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転生と転性と天性の錬金術師  作者: いざなぎみこと
第二章 神霊王女争奪戦
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#52 人狼奮起

 そのひと睨みは男の戦意をくじくには十分すぎるものだった。

 歴戦の猛者にして生存競争の生き残り、因果の果てに錬金術師の従者となった人狼。不完全な人化を成し遂げようと、戦力において比較しようもない。それでもただ少しばかりの強がりだけは残っていた。


「で、長に会ってどうしようと?」

「従わせる」

「分かり易い結論だけど、従うと思っているのかい?」

「どのみち従うだろうさ」

「それは口説き落とすという意味で? それとも――」

「武力行使でも構わんだろう?」


 ウルミベルト『グレイプニール』を軽くしならせる。柔らかにしなる刀身がかすりでもすれば、たちまち皮を裂き、肉を切られることは人狼の男も理解していた。


「……こっちだ」

「話が早くて助かる。こちらとしては一秒とも無駄にできないからな」


 事実を告げつつ、威圧として人狼の男に道案内させる。

 以前ヘルメスが言っていたことが頭を過ぎる。「人狼の力で人を操れないのであれば、人の話術で多少なりとも操ったれ」――らしい物言いだ、と、リルは思わず笑いがこみ上げてくる。


 その本質を理解しないまま、己がまき散らす獣性と殺気のみでコントロールしていることは知らずに。


 人狼の男に連れられている内に、リルは辺りの景色に見覚えがあることに気付いた。


 いや、忘れるはずもないだろう。自分が最後に見た、人狼の里のことなど。


「ようこそ……と、言いたいところだけど」

「ああ。どちらかと言えば、おかえりと言ってもらいたいものだな」

「……やっぱりね」


 人狼の男は理解する。


 ああ、この女は生き残りなのだ、と。

 『人化』を御せない、放逐された人狼なのだ、と。

 そして、この混沌たる森の中で生き延びた、捕食者なのだ、と。


 だからこそ怖れ、悔やんだ。

 そんな里に並々ならぬ恨み辛み、ありあらゆる負の意思を持つ人狼を招き入れたことを。

 恐ろしい力を持つ人狼に屈し、村へと案内してしまったことを。


「村長。……申し訳ありません。我らでは到底太刀打ちできません」


 そしてなにより、そのような狼藉者を打ち払うことも出来ない己を力を。


「……で、あろうな。儂とてもはや手のつけられぬ暴威の化身よ。何故、何故我らが里へと舞い込んできたのだ?」


 白髪の人狼は威厳のある落ち着いた声色でリルへ語り掛ける。

 人狼種は人に通ずる。だからこそ人間に近しい体つきをするのが一般とされる。似通った体格であるからこそ、意識の改ざんに適しているのだ。あまりにも「人間」という生物から逸脱した体躯の者が、人間だと認められるだろうか。

 

 だのに、人狼の長は驚くばかりに筋骨隆々としていた。人間の骨格でありながら人間を超越した膂力を持つ肉体は、人間視点で見ても盛り上がった筋肉で覆われている。性能は当然、筋肉の密度、瞬発力、全ての面で人間を数十段と凌駕するだろう。


 しかして、リルは怖れることなどなかった。


「改めて人狼の長。私が記憶する限りでは代替わりをしたのだろうな。我が名はフェンリル。錬金術師、ヘルメス・トリスメギストスが従者。そちらの名は?」

「……ブライブの氏族にして、先代ヴァローが一子、メロス」


 白髪の人狼は、屈強な体躯を、己が地位を誇示するでもなく、ただ静かに己が名をリルへと告げた。

 一歩動けば始まる火事場に、自分の五体を素早く反応させるため。一分の隙も見せてはならぬと、ピリリと張った五感を周囲に張り巡らす。


「では、メロスよ。貴様らにはこれより我が軍門に下ってもらう。これより我が手足として、森の愚物どもを狩り、滅ぼす尖兵へとなってもらう」


 即座にどよめきが上がるが、当たり前なことだ。里の人狼の意思を代弁するメロスの声が響いた。


「我らに益の無い話を前に、我らが取らんとする返答を思いつかぬのかね?」


 あくまでも、人狼の長として。会話の主導権を握らせぬように。交渉される側の立場として、慎重にリルの目的や狙いを測ろうとするメロス。そんな打算すら、塵芥とて意味が無いことも知らないばかりに、逆鱗に触れることになる。


「別にお前らに益など必要ないだろう」

「……なんだと?」

「お前らは根本から勘違いをしている――」


 虚無の色に染まるリルの瞳は、目の前の生き物をまるで無機物としか扱っていなかった。


「私の言葉に反すれば殺す」


 リルの両耳にどよめきが伝わるも、まるで意に介さない。


「一匹残らず殺す」


 『グレイプニール』を握る手に力がこもる。


「男も女も、老も子も、誰も彼も関係ない。一切断じて殺しまくって殺し尽くす。我が主の手足とならねば、同じ人狼だろうとお前らの血脈を断ち切ってやる」


 縦長の瞳孔、澱んだ灰色の双眸は、その眼を見た者を等しく射すくめる。


「……交渉としては、まさしく最悪といったところだな」

「交渉と思っている時点でとんだ勘違いと思え。私は主と違ってただでさえ気が短いし、できることならこんな鴉の奴らのような真似なんてしたくもない」


 今や交渉とも呼べぬ恫喝と狂奔渦巻く最中において、二人の人狼はなおも互いを憎しみあう心を隠したりなどしなかった。


 片や人狼を統べ、且つ人狼を捨てることを選択した老強。

 片や人狼に捨てられ、且つ人に与することを望んだ無骨。


 対にして骨肉相食む間柄に成り果てた人狼同士は、終ぞ切り結ばんと火花を散らしていた。


「ならば、行き着く先は争いしかあるまい」

「そうだな」


 互いの同意の刹那、地面を抉り爆ぜさせんが如き踏み込みをもって、メロスの爪が風を切ってリルへと襲い掛かる。


 ザシュッ――。


 肉が裂ける不快な音が、森の奥へと吸い込まれる。


 一瞬の静寂の直後、膝をついたのは――メロス。


「万事一切合切、この一撃で決着だ」


 刎ね飛んだのはメロスの右の獣耳。

 血濡れた『グレイプニール』を振り払い、リルは静かに歩み寄る。

 死神が近寄ってくるような光景を前に、メロスはただひたすらに畏怖と感服の念を抱いていた。


 ――迅い、否、迅過ぎる。


 五感の網をいともたやすく掻い潜り、こちらの動きを上回る速度で放たれた、残影すら捉えることもままならぬ一閃。強靭なしなる刃が描いた斬撃の軌道は、一陣の閃光を伴い正確にメロスの耳を切り落としたのだ。


 痛みを感じる間もなく、血を散らして舞う自身の耳――長年己が聴覚を支え続けてきた、鋭敏なメロスの白毛の耳。鈍く走る痛みを感じながらも、意識を逸らさずねめつけるメロスに、リルは『グレイプニール』を引いた。


「……恨みが無いわけではない。が、ここで宣言通り貴様らを一族郎党皆殺しにしても、我が主は決して喜ぶはずがない」


 思うことは自らの主。自由気ままで、自分勝手で、女好きなどうしようもない主。そんな主が目の前の惨劇を見て果たしてどう思うかは、語るに及ばないだろう。


「貴様の耳一つ、それ一つで私の恨みは手打ちだ。だから、ここから先は真面目な交渉だ。改めて貴様らを雇用したい。報酬は後払いになるが、主に好きなように聞けばいい。人間の肉、主やその周囲に危害が及ぶようなものを除けば、おおむね了承してくれるだろうさ。返答は、今この時にもらう」


 スイッチを切ったように冷静さを取り戻した人狼の少女。仕事の内容は明白だ。


 森の愚物どもを狩り、滅ぼす尖兵。


 何かと戦い、倒し、殺す仕事。


 ただ人手がいるだけの「仕事」ならば、それこそ町で人手を集めればいいだけのこと。命の危険が伴うもので、相応の対価を要求しても相応の実力者を雇いたい。そういうことなのだ。


「……いいだろう」


 メロスは里の人狼の視線を集めながらも、とうとう首を縦に振った。


 屈してしまったのだ。


 剣を振るい、同胞を屠った、紛れもない人狼そのものに。


 自分たちが、創り上げた、化物に。


 だが、率いる立場の者が、超えてはならない一線があった。


「ああ、報酬の話だが、その点においては既に里の総意で決まっている」


 射殺すような眼力で、リルをにらみつけるメロス。


「人狼フェンリル。貴様の行動に、責任を取れ」


 行動の責任――何を指すかは痛いほどにわかった。


 リルは、虚空を見るような目で、背後の、塵の山を一瞥してから頷いた。


「そのくらいでいいのか。まあ、いいだろうさ」


 リルはこの先どうなろうとどうでもよかった。

 今は自分の身よりも大切なものを助けるためにやれることをやるだけだった。


 そう、忌むべき自分の血さえも、卑劣なる手段だろうと全てを使って。

最後までお読みいただきありがとうございました。


年明けから初めての更新らしいです、誠に申し訳ございませんでした。

物書きとしてあるまじきですが、物書きの仕事もいただけましたので、そちらに多分に労力が割かれているのでと言い訳はここまで。


エタ作家の名を欲しいままに、今年に二章完結は目指していきます。

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