしで……」
「……その、ごめんなさい。きっといろいろ迷惑をかけたと――」
「んーん。謝ることは無いわよ。よく頑張ってくれたわ。一人だけでね」
はにかんで頭を撫でるレジーナに、リルはほとほと頭が上がらない。きっと汚れているだろうに、レジーナはぎゅっと抱きしめて撫でてくれるのだ。なんというか、叱られた後の申し訳なさのみが込み上がって忘れかけた幼少期を思い出す。
――それにしても、めちゃくちゃなでなでしてるな。
レジーナの掌が心地良いから気にしていなかったが「鴉には逃げられただろうな」と思えるくらい長々と撫でられていた。森を出た時から土汚れだのにまみれてたのだ。路地裏をあちこち走り回ったり、床に這いつくばったりしたからなおさら今は汚いだろう。
ヘルメスの薬が効いてきているのだろうか。冷静になればなるほど、着替えたい、水浴びしたいと思えてくる。しかしまるで気にせずにレジーナは、ついにはひょいと持ち上げ対面の姿勢で膝の上に乗せ、容赦なく両のケモミミをわしづかみにされたではないか。
「はひゃっ!? あ、あのっ!?」
「やっぱりやわっこいわねぇ~リルちゃんのケモミミ~。アタシもしばらく殺伐なフンイキにもまれてたから、見返りにもみもみしちゃってもぜんっぜんいいわよねぇ~」
抵抗する間もなくわしゃわしゃ、もみもみと愛玩動物さながら撫で回される。というか抵抗できなかった。およそ魔女と思えない、似つかわしくない腕力だ。耳の中とか顎の下とか撫でまわされてると、くすぐったくてついじたばたしてしまう。
「あ~、隊長~! 人狼ちゃん、気がつきました~? 羨まし~声が遠くまで聴こえますよ~」
「……聴こえた。羞恥してる心の音。気持ちよさそうな心の声」
「ひゃあぁぁぁっ……だ、誰かいるんですか!? い、いるんならぁ助けてくださぁいぃぃっ……!」
部屋の入口からおっとりした声と静かな声が聴こえ、情けなくつい助けを求めてしまった。
「え――」
そして声の主を見て、思考が止まる。
他の種族とは違う、特徴的な尖った耳を一目見て、リルの頭が真っ白になる。
「ほ~ら~隊長~? 嫌がってるのにそーやってもう。ウチの子にもおんなじことして嫌われてるでしょ~?」
「え~つれないこと言わないでよぉ~。どーせ迎えが来るまで時間あるんだし、もうちょっと堪能してもいいじゃないの~」
「でも嫌がってない。ウチの子と同じ」
姿を現した声の主二人は、見紛うことなき神霊種そのものだった。
「えぇぇぇぇぇっっっ!!?」
リルは口をパクパクさせて目をまん丸にする。なにか信じられないものを見た時のように、化物でも見た表情で、無作法にも指までさしてしまう。
「ど~も~はじめまして~人狼ちゃん~。『魔術小隊』一流潜入魔女のノクト・フォリッジで~す」
「どうも。こっちはお姉ちゃん……別に潜入が専門ではないけど。私は妹、キャスト・フォリッジ」
状況に似合わないほんわかと笑いかけるノクトと、努めて無表情なキャスト。二人の瞳の色と目付き以外は鏡写しのように同じ姿。彼女たちが同じ血を通わす姉妹であることが分かるが、そんなことよりも驚きが勝っていた。
「え、神霊種!? なんでこんなところに!? しかも魔女!? 『魔術小隊』!? ええぇぇっっ!?」
何が何やらといったリルだが、レジーナはやんわり耳を触りながら二人を紹介する。
「だーいじょうぶ。二人とも敵じゃないし、なんならアンタたちに最も協力してくれたんだからね」
「この耳に聴けないものはないっ……って感じで人狼ちゃんを見つけましたよ~」
「私は何もしてないけど」
「そんなことはないわよ~、お姉ちゃんと一緒に人狼ちゃんの心の音を探ってくれたもの~!」
「……お姉ちゃん、近い」
ぴっとりくっつくノクトの顔を鬱陶しそうに押しのけてるキャスト。彼女たちから里で出会った神霊種たちのような敵意は感じられない。当然と言えば当然だが、あの空気感との落差に何とも言えない気持ちになる。
そのままよしよしと、何時の間にやらレジーナだけでなく姉妹にまでもみくちゃにされてると、ふとレジーナは天井を見上げた。
「おっとと……そろそろ来るわね」
耳の感触を惜しむようにレジーナが離すと、集中力を取り戻したリルにも強い魔力が空を駆けているのを感じた。
「――これって……!?」
とびきり強い魔力が空から二つ降りてくる。
抑えようともしない魔力の塊がここに来る。
それが感知できただけでリルは人物の正体が分かった。
「主の……魔力……!」
「大正解」
間もなく、降下した際の圧力だろうか、外部の圧力でガタの来た扉がメシリと軋む。
軋んだ扉がさらに強烈な外圧で粉砕されるかと思う力で引きはがされると、温和な笑みを浮かべる置いた女性が立っていた。
「お待たせしましたレジーナ。ミストちゃん以下小隊員、それに人狼と神霊の方々はルベドの森で待機していますよ。これで全員が揃いましたね」
「ありがと、ステラ。また責任を沢山負わせちゃって、ごめんなさいね」
「いえいえ。それよりも私こそ、ですわ。まだまだ詰めの甘い部分だらけで、面倒な事態になったのです。むしろ反省してるくらい」
まず目の前で空飛ぶ箒から降りて来たのは、ステラ・エルメイダ・グラットン。やはり常に笑みをたたえていながらも、圧巻されそうな魔力の圧は健在だ。
そしてもう一人、毛布やらなんやらで簀巻きにされた人物をステラは抱えていた。降ろされたら両足でしっかりと立っていることからちゃんとした人だと窺えるが、リルにとってはその正体が誰なのかは一目瞭然だった。
気付かぬうちに走り出し、普段ならしないであろうがつい抱き着いてしまう。
――ああ、主の感触だ。
主だろう人は、抑えられないだろう魔力を巻き散らかしながらも、体をくるむように纏っている毛布を取る気はないようだ。
「主、だろ?」
「……じゃなかったら?」
「惚けても無駄だし、この期に及んでそんな誤魔化ししたら、今度はいっぱい殴る」
だから、リルはぎゅっと抱きしめた。次にそんな戯けたことを言ったら衣服ごと残らず剝いてやるために。二度と離さないために。
「あらあら……ウチの従者ちゃんは怖いこって」
厳重に巻かれた顔布を取った顔を確認し、リルは愕然とする。
ヘルメス・トリスメギストスがそこに居たことに変わりはなかった。
苛烈な拷問が見て取れる傷だらけの身体。
特に厳重に包帯で覆われた両の掌。
ステラに肩を借りながらも引きずっている足。
気付いて嗅いだ全身から燻るように香り立つ濃厚な血の臭いに、よもや意識を奪われそうにまでなってしまった。
「主……こんな……なんで……」
言葉を失うリルだったが、「追及するな」と言わんばかりに快笑を作る。
「ありがとう、リル。俺が生きてるって信じてたから、この神霊王女争奪戦は最終局面までもつれ込んだんだ」
いつも通りに、女の子に等しく見せる柔和な笑顔を見せる。
「お前には随分心配かけてたみたいだな。ヨハンから全部聞いたよ。お前一人で人狼の里に……自分を捨てたやつらのとこまで行ったって。その決心が、選択が正しいかったかどうか、それは後日譚で分かることだから俺にゃあわかんねーけど。けれど、お前が自分の力を信じて、意思に従って、迷いなく踏み出したんだ。間違っても、何処の誰か知らんヤロウ共に「間違ってる」なんて言わせねぇよ」
顔を綻ばせ、痛みなんて感じてないと言わんばかりにぺらぺらと喋る。
少しずつ息切れするように声量は落ち、言い切った後には肩で呼吸をするほど消耗しているのに、努めて健常なふりをして……己が主の傷ましく悲惨な姿――リルの眼にはそう映ってしまった。
「主……頼むから、無理しないでくれ。痛いんだろ? 辛いんだろ? 今だって……今にも倒れそうだぞ……?」
「アホウ」
「あうっ」
ぺしりと、極々弱いデコピンがリルの額を弾く。痛くもかゆくもないのに、何故か物凄く重く感じた。
「俺はな、自分が好きだ」
「……何を急に?」
話の流れを遮るように胸を張ってそう言うものだから、リルもつい素で聞き返してしまう。
「自分が好きだから、自分が嫌いになるようなことはしたくない。だからここで引くつもりはない。引いちまったら、嫌いになっちまうからな」
「……!? で、でも……!」
「同時に、俺は今自分を心底嫌いになりかけている。元はと言えば俺のせいでこうなった。言っちまえば、今回のことは再三ながら身から出た錆……誰がどう慰めてくれようと、俺がどう取り繕おうと、結局のとこ変わりねぇ」
自虐めいて言うものの、ヘルメスの表情にもはや躊躇も後悔の念も無い。全てを呑み、受け入れ、その上で立ち向かうことを決めたような覚悟が宿っている。
「過去の俺の行いのせいで招いた結果がこれだ。リュノアちゃんは無事帰ってきたとはいえ誘拐されたし、ラフィーちゃんの教会は焼き払われたし、シアラちゃんは同族の多くを攫われて、姉のように可愛がってくれてたニルドちゃんも深く傷ついた。そしてなにより……」
その眼で、その両の眼は、リルをしっかりと見据えていた。
「リル、お前が傷付いた」
「……へ?」
「最も俺の傍に居て、最も愛する従者のお前が、心と体を傷付け、ボロボロになった。俺が至らなかったせいで、お前に不要の怪我を負わせたんだ。どうあれ主人は報復のために動かにゃならんだろ?」
顔が赤いと、なんとなくわかる。普段と同じ女性を口説く手段と同じような言い回しなのに、いざ面と向かって言われれば、何故こうも嬉しくなってしまうのか。
「だから俺がケリをつける。後腐れなく全て仕舞う。最後を綺麗で華麗な大団円で収めるために。皆で最高のエンディングを迎えるために」
ぼふっと、リルを胸に抱き寄せる。
愛おしそうに優しく頭を撫で、安心させるように耳元で囁く。
「安心しな。もうお前を置いてどこにも行かねぇよ」
「……今度こそ、約束、だぞ?」
「おう。任しとき」
これ以上、リルがヘルメスを止める理由は無くなった。
ただ傍に寄り添い、今まで通り己が主を支えるだけだ。
貴女を主として仕えた日から変わらないはずの使命なのに、リルの胸が自然と熱くなった。
「話は、まとまったかしら?」
「うふふ、まとまってそうで何よりですわ」
「人狼ちゃん、嬉しそうな心音ね~」
「親愛の感情、心地良い音色」
遠巻きに見ていた『魔術小隊』の面々が微笑まし気にニヨニヨ笑っていたのは、ヘルメスの胸に顔を埋めていたリルにも十分伝わっている。
真っ赤になった顔と沸騰した脳内を辛うじてクールダウンさせたリルが離れると、顔つきはどこかすっきりしていた。
「さあ。俺と、お前と、みんなで、狩るぞ――腐れ鴉共を」
「……それは私がもう言ったもん」
「……じゃあ全滅だ。殲滅だ。鏖殺だ。どうあれ奴らは生かしておかねぇさ」
目覚めた錬金術師は、双眸の蒼をぎらつかせる。
秒読みは終わり、今より反撃の時が始まる。
最後までお読みいただきありがとうございました。
校閲は後でする(おい)




