#53 思惑困惑
「早速だが、貴様らには動いてもらおう」
リルは標的の鴉たちの容貌を伝える。途端上がるざわめき。やはりというか、自分と主は世間知らずなのだろうなと、リルは妙にしみじみと納得してしまう。
「名は聞き及んでいる。『屍喰いの鴉』……そうか、森で嗅ぐはずの無い臭いが微かに感じられる日が続いたが、正体はまさかあやつらだったとは」
「構成員は多く見積もっても五十人くらいだろう。表層とはいえ、この森をホイホイ往復できるようなやつが百人いるとか、あまり考えたくないことだからな」
リルとしても正直な感想だった。各個、本来の目的にかまけて無視できるような戦力ではない。群れられると困るのは確かだ。
「……良かろう。ただし、こちらが鴉たちに対抗できると断定できる者は里でも十五人、といったところだ。集団での乱戦ならともかく、各個撃破ならば被害を考慮してもおつりがくる働きはできるだろうよ」
「重畳。ならばうち五人は森に潜伏している鴉を見つけ、狩ってくれ。残りは別行動、ラブレスの近隣に散って人探しを頼む」
「人探しだと?」
「ああ。だから貴様らの、完全な、『人化』が。必要というわけだ」
リルはただ事実を述べただけなのだが、言葉には鋭いばかりの棘というか強い毒がある。嫌みで言っているのはメロスにも伝わっているようで、困惑気味に返す。
「……しかし、貴様も同じ人狼のはず。人を喰わず、まさか探せと依頼するとは」
「あいつらは禁忌を犯した」
眼光が仄暗く怒りの色に染まる。
「主が大切にするものを奪った。主の居ぬ間に大事な人に手を出した。探るのはその人だ」
――やはり、この者のタガは既に外れている。
底冷えする怒りをその身に浴びて、メロスは反抗の意思を静かにくじかれていた。
所変わって商業都市ラブレス、ある家屋。裏道だらけのラブレスには屋号も知らぬ家が多い。そのため素行不良の少年たちのたまり場になった空き家や、新興の犯罪組織や愚連隊などが根城にしていることもある。
ここもその一つ。『屍喰いの鴉』が無名の組織から奪い取った拠点の一つ。裏道の暗さと澱みに似合わない少女を連れて、目深にフードを被った男が家の中に入っていく。
「師団長、連れて来ました」
「ご苦労。下がってくれ。三人にしておいてくれ」
「あらぁ、か~わいいコが来たじゃな~いのぉ」
一礼して家から出ていった男、そして置いていかれた少女――リュノア・リュカティエルは、目の前で立っている黒いマスクで顔を覆った男をキッとにらみつけた。
「はじめまして、ご令嬢。俺の名前は……っとぉ。あまり広め過ぎるのもイカンよなぁ。まあ、クロウと言う名で通している。お会いできて嬉しいよ」
「アタシは……まあ本名でもいいんだけどぉ~? シュカって名前で通してるのよぉ~。よろしくねぇ~ケヒヒッ」
マスクを下げてはにかんだクロウ。縦長の瞳孔で文字通り獲物を前にした蛇のような目でねめつけるシュカ。見た目の異様さは双方とも引けを取らない。しかしリュノアには男の本質が透けて見えるようだった。初めて見る蛇ベースの獣人種よりも恐ろしいと思えた。
物取り、嘘つき、人殺し。あらゆる悪辣を事も無げに行い、呼吸のように当然平然と非道を行える男。面構え、雰囲気、立ち居振舞いの全てが不吉を帯びている。
「さて、俺の部下だが不手際は無かったかい? なにせ技術はあっても性格が暴力的だったり粗暴なヤツが多い。品を持て、考えて動け、静かにしろ、とか、普段から口を酸っぱくして言ってるんだがな」
「ケヒヒッ! んなおじょーひんなヤツがここにいるはずないんだけどねぇ~」
リュノアは何も言わなかった。クロウと名乗った男が緊張をほぐすつもりで話しているとしても、彼が口を開くだけで不安感が増してくる。ペースに乗ってはいけない。
咄嗟に首飾りの十字架――ヘルメスからの贈り物を、両手で握りしめていた。
「おっと、仕掛け武器か。危ない危ない」
その行為を見たクロウはその場から一歩引いた。それもおそらく、リュノアがその場から一歩踏み出せば切りつけられる距離から引いたのだ。ニタリ、口角を上げて嗤う顔は、悪意に満ち満ちていた。
リュノアは心底震えた。
「う……うわぁぁぁっ!」
叫ぶと同時に生み出された魔力の刃は、持ち主の心情を反映しているかと思うほどに蒼い。強い恐怖心から生み出された魔力の刃だが、急所に当たれば軽々人の命を奪う代物だ。
「首にかけたまま刺すなんて無茶があるんじゃないかな、御令嬢」
「ぐ……うぅっ……」
しかし叶わないことだった。首掛けのまま刃を構えて突き出す姿勢は無理もあり、クロウが取った行動も、体ごと飛び込んだリュノアの両肩を軽く押し留めるだけ。ただそれだけで、行動は無為に帰した。
「安心してくれ。君に危害を加えるつもりはこれぽっちも無いんだ。だからまずは落ち着いて、刃を収めてくれ。……君を攫ったのは、君の父君の余計な詮索も干渉も防ぐため。ガドルノス殿は、非常に優秀な人だ。これからもラブレスの維持統治に尽力していただきたいと思っているよ」
詐術師のたわごとだ。耳を貸す必要は無い。……と、分かっていながら、詭弁は耳心地よくリュノアに届いてしまう。これは暗に過干渉の代償を告げているのだ。容易く大事なものを奪い、騙し、殺すような男が報復行動として何を選ぶか。
回答権を圧殺されて喋れなくなっているリュノアを前にして、それでもクロウは一見紳士的な態度を崩さなかった。
「さて、一つ気になったことを聞いてもいいかい?」
「……なん、ですか?」
「その首飾り、実に似合っているよ。して、その刃の用途は推察するに自衛のためと見たが、送り主は錬金術師殿だろう?」
「…………」
――なぜ、そんなことを?
リュノアには質問の意図はわからないが、こくりと頷いた。
「なるほど。……どうやら、予想と推理がいよいよ現実味を帯びて来たな」
「なになにぃ~? いよいよ話が見えなくなってきたんだけどぉ~?」
「詳細は後で話そう。さあ、御令嬢に御帰宅願おう。シュカ、くれぐれも丁重に送り届けるよう伝えてくれ」
「……りょ~か~い」
憮然顔のシュカはリュノアを連行していく。彼女も彼女で腑に落ちないのだろう。
連れられて出て良くリュノアに、最後、クロウは「そうそう」と前置いた。
「その首飾りだが、きっと送り主は二度と使われないことを願っていると思うよ」
「……え?」
「きっとそれは、自衛の刃であり、自刃の刃でもあるから」
先ほどまでと打って変わった、真面目な表情でそんなことを言ってのけたのだ。
「では、今後金輪際会うことは無いだろうが、御令嬢。君の未来に成功と繁栄があることを祈っているよ」
――いったい、何が目的なの……?
詐術師そのものの男の言葉に、行動に、リュノアの思考はぐちゃぐちゃになっていた。そして本当に帰された。解放された場所は、見るも無残に焼き討たれた聖天教の教会。今なお材木が燻っているわ、瓦礫の山になっているわ、燦燦たる有様だ。
嗅ぎなれない臭いが呆けた頭の中を現実に引き戻してくれる。焼け焦げた臭いに混じって、微かに血なまぐさい。鉄と灰の臭いだ。
――これが聖堂騎士や信者たちのもの……ラフィーゼも犠牲になってしまったのでは?
一度考えてしまえば背筋がぞっとするし、心臓がぎゅっと掴まれたように痛くなる。ふらりと、焼け跡に歩み寄って誰かを、ラフィーゼを探そうとすると、聞きなれた声が背後からかけられる。
忘れるはずもない。リーリエの声を。父親の声を。
「リュノアお嬢様っっ!!」
「リュノアっ、怪我はないか!?」
廃墟になった教会に立ち尽くすリュノアは、血相を変えた二人に抱き寄せられた。二人の身体をリュノアも抱くが、今は涙を流すような気にならない。
自分が攫われた理由。『屍喰いの鴉』の目的。ラフィーゼの消息。何もかもが謎という靄で覆われている。
考えれば考えるほど不可解だ。……さっきの真面目に見えた表情も、暗がりでよく見えなかったせいかもしれない。うん、そうだ。
――逃避しても、まるで納得できない。
「お父様。リーリエ」
少なくとも知ってしまった。関わってしまった。こうなっては納得ができるまでは諦めきれない。
「ヘルメスさんは、今どこに?」
こうして彼女もまた、騒乱に身を投じることになる。
最後までお読みいただきありがとうございました。




