#4 『人狼』フェンリル 2
リルとの出会いは転生して三日後のこと。
ヘルメス・トリスメギストスとしてアークヴァイン王国へ転生し、身体に滾る力を発散すべくルベドの森をうろついていた時の話だ。
「およ?」
鬱蒼と草木が繁茂する森にかろうじて残った整備された道――おそらく元人格のヘルメスが作ったのだろう――に「誰か」が横たわっていた。
「これは……」
「人間」と言わずに「誰か」とぼかしたのは、はっきりと「ヒト」と言い切れなかったからだ。
黒のセミロングに溶け込むんで生えているイヌ科の動物のものと思しき耳。「コスプレの類か」と疑って訝し気な表情でふにふにと、無遠慮に触ると、微かに身じろぎする。口元に手をかざすと呼気は感じられる。生きているのは確かだ。
「女の子が……なんで?」
よっこいしょと、うつ伏せから仰向けにひっくり返す。そして改めて「獣人と思しき少女」を眺めた。
手入れされていない黒髪は傷んでおり、顔は砂埃で汚れている。野山を駆け巡るには些か動きにくそうな服装は草木の汁や土で汚れ、森の中を走っていたのか枝や草木で所々擦り切れている。彼女の元々の獣臭さなのかは不明だが、野生の生物の体液的な臭いが鼻を刺す。乾いた血が衣服に張り付いているのが原因だろう。
「この森の中を逃げてきたのかな」
苦しそうに呻いているのを見て乾いた血が付いた部分の服を捲ってみるが、外傷は見当たらない。主要臓器の位置に痣なども無いので、内臓が損傷しているわけでもなさそうだ。
「ま、助けるのが人情だよね」
――このまま置き去りにするほど人間性を捨ててはいない。
独りごちて横たわる少女をそっと抱き上げ……られなかった。
少女が重たいわけではない。ヘルメスの身長が百七十強で、少女は百六十程度。体重もいろいろと豊満なヘルメスが当然重いだろう。ともすれば単純に筋肉が無さすぎた。生前の蓮也の筋力と比べてあまりにも非力すぎるのだ。
「うぬぅー……なんだこの非力なボディは……?」
頑張って上体を抱え上げるのが精一杯だったので、仕方がないから家まで引きずっていくことにした。ガニ股へっぴり腰のまま少女を引きずる姿は、どことなく犯罪臭が漂う滑稽且つ無様だった。
家と少女が行き倒れていた地点は距離にして百メートルちょっとだったが、その距離を運ぶのに十分以上かかったヘルメスは、やっとこさソファの上に寝かせて軽く介抱する。顔についた汚れを濡れタオルでふき取り、靴と最低限の上着だけを脱がして額に氷嚢を乗せる。
それから一時間ほど、雑多に散らかったリビングを片していると、ソファで寝ていた少女が目を覚ますのが見えた。ぼうっとした目線をふらふらとさまよわせていると、片付けを止めて目にとめたヘルメスと目が合う。
「あ、起きた。服は洗濯したかったけど、寝ている女の子の服を剥ぎ取るのも――」
ソファに寝ていた少女の姿が消えたかと思えば、ゼロ距離に跳ね飛んで詰められて爪を首筋に突き立てられる。
「私に……何をした……!」
鋭い眼光で爪に力を込めると、ヘルメスの首元からタラリと一滴の血が垂れる。
威嚇ではない本気の殺気に、軽くヘルメスは引きながらも、語調を崩さず語りかける。
「なんであんなところに倒れていたんだ? 差し支えなければ聞きたいところだが」
「聞かない方がいい。死にたくなければ」
「おお、怖い怖い。そんな鋭い爪を突き立てるのは勘弁してくれまいか」
どうどうと宥めながら距離を取る。合わせて爪を引いた少女は、ガクリと体勢を崩して床に膝をついた。
「あーあ、急に動くからそうなるんだよ。君、相当酷い状態で倒れてたんだから。服は洗濯してあげるから風呂行ってきなよ」
「風呂、だと?」
「安心しなって。助けたから代わりにどうだとか考えて無いから。替えの服は二階の部屋のタンスから好きなの持ってっていいよ」
怪訝そうにして様子を窺いながら考え込んでいた少女も、自分の姿と臭いの酷さにおずおずと浴室へと歩いていった。
一時間後。待ちくたびれて蔵書から引っ張り出した本を読み漁っていた頃、少女が浴室からほかほかと湯気を立てながら出てきた。
「うん、きれいさっぱりだ。可愛さも三割増しだ」
「……服がどれも大きいな」
「エッチでげふんげふん、可愛くていいじゃないか」
濡れそぼった黒髪と犬のような可愛らしい耳をタオルで巻いた少女が着ていたのは、大きめのワイシャツに似た服とラフな黒のズボン。上下ともサイズが大きく違うのでロールアップしているが、服に着られている感は否めない。まるで彼氏のワイシャツを着ているような格好にヘルメスの性癖が刺激される。その眼つきに気付いたのか苦い表情を作る。
「……気味が悪いぞ、何だその眼つきは」
「おっとすまんな。ちょっと想像以上に破壊力が強い格好だったから」
「助けられ、湯の施しまでもらって何だが、アンタはいったいなんなんだ? 人のようで、人じゃないようなヘンな臭いと気配がする。容姿と言葉遣いも言っちゃなんだが合ってないし」
「本当に助けられた人の発言とは思えないが……まあいいや、一つずつお答えしようじゃないか。改めて自己紹介だ、俺はヘルメス・トリスメギストス――あー、一応『錬金術師』として通ってる」
「ヘルメス!? ヘルメス・トリスメギストス!? あ、あの『天秤の錬金術師』……まさか!?」
記憶を掘り起こすのが億劫な老人めいた職業解説込みの自己紹介に、獣人の少女は何故か慄き始めた。
――なるほど、それなりどころか結構な知名度を誇っているのか。
反応から察するに彼女が唐突にこぼした二つ名らしきものはヘルメス自身を指すものらしい。これからは二次被害も考慮して名乗らなければならないだろう。余計な争いに巻き込まれないためにも。
「まずはじめに人のようで人じゃないなんて同類だろ、と言っておこうか。次に……うーむ……俺の言動と容姿が噛み合ってないのは、俺が『転生』して『転性』したから……って言ったら信じるかい?」
それからヘルメスは間桐蓮也だった時に起こった不思議な出来事を、一切の誇張なく正直に語った。
その回答に対し、三拍ほど間をおいて少女は目を丸くし、次いで首を傾げ、最後に「意味不明だ」と締めくくった。
「帰っていいか? 嘘吐きどころか狂人にしか見えなくなってきてな」
「オレナニモウソイッテナイ」
「なんでカタコト……だが、錬金術師の逸話は遥か昔の話で、おとぎ話のようなもので……ま、まあ、ヘルメスは年齢不詳でなんでも人の何倍の年月を生きるって言われてるし……ええと……うーむ、うぅぅーむ……」
うーむうーむと唸る少女だったが、何とか腑に落としたようだ。どうにかして説き伏せれたことにヘルメスは素直に安堵する。
「正直信じてもらえるとは思ってなかった……このまま一人で森の中で朽ち果てるかと思ったよ」
「嘘だと分かれば首を掻っ切って出ていく気だったけども」
「わぉ野蛮」
殺気を軽く滲み出しながら爪を立てて愉快そうに笑う少女に、ヘルメスも引き笑いしながら、そろそろ本題に切り込むことにした。
「んじゃ、次は君の番だ。君の身に何があったか、聞かせてもらえるか?」
「……そうだな、アンタには話してもよさそうだ。転生云々をさっぴいても、元の体はこの森で生活していたのだからな」
そう前置きをつけて、少女は語り始める。
「私は亜人族人狼種――『転生』したアンタには聞き馴染みがあるかはわからないが、要は人に害を成し得る存在だと認識してもらえればいい」
「ふむ、人狼ねえ。人に化けて人を喰うヤツだろ。それならなんとなくわかる」
ここでヘルメスは生前の「人狼ゲーム」のくだりを思い出していた。
「アンタほど高名な錬金術師が詳細を知らんのか? まあいい。早い話、私はその人狼だ。耳と牙と尻尾、三つともある」
「うんうん、可愛らしいことこの上ない。で、人狼っつーことは、ヒューマンに見つかって処刑されかけた。だから逃げてたってとこか?」
「……だったらどれだけよかったことかな」
少女は苦々しく吐き捨てた。
寧ろ処刑された方がよっぽど――そうとも取れそうな言い回しに疑問を抱くと、少女は澱み無く回答を告げた。
「……私は『完全な人化』ができないんだ。人狼が本来備えるはずの特徴、特殊能力と思ってくれていい。完全な人の容姿になれず、人を喰らうにはこの姿を晒さなければならない。人狼として生きることも叶わない中途半端で不完全な存在……それが私だ」
切りもせずに長く伸びた爪を立て、人の身にしては鋭く尖って目立った八重歯を露わにする。尻尾は穴が開いてないからズボンの中に格納されているのだろうが、ずるりと中から引きずり出した。
「『人化』はこれら人間にはない部位を誤魔化す能力……人狼は「人に限りなく近づく」ために自分自身を『危害の無い存在に見せかける』。そのため『存在感を希釈』するんだ」
「よく見てろ」と狼の耳と牙を見るように少女が促す。それを受けてヘルメスが耳に注目すると、目の錯覚かぼやけて見えるような気がした。陽炎がかかったような、薄いモザイクがかかったような。しかしそれは数秒後には晴れていた。
「これが『存在感の希釈』だ。人が抱く人狼の象徴たる耳や爪、牙を意識的に「無いもの」とする。意識の外に押しやる……と言った方が正しいのかな」
「……つまり、危険性を薄めるってことか。『人狼』のイメージたる武器や身体的特徴を意識に入らないように誤魔化すんだな。鳥とか草食動物は意識に敏感っつーし、意識ってのは視覚にすら影響を与えるらしいし。マジックのミスディレクション……一種の意識と視線の誘導みたいなもんか」
「後半よくわからなかったが、まあそんなもんだろ。人に近付くために牙を隠す……そのために生まれながら授かる能力だが、それが私には十二分に扱えない。完全に隠せないし、長続きしないんだ」
長時間持続せず、また希釈度合も注視していれば分かる程度の希釈。
初見のヘルメスが視認できる程度だ。何度も人狼を見た人間ならば見抜くのは容易だろう。ヘルメスはハッキリと感想を述べると、少女は命の終りを悟った諦観の表情を見せて、少女は強く唇を噛んで言った
「満足に『人化』ができない人狼が万が一、自分の食欲に負けて人間の街に降りたら? 食欲を満たしても捕まり、もしここにある隠れ家への行き方をバラしたら? そうならないために『人化能力』を習得できなかった人狼は、森の奥深くへと捨てられる。要は……私は、捨て子だ」
最後までお読みいただきありがとうございました。
結局のところ三分割する羽目になりました。文章量が飽和しております。
人狼の能力の『人化』は、「人に化ける」というよりも「人狼の形質を誤魔化す」という感じです。
人と差異のある身体特徴の存在感を希釈し、意識の端っこに逸らし、疑似的に見えないようにするのが力の本質です。