#43 黒化途中
所変わり神霊種の里――気を失ったヘルメスの意識が戻る頃。
「ん……ぐっ、ふっ……」
荒い呼気で喘ぎながら目を覚ました。
鈍い痛苦が寝ぼけた頭を苛む。関節のあちこちが軋む。全身の筋肉が痛む。
そしてようやく囚われていることを思い出した。囚われの姫様を自称して矢の雨に巻き込まれたことも、ついでに先ほどまで苛烈な拷問を受けていたことも。
意識が明瞭になった途端、鋭い痛みが両手と両足を貫いた。
「痛っ……でっ――!」
仰向けのまま両手を万歳、両足をピンと伸ばした体勢。敷かれているささくれだらけの木の板に寝かせられ、その上からさらに麻縄でぐるぐると縛り付けられている状態だ。かなり強く縛り上げたのか、胴体に編目がめり込んで苦しいったらないし、腕そのものが縄で縛られているはずなのに、不思議と手首足首の先すら動かない。ひねりを加えて動かそうとすれば、掌から手の甲、足の甲から裏まで、貫かれるような苦痛が走った。
目視し、つい笑みが引きつる。
「ここまで……するかね?」
貫かれるような、ではない。見た通り、文字通り、貫かれていた。見たところテントのペグくらいの太さの木製の杭が、八分目辺りまで深々と突き刺さっている。木の板を通り抜けて、地面にまで刺さるくらい力強く、深々と。さながらゴルゴダの丘で没した、宗教のイコンそっくりな様相だ。
力を込めても抜けるはずもなく、また抜いたら出血を止める術が無くものの数分で失血死するだろう。それに抜かない方がいいと思う。これは直感的なことだが。絶望的な生命の危機だのに、自分の頭が思いの外回ってくれることに感謝する。
さらには肋骨にヒビが入っているようで、息を吐くだけで身体が悲鳴を上げている。真っ白な肌も青痣だらけで、絹のような、などと自称していた時は何処へやら。全身の痛みを感じない程度に呼吸を整えて辺りを見回す。
茅葺屋根、藁造り、木の骨組み。ちらと見た原始的な外装に相応しい最低限のものだ。敷き藁と牢を模して組まれた木の柵、そして寝かせられている場所を含めて約十畳。ホコリやカビの類の古い臭いに混じり、どこか嗅いだ記憶のある臭いがする。
ヘルメスの脳裏に蘇るは、祖父母の家の仏間の臭い。あくまで予想だが、この部屋の香りも線香の類と思われる。
おそらく家の持ち主は無くなって間もないのだろうか。にしてはな家の扱いであるが。襲って気絶させたよそ者を地面に打ち付けて放置するなんて、家主が天から見てたら怒髪天どころか下天するのではないか?
あらかた思考はまとまった。あとはこの状況をどうするかだが――。
「誰も居ないよ、シアラちゃん」
入口付近に感じた気配――向かってぼそりと、静かに語りかける。
扉がゆっくり、ゆっくりと、音を立てずに開いたと思えば、そのまま滑り込むようにシアラが入り込んできた。
「っ……! へ、ヘルメスさん……大丈夫ですか……?」
「だーいじょうぶだいじょうぶ。ちょいと俺の綺麗なお肌が青ざめちゃったくらいさ」
「冗談はよしてください!」
へらへらと、何でもなさげに嘯いて心配を解きほぐそうとすれば、思いがけず声を荒げて叱りつけられた。先ほどまで大泣きしていたのだろうか、腫らした瞼は真っ赤になっている。そして同時に、今の自分とは対照的な真白い肌も紅潮させて。心の底から怒り、悲しみ、心配していること、そんな感情が痛いほど伝わる。
「なんて惨たらしいことを……いくらなんでもやりすぎです……」
貫通した手足の杭に手を伸ばす。抜こうとしてくれているのだろうが、慌ててヘルメスはそれを制した。
「だからってこのままでは……。そうだ、これなら――『スプリフォ』――」
「だぁっ――待った待った待った! 俺は大丈夫、ホントに大丈夫! 今はまだこのままにしといてくれ!」
今度はこちらが声を荒げてしまった。
精霊の等級として最上位の意を示す『スプリフォ』の位階に、以前顕現したシアラの精霊『サレファドラ』を思い出す。最上位精霊の魔力は並の生き物はおろか魔法使いや魔女すら軽々と凌駕する。ヘルメス自身魔力の高まりを理解できないものの、魔力探知ができる生命にとっては、目前で今か今かと噴火せんとする活火山に等しいのだ。そんなものがいきなり牢の中で顕現すること自体が異常事態に他ならない。
そもそも自分の今の状態は極めて雑だ。木の杭で固定などと身体的苦痛を科す手荒い手法だが、神霊族たちは両手足を封じてるだけにすぎない。
牢の中に見張りもいないし、手に入る材料の問題もあるのかもしれないが、拘束手段は全て木製。手段を選ばず自分の体を省みなければ、錬金術で脱出は十二分に可能だ。
故に考えられるのは仕掛けが施されていることだ。拘束から外れた時に発動する時限式の魔術や、一定量の魔力に反応して発動する魔術など、オートあるいはリモートで監視している可能性は高い。
気配遮断の能力も、五感に優れる人狼のリルすら気付かないレベルだ。この場で監視せずとも、屋外からのこっそり覗くだけで事足りるはずだ。脱走脱出はもちろん、錬金術の行使も迂闊にできない。特に後者は今後のためにも猶更だ。
「……互いのためさ。今、俺らはまともに会話ができてないんだ。一ミリもね。いつだって問題解決のために必要なのは話し合うこと。これに尽きるんだ」
真っ当なことだ。問題を抱える双方の意思を伝えねば、収まるはずの問題とて収まらない。
「けれどね、シアラちゃんは悪くないさ。こうなったのも、遠い遠い因果とはいえ俺のせい。甘んじて受けなきゃいけなかったのは確かなんだよ」
ヘルメスにシアラを責める気は微塵も無かった。捕縛に際してダークエルフへと突き返したシアラは、この惨状を知らない辺り完全に隔離されていたことが推測される。この状況は彼女の望みではなく、他の神霊種たちの総意だと思われる。
「だとしても、私たちの一族がした行いは……せめて、これを」
いまにも泣き出してしまいそうな顔のシアラだが、思い出したかのように、笹の葉に似た葉っぱに包まれた、大豆ぐらいの草の塊を差し出した。
「これは?」
「口に入れますので、一息に飲み込まず、噛み締めてください」
言われたとおりにヘルメスは口に放り込まれた草の塊を噛み締めるが、それ以上咀嚼はできなかった。真一文字に口を結んで顔を顰める。
新種の成分か、はたまた既存の成分が奇妙な融合を果たしたのか。強烈を通り越して口腔内で炸裂した苦味が、傷付いたヘルメスの五臓六腑に染み渡っていく。
「ど、どうですか? 」
「……にわい(苦い)」
「ふふっ、変な声」
「らっへふひは(だって口が)……」
もう噛み締めることもできずに、舌の上で苦い汁が溜まっていく。
「これが貴女が求めていた『ピュリフィ』の花を煎じ、丸薬にしたものです」
「…………」
コクコクと、喋れないながらも相槌で反応するヘルメス。
「ピュリフィは大気中の魔力を吸収し、花弁に魔力を蓄えるんです。蓄えた魔力の一部を生長の糧とし、残りを再び大地や大気へ還元するのです」
――なるほど、光合成か。
いわば植物の光合成を二酸化炭素から魔力に置き換えたようなものだ。
濃く煮詰まった大気中の魔力を吸収し、大部分はピュリフィの花弁に取り込んだまま、薄く中和した魔力を少しずつ大気や土中へと還元。還元された魔力は他の草木の生育を促し、それを虫や草食動物――ルベドの森の草食動物はごくわずかなのだが――が食べると草木の魔力が捕食者に行き渡る。さらにそれを捕食した肉食動物へ魔力が収束し、最後に死骸になり自然へと魔力が戻る……弱肉強食のピラミッドと合わせて魔力のサイクルが目に浮かぶ。
――しかし『魔力を浄化する特性』を持つのはピュリフィだけなんだな。
声はまだ出せそうにないので心の中でつぶやいた。葉緑体を持つ植物全てが同じことをするわけではないのか。そもそも魔力の濃度も厳密に数値化できる物なのか。どれだけ生体内で残留してしまうと、肉体と精神に影響を及ぼすのか。謎の解がさらに謎を連れてきてしまったことに、ヘルメスの気持ちは久方ぶりに昂った。
自分の身体の内から湧き上がる熱い何かを感じ取っていた。この感覚は懐かしい。迸る魔力の奔流そのものだ。『魔力汚染の中和剤』に精製する可能性以外にもいろいろと用途がありそうだ。
とはいえ、優先されるのは状況の打破だ。開発発明云々はアイデアだけにしておこう。
「……本当にごめんなさい。私たちの一族の所業、私一人では謝り切れないほどのものです。けれど、貴方は許して、責めないでくれたけれど……それにまつわる物事の一切を知らなかった私にも責はありますから……」
口を蹂躙しきった丸薬の苦汁にとうとう慣れたヘルメスは、んぐっと一息に飲み干した。まだ味覚と共に感覚が痺れてるが、会話するだけなら支障はない。
「……君は知らなかったのかい? 君の従者のエルフが言ったこと……俺――ヘルメス・トリスメギストスが、君の両親を殺したってことを」
平常心を保つには些か状況が一部責任の所在をあいまいにした質問。「転生前のヘルメス」に罪をなするようだが事実は事実。恥も外聞もへったくれもない。
それよりも大事なのは、両親の死という、本来ならばなによりも優先される一大事を、彼女自身の記憶の中に深く刻まれていないことだった。
「……いえ」
「正直に言っていいよ」
「……わからないのです。私のお父様とお母様の訃報を聞いたのも百年ほど前です。喪に服したのも言われるがまま、亡骸にさえ会うことなく……」
問いに答えたシアラの表情は暗かった。ヘルメスは表情の真意を測りながら考に入る。
こちらに気を遣い嘘をついてる気配もしない。されてしまうとむしろ辛いのだが、さりとて明々白々な恨みつらみを露わにされても応えられない。本当に記憶していないのだろう。
百年。人間が一生を終える長い年月。神霊種にとってもそれは変わらず長い時だ。
親の死という峻烈な出来事すら忘れてしまうほど、シアラの心が傷付いてしまったのか。壊れないように自衛するため、深層心理が強制的に記憶を抹消したのか。幸か不幸か死の詳細を伏せられたまま時が経ち、心の傷を塞いでしまったのか。
思考巡れど解は出ず。これ以上深く踏み込んだところで成果は無いかもしれない。ただ心の傷を突っついて、治ってるか定かでないかさぶたを触るだけだろう。
「逆に、と言いますか。では貴方は何故、そのような質問をすべき相手と此処へ来たのですか?」
「……それは……」
答えられなかった。いや、答えようが無かった。
誰が信じられるものか。自分の姿をした別人が過去にやった行いなどと。しかもその別人の存在を立証できず、自分すら未だに体の本人と出会ってないのだ。
「……すまない。スマートな回答が浮かばないや」
苦笑の裏を読まれぬよう、せめて彼女が恨んでくれればとおどけてみせる。
「……です、よね」
シアラも無理に笑みを作って返した。
とても、とても、嫌な気分だった。
それから数分後。
どうしても会話が続かなくなり、いたたまれなくなったシアラが部屋から出ていった後のこと。度を過ぎた拷問か、はたまた両手から絶えず流れる血のせいか、気が遠くなるような眠気に襲われ意識を失うように眠りに落ちていた。
「……懐かしいな」
まだ気絶から目覚めていないが、己が発した言葉が明瞭に耳に残る。
夢だと自分で分かっている世界。そこで目を見開けば、視界一面に星の海が広がっている。
宇宙の水面を踏みしめれば、鏡面の闇に映り込む己の姿が広がる波紋に飲まれる。
深く息を吸い込めば、懐かしく感じるお香の気を昂らせる匂いが、肺一杯に取り込まれる。
『ニグレド』――自身の肉体の本来の主たる、ヘルメス・トリスメギストスが現れる不思議な世界。ここでは自分の存在は『ヘルメス・トリスメギストス』から、『間藤蓮也』へと変わる。
その証明たる人物は、目の前に居た。普段は己のはずの、鏡に映る自分の姿がそこに居た。
黒のローブで頭上から足まで覆い尽くしている点を除けば、覗く顔や体つきは己の物そのものだ。対する蓮也も、いつもの視点の高さとは十センチ以上違うことに戸惑いながら、本当の自分のハズの肉体を軽く動かす。
「何か月ぶりだろうな、ヘルメス」
「そうね。蓮也。久しく『ニグレド』が変わることは無かったもの。でね、今日はお勉強じゃなくて、お話をするのに貴方を呼んだの」
「シアラの……いや、神霊種のことだな?」
「察しが良くて助かるわ」
「こっちも問いただしたくて仕方なかったからな」
冷静、平静。会話はやはりこうでないと困る。知りたかった情報さえ、互いのコミュニケーション不足で二度と聞けなくなってしまうことだってあるからだ。
「この『ニグレド』での勉強含めて……貴方とはもう三年の付き合いになるわね」
「そうだな。昔は先生で、今はなんだろなぁ」
「うふふっ。今でも先生でいるつもりよ。……先生であり、自分の体を受け継がせた身としての……先代としての、ね」
「ならば先代。今ちょうど聞きたいことがあったんだよ」
ギラリと目を輝かせる。日本人の大多数と同じ、茶色の目を。
改めて向き合った……間藤蓮也が、ヘルメス・トリスメギストスへと。
「――あの子の父と母を殺したのは、間違いなく私」
目を閉じ、即座に一言。
「それに神霊種……特に貴方がエルフと呼んでいる種族の存在が明るみになったのも私のせい」
ゆるゆると、目を開けて二言。
「けれど、ある日まで何の変哲もない、魔獣が住み着くだけだった大きな森が、【ルベドの森】と名付けられ遍く者の……彼女たちの居場所なったのは、私のお陰でもあるの」
力の無い笑みを浮かべてそう締めた。
何一つ分からない。分かったのは結局自分の体たるヘルメスが、シアラの両親を殺したことだけ。そのことを問いただそうとすると、真っ白な閃光が視界を埋め尽くさんと奥底から溢れてきた。
今までに『ニグレド』から目覚めた時と違う、まるで追い出されるような光景に、蓮也も一瞬おののいて立ち止まってしまう。
「貴方はまだ『黒化』の途中。私では救えなかった世界を、貴方なら……――」
「ってオイ、待て! この流れは――」
そうはさせるかと手を伸ばせど届きやしない。まるで蜃気楼の中に手を突っ込むようで、届いたと思えば幻想に手が掠めるだけ。
――なんだこのオチは。
景色が闇の黒から光の白へ変わり、慣れてきた目が眩む。
そのまま意識を手放した――。
「ここは――」
目を覚ますと、閃光の眩しさとは違う種類の光を浴びていた。格子状に組まれた藁窓の隙間から入り込む日差しだ。
こうして状況を思い出す。自分の置かれた状況の事を。
貫通している手足の痛みも、気絶のついでに寝れたことと、シアラがくれた丸薬に夜魔力の充実に合わせて幾分かは和らいでいる。
「『黒化』の途中……ねぇ」
誰も居ないが声を潜めて呟いた。
『黒化』――大いなる業の第一段階を示すその言葉が指す意味は『浄化』、そして『個性化』。
意味を素直に受け取れば、『ニグレド』で蓮也自身の浄化と個性化、何かしら蓮也を穢そうとしている概念から切り離し、蓮也だった一個性を再構築をしようとしていると考えられる。
そして次の段階に『白化』、『アルベド』が存在し、森が『赤化』に当る『ルベド』の名を冠しているのも関連性があるのか。だがヘルメス本人は「意味合いは少し違う」と言っていたのも引っかかる。
「……情報を小出しにしたがるヤツらの気は知れないモンだ」
じわじわと隠された情報を暴き掴む楽しさがある小説や漫画とは違うなと、久しくしてなかった大きなため息に込めて吐き出した。
会得した万能の力を以てしてもどうにもならないこともあり、持ってたはずのヘルメス本人が行ったことが現状の癌だったりもするしで、他者と比べてかなり楽観的な蓮也も少々参っていた。
せめて、内実を知っていそうなあのエルフ――確かニルドと呼ばれてたか? シアラの両親が死んだ時のことを聞けたら……いや、無理だろうな。
早々に諦めムードなヘルメスに、目の前の扉がギシギシと軋んだ音を出して開いた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
神霊族と神霊種、精霊と精霊族等々、割とマジでごっちゃになってる自分がここに(設定表作ってるのに……)