#37 状況整理
ゴンゴンと、落とし戸が叩かれる音がする。
「どうよ、リル。人の気配はするかい?」
「出入り口の強い魔力以外は死体だけだ」
「そりゃよかった」
リルの適切な状況報告にヘルメスは顔をほころばす。
「んじゃ傭兵のお出迎え、頼んだ」
「少しの距離くらい歩け……まったく」
なんて言いながらもリルは渋々と長い階段を上がっていく。
「まだ状況が呑み込み切れてないだろうけどシアラちゃん。今しばらく待っててくれると助かる」
「……わかりました」
シアラの顔は曇天のように浮かないが無理もない。
退屈な勉強時間から解放されたかと思いきや、連れ出してくれた恩人は誘拐犯だったり。
かと思えば誘拐犯の正体が伝承の存在に等しいまである錬金術師だったり。
その錬金術師がまさか盗賊団に襲われたり。
不安も止まらないし、不信も加速する。信じたいが、信じ難い。複雑な心境だ。そんな心を知ったか知らずか微笑みかけてきたヘルメスへ気丈にも笑みを返す。
待つこと一分。改めてヘルメスは地下の錬金工房を眺めるも、殺風景極まりないと思っていた。壁は灰色に塗装された石材で押し固められているし、床も同様に整地されているが、あまりにも無機質だ。面白味のない同系色で、白に近い色合いは地味に目に辛いものがある。
シアラとは会話も起きず、続かず、だんまりだ。かける言葉も無いからなおさらにキツイ。
「んぁー遅いなぁ、リルのヤツ」
「そう、ですね……」
「そだなぁ」
これで終わりだ。キャッチボールに成りやしない。かといって何かできるわけでもなく、ただただ待つだけの時間が過ぎていった。
こうして一分後、何故かレジーナに抱っこされているリルが二人の魔女を連れてやってきた。抱っこされたまま容赦なくわしゃわしゃと撫でまくられてる。
「お疲れさん、魔女の傭兵さんたちよ」
「まったくってね。そう思うわよねーリルちゃん」
「まったくです」
憮然顔だがどこか満足気にも見える表情で同調する。
「……で、私の後ろの方々は?」
「アタシの仲間よ。よいしょっと」
明るく鮮やかなピンクに染めた長髪をツインテールに結っている少女は、羽織った黒の外套から二人の手を掴んで上下にブンブンと振る。
「私はヴァニラ! ヴァニラ・メロゥ! よろしくねぇリルちゃん、シアラちゃん!」
身長はリルよりも低く、差し出した腕も子供くらいに細いが、軽い握手のつもりが凄まじい勢いで二人は上下に揺すられていた。
「「よ、よろしくぅぅぅっ!」」
体勢を崩して慌てふためく二人を前にヴァニラは無邪気に笑んでいる。
大槌を背負っているから力自慢なのはうかがえるが、小柄な体躯からは想像できないほどの膂力を誇っているようだ。
「よしなさいな、ヴァニラちゃん。二人とも腕が取れちゃいますわよ」
振り回されて目を回しかけてる二人に気付かないヴァニラを、年老いた恰幅の良い女性が止める。
「私はステラ・エルメイダ・グラットンと申します。ステラで構いませんよ」
見た目からこの中でも一番年老いているであろう女性は、長いが手入れがなされている白髪を後頭部でまとめている。銀のモノクルをかけ、糸目と深めの皺とほうれい線が目立つ。
世に多い老人めいた顔立ちは特徴もないが、何故かしきりに食いついたのはシアラだった。
「は、初めまして! シアラ・ウィル・マナリアです! つかぬ事をお伺いしますが、貴女はもしや『古血種』では……?」
「あらあらまあまあ! 一目見るだけで分かるのねぇ……さすが神霊王女ね」
優し気に糸目が曲がる。年老いてはいるがステラの体躯からは満ちた魔力が溢れている。ヘルメスは感じ取れずとも、この場に居る魔力を感知できる者は一様に感じていた。
『古血種』――遥か太古の亜人族の祖先とされている種族であり、血を引いた者もごく少数とされている。
遥か古代の魔術から、魔法の起源すらも継承するとされており、忌み嫌われた人狼種や黒く薄汚い欲望のままに求められた神霊種と違い、遂に神格化までされていたとされる種族であるとされる。
「そんな高貴というか、尊ばれた血筋に属する人も魔女になるんですね……」
「おう、リル。そりゃ少し失礼な言い草だぜ」
リルの口から漏れた自然な感想に、ヘルメスはやや強めの語調で制した。
「大丈夫ですよ、リルちゃん。ヘルメスちゃんもそんなに気にしないの」
小さな子供をたしなめるように、リルとヘルメスの頭を撫でる。
「私の血は所詮過去の遺物に過ぎませんよ。今や物好きが付け狙うくらいのものですから」
名前のままに過去の血を引くという点で、歴史を紐解く者には研究対象として付け狙われることも多いらしい。
捕まえれば高く売れると盗賊や奴隷商人に。
栄光や古代の叡智を欲する考古学者に。
単に物珍しさに金持ち貴族に。
ヘルメスが珍しく叱るように制したのも、そんなステラの過去を知っているが故だ。
つけ狙われた末にレジーナと出会い、彼女が安息の地として『魔女小隊』へと勧誘したことを知っているが故だ。
「……優しすぎんのも良くねぇぞ」
「ふふっ、ご心配ありがとうね。ヘルメスちゃん」
場の雰囲気と気恥ずかしさを誤魔化すようにヘルメスが話を振った。
「で、でだ! 鴉共はどうなったよ?」
「手下数名が死んだくらいよ」
「……なんでぇ、鴉の頭を潰してくれても良かったってのに」
「でも、アイツらの足取りになりそうな? ものは手に入れたわよ」
そう言ってレジーナが投げ渡したのは空の薬瓶だった。
投げ渡された薬瓶の中身は空に近い。僅かばかりの滴液が残っているだけだ。
「なんだよこれ」
「毒物だか劇薬だかよ。成分解析はアンタの仕事でしょ?」
「やってみるが、期待すんなよ」
「これだけでできるのか? しかも足取りまで掴むなんて」
「八割方無理だろうな。薬の出所を掴めりゃ万々歳。成分解析で何処のどんな植物やら生体毒素が使われてるかわかりゃあめっけもんだ」
ほんの少しの液体をあらため、胸の中にしまう。
「……何故そこに?」
「ここしかねーもん」
「置けばいいだろ!」
「今更ツッコミは不要よ、リルちゃん」
「さて、状況整理といこうかね。まずは鴉の……『屍喰いの鴉』の目的だ」
何のために自分らに『神霊王女』ことシアラの誘拐を依頼したか。
さも他人事のように話している態度に難色を示したのはレジーナだった。
「状況整理も何も……この状況はアンタが『神霊王女』を攫って来たから招いたものでしょうに」
「いや、そりゃまあそうなんだが……」
歯に衣着せぬ物言いも今では反論しがたい。頭を掻いて苦々しく言いよどむ。
「計略、策略、謀略。アンタが考えそうなことは大概は分かるけど、今度ばかりは理解に苦しむわね。犯罪者で、盗賊団で、狡猾残忍な鴉たちが欲している精霊族の対価は、アンタが表舞台に引き出されて手を汚すだけの価値があるわけ?」
「手を汚す価値はあるさ」
「その価値の理由を聞いてるわけよ。でなきゃ、今回の依頼は受けてやんないわよ。こっちも」
グサグサと心を射抜くレジーナの言葉。それもそのはず、全て正論であるのだ。
「お二方は何か質問とかは?」
リルもなんだか可哀そうになってきたらしく、後ろに控えていた魔女二名に助け舟のように話題を逸らした。
「アタシアホの子だからわっかんにゃ~い!」
「私はあくまでヘルメスちゃんよりも団長の意思を尊重してるからねぇ……口をはさむのも無粋かと思いましてねぇ」
「自分でアホの子ってそれ……」
単純明快なヴァニラの回答と、申し訳なさそうなステラの回答。残念ながら主への助け舟は出なさそうだ。
「はあ……だとさ。いい加減きれいさっぱり白状した方がいいんじゃないか?」
いよいよもって主に向けて白状を促す。リル自身も実際気になっていた。
普段は徹頭徹尾、一貫して危険を冒すのを嫌っている……フリをしているヘルメスがやけに乗り気だったのも、リュノア・ラフィーゼたちの件と比較して食いつき方の方向性が違うことも。
端的に言えば、依頼の報酬たる「シアラ」目当てで動いている風には見えないのだ。
重ねて言えば、リルの主観ではなく、傍から見てもシアラに対しての興味がなさそうに思えるのだ。
もっと言えば、本質に置いている目的を下世話な目的でカモフラージュしている――そんなリルの推察はおおむね当たっていた。
ぽやーっと能天気そうに目線をうろうろさせているヴァニラを除く四名の視線に、ヘルメスもとうとう根負けした。
「……そだな。ま、俺が依頼を受けた理由は……これが過半を占めるな」
ヘルメスが取り出したのは白木の丸薬入れ。くり抜かれた穴から一粒、漆黒の丸薬が掌に落とされる。
「それは?」
表面に一切の凹凸が無い辺り、まともな製法ではないことが伺えるそれは、いくつかの薬草を煎じて丸めた得も言われぬ薬臭を放っている。色は錬金術師の面妖な薬品の中では比較的マシだが、口に放り込むにはやや勇気を伴う臭いだ。
しかし、ただ一人だけ、シアラが丸薬の香りへ反応を示した。
「……え! この匂い……!?」
目を丸くして丸薬とヘルメスの顔の間を視線が往復する。
――やはり分かるか。
神霊の王女の慧眼にはほとほと参る。
「これは魔力汚染の中和剤……この素材こそ、神霊種の里に咲いている花なんだ」
最後までお読みいただきありがとうございました。




