#5 『人狼』フェンリル 3
捨て子――ヘルメスは言葉に詰まりかけたが、質問を止めない。
「今は何歳で、他に誰か捨てられたりは?」
「私は今年で十二。……姉と、友達が四人と私。今年は六人も森に捨てられた。そのうち抵抗した二人が殺された」
喉から回答を絞り出した少女は、抵抗もできなかった自分の力の無さを恥じ、悔やんでいるようにも見えた。それでもヘルメスは極めて冷静に、彼女らを森に捨てた行為の妥当さを図っていた。
過去に行われた『人狼狩り』を逃れた少数の人狼が作り上げた人狼の隠れ家は、アークヴァイン王国に住む人狼種の最後の砦といっても過言ではない。たった一人の人狼の欲で種族の生命線が絶たれる事を危惧して切り捨てる。実態は知らないが、理解はできる行動だった。
「……ただ、恨みはしていない」
力無い少女の声――俯いて諦観した顔を見つめる。
「人狼で無くとも、人間でも、これが生命の摂理だということは分かっている。弱い者は淘汰され、強い者が生き残る。私は捨てられる際に何もできなかった。こうなったのは当然のことだ」
言うまでもない。虚勢が言葉になっただけだ。直視できない現状を正当化し、言い訳で取り繕って平静を装っている。
「だけど、君は諦めきれていない」
ヘルメスは断じた。外身はともかく中身の人格自体は転生時の十七歳の少年だが、それでも人の心の機微を読み、汲み取ることくらいはできる。
「……何にだ?」
「まだ生きているかもしれない、自分と同じく上手い事逃げ切れているかもしれない。可能性を未だ捨てていないだろう?」
「……アタリだ。滑稽だと思うのならそう思ってくれ。そうでも思わなければ、今こうしておめおめと生きているのすら……私なんて生まれなければ――」
「やめてくれ」
ヘルメスは語気を荒げ、少女の言葉を遮る。
「俺はそんな言葉が聞きたくて助けたんじゃない。命が失われる時は確かに等しい時じゃないけど、偶然でも拾えた命が無駄な訳がないだろう。……そんなことを言うのなら、今すぐこの場で首を掻っ切ってでも死ねばいい」
込み上げた苦く辛い何かを吐き捨てるかのように言い放つと、少女は茫然と固まった。突如の豹変と、ヘルメスの反応を察してかは不明だが、気に障ったと思ってすまないと小声で謝罪する。
「……まあ、俺が君の立場になったら、同じように絶望するかもしれない。けどさ、こうして俺と出会って、君がこうして俺と話している。五体満足で生きて、心臓の鼓動を感じている……月並みな言葉だけど、良いことはきっとあるって」
ヘルメスもとい蓮也は、この手の不確かで証明できっこない気休めの励ましは好きではない。良くも悪くも年相応の浅い人生経験と狭量な感情では、真理めいた助言は差し伸べることができなかった。元の世界でも悲惨な環境で生まれ育った人の話は聞くが、あくまで他人の話。直接その人から話を聞くことはおろか、生前では興味すら無かっただろう。
だが、今まさに、聞いてしまった。見てしまった。
それも生前の自分と同じくらいの少女の言葉だ。
憐憫の感情ではない。
救済の意思ではない。
彼女がそんな安っぽいものを求めていないのは分かっている。
寄り添いたい、それが一番近いのだろう。
思ったことをそのまま言い切ったきり沈黙が流れたが、先に破ったのは少女の方だった。
「一つ……聞いていいか?」
「なんだい」
「何故アンタはそこまで私に関わるんだ?」
「なんとなく、さ。放っておけないからかな」
そう言って椅子から立ちあがってキッチンに立った。感情を吐き出したヘルメスは少々変な汗をかいており、ややある羞恥で赤くなった顔を少女に見せたくなかったのもある。
冷蔵庫から元のヘルメスが作ったであろう、蕎麦に似た白色の麺料理を持ち出し、お茶と一緒にテーブルに置く。赤色のソースにパセリやハーブが添えられ、さながら飲食店のメニューのようだ。
ずっと不思議に思っていたのは、冷蔵庫に入っている食糧はどれも大凡「二人前」の量はあることだ。これでは転生直後に誰かを家に連れ込むと予想されていたみたいだ。独り暮らしの食事にしては手が込んだ見た目なのも気になったが、料理好きだったのだろうと勝手に納得しておこう。
「ほら、腹減ってんだろ? どーせこのまま外に出たらワケのわからんキモイクリーチャー共に襲われて十八禁グロみたいな展開になるのがオチだし、飯ぐらいは食ってきな。その後何をするかは、君に任せるさ」
一切の悪意を払った笑みに、目覚めてから張りつめていた少女も、とうとう警戒を解いてくれた。
「ふ……はは。ああそうだな、お言葉に甘えよう。言動は奇妙だが親切だよ、アンタ」
「そりゃどーも。それじゃあ、美味そうな飯になってくれた食材たちに感謝して、いただきます」
「……? 感謝して、いただき……ます」
手を合わせて祈りを捧げている、彼女にはそう見えたのだろう食事前の挨拶に、彼女も習っていただきますと手を合わせる。おずおずと蕎麦っぽい麺をフォークで取って口に入れると――。
「……美味しい」
沈んだ表情を崩し、顔を綻ばせる。それを見て、ヘルメスも再び安堵した。ようやく打ち解けられそうだと。
一口目を運んでから、少女の食べるスピードは徐々に上がっていく。ヘルメスには目もくれず、味の感想を述べてからは無言で食べ進めている。よっぽど腹が減っていたのだろう。つられてヘルメスも食べようとフォークに巻き付けて口元へ運ぶ。
「あ、そういやこれ何入ってんだろ……」
ふと材料は何かと頭をよぎってぼそりと呟いたが、どうやら少女は食べることに夢中のようで聴こえていないようだ。ヘルメス自身も結構な空腹になっていたためか、瞬時に左へ受け流して口に含む。
「おっ、旨い」
蕎麦と形容したが、その実パスタに近い味と風味。ニンニクとオリーブオイルの芳しい香りと味わい。赤いソースは程よい酸味のトマトソース。彩りは鮮やかとはお世辞にも言えないが、食べ馴染んだ味にヘルメスも安心する。
「ごちそうさまでした」
「ごちそう、さまでした」
手を合わせ、お茶をすすって一服をつけている間、ヘルメスはぼけらーっと考え事をしていた。少女は満腹感と疲労感からかうとうとしている。こくりと落ちた頭を急いで立て直す姿が愛らしい。
テーブル越しにツンと頬を指で突くと「寝ていない」というものの、強がりなのは疲れが溜まった顔からバレバレだ。
「……君さえよければこの家にいてくれると有難いんだけどね。残念ながらこの通り、俺は自活力が皆無に等しくてね」
疲れ切った少女へ口をついて出た言葉は何の気なしに言ったのだが、少女は目を丸くしている。そして自室や脱衣所付近の惨状を思い出し、またそこに堂々と招き入れたことに今更ながら気付く。
「ああ……なるほど……」
「ははは……すんませんね、なんか……」
半笑いの少女の視線に多分に含まれている嘲弄に、さしものヘルメスも居た堪れない気持ちになる。自分から言い出したクセにあまり好感触じゃない反応に、期待はできないと思っていると、口元に手を当てて考えていた少女が意外な回答をする。
「……いいだろう。私も今のままではこの森を生き延びれない。ひとつ、助けてもらった恩義を果たそうじゃないか」
今度はヘルメスが目を丸くする。快諾されたことに寧ろ驚きを隠せなかった。美しく整った顔立ちをひょうきんに曲げるのを見て、悪戯っぽい笑みを浮かべて少女はのぞき込む。
「ん、不服そうだが?」
「いやいやいやいや、全然。全然不服じゃないです」
思いがけずにドキッとしたヘルメスは、生前の童貞臭さを捨てきれてない返答をしてお茶を濁す。
「では改めて自己紹介を。私はルリア・ロウ……はは、今や有って無いに等しい名前だがな。私にはもう親族も、大好きだった姉さんもいないからな……」
「ならさ、新しく何か名前をつけるってのはどう? 生まれ変わる気分で、さ」
「新しい……名前……」
顎に手を当てて考え込むヘルメスを、少女は期待に目を煌かせてじっと見つめていた。意外と食いついてくれたことに少し戸惑いながら、ふとある名前を思いつく。
「決めた。『フェンリル』ってのはどうだい?」
北欧神話に登場する神殺しとも称される魔獣――説明すると、恥ずかし気に頬を撫でるも、悪い気はしないようだった。
「……そんな大層な名をもらえるほど、誇れることができる自信は無いぞ」
「いいんだよ。偉大な錬金術師の従者には偉大な名を授けてやるのがスジってもんさ」
「そういうもの、なのか」
「そそ、あとその老人っぽい話し方じゃなくてもっと楽に話してくれていいぞ。フレンドリーに、さ」
「……善処する」
返事を聞いたヘルメスは笑顔で答えると、立ち上がって冷蔵庫からラベルの無い瓶とグラスを取り出してテーブルに置く。栓を抜いてブドウ色の液体を二つのグラスに注いで手渡すと、フェンリルの目の前に掲げて少女にも促す。
「さあ、祝杯を掲げて」
「こう、か?」
「おっけー。それじゃあ改めて――よろしくな、『リル』」
「あ、その呼び方はいいな。気に入ったぞ、『主』」
チンッと小気味いい音が打ち鳴らされた。
それから三年余りの年月を彼女と過ごした。同衾して、ご飯を作ってもらって、一緒に出掛けて――喧嘩も絶えないが笑いも絶えない、楽しい楽しい三年間だった。
リルと喧嘩して三日目の朝。
初日、そして二日目と変わらず一切の会話も挨拶すらも無い。というのも、顔を合わせようが覗き込もうが通り道を塞ごうが何しようが、あちら側が頑なに無視を貫き通すからだ。
「……よし!」
最低限の家事仕事を終えたらすぐに自室へ引っ込んだリルの後ろ姿を見送り、一人ぽつんとリビングに取り残されたヘルメスは勢いよく立ち上がる。
「リルー、起きてるよなー?」
当たり前ながら返事は無い。だがヘルメスも引く気は無かった。
「想像通り、返事は無し。なら、堂々と正面から入らせてもらうぞ」
「堂々と正面から入る」と心に決めたヘルメスは、かかっている鍵を意にも介さず右手でドアノブを握る。
そして両目を閉じて軽く念じるように右手に力を込めると。
――バチリッ。
ドアノブにかかったヘルメスの右手に『黒い雷光』が迸る。
そのままバチバチと放電音を放ちながら右手に纏わりつく『黒い雷光』がドアノブに流れると、メキャッと鈍い音が鳴り響く。
音を聴くやノブにかけた手を放し、左手でもう一度ドアを押すと、力無く扉が開いた。
「え――!?」
「お邪魔するよ、リル」
鍵を外から開けて堂々と正面から入って来たヘルメスに、ベッドに座っていたリルは驚愕の表情を浮かべたが、何をしたか納得してジト目でにらむ。
「また〈錬金術〉の無駄遣いを……」
「リルと仲直りできるんなら、〈錬金術〉も無駄じゃないさ。むしろ喜んでるくらいだろうに」
「……フンっ、キザくさい言い回しだな。相変わらず」
にこやかに微笑むヘルメスに、居心地悪そうにそっぽを向く。気にせずヘルメスはゆっくりと近付き隣に座った。
「……首の傷は?」
「すっかり治ったよ。おかげさまでね」
おずおずと聞かれると、髪をかき上げて噛み痕があった首筋を見せる。痕も残っておらず、かさぶたも残っていない綺麗な肌に、リルは安堵の表情を浮かべる。
「その……噛んだことについては……すまなかった」
「そこまでネチっこく怒ってねーって。あの時は……ただちょっと気が立ってただけだから」
バツが悪そうに言い訳をすると、互いに押し黙ってしまう。
「……もしだぞ、もしまた噛んだら……アレ、巻かれるのか……?」
消え入りそうな声でリルが呟く。俯いて握り拳に力を入れるリルを見て、彼女が相当嫌がっていたことを思い出して心が痛む。本当に、今更ながらだが。
「あんなもん解体したよ。言っただろ、そんな従者は見たくないって」
「……そっか」
ホッとした反応を見て、ヘルメスは隣で座るリルを抱き寄せる。
突然のことに身体がピクッと強張ったが、すぐに体重を預けてリラックスする。
「計三日……やっぱり物足りないなーって思ってたんだ」
「……ばか」
「ばかでいいよ。またこうできるんなら」
しばらく抱き寄せたリルの体温と匂いを満喫していると、不意に胸元からスポッと身体が抜ける。
「あら?」
ヘルメスが間の抜けた声を上げると、後方へ体がふわりと浮いてベッドに倒される。何事と思っていると、下腹部にちょこんと乗っかる重みに気付き、自分が組み敷かれたと理解した。
「っとと……俺の従者さんは強引なんだからー」
「うるさいばか」
羞恥か、或いは別の何かのためか、リルの顔は薄っすら紅潮している。押し倒された体勢のまま、ヘルメスは馬乗りになったリルを受け入れるように抱き寄せる。そのままそっと黒髪に手を這わせる。指をするりと通り抜ける髪の感覚がこそばゆく、懐かしく感じる。
「サラサラで、モフモフで、触り心地がいいなー」
「そう。なら手入れしてる甲斐がある」
「噛むんなら甘噛みで頼むよ」
「……善処する」
ふわふわで柔らかな耳を撫でると、感触はとても良い。小柄で細身なリルは長身のヘルメスには抱き心地も抜群であり、自分から同衾を拒んだヘルメスも、ここ最近は寝心地が物足りないと思っていた。
「ん……ぅ」
ほどなくしてリルはヘルメスの胸の内で安らかな寝息を立て始める。きゅっ、と優しい力で首に回された腕が心地よく、時折スリスリと頬ずりをしてくるのがまた愛おしい。
「……ごめんな、リル」
リルの額にキスして静かに謝罪したヘルメスは、燦々と輝く日差しの中まどろみに落ちていく。
私なんて生まれなければ――リルがそんな悲しい事を二度と言い出さないように、より一層のリルの幸福を願いながら。
最後までお読みいただきありがとうございました。
従者フェンリルパート、終了でございます。今のところハーレム作りがにっちもさっちも行ってませんが、これからがりがり書いていく予定ですのでよろしくぅ!
あと錬金術師成分もそろそろ本格的に出していかないと……ちなみに今回は力の片鱗が見えたり見えなかったり。