#46 商人師団
「かかれ。決して油断するなよ、まだ効果が出ていないからな」
「了解、師団長」
無機質な金属のマスクを装着した異形の集団が森の奥より姿を現す。マスクから伸びた管は背嚢に積んだ袋に繋がっており、呼吸を支えるためのものだと窺える。なによりその造形と全身を覆う黒いマントはさながら鴉。言葉と姿に見覚えがあるのはシアラだった。
「あれは――」
「屍喰いの……いけない! 皆、離れて!」
現れた集団――『屍喰いの鴉』は、めいめいに群衆へ当てぬよう瓶を投げつける。異様だが奴らの狙いは明白だった。
「全員風上へ! 決して発生したものを吸うなよ!」
「ガス……このくらい消し飛ばしてしまえば!」
割れた地点にまき散らされた液体は、地面を泡立て発泡し始めていた。鼻につく刺激臭に加え、口腔がぴりぴりする感覚――明らかに毒の類。おそらくは麻痺を促す遅効毒の類だろう。
だが風を操作する技術に長けているエルフにとって、その手の攻撃は児戯に等しいだろう。精霊に働きかけて風を押し流せば、一瞬で薬液だろうが毒霧だろうが吹き飛ばせる。
「そ、村長代理! 駄目です……精霊、が……はぁっ――」
しかし異変に気付いたのは神霊種の一人。呼びかけ使役する対象の精霊が機能しないのだ。村長代理――アルボザのことだ――に報告しようにも、喉の焦熱感から声が出せない。
「げぇっ――はぁっ……!?」
「な、に……いき……が……」
「馬鹿な!? こちらは風上……おのれぇっ!」
「簡単なお作業だったな」
次々に呼吸困難に陥る神霊種たち。それは一瞬の出来事だった。
倒れ伏していく同胞に気を取られたアルボザを逃さず、コルヴォは死角を突いてぬるりと近寄る。鈍色の籠手に仕込まれた短弓が音も無く打ち出されるや、アルボザの右肩へ深々と突き刺さった。
「ぐぬっ!?」
同族とはいえ異端の種族たるダークエルフ。傍系でありながら恥知らずな仕打ちをしたことへの悔恨か、初動が鈍ったところに詰め寄られたのだ。すぐさま立て直して腰から引き抜いた小刀を振り払うが、コルヴォは追撃せず飛び退いて大きく距離を取る。
百発百中の精度を持つ弓術自慢のエルフ相手に距離を取る行為。愚かと誹りを受けるはずも、追撃は発生せず――突如、アルボザの視界がぐにゃりと歪む。
「ぬぐぅっ――くそっ……愚かにも、ぬかった……!」
その現象は波及するように、その場に居た全てのエルフに及んでいた。
「直は効くだろう? 常人なら即刻昏睡する毒霧だ。特殊な毒素で風じゃあ飛ばないのがミソでね、低い場所に滞留する性質がある。それどころか精霊までに効果を発揮すると来たもんだ……劇毒じゃすまんだろうね」
喉を抑え、地面に転げているエルフの女性の首を、何処か愛おしそうに撫でるコルヴォ。そのまなざしは商品に対する愛玩と品定めを兼ね備えているように見えた。
「今すぐやめなさい、貴方は……貴方は何をしているのか分かっているのですか!?」
「ああ分かってるさ、これより君たちを攫っていきたいと思ってるからね」
嘲弄するにやけ笑いは、純粋なシアラの琴線に強く触れる。
「ふざけるのも大概に――」
「やかましいんだよ、ガキが!」
腰のサックから引き出したアンプルを、地に倒れ伏したエルフの首元へと突き立てた。
「ッ――!?」
「手を出したらどうするだ? 俺たちの世界にんなくだらねぇセリフ吐くバカは居ないんだよ。動いたら殴る。殺るったら殺る。ガキだからって俺は鴉、『商人』の師団長だ。舐め腐ってんじゃあねーぞ!」
子供とは思えない覇気を纏わせながらコルヴォは恫喝する。暗い情念で燃える灰の瞳に甘さを捨て切っている。シアラは慄いていた。アルボザと神霊種たちが今にも倒れてしまいそうな中、心を切り替えて目付きを緩めたコルヴォに気圧されていたのだ。
「さあて、神霊種諸君。こうしてバカみてぇな問答を繰り返してる内に、毒は君らをどんどん蝕んでいく。君らに残されたのは一択のみとさせていただこう」
左手の義手に搭載された矢筒のギミックを装填しながら、コルヴォは歩み寄る。
「この場で全員お縄についてもらう。抵抗は許さない。可能な限り痛い目を合わしたくはないんだ、ご協力願うよ、美しく高潔にして清廉なるエルフたちよ」
この状況を覆されることは無いという確固たる自信か。圧倒的優位が生み出した慢心か。無防備に近い状態であっても、アルボザは弓を引けずにいた。コルヴォが両方を備えていたからだ。
謎の毒霧の影響は神霊種どころか精霊にまで被害を及ぼしおり、なおかつ奴は一手で同胞を屠れる距離にいるということ。即ち抵抗すれば誰かの命が奪われる状況。
「……ならば、これより後のことは全て私の責――」
「……何をする気だ?」
「故に良いのだ」
鋭い眼光が真上に剥いた直後、アルボザは天空に矢の束を打ち上げ放った。絶え絶えの息でシアラの方へと振り返るや――。
「お逃げください、王女よ。……これより私めが時間を稼ぎます」
「あ、アルボザ! 無茶よ! 一人でこれだけの手勢を相手取るのは――」
「良いのです」
心を強く持たねば、今にもその眼光が途絶えてしまいそうな胡乱な目付き。アルボザにもとうとう体の深部に害を及ぼし始めていた。
「私のような老骨共には……この者の器は測りかねます。まるで、「自分じゃない別の何かが肉体を操っていた」……そうとしか考えられないのです。そう思わねば、辻褄が合うはずもない……王女を攫う意味がないのです」
しかし、その思いのたけは彼女に残さんと、最後の力を振り絞って言葉を紡ぐ。
「ともすれば、今までこちらが行った所業こそ、惨く、悍ましい所業でした。そしてその所業の責を、己だけは目を背けることがあってなりませぬ。……最も村長たちへと忠を捧げたニルドを、村の禍根などとのたまうなど言語道断――あってはならぬことです……!」
ぎりり、と引き絞って射かけた強弓の一矢。コルヴォ目がけ飛んでいくも、まるで意に介さず剣で叩き落とす。掠るだけで肉を裂く神霊種の至高の一矢。それでもコルヴォは恐怖の感情を欠片も持たないのか、無造作に振るう剣はまさに蠅でも撃ち落とすかのようだ。
「……風を操れないエルフなんざ、ただの弓の達者な凡人だよ」
剣を鞘に納めて歩み寄るコルヴォ。もはや目前にまで迫っているが、アルボザは既に力を失いかけていた。全身の虚脱感に明滅する視界、立っているのがやっとの状態だった。
けれども、吠え立てる。
一層の声量で、唸りを上げる。
「行くのです……『神霊女王』!」
『神霊女王』――先代の女王は彼女の母を指す名。
その名が示すは神霊を統べる者。
その名を渡されるは神霊の長たる者。
「希望を紡いでくだされ! 我らが希望を……神霊種の命脈を――!」
鉄弓より射かけられ降り注ぐ矢雨は僅かにも風を纏い、シアラたちの行く手を遮る形で落下する。着弾点に巻き上がる砂埃と爆音がエルフと鴉たちを覆い隠した。
毒の影響を受けているニルドは状況も相まって微動だにせず。ヘルメスは言わずもがな死の淵であり、急制動の弊害か、呼吸が止まりかけていた。もはや動けるのはシアラだけだった。
「希望を……」
何故自分たちを分断する形で矢を放ったか。理由は明白、シアラたちを逃すためだ。謎の毒霧の効果で微かに風を起こすだけでも辛いだろうに、魔力をかき集めて精霊に働きかけたのだ。文字通り、己の意の地さえも犠牲にして。
同時に気付く。自分と半分呼吸が止まりかけのヘルメスのみが、毒霧の影響を受けていないことに。しかし、気付いたところで加勢はできなかった。あちらには無力化された人質が多数。迂闊に攻撃すれば、あの男はたちまち人質を殺すはずだ。あの男にはそれだけの覚悟が見て取れた。必要であれば一人二人殺すのにためらいもしないだろう。
そしてシアラが行使する〈精霊魔術〉唯一の欠点……微細な力のコントロールができない点が痛かった。最上位階の精霊たちが引き起こす破壊的な力の顕現は、こと一対一の状況においては無類の強さを誇るだろう。故に周囲に及ぶ被害は度外視――確実に同胞をニ、三人は消し飛ばす恐れがあった。
ならばと使役するは風の精霊――シアラの背後にて、竜巻が螺旋を描くや人型を成し出現する。
「吹き荒べ――『スプリフォ・シルフィード』!」
詠唱の後、眼前の森を吹き飛ばす勢いで竜巻が発生、それに乗って――半ば吹き飛ばされているようなものだが――森を一気に横断した。
「せめて……この場から離れれば……!」
あては無かった。ルベドの森、神霊種の里以外の場所を知らぬシアラが縋れるものは無かった。絶望以外何物もなかった。
けれども託された。アルボザから『神霊女王』の冠を託された。種の命運を託された。ならば取らねばならなかった。自分が生きる道を、大切な人たちを救う道を、運命すらもひっくり返す抜け道を示さねばならなかった。
真横に伸びる竜巻はたちまち三人を飲み込み、行く道を遮るために張った粉塵すらも消し飛ばし、ルベドの森の中央部に向けてすっ飛んでいく。非現実的な光景だったが、なおもコルヴォは冷静極まりなかった。
「……逃げたか。まあいいや、無駄に頭数を減らされなくて好都合か」
「なに、が――」
両足から力をとうとう失い、苦悶の表情で突っ伏しているアルボザは辛うじて顔を上げる。
「なにが……目的、だ……?」
目的を問われたコルヴォは鼻で笑う。
「今から商品になるお前らにとって、目的など些事に過ぎんだろ」
それ以上の問答はする気は無いらしく、嘲笑してアルボザから目を外した。
「魔女に遭遇する前に帰投するぞ。キリキリ働けよ。機動力は奴らの方が上だ」
「了解、師団長。ってぇ、師団長も手伝ってくださいよ。人手だって地味に減ったんすから」
「俺は家の中を済ませたら手伝う。その前に……」
「きっ――貴様――」
コルヴォの言葉の意味を理解したアルボザが、精一杯の力を込めて立ち上がろうとするも――。
「そろそろ、おねんねの時間だぜ」
アンプルの追加投与によって、アルボザの意識は遂に断ち切られた。
「にしても、俺らだけがこんな役回りさせられるっつーのがふざけてると思わないか? シュカのヤツだけ今頃拠点だ。温かい茶でも飲みながらな」
「あれ、シュカ師団長って熱いものいけるんでしたっけ?」
「知らん。心底どうでもいい」
「師団長が話振ったじゃないっすか」
ガハハハッ、と状況に合わない馬鹿笑いが響き渡る。動ける神霊種は皆無。精霊の行使すら阻害されたまま、何処からともなく現れた翼竜車に載せられていく。今や里の民が居なくなった神霊種の里、軽い指示を飛ばして眺めていたコルヴォは、顔を覆うマスクを外した。
「……本当、損な役回りだ」
何時の日か失ったはずの右目と左腕。眼窩と切断面がむず痒く疼きだす。
心底厭そうに、軽微な魔力の気配を感じる家に歩み始める。『商人』の師団長として、己が心の弱きを飲み下し、詮無きことと流し込む。
「……やっぱり、この先で間違いなさそうね」
「んー、でもほんとかなー? あんな錬金術、ヘルメスちゃんができるのー? 見たことないよーあんなのー」
空から二つの現象を確認した影が二つ。
天を貫く巨大な火柱――〈均き夢幻・天罰の焔戒〉を。
森を引き裂く理外の竜巻――『スプリフォ・シルフィード』を。
「あれがあの子の隠し玉なのですよ。秘中の秘は見せぬからこそ秘、仲間にも見せぬからこそ切り札たり得る……というものです」
「むー……それってつまり、隠し事してたの!? 私たちにも!? ずるいずるいー! あんな技、私も使ってみたいー!」
駄々っ子のように大槌を振り回して喚き散らすはヴァニラ・メロゥ。
それをたしなめ慈母の如き笑みをたたえているはステラ・エルメイダ・グラットン。
森を逃げる『屍喰いの鴉』を追跡していた『魔術小隊』の二人は、巡り巡って神霊種の里へと辿り着いていた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
攻め手は変わり、また変わり――。




