#40 不知案内
少々の休憩を挟んだ後にヘルメス一行は神霊種の里への行軍を再開していた。
「今回は隠密行動しなくていいのか?」
「たぶんな。神霊王女サマが隣に居るんだ。何とかなるなる」
「ええ。……でも、気難しい者もいますから、あまり期待し過ぎないでくださいね?」
「神霊王女サマ、胸張ってくれや。俺らの身の安全を確保してくれるのはアンタなんだからなぁ」
「ぜ、善処します!」
「……頼むから自信をもってもらいたいものですね」
既に里の領域内だとシアラに言われたが、意に介さず堂々と森を歩いているヘルメスに、ヨハンもいささか幸先の不安さに曖昧な笑みがやや陰る。それはリルも同じだった。
「んで、俺がこう言ったワケよ――」
「へぇ――」
端々から聞こえる話の内容は『聖天教』の堕天騒動の折のこと。リルにとっても懐かしくなりつつあるが、思い出に浸るべきではない出来事だ。
それにしても、空気が重い。魔力濃度が原因とはどうにも違う。
リルの野性が抜けきっていない感性に何かが引っ掛かっている。
「この先」――いや、「この場に何やら危険な気配があるぞ」と、内なる自身へと雄弁に物語っている。
「な、なぁ。ヨハン」
ヘルメスの二歩後ろの距離を開けて歩いていたリルが、背後のヨハンへと問いかけるために振り返る。
ヨハンの表情は強張り、口元は引きつり気味に固く閉ざされている。やや気温は高いが、汗が出るほどでもないのに、額を汗でしっとりと湿らせている。
「……奇遇ですね。僕もちょうどリルさんに尋ねたかったことがありまして」
敢えてヨハンに話を振ったのも、我が主はこの手の勘に関してはとんときかないときたものだ。当の本人はシアラと談笑しながら棒切れを杖にして歩いているばかり。聞くだけ無駄と分かっていたのだ。
「「奇妙な気配がする」」
「だろ?」
「ですね」
二人の意見は一言一句相違ない。野生の勘と魔法使いの経験という、似て非なるものが合致した。
「ただ、敵意かどうかが曖昧過ぎてな。聞きたくなったんだ」
「そこが僕も気になっていて。ここには何度か通りかかった記憶はありますが、警戒している気配がするのはいつものことです。でも……」
「でも?」
「迎え入れている……いえ、誘い込んでいる……はたまたこちらの動向を探っている……」
ヨハンは歯切れ悪そうに続ける。
「当然といえば当然、か。王女が居なくなれば慌ただしくもなるし、帰ってきたとなればな」
顔を見合わせ憂鬱そうにため息をついた。そりゃあ誘導も歓迎もけん制もしているだろう。
何せふと目を離した隙に王女様が消えた上、今頃錬金術師を引き連れて戻ってきたのだ。神霊種の里では大混乱が起こっているに違いない。
「あの人、それをわかってるんですかね?」
「わかってるはずないだろ。唯一無二の錬金術が使えるからって、肉体の性能は私どころか一般人以下だ。妙な勘というか洞察力はあっても直感に乏しいし、こんな気配に気付いているわけないな」
こき下ろすリルの表情はさほど悪くない、といった風だ。
「従者は毎日大変なんだ。あんなとーへんぼく。相手にするのも」
「不思議な人ですよね。僕も数度会っただけですけど、妙な大物感あるんですもん」
「……あんな俗の欲まみれな主が?」
「俗っぽいし、非力ですけど、錬金術の開祖ですし、何故か全てを見透かしたような振舞いをするとことか」
「むぅ」
「なにより諦観を止めた人間の顔をしてますし」
最後の評価は真意の読めない含みのある言い回しだった。
「リルさん、ヨハンさん! もうすぐで里に着きますよー!」
やや遠くからシアラの声が聞こえてくる。話している間にちょっと距離が離れていたみたいだ。あと数メートルもしない内に開けた場所へと出れそうだった。
「まったく……こちらの苦労も心労も知りもしないで、気楽なもんだ。あの二人は」
「まあまあ、それも大物感ってとこで落としときましょうよ。あんまり気にしても、ってことです」
「よくもこんな剣呑な空気で呑気に会話ができることだこと……」
またこき下ろしたリルだったが、まあ気付くはずもなかっただろう。
立ち止まる二人にややも不審な気配を思わなかったのだから。
「どうした、主?」
呑気に構えていたのは己の方だと――。
森を抜けると、待ち構えていたのはいつぞや主と一緒に訪れた神霊種の里に間違いなかった。
が、それは決して歓迎とは言い難い状況であった。
「どういうこと……だ?」
前方二百七十度に広がる景色には番えられた弓矢が上下左右、木の上屋根の上と刺殺さんばかりの視線が存在し、夥しいまでの殺気に囲まれている。
「……穏やかではない状況なのは確かでしょうね」
狼狽するリルとは裏腹に冷静な判断を下すヨハンも汗を流している。
先陣を切った位置に立っているのは、所謂ダークエルフと呼ばれる種族だろうか、シアラに似た翡翠の瞳を侮蔑的に光らせている。銀の長い髪と対照的な浅黒い肌色の奥に凛とした美貌を携えているのはヘルメスのみが確認しており、除いた二名はまるで別の物に目を奪われいた。
無造作に構えた炭素繊維が織り込まれたように艶のある弓は、鏡面に似た濃い輝きを持っている。固く張った弦に緩やかに番えられた矢には、空気中の濃厚な魔力にも負けない魔力を纏っていた。
「そこから一歩でも動けば命は無いと思え。錬金術師とその一派」
「ニル……ド? わ、私よ。シアラよ!?」
「王女。知らない生き物にはついていかない、子供でも知ってる約束事です。好奇心旺盛なのは良いことですが、自らの身分と明日の宿題は三倍になるのを覚悟してくださいね」
「そうじゃなくて! この人たちは敵じゃないわ! なんで里のみんなも弓を構えているの!?」
ニルドと呼ばれたダークエルフは、番えた矢に込めた力をやや強める。
「王女が姿を消したと思えば、卑しくも森に潜む人狼と魔法使いが来たとは」
侮蔑的にねめつけた視線に身構えると、その視線がふと憎悪へ似た色へ変わりヘルメスに向くと――。
「あまつさえ王女の両親――王と王妃を死に至らしめた錬金術師がのこのこ出てくるとは」
両目を見開き、口を閉ざすヘルメスは、リルたちからも呆気に取られているとしか映っていない。数秒の沈黙の後、ゆっくりと目を伏せ、口を開く。
「身に覚えのない、じゃあ納得してくれなさそうだな」
「覚えていない、などで済むと思うなよ、錬金術師」
「それが本当だとしてもか?」
「惚けるのも大概にするべきだがまあいい、言葉は不要だな」
ヘルメスたちを取り囲むエルフらの瞳には明確な怒気が宿っていた。誰を前にしても飄々とするヘルメスさえもが怯んでしまいそうなそれは、番えられた矢を引き絞る手にも遺憾なく込められている。鋭く研がれた鋼の鏃は容易く肉を裂き、骨すら穿ち、内腑を砕くだろう。
最早問答は無用と、ニルドは高らかに掲げた右腕をヘルメスへと振りかざした。
「相手は錬金術師、遠慮はいらない! 全力で奴の首級を上げろ!」
有無を言わさず空を切って放たれた矢に、ふとヘルメスは背を向けた。
戦闘放棄というよりも諦めて死を選んだような行為にリルは咄嗟に叫びかけた。そして、言葉を飲み込んだ。物悲し気に目を細めて「やっちまった」と言いたげに、困った笑みを浮かべていたからだ。
後退っていたシアラの手を掴むと、非力なヘルメスとは思えない勢いでニルドへと突っぱねたと同時にヘルメスは自身から止めどなく漏れ出す魔力を黒雷へと変換――掌を覆うと同時に地面へ叩きつける。
「きゃっ!?」
「〈遍く虚構・番兵の防壁〉」
ヘルメスの両掌から溢れる黒雷が地面へ浸透すると大岩が隆起する。地を揺るがしながら大岩がかまくら状に変形し、けたたましい金属音を響かせながら矢の雨を受け止めた。
「はあぁぁっ!」
気合一発、黒雷に込める魔力をさらに一段階高めると、土の膜から腕が生え人型へと変貌を遂げる。体をずずいと起こしてさらに生えた腕で庇うようにヘルメスたちを包むこんだそれは、所謂ゴーレムとして名高い土人形だ。
魔力操作で単純な動作をとるゴーレムは、本来魔女や魔法使いが得意する魔術の一つだ。頭脳部が存在しないため、近くの生物を攻撃することや特定の一つの行動を繰り返すことが精いっぱいだが、人体をはるかに上回る膂力と耐久性には目を見張るものがある。
瞬時に人間三人を取り囲んだ〈番兵〉を前に、ニルドは歯噛みして憎悪の表情を露わにした。
「黒い雷光、錬金術……あれはやはり――次弾、放てぇっ!」
「っ……やめて、ニルド! 話を聞いて!」
素早く番えられた二射目を再び土の腕が受け止めるも、着弾の衝撃でボロボロと崩れ始める。〈番兵〉と名付けようがあくまで土くれの人形、ヘルメスの魔力を取り込んでも耐久力不足は目に見えている。
エルフたちは超自然的な風の力を自由自在に操る、神霊種固有の魔術を巧みに弓術に取り入れている。幼少から鍛え上げられた熟達した弓捌きで射込まれる征矢は、たとえ矢羽根が無かろうと百発百中の精度を誇り鋼鉄すら貫く。ヘルメスの〈番兵〉といえどその例から外れることは無い。
「ぐっ……クソッ! 近接装備じゃ手出しできない……!」
「なら僕が! 僕の〈音〉で援護を――」
「いらんことするな、ヨハン!」
杖を構えたヨハンを制して力をさらに一段階高めると、黒雷を起点に荒々しく放出される大量の魔力が周囲の地面に大きな変化を及ぼす。土の破片を散らしていた腕がぽっきりもげたと思えば、土の防壁を創り出す。土中の鉄分を集積して生み出した鉄の膜でコーティングしているので、易々と鏃が貫徹することはない。
「これは戦闘じゃねぇ、対話だ。俺にはシアラちゃんもニルドちゃんも、エルフの誰も傷付ける気はねぇんだ」
「だからって、どこまでヘルメスさんの魔力が持つか――」
「それも、いらねぇ心配だ」
「付け上がるな……錬金術師がぁっ!」
第三射――青白い光を纏った矢の雨が着弾するかと思えば、たったの一矢がさらに巨大化した〈番兵〉へと着撃した途端、爆風を伴って風穴が空いた。たったの一矢で。
「榴弾砲かよ……馬鹿げた威力だ――なぁっ!」
ヘルメスが黒雷を広範に流し込むと、呼応するように周囲の物体を取り込んで〈番兵〉に空いた風穴がふさがった。地中の石材や鉄の元素だけでなく、浴びるように受けた矢の鏃すらも取り込み、強固堅牢な〈番兵〉へと仕立て上げられていく。
おそらく着弾地点で矢に込めた圧搾空気を解放させるよう操作する風の質を変えたのだろう。まさに榴弾砲そのものだ。
そして、まさにその時、ヘルメスの全身に異変が生じる。
「……やっぱりそうだ」
異変にヨハンがいち早く気付く。
「ヘルメスさんの魔力がどんどん霧散していってる……身体からも、ゴーレムからも……!」
「馬鹿な! あり得るかそんなこと!」
ゆるゆると、首を振ってリルの否定を否定する。
「恐らくは魔力消費の速度が原因……大量の魔力をごく短時間で消費した分、体にかかる負担も倍増しているんでしょう」
「だが一度もそんなことは……」
言いかけてハッと気付く。普段と現在では状況も行使する錬金術も大きく異なっている。
怠惰な暮らしをしているヘルメスが行使する錬金術は物資作成のものばかりで、〈遍く虚構〉は『聖天教』の時に初めて見せたものだ。共に三年の年月を過ごしてきたリルでさえも知らない錬金術だった。
身体にかかる負担、連続行使可能な時間、出力の限界――あるいはヘルメス自身すらも知らないかもしれない。そして身体の異常はついに第三者にまで伝わるレベルに悪化する。
衝撃に耐えていたヘルメスの四肢が震える。四肢がにわかに痺れ、視界が赤く染まり、身体が熱く火照る。
「こんなことって……!?」
「……出血は痛覚と同じく身体の異変を告げるサイン――必ずどこかに異常が生じているはずです。錬金術師でも魔法使いでも、人狼だろうとエルフだろうと、身体の構造そのものは変わらないんですから」
こと冷酷なまでに分析をしているヨハンの心中は、よく回る口と裏腹に様々な判断を強いられ右往左往していた。
手を出さなければ、ヘルメスさんはどうなってしまう?
このまま続ければ、限界を超えて身体が滅んでしまう?
判断を間違えれば、取り返しのつかないことになってしまう?
動くべきか、止まるべきか。
攻めるべきか、耐えるべきか。
逃げるべきか、見捨てるべきか。
間違えることも許されず最悪誰も助からない状況下で、魔法使いといえど年端もいかない少年には、最適の判断を下せるはずもなく、ヨハンの思考は凍り付いたように固まった。
こうして躊躇している内にヘルメスに限界が訪れた。
「スマン……もう無理だ!」
再度ニルドが放った矢が〈番人〉を貫徹したのが致命的な最後の一押しになったのだろう。叫んだと同時に〈番人の防壁〉が完全に崩壊して爆散――三人が森の奥へと吹き飛ばされた。
土砂に含まれていたヘルメスの魔力が四散霧散すると、舞い散る土ぼこりが疑似的な煙幕として機能して草むらに投げ出された三人の身を覆い隠す。
「ぐっ……〈遍く虚構〉……っと」
掌から静電気程度の微弱な黒雷が起こると、ごく小規模の土の防壁が地面からせりあがる。しかし頼りない防壁だ。儚いほど薄っぺらく、何をせずともぱらぱらと崩れかけているありさまだ。
「大丈夫か主! 目から……ってか全身から血が――」
「俺の身体なんざ気にするより、そんなことより、だ」
短く息を切らして、充血した目から流れる薄い血の涙を拭って二人に向き合う。
「リル。ヨハン。あと十八秒は防壁を持たせるからよく聞いとけ。お前ら二人で逃げろ。そしてすぐにレジーナとラブレスで合流しろ」
驚愕する二人だったが、ヘルメスのいつになく真剣な表情に気圧される。
「あ、主を置いて逃げろと? 私たちを守って傷だらけの主を置いて逃げろだと……ふざけるな!」
「……僕も同意見です。不利なのは事実ですが、依頼主を置いて逃げれとは教わってません」
「ヘイト寄せられた運動能力皆無な俺を担いで逃げるより、森でも機敏に動けるお前ら二人だけの方が生存率は格段に高まる。ヨハンの『隠密』があるから殊更、な」
常に絶対なる自負心と自尊心が瞳でぎらついたヘルメスとは思えない弱気な発言に、リルも思わず押し黙ってしまう。
「……事の顛末は俺が生きて帰ったら話す。そして彼らにも非は無い。頼むから恨んでくれるな。俺にも……おそらく非は無いんだが、互いを誤解してんだ。きっと、な」
絶望とわずかな希望がない交ぜになっている瞳だが、一歩も譲る気のない不退転の決意が宿っている。
「……ええ、わかりました。それが依頼主の下した判断ならば、僕はそれに従います」
ヨハンも覚悟を決める。生半な覚悟ではなく、一人の人間の死すらも覚悟して。
「ですが、殿への餞別も感謝も忘れない無作法者ではないので!」
突風が止んで音を遮る障害が無くなった一瞬の隙を逃さず、木杖から雷鳴の轟きをも上回る爆音が弾けた。最大出力の〈雑音響〉が、エルフたちの憤怒をも忘れさせ、竦みあがらせる。
「命を落とすくらいなら、自由にふるまってくださいよ。……貴方が死んだら僕も悲しいし、きっと小隊長も悲しみますから」
振り向かず、ある種見切りをつけたように、ヨハンは森へと身をひそめた。
大音響に気を取られて一人消えたことにエルフたちは気付かないし近づく気配も無い。ボロボロなのは明らかだが反撃を警戒する故か、もう一人くらいは逃げる余裕も生まれた――……生まれはしたが、動けない。
どうして?
今にもくたばってしまいそうな主を放って逃げる?
滲む殺意を矢に込める神霊種に捕まったらどうなってしまう?
今まで一度も考えたことがなかったが、もしも主が死んだら私は――。
躊躇いで足が動かないリルへと、崩れ去る寸前の土の防壁へもたれかかるヘルメスはそっと頬に触れる。血が薄っすら通うだけのヘルメスの指先は冷え切っていた。
「リル。自分の力も、自分のことも怖がるな。自分には自分も知らない力があるってことだけ、忘れんなよ」
「……人狼の力のこと、か?」
強張るリルの身体をほぐしてみせようと、ヘルメスの強張った面影はやわりと綻んだ。
「んーにゃ。それもあるけど、それでもない。……ま、自ずと分かるさ。囚われの姫様になってやるから助けに来てくれよ。王子サマ」
いつも通り普段通りの無意味な強がりと無根拠な自信。
たったそれだけが、揺らいだリルの心に火をつける。青ざめた表情に再び炎が灯る。草むらへと飛び込んで、振り返らずに、町の方角へと身体を向け――。
「絶対に、助けにくるから……!」
静かに親指を高く掲げたヘルメスが崩れた砂に飲み込まれる姿を最後にしないためにと、ヨハンの後を追ってラブレスへ駆け出した。
最後までお読みいただきありがとうございました。
たぶん今年じゃ終わらないし、私が生きている限りで完結するのか心配になってきました。




